学位論文要旨



No 123664
著者(漢字) 岡,雅子
著者(英字)
著者(カナ) オカ,マサコ
標題(和) TGF-βシグナルの抑制によるリンパ管新生の促進
標題(洋) Enhancement of lymphangiogenesis by inhibition of endogenous TGF-β signaling
報告番号 123664
報告番号 甲23664
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3003号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 教授 谷口,維紹
 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 連携教授 廣橋,説雄
 東京大学 教授 安藤,譲二
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

リンパ管新生は血管新生とともにがん転移に密接な関係があると考えられている。また、リンパ管に異常が生じるとリンパ浮腫などの疾患が起こる。したがって、リンパ管新生を制御することによる疾患治療が考えられるが、そのためにはリンパ管新生のメカニズムを明らかにすることが重要であると考えられる。近年LYVE-1、Prox1、Podoplanin、VEGF-R3などリンパ管に特異的なマーカーが明らかになってきたことにより、今まで難しかったリンパ管新生に関する研究が進んできている。リンパ管新生を促進する因子としていくつかの増殖因子が報告されており、特にVEGF-C、VEGF-DからVEGF-R3を介して入るシグナルはリンパ管新生の重要な経路と考えられている。

一方、TGF-βシグナルは血管新生には深く関係があることがすでに報告されてきている。TGF-β1遺伝子ホモ欠損マウスの約半数とTGF-βII型受容体のノックアウトマウスにおいて、胎生10.5日目に卵黄嚢における血管形成と造血の異常より胎生致死になることが報告されている。また、腫瘍モデルにおいてはTGF-βシグナルを抑制することにより血管内皮細胞に対する血管壁細胞の被覆が少ないことから、腫瘍血管の漏出性が増すことが報告されている。リンパ管新生は血管新生と並んで癌の中で観察される現象である。このため血管新生に影響を及ぼすTGF-βシグナルの阻害効果がリンパ管新生にも影響を及ぼすかどうかに関心を持ち、これまで解明されていないリンパ管新生へのTGF-βシグナルの関与について検討を行うことにした。

In vitroにおけるTGF-βのリンパ管内皮細胞に対する作用

まずヒト由来リンパ管内皮細胞(HDLEC)を用いてin vitroでの実験を行った。HDLECにおいて内因性のTGF-βによりSmad2のリン酸化が起きているが、TGF-β刺激によりSmad2のリン酸化が亢進し、TGF-β阻害剤(LY364947, SB431542)によって抑制された。またTGF-βシグナルの標的遺伝子であるSmad7、PAI-1のmRNAの発現は、TGF-β刺激により上昇し、TGF-β阻害剤により減少した。これらのことからHDLECはTGF-βシグナルに応答することが確認された。次にHDLECの増殖はTGF-β刺激で抑制され、TGF-β阻害剤存在下では促進された。次にリンパ管新生に関わる重要な転写因子であるProx1の発現について調べたところ、Prox1の発現はTGF-β刺激で減少し、TGF-βシグナル抑制により増加することが、細胞蛍光免疫染色とウェスタンブロッティングで確認された。Prox1と他のリンパ管マーカーであるLYVE-1のmRNAの発現についても発現を調べたところ、TGF-β刺激により減少し、TGF-βシグナル抑制により増加することが確認された。Prox1の発現を制御する因子の報告は限られており、多くのことはまだ明らかになっていないことから、TGF-βシグナルがProx1の発現を調節するという知見は重要であると考えられる。なお、シクロへキシミドを用いて新規のタンパク質合成を阻害することで、これらの遺伝子の発現調節がSmadによる転写調節を介した直接作用かどうかを検証したところ、TGF-βシグナルの標的遺伝子PAI-1の発現は誘導されたが、Prox1、LYVE-1の発現は上昇しないことから、Prox1、LYVE-1の誘導はTGF-βによる直接作用ではなく、他のタンパク質を介した間接作用であることが示唆された。

次に、VEGF-Cに対するHDLECの走化性はTGF-β刺激で抑制され、TGF-βシグナル抑制により促進されることが確認された。また、マトリゲル2次元培養、タイプIコラーゲン3次元培養においてHDLECによる管腔様構造の形成がTGF-βで抑制され、TGF-βシグナルの抑制により促進されることが観察された。さらに、ES細胞が形成するEmbryoid bodyにおいてVEGF-CとVEGF-Aによりリンパ管内皮細胞への分化を誘導する実験系においてもTGF-β阻害剤がリンパ管発生をさらに促進したことから、発生におけるリンパ管内皮の分化の過程においてもTGF-βシグナル抑制がリンパ管新生を促進することが示唆された。

TGF-β阻害剤によるIn vivoでのリンパ管新生

さらに、In vivoの炎症モデル、ならびに癌モデルを用いてTGF-β阻害剤のリンパ管新生に対する影響を調べた。まず、マウス無菌性腹膜炎モデルにおいてTGF-βシグナル抑制により横隔膜上のリンパ管新生が促進されることが観察された。なお炎症性リンパ管新生ではマクロファージにより産生されるVEGF-Cが関与することが報告されている。このため、BALB/cマウスから採取した炎症性マクロファージを用いてTGF-β阻害剤の作用を検討したところ、TGF-βシグナル抑制によりVEGF-Cの産生は促進されず、むしろ抑制された。このことから、この炎症モデルでのTGF-βシグナル抑制によるリンパ管新生促進は、マクロファージ由来のVEGF-Cを介した間接的効果ではなく、リンパ管内皮細胞に対する直接的効果であるということが示唆された。

次にヒト由来膵臓腺癌細胞であるBxPC3細胞とMIA PaCA2細胞の皮下移植モデルを用いて、腫瘍リンパ管新生に対するTGF-βシグナル抑制の効果を調べた。VEGF-Cリガンドの存在下で、TGF-βシグナル抑制によりLYVE-1陽性細胞が増加することが観察された。これらのLYVE-1陽性細胞は、共焦点顕微鏡を用いた3次元的解析により管構造を形成していることが示された。またLYVE-1陽性細胞は他のリンパ管マーカーであるProx1やPodoplaninと共染色され、ならびに血管マーカーであるPECAM1とほとんど共染されなかったことから、リンパ管であることが確認された。

結語

以上の結果より、TGF-βシグナルはProx1発現を負に制御することでリンパ管新生を負に制御しており、TGF-βシグナル抑制はリンパ管新生を促進することが示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はリンパ管新生におけるTGF-βシグナルの役割を明らかにするために、in vitroでヒトリンパ管内皮細胞、ならびにES細胞を用いた解析、in vivoで腫瘍モデル、ならびに炎症モデルを用いた解析により、リンパ管新生とTGF-βシグナルの関係を明らかにすることを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.ヒトリンパ管内皮細胞(HDLEC)を用いた検討において、TGF-βシグナルにより下流の因子であるSmad2のタンパク質のリン酸化が調節されること、ならびに標的遺伝子であるSmad7、PAI-1のmRNAの発現が調節されることから、HDLECにおいてTGF-βのシグナルが伝達されることが示された。

2.HDLECにおいて、リンパ管新生の重要なマスター遺伝子と考えられているProx1のタンパク質ならびにmRNAの発現がTGF-β刺激により減少し、TGF-β阻害剤存在下で増加したことや、他のリンパ管マーカーであるLYVE-1のmRNAの発現がTGF-β刺激で減少し、TGF-β阻害剤存在下で増加したことから、TGF-βシグナルはHDLECにおけるリンパ管マーカーの発現を調節することが示された。

3.HDLECの細胞増殖アッセイでは、細胞増殖がTGF-βにより抑制され、TGF-β阻害剤により促進された。またI型コラーゲンゲル内での3次元培養においてはHDLECのコード形成がTGF-βにより抑制され、TGF-β阻害剤により促進された。さらに、チャンバーアッセイにおいて、HDLECのVEGF-Cに対する遊走能がTGF-βにより抑制され、TGF-β阻害剤により促進された。このことから、HDLECの細胞増殖、コード様構造、遊走性はTGF-βシグナルにより調節されることが示された。

4.ES細胞から分化した胚様体(Embryoid body)をVEGF-CならびにVEGF-A存在下で血管内皮、リンパ管内皮に分化させる過程で、TGF-β存在下ではLYVE-1陽性細胞が減少し、TGF-β阻害剤存在下では増加した。これらのことにより、TGF-βシグナルが初期のリンパ管内皮の分化に関与することが示された。

5.マウス無菌性腹膜炎モデルにおいて、炎症条件下のマウスより取り出した横隔膜上に形成される、マクロファージ集塊(プラーク)内でのLYVE-1陽性部分の面積がTGF-β阻害剤により増加した。このことから、炎症条件下においてTGF-βシグナル抑制によりリンパ管新生が促進されることが示唆された。

6.膵臓腺癌の培養細胞を用いた異所移植モデルにおいて、VEGF-C存在条件下でTGF-βシグナルを抑制することにより、LYVE-1陽性部分の面積が増加することが示された。また、LYVE-1陽性細胞は他のリンパ管マーカーであるProx1やPodoplaninと共染色されたことから、リンパ管としての性質を保持していることが強く示唆され、LYVE-1陽性の管様構造はリンパ管であることが示唆された。これらのことから、腫瘍リンパ管新生にTGF-βシグナルが関与することが示された。

以上、本論文ではin vitroならびに in vivoにおける解析から、リンパ管新生にTGF-βシグナルが関与することが明らかにされ、また、TGF-βシグナルはリンパ管新生を負に調節することが示唆されている。さらに本研究は今まで全く研究されていない研究内容で、多機能なTGF-βシグナルに新たな一面を加える新規性の高い、興味深い研究であることから、学位の授与に値するものと考えられる。

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