学位論文要旨



No 123667
著者(漢字) 川崎,京子
著者(英字)
著者(カナ) カワサキ,キョウコ
標題(和) RasシグナルによるVEGFR2+血管前駆細胞からの血管内皮細胞分化
標題(洋) Ras signaling specifies endothelial differentiation of VEGFR2+ vascular progenitor cells
報告番号 123667
報告番号 甲23667
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3006号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 特任准教授 後藤,典子
 東京大学 准教授 田村,智彦
 癌研究所 教授 中村,卓郎
内容要旨 要旨を表示する

Vascular endothelial growth factor receptor 2 (VEGFR2)は、マウス胎生初期の後方原始線条において、中胚葉性細胞の一部の血管前駆細胞に発現する初期血管分化マーカーである。VEGFR2のノックアウトマウスは、血管内皮細胞と血球系細胞の欠損により胎生8.5-9.5日で死に至る。このことから、VGEFR2とその下流シグナル伝達が血管内皮細胞分化において必須であることが示唆されてきた。現在まで、成熟した血管内皮細胞における増殖、生存および運動性にはたらくVEGFR2を介したシグナル伝達機構は明らかにされているが、前駆細胞から血管内皮細胞への分化を制御するシグナル伝達経路は解明されていない。そこで私は、マウスES細胞由来VEGFR2+血管前駆細胞から血管内皮細胞へと分化させることのできるin vitro血管分化系を用いて血管前駆細胞から内皮細胞へのシグナル伝達機構を検討した。

マウスES細胞由来VEGFR2+細胞は、血清やPDGF-BB存在下ではαSMA陽性の壁細胞へと分化するが、VEGF-Aに応答しPECAM1陽性血管内皮細胞へと分化する。まず、チロシンキナーゼレセプター下流の主なシグナル分子に対する低分子量阻害剤を用いて内皮細胞分化を特異的に抑制する分子のスクリーニングを行った。限界希釈法によるコロニーアッセイの結果、ファルネシルトランスフェラーゼの阻害剤であるFTI-277を添加すると、VEGF-A依存的に出現するPECAM1+コロニーが減少し、一方αSMA+コロニーが増加した。このことから、FTI-277は内皮細胞分化を特異的に抑制することが示唆された。次に、FTI-277の主要なターゲット分子であるH-Rasをノックダウンするため、H-Rasに対するmicroRNAを発現誘導できるES株を樹立した。コロニーアッセイの結果、H-Ras microRNAの発現によりPECAM1+コロニーが減少し、αMA+コロニーが増加した。このことから、H-Rasが内皮細胞分化を制御する分子のひとつであることが示唆された。さらに、マウスembryoを用いて発生過程におけるH-Rasの重要性を検討した。PECAM1の染色により、H-ras-/- embryoでは頭部表面の血管形成に遅延が生じることがわかった。また、ex vivo embryo cultureの解析では、FTI-277によりyolk sacの血管形成が減損した。以上のことからも、H-Rasが血管発生において重要であることが示唆された。

次に、恒常活性型H-Ras[G12V]を発現誘導できるES株を作製した。H-Ras[G12V]の発現によりVEGF-A非依存的にPECAM1+細胞が出現した。これらの細胞は、他の血管内皮マーカー (CD34、endoglin、AcLDLの取り込み)も陽性であり、三次元培養ではVEGF-A刺激のときに見られるものと同様の管腔様構造を形成した。このことから、活性型H-Rasは血管内皮細胞分化を正に制御することが示唆された。

多くのリガンド刺激により活性化されるRasが内皮細胞分化を特異的に制御するメカニズムを探るため、Rasの活性化されるタイミングを検討した。VEGF-A刺激後6時間でRasの顕著な活性化が見られたが、この活性は内皮細胞分化を誘導することのできない血清刺激のみやPDGF-BB刺激では見られなかった。また、このRasの活性は内皮細胞マーカーの発現上昇に先立ち起こることがわかった。

以上の結果より、VEGF-A依存的なRasの一時的な活性が内皮細胞分化を制御することが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

これまで、血管内皮細胞においてVEGFR2の下流シグナルが明らかにされてきた。ところが、これらは主に成熟した血管内皮細胞におけるシグナル伝達機構についてであり、血管前駆細胞からの内皮細胞分化シグナルについてはあまり明らかにされていない。本研究では、マウスES細胞由来の血管前駆細胞を用いて血管内皮細胞分化に重要なシグナル分子を検討した。また、ターゲット分子のノックアウトマウスを用いて血管発生の異常について検討した。そして、これらの実験により下記のような結果を得た。

・ES細胞由来の血管前駆細胞のVEGF-A依存的な内皮細胞分化がファルネシルトランスフェラーゼの阻害剤であるFTI-277によって抑制された。

・マウスのembryoをex vivo cultureすると、FTI-277の添加により血管の発生が抑制された。

・DES細胞由来の血管前駆細胞において、FTI-277の主要ターゲットであるH-RasをmiRNAによりノックダウンすると、内皮細胞分化が抑制された。

・H-Rasのノックアウトマウスは、E9.5で頭部に血管発生の遅れが観察された。

・ES細胞由来の血管前駆細胞において、恒常活性型のH-Rasを高発現させると内皮細胞分化が促進した。

・ES細胞由来の血管前駆細胞において、Rasの下流シグナル分子ErkとPI3Kのシグナルをそれぞれ特異的に活性化するH-Rasのeffectormutantを高発現させると、Erkシグナルを活性化させた時のみ内皮細胞分化が促進された。

・VEGF-A刺激後6時間でRas、Erkの活性が見られたが、PDGF刺激では見られなかった。

・血管分化マーカーの発現時期を調べたところ、VEGF・A刺激後12時間以降で上昇した。

以上の結果より、Ras-Erkシグナルが内皮細胞分化を制御すること、またその活性化のタイミングによってシグナルの特異性が決定づけられていることを明らかにした。これまで、VEGFR2の下流ではRasシグナルの重要性はあまり知られていなかったが、本研究により内皮細胞の分化に重要であることが明らかにされた。また、異なる増殖因子、レセプターの下流で共通のシグナル分子が活性化される場合のシグナルの特異化についても新しい知見をもたらした。以上の理由より、本研究は学位の授与に値するものと考えられる。

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