学位論文要旨



No 123662
著者(漢字) 芦田,浩
著者(英字)
著者(カナ) アシダ,ヒロシ
標題(和) 赤痢菌染色体上IpaHタンパクの機能解析
標題(洋)
報告番号 123662
報告番号 甲23662
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3001号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 清野,宏
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 准教授 堀本,泰介
内容要旨 要旨を表示する

[要旨]

腸管粘膜病原細菌である赤痢菌が引き起こす細菌性赤痢は、発展途上国において乳幼児の死亡原因の1つとなっており、今なお国際的視野から重要な感染症として知られている。経口的に体内に取り込まれた赤痢菌は腸管下部で増殖しつつ、大腸や直腸の孤立リンパ小節上に存在するM細胞より粘膜上皮に侵入し、周囲の上皮細胞に感染を繰り返しながら激しい炎症を引き起こし、粘血性下痢を惹起する。

多くのグラム陰性病原細菌は、高度に保存されたニードル様のIII型分泌装置を有しており、その分泌装置を通じて一群の病原性タンパク(エフェクター)を宿主細胞内に直接注入することで、感染に必要な機能を誘導することが知られている。赤痢菌も同様に、赤痢菌の有する約220-kbの大プラスミド上にコードされるIII型分泌装置より宿主細胞に注入されたエフェクターが細胞機能を様々に修飾することにより感染を成立させる。III型分泌装置の機能、またはエフェクターを欠損させた赤痢菌においては、その病原性が著しく減弱することが知られている。また、多くのエフェクターは他の病原細菌においても相同性の高いエフェクターが保存されていることから、赤痢菌のエフェクターの機能解析は赤痢菌のみならず、多くの病原細菌の感染機構の解明、およびその感染防御法の考案、安全なワクチン株の開発において重要な意義を有すると考えられる。

赤痢菌のエフェクターの一つであるIpaHタンパクは、N末端近傍のロイシンリッチリピート(LRR)と保存性の高いC末端領域(CTR)より構成される特徴的な構造をもち、赤痢菌の大プラスミド上にipaH9.8、7.8、4.5の3つが存在し、相互に高い相同性を有する。このIpaHホモログタンパクは他の病原細菌であるYersinia、Salmonella、 Pseudomonas属にも存在することから、感染における重要性が示唆される。これまでに報告されているIpaHタンパクの機能として、IpaH9.8はIII型分泌装置より分泌後、宿主細胞の核内へと移行後、宿主のスプライシング因子であるU2AF35と結合し、U2AF35依存的なスプライシング反応の阻害することで、各種サイトカインの産生を抑制し、菌の感染持続に寄与することが報告されている。近年、赤痢菌のゲノムシークエンスにより、赤痢菌の染色体上には新たに7つのipaH遺伝子が存在することが判明し、その病原性への関与が示唆されている。しかし、これまでに赤痢菌の染色体上にコードされるタンパクがIII型分泌装置から分泌される報告はない。赤痢菌の染色体上にもエフェクターが存在することが明らかとなれば、新たな病原因子の探索へとつながり、未だ解明されていない赤痢菌の感染機構を正確に理解するのに役立つばかりでなく、感染を初期に阻止する薬剤あるいはワクチンなどの開発にも貴重な手掛かりを与えてくれると期待できる。そこで本研究では赤痢菌の染色体上IpaHタンパク機能解析の第一段階として、III型分泌装置からの分泌および感染における役割の解析を行った。

2次元電気泳動、RT-PCR、蛍光エネルギー共鳴を用いた感染実験等による解析の結果、染色体上IpaHタンパクは7つとも全て発現しており、染色体上にコードされるタンパクとして初めてIII型分泌装置依存的に菌体外へと分泌後、宿主細胞内へと移行することが示された。また、染色体上IpaHタンパクの分泌動態を確認したところ、赤痢菌の細胞侵入時に必要とされる、IpaB、 IpaC、 IpaDエフェクターに比べ、III型分泌装置からの分泌が遅延していることが示された。さらに赤痢菌の細胞侵入後の各種エフェクター遺伝子のmRNA発現量解析において、他のエフェクター遺伝子のmRNA発現量が細胞侵入後に減少していくのに対し、染色体上ipaH遺伝子は7遺伝子とも赤痢菌の細胞内侵入後に発現が上昇することが示された。以上より、染色体上IpaHタンパクは赤痢菌の宿主細胞侵入後にIII型分泌装置より分泌されることから、赤痢菌の細胞内侵入後の感染局面において重要な役割を担う可能性が示唆された。

続いて、染色体上IpaHタンパクが、赤痢菌の病原性に寄与するかを検討するため、赤痢菌のマウス肺炎惹起能を用いた病原性評価を行なった。染色体上ipaH遺伝子の7重欠損株および野生株を用いてマウスに経鼻感染し、感染マウスの致死率を観察した。この結果、染色体上ipaH遺伝子欠損株感染マウスにおいて致死率の遅延が認められたことから、染色体上IpaHタンパクは赤痢菌の病原性に寄与することが示された。また、感染マウスの肺病理切片における病理組織学的観察、肺破砕液中のサイトカイン産生量の測定の結果、染色体ipaH遺伝子欠損株投与マウスは野生株投与マウスと比べ、感染部位における好中球の浸潤が激しく、炎症増悪、炎症性サイトカイン (MIP-2)産生量の増加が認められた(図2)。また、感染マウスの肺中における生菌数を測定したところ、野生株に比べ、染色体ipaH遺伝子欠損株投与マウスにおいて定着菌数の著しい減少が認められたことから、染色体上IpaHタンパクは感染に伴う宿主の炎症反応を抑制することで、菌の感染持続に寄与している可能性が示唆された。

そこで、染色体上IpaHタンパクの宿主免疫抑制機能を詳細に解析するため、培養細胞を用いて赤痢菌感染実験を行なった。マウス感染実験において、染色体上ipaH遺伝子欠損株投与マウスにおける炎症増悪、炎症性サイトカイン産生量の増加などが認められたことから、NF-kBの活性化に与える影響を調べた。NF-kBは赤痢菌の感染に伴う炎症反応の誘発において中心的な役割を果たすことが報告されている。NF-kBは、非活性化状態においては、細胞質中で阻害タンパクIkBと結合しているが、各種刺激によってリン酸化されたIkBが分解されることにより、NF-kBは核内へと移行し、機能する。事実、赤痢菌野生株および染色体上ipaH遺伝子欠損株をHeLa細胞に感染させ、IkBaの分解能を比較したところ、染色体上ipaH遺伝子欠損株感染細胞においてはIkBaの分解速度が野生株感染細胞に比べ、促進していることが示された。さらに、赤痢菌感染HeLa細胞において、NF-kB依存性炎症性サイトカインであるil-8のmRNA発現量を測定したところ、染色体上ipaH遺伝子欠損株感染細胞は野生株感染細胞に比べて、il-8産生量の増加が認められた。以上の結果より、染色体上IpaHタンパクの中には赤痢菌の感染において、NF-kB活性化を抑制する機能を有することが示唆された。

本研究により得られた成果により、これまで赤痢菌のエフェクターはもっぱら大プラスミド上の遺伝子にコードされていると思われていたが、染色体上にも同様な遺伝子が存在することが明らかとなり、新たな病原因子の探索に貴重な手掛かりを与えることが出来た。また、赤痢菌の腸粘膜の感染および定着において菌による宿主免疫抑制が重要であることが解明され、新たな感染戦略を見いだすことが出来た。今後も赤痢菌をモデルとしたエフェクター分子と宿主標的因子の相互作用の解明により、新たな病原細菌の感染戦略および感染現象が明らかになっていくと考えられる。また同時に、これらの研究成果を利用した、新規な病原細菌ワクチン株および新規治療薬への応用が期待される。

図2 赤痢菌野生株および染色体上ipaH遺伝子欠損株投与マウス肺病理切片

審査要旨 要旨を表示する

本研究は細菌性赤痢の起因菌である赤痢菌の染色体上に複数存在するIpaHタンパクが赤痢菌のエフェクター(病原因子)として機能するかを明らかするため、染色体上IpaHタンパクのIII型分泌装置からの分泌および宿主細胞内への移行、またマウス感染実験による病原性寄与を確認したものであり、下記の結果を得ている。

1.赤痢菌野生株およびIII型分泌装置変異株を用いた菌体外へのタンパク分泌解析を行った結果、染色体上に存在する7つのIpaHタンパクは染色体上のタンパクとしては初めてIII型分泌装置依存的に菌体外へと分泌されることが明らかとなった。また、蛍光エネルギー共鳴システムを用いた解析の結果、これらの染色体上IpaHタンパクはIII型分泌装置より分泌後、宿主細胞内へと移行することが明らかとなり、赤痢菌のエフェクターとして機能することが示された。

2.染色体上IpaHタンパクのIII型分泌装置からの分泌動態を確認したところ、赤痢菌の他のエフェクターに比べて分泌が遅延されることが明らかとなった。また赤痢菌の細胞内侵入後の菌体内での遺伝子発現を解析したところ、他のエフェクター遺伝子の発現量は細胞侵入後に減少していくのに対し、染色体上ipaH遺伝子は菌の細胞内侵入後に発現が上昇することが示され、染色体上IpaHタンパクは赤痢菌の細胞侵入後の感染局面において重要な役割を担うことが示された。

3.染色体上IpaHタンパクが、赤痢菌の病原性に寄与するかを検討するため、赤痢菌のマウス肺炎惹起能を用いた病原性評価を行なった。染色体上ipaH遺伝子の7重欠損株および野生株を用いてマウスに経鼻感染し、感染マウスの致死率を観察した。この結果、染色体上ipaH遺伝子欠損株感染マウスにおいて致死率の遅延が認められたことから、染色体上IpaHタンパクは赤痢菌の病原性に寄与することが示された。また、感染マウスの肺病理切片における病理組織学的観察、肺破砕液中のサイトカイン産生量の測定の結果、染色体ipaH遺伝子欠損株投与マウスは野生株投与マウスと比べ、感染部位における好中球の浸潤が激しく、炎症増悪、炎症性ケモカイン (MIP-2)産生量の増加が認められた。また、感染マウスの肺中における生菌数を測定したところ、野生株に比べ、染色体ipaH遺伝子欠損株投与マウスにおいて定着菌数の著しい減少が認められたことから、染色体上IpaHタンパクは感染に伴う宿主の炎症反応を抑制することで、菌の感染持続に寄与している可能性が示唆された。

以上、本論文は赤痢菌の染色体上IpaHタンパクが新たなエフェクターとして赤痢菌の感染に寄与することを明らかにした。これまで赤痢菌のエフェクターはもっぱら大プラスミド上の遺伝子にコードされていると思われていたが、染色体上にも同様な遺伝子が存在することが明らかとなり、新たな病原因子の探索に貴重な手掛かりを与えることが出来た。また、赤痢菌の腸粘膜の感染および定着において菌による宿主免疫抑制が重要であることが解明され、新たな感染戦略を見いだすことが出来た。今後は本研究成果を利用した、新規な病原細菌ワクチン株および新規治療薬への応用が期待され、学位の授与に値するものと考えられる。

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