学位論文要旨



No 123663
著者(漢字) 生谷,尚士
著者(英字)
著者(カナ) イクタニ,マサシ
標題(和) 機能的B細胞選択を担うプレB細胞受容体の標的転写因子の同定とその役割
標題(洋)
報告番号 123663
報告番号 甲23663
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3002号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 教授 清野,宏
 東京大学 准教授 田中,廣壽
内容要旨 要旨を表示する

【序】

B細胞は骨髄において造血幹細胞から一連の分化段階を経て成熟する。B細胞の分化段階の一つであるProB細胞で免疫グロブリン重鎖(H鎖)の再構成が開始される。この際に免疫グロブリン軽鎖(L鎖)様の代替L鎖と会合しうる機能的なH鎖を再構成したB細胞は細胞表面上にプレB細胞受容体(PreBCR)を形成するL-PreB細胞へと分化する。このPreBCRから分化シグナルが伝達され次の分化段階であるS-PreB細胞へと移行する。その後B細胞はL鎖を再構成しB細胞受容体(BCR)が形成されImmatureB細胞へと分化する。

PreBCRの細胞内シグナル伝達分子は現在までにいくつか同定されている。その一つであるブルトン型チロシンキナーゼ(Btk)はPreB細胞への分化に必須の役割が証明されている。またB細胞分化は様々な転写因子の相互作用で制御されていることが明らかとなってきている。しかしながらPreBCRシグナルがどのような転写因子を標的としてPreB細胞分化を規定しているかは未解決である。そこで私はBtk依存的なPreBCRシグナルによって変動する転写因子に着目し、それらの同定を試みた。そしてそれらの担う役割を遺伝子過剰発現・発現抑制実験を用いて検証した。

【方法と結果】

(1)Btk依存的に制御される転写因子群の同定

Rag2遺伝子欠損(Rag2KO)マウスではProB細胞でH鎖の再構成が起きずProB細胞段階で分化が完全に障害されている。このProB細胞ではH鎖を含まずにPreBCRのシグナル伝達分子であるIgα/Igβが細胞表面上に発現している。Rag2KOマウスにIgβに対する抗体を投与するとPreB様細胞への分化が誘導されるが、Rag2/Btk遺伝子重複欠損(Rag2/BtkDKO)マウスではPreB様の細胞は誘導されない。すなわちBtkはPreB細胞分化に必須である。この現象を利用しマイクロアレイ解析を用いBtk依存的に制御を受ける転写因子群の同定を試みた。Rag2KO、 Rag2/BtkDKOマウスに抗Igβ抗体投与後任意の時間で骨髄よりB細胞を精製し遺伝子の変化を観察した。Rag2/Btk重複欠損B細胞では変化がみられず、Rag2単独欠損B細胞で変化がみられた遺伝子を選択した。さらにRag2単独欠損B細胞とRag2/Btk重複欠損B細胞との差が2倍以上で且つ転写活性のあるものを選択し、これらを候補遺伝子とした。遺伝子過剰発現実験から候補遺伝子のうちHeyLがB細胞分化に関与していることが示された。HeyLは ProB細胞で発現が確認され、L-PreB細胞で一過性に減少していた。S-PreBで再び発現が増強しImmatureB細胞では発現が抑制されるというパターンを示した。

(2)HeyLによる細胞増殖、PreB細胞分化の促進

HeyLの役割を明らかにするためProB細胞を精製しHeyLを過剰発現させ培養した。HeyLを過剰発現している細胞はPreB細胞で観察される細胞表面マーカーの様相を示していた。次にHeyLを過剰発現している細胞をソーティングし、B細胞分化に関係する遺伝子の発現量をRT-PCRで解析した。その結果B細胞の増殖を制御するサイトカイン、IL-7、のレセプターの発現が増強していた。実際にHeyL強発現細胞ではIL-7への応答性が促進していた。さらにL鎖の再構成に必須の役割を担う遺伝子の転写促進も観察された。つまりHeyLはProB細胞増殖に関与する遺伝子や分化に関与する遺伝子の転写を促進させることでProB細胞の増殖、PreB細胞分化を促進させていることが示唆された。

(3)HeyL遺伝子抑制によるPreB細胞分化、細胞増殖の障害

ProB細胞においてHeyLの発現を抑制させた場合のPreB細胞分化への影響を観察した。ProB細胞を精製しHeyL遺伝子を抑制するsiRNAを発現するレトロウィルスを感染導入させた。その後PreB細胞への分化を誘導する培養系で細胞を培養した。するとHeyLが抑制されている細胞においてPreB細胞への分化、細胞増殖が抑制された。これはHeyLの重要性をさらに強調する結果である。

(4)HeyL機能ドメインの同定

HeyLにはDNA結合能を持つbHLHドメイン、Orangeドメイン、C末端の保存された部位が知られている。細胞増殖、PreB細胞分化におけるこれらのドメインの役割を同定するため、ドメイン欠損変異体を作製しProB細胞に感染導入させ培養した。bHLH欠損変異体は細胞増殖、PreB細胞への分化ともに顕著に阻害した。またC末端欠損変異体では細胞増殖は阻害されたがPreB細胞分化は促進するという興味深い知見が得られた。

(5)HeyLによるPreB細胞分化誘導におけるPreBCRとBtkの関与

PreB細胞への分化にはPreBCRシグナルが必須であることが知られているが、HeyLが誘導するPreB細胞分化にBtkとPreBCRシグナルが要求されるかは興味深い点である。そこでPreBCRを欠損するRag2KOマウス、Btkを欠損するBtkKOマウス、それらの両方を欠損するRag2/BtkDKOマウスのProB細胞にHeyLを過剰発現させ細胞表面マーカーの変化を観察した。その結果Btk、PreBCR非依存的に変化がみられるマーカー、Btk、PreBCR両方に依存しているマーカー、PreBCRのみに依存しているマーカーが観察された。これはHeyLがそれぞれのマーカーの変動に異なったレベルで関与していることを示唆する結果である。

(6)生体内免疫担当細胞におけるHeyLの役割

HeyLのB細胞分化での影響をB前駆細胞培養系において証明してきたが、生体内での役割や他の免疫担当細胞での役割も検討すべき点である。そこで野生型マウスの骨髄細胞から造血幹細胞を含む未熟な細胞を精製し、HeyLを感染導入し致死量の放射線を照射した野生型マウスに移入した。移入4週後、末梢血液を採取しB細胞、T細胞、その他の単核球に占めるHeyL過剰発現細胞の割合を算出した。HeyL過剰発現細胞ではB細胞の増加が観察されT細胞、単核球は減少していた。

(7)HeyLノックアウトマウスの作製

本研究よりB細胞分化にHeyLが重要な役割を担うことが示唆された。またB細胞のみならずT細胞や他の免疫担当細胞への影響も観察された。故にHeyLの機能を生体レベルで解析することはB細胞分化のみならず免疫系全体の制御の解明にもつながると考えHeyLノックアウトマウスの作製に着手した。

ES細胞にHeyLターゲティングベクターを導入し相同組換を起こしたクローンを選別した。その結果二つのクローンを得ることに成功した。そのうちの一つを胚盤胞にインジェクションしキメラマウスを作製し、キメラマウスの雄と野生型マウスの雌とを交配した。誕生してきたマウスの尻尾からゲノムDNAを抽出しPCRによってHeyL遺伝子座を検出した。結果、複数のマウスに相同組換を起こした対立遺伝子が確認された。現在は野生型マウスとの交配を進めている。

【考察】

本研究においてBtkを介したPreBCRシグナルの標的転写因子HeyLを同定した。HeyLは細胞増殖を正に制御していること、PreB細胞への分化を促進させていることが今回示された。

HeyLはIL-7Rα鎖の転写を促進させ、IL-7への応答性を促進させている可能性が示唆された。ProB細胞はIL-7に応答して増殖することからHeyLはProB細胞特異的に増殖を促進し、PreBCRシグナルによるHeyLの一過性の発現抑制はIL-7依存的な増殖を停止するためと考えられる。その後のS-PreB細胞段階での発現増強はPreB細胞分化を完結するための因子の発現誘導に関与すると推察する。これらのHeyLの機能にはDNA結合能を有するbHLHドメインが必須であること証明した。このドメインはHeyLホモダイマーや他のbHLHを持つ分子とのダイマー形成にも重要であることが報告されている。HeyLの機能は会合する分子に依存するという報告もなされており細胞増殖に関与する時とPreB細胞分化に関与する時でその会合分子が異なるために標的遺伝子が細胞分化段階によって異なると考える。本研究はHeyLがB細胞分化における重要な役割を担うことを強く示唆している。その証明には今回作製に成功したHeyLノックアウトマウスの解析が極めて有効である。このマウスの解析することでB細胞のみならず免疫系全体の制御の解明に大きく貢献できると確信している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はB細胞初期分化において重要な役割を演じているプレB細胞受容体(PreBCR)シグナルと転写因子ネットワークとの関連を明らかにする目的で行われた。生体内で人工的にPreBCRを架橋刺激しB細胞の分化を誘導後、mRNAの発現変化が観察された転写因子の機能を解析した。その結果、HeyLが重要な役割を担っていることが下記の結果から示された。

1.ProB細胞分化段階でB細胞分化が障害されているRag2KOマウスとPreBCRのシグナル伝達に必須であるチロシンキナーゼBtkを欠損するRag2Btk重複欠損マウスに細胞表面シグナル伝達分子であるIgβに対する抗体を投与しB細胞分化を誘導し、遺伝子変化を経時的に観察した。マイクロアレイ解析を行い7つの候補転写因子を同定し、過剰発現実験でB細胞分化への影響を検討した結果HeyLがB細胞分化に関与していることが明らかとなった。野生型マウス骨髄B細胞各分化段階におけるHeyLの発現はRT-PCRによって確認された。HeyLはProB細胞で発現が誘導され、L-PreB細胞で一過性に減少後S-PreB細胞で発現が増強し、ImmatureBでは発現が抑制されるという結果が得られた。

2.野生型マウス骨髄からFACSによりProB細胞を精製しHeyLを過剰発現させ次の分化段階であるPreB細胞への分化状況を検討した。その結果PreB細胞分化の指標である細胞表面抗原CD43の発現減少、CD25、CD2の発現上昇が観察された。さらにPreBCRの構成分子であるVpreB、λ5の発現低下、細胞径の減少とその他の指標でも分化促進が観察され、HeyLがPreB細胞分化に関わっていることが示された。

3.HeyLの過剰発現によりB細胞初期分化に関与する遺伝子の発現量に変化を及ぼすかを検討した。その結果、ProB細胞の細胞増殖に関与する遺伝子であるIL-7Rα鎖、その転写を直接制御するPU.1、cyclin D2が増加していた。IL-7への応答性はHeyLを過剰発現している細胞で有意に増強されていた。また、免疫グロブリンL鎖の再構成に必須であるIRF4、IRF8の増加も観察された。これらの結果からPreB細胞分化の促進に加えHeyLはProB細胞の細胞増殖に関与することが示された。

4.HeyLの発現をsiRNAを用いて抑制しPreB細胞分化を誘導したところ、CD43の発現低下、CD25、CD2の発現上昇が抑制された。すなわち、PreB細胞分化が障害された。さらにHeyLが抑制されている細胞群ではコントロールベクターに比べ細胞増殖が顕著に障害されていた。これらはHeyLがPreB細胞分化、細胞増殖にその役割を担っていることを強調する結果である。

5.HeyLに存在するDNA結合ドメインであるbHLH、Orangeドメイン、そしてダイマー形成に関与するとされるC末端部位を欠損した変異体をProB細胞に過剰発現させPreB細胞分化、細胞増殖への影響を検討した。その結果bHLH欠損変異体ではPreB細胞分化、細胞増殖の促進がほぼ完全に阻害されていた。またC末端欠損変異体においては細胞増殖促進は野生型HeyLに比べ半分に低下したがPreB細胞分化は野生型よりも促進していた。これらの結果からHeyLの機能にはbHLHが必須であり、C末端部位がHeyLの機能を調節している可能性が示された。

6.HeyLによって誘導されるPreB細胞分化にPreBCRとBtkが必須であるかを野生型マウス、Btk欠損マウス、PreBCRを欠損するRag2欠損マウス、それら両方を欠損するRag2Btk重複欠損マウスのProB細胞を用いて検討した。CD43の発現低下はどの遺伝子型でも観察された。しかしながらCD25の発現上昇はBtk欠損、Rag2欠損B細胞で部分的に傷害されており、Rag2Btk重複欠損B細胞ではほぼ完全に障害されていた。CD2に関してはRag2欠損、Rag2Btk重複欠損B細胞で完全に障害されていた。つまりCD43の制御においてはBtk、PreBCRには依存せず、CD25はその両方、CD2はPreBCRに依存していることが示唆された。これらの表面抗原は一律な制御を受けているのではなくそれぞれが異なったレベルで制御されていることが判明した。

7.生体内でのHeyLの役割を明らかにするため造血幹細胞を含む未熟な細胞群にHeyLを過剰発現させ、致死量の放射線を照射した野生型マウスに移入した。4週間後、末梢血液中のB細胞、T細胞、ミエロイド系の細胞への影響を観察した。HeyLを強発現しているB細胞はコントロールに比べ有意に増加していた。

8.本研究よりHeyLがB細胞初期分化において重要な役割を担っていることが考えられるのでHeyL欠損マウスを作製に着手した。相同組換を起こしたES細胞をマウス胚盤胞にインジェクションし、キメラマウスを得た。このキメラマウスと野生型マウスとの交配で誕生したマウスの尾よりゲノムDNAを抽出し相同組換を起こした遺伝子座をPCRで検出した。その結果、目的の遺伝子座が得られHeyL欠損マウスの作製に成功した。

以上、本論文はPreB細胞分化に関与すると考えられた候補遺伝子を過剰発現、発現抑制実験で検討し、転写因子HeyLがProB細胞分化段階では細胞増殖、その後のPreB細胞分化段階ではPreBCRシグナルにより発現が増強しPreB細胞分化の完結にその役割を担うことが示された。本研究はこれまで未知に等しかった、PreBCRシグナルと転写因子のネットワークの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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