学位論文要旨



No 123665
著者(漢字) 小黒,秀行
著者(英字)
著者(カナ) オグロ,ヒデユキ
標題(和) ポリコーム遺伝子Bmi1による造血幹細胞の自己複製と分化制御
標題(洋)
報告番号 123665
報告番号 甲23665
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3004号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 東條,有伸
 東京大学 教授 三宅,健介
 東京大学 准教授 大海,忍
 東京大学 准教授 辻,浩一郎
内容要旨 要旨を表示する

【序】

近年、再生医療が注目されており、幹細胞を利用した医療は新しい形の移植療法として重要である。中でも造血幹細胞は最も研究の進んでいる組織幹細胞であるが、造血幹細胞を定義づける能力である自己複製能の制御機構の詳細は未だ不明であり、ex vivoで未分化状態を保ったまま増殖させ続けることには成功していない。自己複製とはすなわち自己のクローン細胞の作製であり、細胞分裂を越えて幹細胞の遺伝子情報と共に遺伝子発現を規定するエピジェネティックな細胞記憶が維持される機構と考えることができる。よって、自己複製の分子基盤を解き明かす上で、エピジェネティックな遺伝子発現制御による幹細胞形質の維持機構の理解は必須である。

遺伝子欠損マウスの解析などから、多くのポリコーム群遺伝子が造血に関与することが示されている。ポリコーム群蛋白はPRC1とPRC2の2種類に大別される複合体を形成し、エピジェネティックな制御によって遺伝子発現の抑制状態を維持する。PRC1構成分子であるBmi1欠損マウスでは、胎仔肝における造血は一見正常に発生するが、生後造血障害が徐々に進行し、骨髄の脂肪化や汎血球減少を示す。この進行性の造血障害から造血幹細胞の自己複製障害を予想し、本研究では造血幹細胞の自己複製についてポリコーム群蛋白複合体の機能をBmi1を中心に解析するとともに、その発現操作による造血幹細胞の体外増幅の可能性を検討した。

【方法と結果】

(1)PRC1構成因子の遺伝子欠損マウスにおける骨髄再構築能の解析

Mph1に関しては、遺伝子欠損マウスの解析で造血幹細胞数が減少していること、その長期骨髄再構築能が低下していることが報告されているが、Bmi1、Mel18、M33に関しては造血幹細胞の解析はなされていない。そこで、競合的骨髄再構築アッセイを行ったところ、Bmi1欠損マウスは骨髄再構築能を完全に喪失していた。Mel18欠損マウスでは骨髄再構築能のわずかな低下が認められ、M33欠損マウスには異常は認められなかった。

(2)Bmi1欠損マウスにおける造血幹細胞の自己複製障害の解析

重度の造血障害がみられたBmi1欠損マウスついてさらに造血幹細胞レベルでの解析を行った。造血幹細胞分画の細胞数は胎生14.5日で正常であるのに対し、成体骨髄においては進行性に減少していた。造血幹細胞のコロニーアッセイでは、形成したコロニー数には大きな差はないものの、未分化なコロニー形成細胞は僅かにしか観察されなかった。Bmi1欠損造血幹細胞を純化し、Bmi1を遺伝子導入したところ、コロニー形成能が回復し、骨髄移植においても長期骨髄再構築能を獲得したことから、自己複製障害は内在的な現象であり、可逆的であることが明らかとなった。

(3)Bmi1による造血幹細胞の自己複製制御における標的遺伝子

Bmi1の標的遺伝子としてInk4a/Arf遺伝子座が報告されており、造血細胞においてもBmi1の欠損によってInk4aとArfの脱抑制が確認された。これらの遺伝子の発現亢進は細胞増殖抑制やアポトーシス、細胞老化につながることから、Bmi1欠損マウスを、Ink4a欠損マウス、Arf欠損マウス、Ink4a-Arf欠損マウスとそれぞれ交配し、自己複製障害に回復がみられるか検討した。その結果、Ink4aの欠損では全く骨髄再構築能の回復が認められず、Arfの欠損ではわずかな回復が認められるのみであった。それに対し、Bmi1-/-Ink4a-Arf-/-マウスでは長期骨髄再構築能は野生型と同程度まで回復していたことから、Ink4aとArfを同時に欠損することにより自己複製能が回復すると考えることができる。

(4)Bmi1欠損マウスにおける造血幹細胞ニッチの異常

Bmi1-/-Ink4a-Arf-/-マウスの個体レベルでの解析では、骨髄細胞数の回復は不完全であり、造血幹細胞数は進行性に減少していた。Bmi1-/-Ink4a-Arf-/-造血幹細胞の長期骨髄再構築能が正常であることから、造血幹細胞が自己複製分裂を行う微小環境と考えられている造血幹細胞ニッチの異常が予想される。そこで、遺伝子欠損マウスをレシピエントとして野生型の骨髄細胞を移植したところ、Bmi1欠損マウスとBmi1-/-Ink4a-Arf-/-マウスにおいて骨髄再構築が障害されていた。骨芽細胞がニッチ細胞の一種として示されており、骨芽細胞数と造血幹細胞数の相関関係が報告されているが、Bmi1欠損マウス、Bmi1-/-Ink4a-Arf-/-マウスにおいては骨芽細胞が存在する骨表面積の縮小、すなわちosteoblastic nicheの減少が明らかとなった。Bmi1欠損骨芽細胞の初代培養を行ったところ、分化マーカーに関して異常は観察されなかった。しかし、骨芽細胞の増殖はBmi1のノックダウンにより低下し、Ink4a/Arfを欠損しても回復しなかった。また、造血支持能についてはBmi1のノックダウンによる影響は観察されなかった。以上の結果から、Bmi1は造血幹細胞の維持において、内因性にはInk4a/Arfを抑制すること、外因性にはInk4a/Arf以外の制御によってosteoblastic nicheの量を維持することで機能していることが示された。

(5)Bmi1による造血細胞の細胞周期、細胞老化制御の解析

Ink4a/Arfの発現亢進により細胞増殖抑制やアポトーシス、細胞老化が引き起こされることが予想されるが、Bmi1欠損造血細胞において細胞周期の異常、アポトーシスの亢進は観察されなかった。細胞老化の解析において、flow-FISH法を用いてテロメア長を計測しても異常は観察されなかったが、造血幹細胞の培養14日目においてBmi1欠損造血幹細胞由来の細胞で細胞老化のマーカーであるSA-β-gal陽性細胞が著明に増加し、この現象はInk4a/Arfの欠損によって消失した。この結果から、テロメア非依存的な細胞老化が引き起こされる可能性が予想されるが、純化直後のBmi1欠損造血幹細胞はSA-β-gal活性を示さなかったことから、造血幹細胞レベルでの細胞老化現象については今後の更なる解析が必要である。

(6)Bmi1の過剰発現よる造血幹細胞の自己複製能の増強

次に、PRC1構成分子を過剰発現することで造血幹細胞の増幅効果が得られるか検討を行った。純化した造血幹細胞にレトロウイルスを用いてBmi1、Mel18、M33、Mph1、Ring1bを遺伝子導入し、合計14日間の体外培養後にコロニーアッセイを行ったところ、Bmi1のみにおいて未分化なコロニー形成細胞数が著明に増幅されていた。Mel18の導入において弱くはあるものの増幅傾向が観察されたが、Mph1とRing1bでは導入による効果は観察されなかった。M33の導入では増殖の低下や分化の亢進が観察され、コロニーはほとんど形成されなかった。

さらに、体外培養後に競合的長期骨髄再構築アッセイを行った結果、Bmi1導入細胞は有意に高い骨髄再構築能を示したことから、Bmi1の発現・機能操作が造血幹細胞の体外増幅につながる可能性が示された。多能性前駆細胞にBmi1を過剰発現しても効果が認められなかったことから、Bmi1の過剰発現は造血幹細胞の自己複製能の増強に作用し、前駆細胞に自己複製能を付与する効果はないと考えられる。また、Ink4a/Arf欠損造血幹細胞にBmi1を過剰発現して10日間の体外培養を行うと、野生型造血幹細胞と同様に未分化なコロニー形成細胞数が増幅されていたことから、Bmi1による造血幹細胞の増幅効果はInk4a/Arf以外の制御によるものと考えられる。

【考察】

PRC1の構成分子の遺伝子欠損マウスの解析において共通してリンパ球系の異常が報告されているが、本研究における造血幹細胞の解析ではBmi1のみで自己複製の強い障害が観察され、また過剰発現によって造血幹細胞の増幅効果が得られた。これらの所見から、自己複製制御でのPRC1の機能においてBmi1が中心的な役割を担い、Bmi1の発現量が造血幹細胞の自己複製能を規定する重要な要因であると考えられる。

本研究において、造血幹細胞の自己複製制御においてBmi1が内因性のみならずニッチの制御によって外因性にも機能することを示した。これは、一つの分子が幹細胞とそのニッチの双方に異なる機構により機能する点において興味深く、一般に遺伝子改変マウスを用いた研究においては幹細胞の異常を内因性と外因性に分けて解析する必要があると考えられる。また、Bmi1の欠損による自己複製の障害はInk4a/Arfの発現亢進が原因であること、Bmi1の過剰発現による増幅効果はInk4a/Arfの発現制御以外に重要な機構が存在することを示した。そこで、Bmi1の過剰発現における標的遺伝子の解明が、造血幹細胞の自己複製機構の理解を進め、さらにはより効率的で安全な造血幹細胞の体外増幅法の開発につながるものと考え、網羅的解析によってその探索を行っている。さらに、造血幹細胞におけるポリコーム群蛋白の発現制御機構の解明を通じて、エピジェネティックな制御による「細胞記憶システム」という観点から自己複製という現象について理解を深めたい。Bmi1が白血病幹細胞においても自己複製制御分子として機能するという報告とあわせて、Bmi1やその標的遺伝子は造血幹細胞操作のみならず白血病幹細胞の治療において、より根本的かつ効果的な標的分子としての可能性を秘めている。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、造血幹細胞の自己複製において重要な機構と考えられる、エピジェネティックな遺伝子発現制御に関して、クロマチンの高次構造を制御することで遺伝子発現の抑制維持を行うポリコーム群遺伝子に着目し、造血幹細胞における機能を遺伝子欠損マウスを用いて解析するとともに、レトロウイルスによる造血幹細胞への遺伝子導入によって造血幹細胞の体外増幅の可能性を検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.ポリコーム群遺伝子Bmi1、Mel18、M33について、遺伝子欠損マウスの胎仔肝における長期骨髄再構築能を検討した結果、Bmi1欠損マウスは骨髄再構築能を完全に喪失していた。Mel18欠損マウスでは骨髄再構築能のわずかな低下が認められ、M33欠損マウスには異常は認められなかった。

2.Bmi1遺伝子欠損マウスは生後に骨髄細胞や造血幹細胞分画の細胞の進行性の減少が認められ、純化した造血幹細胞のコロニーアッセイにおいて未分化なコロニー形成細胞は著減するとともに、成体骨髄の移植においても骨髄再構築能は認められなかった。これらの現象は、Bmi1欠損造血幹細胞へのBmi1遺伝子の導入により回復することから、Bmi1欠損造血幹細胞の自己複製障害は少なくとも内在的な現象であることが明らかとなった。

3.Bmi1欠損造血細胞において、Bmi1の標的遺伝子であるInk4aとArfの脱抑制が確認されたことから、Bmi1-/-Ink4a-/-マウス、Bmi1-/-Arf-/-マウス、Bmi1-/-Ink4a-Arf-/-マウスを作成し、自己複製障害に回復がみられるか検討した。その結果、Bmi1-/-Ink4a-/-マウスでは骨髄再構築能の回復が全く認められず、Bmi1-/-Arf-/-マウスではわずかな回復が認められるのみであった。それに対し、Bmi1-/-Ink4a-Arf-/-マウスでは長期骨髄再構築能は野生型と同程度まで回復していたことから、Ink4aとArfを同時に抑制することが自己複製能の維持に必須であることが示された。

4.Bmi1-/-Ink4a-Arf-/-マウス個体において、骨髄細胞数と造血幹細胞数が進行性に減少していたことから、造血幹細胞ニッチの異常を予想し、遺伝子欠損マウスをレシピエントとして野生型の骨髄細胞を移植した。その結果、Bmi1欠損マウスとBmi1-/-Ink4a-Arf-/-マウスにおいて骨髄再構築が障害されていた。その原因の一つとして、Bmi1欠損マウスとBmi1-/-Ink4a-Arf-/-マウスにおいて骨芽細胞が存在する骨表面積の縮小による造血幹細胞ニッチの減少を示した。Bmi1のノックダウンにより骨芽細胞の増殖は低下し、Ink4a/Arfを欠損しても回復しなかった。これらの結果から、Bmi1は骨芽細胞が構成する造血幹細胞ニッチの量の維持にInk4a/Arf以外の制御によって機能することが示された。

5.ポリコーム群遺伝子を過剰発現することで造血幹細胞の増幅効果が得られるか検討するために、純化した造血幹細胞にレトロウイルスを用いてBmi1、Mel18、M33、Mph1、Ring1bをそれぞれ遺伝子導入し、合計10日間または14日間の体外培養後にコロニーアッセイを行った。その結果、Bmi1のみにおいて未分化なコロニー形成細胞数が著明に増幅された。Mel18の導入ではわずかな増幅傾向が観察されたが、Mph1とRing1bでは効果は観察されなかった。M33の導入では増殖の低下や分化の亢進が観察され、コロニーはほとんど形成されなかった。体外培養後での骨髄移植の結果、Bmi1導入細胞は野生型と比較して有意に高い骨髄再構築能を示したことから、Bmi1の発現・機能操作が造血幹細胞の体外増幅につながる可能性が示された。また、Ink4a/Arf欠損造血幹細胞にBmi1を過剰発現して10日間の体外培養を行うと、野生型造血幹細胞と同様に未分化なコロニー形成細胞数が増幅されていたことから、Bmi1の過剰発現による造血幹細胞の増幅効果はInk4a/Arf以外の制御によるものと考えられる。

以上、本論文はポリコーム群遺伝子のなかで、Bmi1が造血幹細胞においてその自己複製制御分子として機能することを明らかにし、内因性にはInk4a/Arfを抑制すること、外因性にはInk4a/Arf以外の制御によって造血幹細胞ニッチの量を維持することで造血幹細胞の維持に機能していることを示した。さらに、Bmi1の過剰発現により造血幹細胞の体外増幅効果が得られることを示した。本研究は造血幹細胞の自己複製制御の分子機構の解明に重要な貢献をなすと共に、造血幹細胞の体外増幅法を検討する上で重要な分子基盤を提供するものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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