学位論文要旨



No 123668
著者(漢字) 菊地,良直
著者(英字)
著者(カナ) キクチ,ヨシナオ
標題(和) 癌微小環境におけるペリオスチンの発現および機能解析
標題(洋)
報告番号 123668
報告番号 甲23668
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3007号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 中村,祐輔
 東京大学 准教授 福嶋,敬宜
 東京大学 准教授 石井,聡
内容要旨 要旨を表示する

癌の発生及び進行が、上皮性細胞の遺伝子変異の蓄積によって起こることは広く知られた事実である。癌細胞における遺伝子異常の研究から、腫瘍の発生に関する多くの知見が得られたのみならず、分子標的治療などの新たな癌治療法の発展を促す結果となった。一方で、癌細胞の宿主組織内での振舞いには、癌細胞自身の遺伝子異常に加えて、癌細胞周囲の組織が構成する微小環境が非常に大きな影響を与えていることも古くから知られている。この癌微小環境の構成要素には、細胞外マトリックス・増殖因子・サイトカインなどの他に、間葉系組織を構成するあらゆる種類の細胞が含まれている。癌間質に出現する線維芽細胞は特に着目されており、癌関連線維芽細胞(cancer-associated fibroblast:CAF)と呼ばれる筋線維芽細胞の性格を有する細胞は、癌の進行に重要な役割を担うことが明らかにされてきた。

ペリオスチンは約90kDaの分泌タンパクであり、キイロショウジョウバエのmidline fasciclin-1(FAS1)遺伝子とホモロジーを有する。もともとは骨芽細胞特異的因子として同定されたが、今日では、筋膜や歯根膜、傍骨組織、心内膜や心臓弁などの豊富なコラーゲン線維を含む線維性結合組織に広く分布していることが知られている。腫瘍とペリオスチンに関する研究は、胸腺腫や肺非小細胞癌の組織中でペリオスチンの過剰発現がみられるという報告に端を発し、今日までに神経芽腫、卵巣癌、乳癌、大腸癌、膀胱癌、頭頚部扁平上皮癌、膵臓癌などで報告されてきた。多くは、免疫組織化学的手法を用いて癌組織中で癌細胞がペリオスチンを過剰に発現していることを示し、癌のプログレッションに関与することが論じられている。具体的には、(1)インテグリンαVβ3やインテグリンαVβ5にペリオスチンが結合することによって、focal adhesion kinase (FAK)のリン酸化が起こり、癌細胞の運動能・接着能・浸潤能が亢進する。(2)インテグリンαVβ3との結合で、Akt/protein kinase B (PKB) pathwayを介してアポトーシスの回避が起こり、転移巣における癌細胞の生存を助長する。(3)インテグリンαVβ3-FAK pathwayを介して血管内皮細胞のendothelial growth factor receptor 2 (EGFP2)の発現を誘導し、腫瘍血管新生を亢進させる、といった機能が示されている。しかしこれまでの研究には一つ大きな矛盾があり、ほとんどの研究は癌細胞がペリオスチンを分泌しているという仮説に基づいて機能解析を行っているが、実際には癌細胞株でペリオスチンの分泌が確認されているものはほとんどなく、また癌間質がペリオスチンを分泌しているという意見も少数ながら認められる。本研究では、癌組織中に過剰に発現しているペリオスチンが癌細胞由来か、あるいは周囲間質由来かを明らかにし、この結果得られた事実に基づいて、癌微小環境におけるペリオスチンの機能を解明することが目的である。

1.ペリオスチンの過剰発現は浸潤癌で一般的にみられる現象である

これまで既にペリオスチン過剰発現が報告されている臓器を含め、代表的臓器の腫瘍組織におけるペリオスチンの局在を、新規に作製された抗ヒトペリオスチン抗体を用いて免疫組織化学的に検討した。乳癌、肺癌、腎癌、肝癌、頭頚部扁平上皮癌、胃癌、大腸癌の検討を行ったが、いずれの臓器においても浸潤癌の線維性間質や、腎癌や肝細胞癌などにみられる線維性被膜にペリオスチンの発現が認められた。また、乳癌、肝癌、頭頚部扁平上皮癌などの症例では、ペリオスチンmRNAの検出を目的としたin situ hybridization (ISH)を行い、免疫組織化学的に認められるペリオスチンタンパクの局在と、ペリオスチンmRNAの局在が一致することを確認した。この結果は、腫瘍組織中のペリオスチンが腫瘍間質由来であることを示している。一方、癌細胞で陽性所見が観察された症例は、頭頚部扁平上皮癌の2症例のみであったが、これらの症例においてもISHでは、ペリオスチンのmRNAのシグナルは腫瘍間質にみられるのみで、癌細胞では認められなかった。

2.大腸ではpericryptal fibroblastや癌関連線維芽細胞がペリオスチンを分泌している

大腸におけるペリオスチンの発現を詳細に検討するために、正常大腸粘膜、炎症性大腸粘膜、腺腫内癌腫、早期浸潤癌、進行浸潤癌などの組織を用いて解析し、また正常粘膜におけるペリオスチンの機能を検討するために、ペリオスチン野生型マウスと欠損型マウスの大腸粘膜の解析も行った。定常状態の大腸粘膜では、ペリオスチンは陰窩周囲を縁取るように発現しており(pericryptal pattern)、炎症などの変化が加わるとpericryptal patternはより強く、また陰窩間の間質にも網目状の発現が見られるようになった(stromal mesh pattern)。一方、腫瘍化をきたした場合では、腺腫ではこれらの発現は減弱あるいは消失するようになり、大腸非浸潤癌では腺管周囲や腺管間の間質では、発現が完全に消失した。しかし浸潤癌になると、間質にびまん性に強い発現(infiltrating pattern)がみられるようになった。免疫電子顕微鏡解析およびペリオスチンmRNAの検出を目的としたISHによる解析を行ったところ、陰窩周囲のペリオスチンを分泌している細胞はpericryptal fibroblast(PCF)であり、浸潤癌間質でペリオスチンを分泌している細胞はCAFであることが明らかとなった。PCFはペリオスチン欠損型マウスにおいても大腸陰窩周囲に観察され、大腸粘膜には形態学的な大きな違いは見出されない。しかし、Ki67の免疫組織化学的検討では、大腸陰窩当たりの陽性細胞数に有意な差がみられたことから、ペリオスチンが陰窩上皮の増殖活性に何らかの機能的役割を果たしていることが示唆された。

3.胃においても癌の進行に伴ってペリオスチンの発現パターンは推移する

胃腺窩上皮周囲にも大腸で認めたものと同様に腺管を縁取るペリオスチンの局在(periglandular pattern)が認められた。また炎症性変化が加わった胃粘膜や腸上皮化生を示す粘膜では、periglandular patternに加えて、間質のstromal mesh patternもみられ、基本的には大腸粘膜で観察したペリオスチンの発現パターンによく類似していた。Intestinal typeの胃粘膜内癌では、periglandular patternが減弱する傾向がみられ、これは癌の進行程度と相関して消失した。一方、癌間質にはペリオスチンのinfiltrating patternがみられ、癌の浸潤程度に相関してみられる頻度は高くなった。Diffuse typeの胃癌では、粘膜内癌で既に高頻度に間質のペリオスチン発現がみられたが、粘膜内癌ではstromal mesh patternであり、浸潤癌ではinfiltrating patternであるという違いがあった。

4.ペリオスチンは癌間質相互作用を担う

従来の研究では、癌細胞にペリオスチンを過剰発現させることによってその機能解析がなされてきたが、われわれは線維芽細胞にペリオスチンを発現させることを前提に、癌の浸潤に伴って線維芽細胞がペリオスチンを分泌するか、ペリオスチンを分泌する線維芽細胞はどのような機能を有するか、線維芽細胞から分泌されたペリオスチンが癌のプログレッションに関与するか、を調べた。I型コラーゲンゲルを用いた3次元培養の実験により、癌の浸潤に伴って線維芽細胞がペリオスチンを分泌することが証明された。これらの間質線維芽細胞が分泌するペリオスチンは機能的であり、遺伝子導入によって線維芽細胞株にペリオスチンを過剰発現させると、遊走能およびコラーゲンゲル収縮能の亢進が認められた。さらに癌細胞に対しても、増殖能亢進や遊走能、浸潤能の亢進などに作用することが示された。大腸においてペリオスチンを分泌していることを見出したPCFやCAFは、いずれもαSMA陽性となる筋線維芽細胞の特徴を示す細胞で、ペリオスチンの分泌を介して陰窩上皮や腺癌細胞などの上皮成分に作用していることが明らかとなった。さらに、実際の生体内で間質ペリオスチンが癌細胞に機能的に作用するかを検討するために、スキルス胃癌細胞株を用いたペリオスチン欠損型マウスおよび野生型マウスへの同所移植実験を行った。この結果、ペリオスチン野生型マウスに形成される粘膜下層の浸潤胞巣は、ペリオスチン欠損型マウスに移植した腫瘍でみられる浸潤胞巣と比較して、有意に大きくなり、癌細胞の増殖活性も亢進していることが示された。

癌組織中のペリオスチン過剰発現は、浸潤癌においては一般的な現象であり、癌間質の筋線維芽細胞による過剰発現に起因している。ペリオスチンは大腸陰窩上皮や癌細胞に対しても、増殖活性の亢進作用を示し、また癌細胞に対して遊走能あるいは浸潤能亢進作用も示す。これまでの癌細胞にペリオスチンを強制発現させる実験系は、癌細胞へのオートクライン的な機能の解析ということになるが、しかし実際には、ペリオスチンは間質線維芽細胞からパラクライン的に癌細胞に作用している。ペリオスチンを癌間質由来のタンパク、特にCAFが分泌する新たな因子として認識し、癌間質中に存在するコラーゲン線維やフィブロネクチンなどの細胞外マトリックスとペリオスチンとの相互関係を含めて、癌微小環境における機能を総合的に理解することが重要と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、近年各種腫瘍組織中での過剰発現が注目されているペリオスチンに関して、癌微小環境における詳細な発現パターンと機能を明らかにするために、各種臓器の手術材料を用いた発現解析や、ペリオスチン遺伝子欠損マウス、大腸癌細胞株、胃癌細胞株、線維芽細胞などを用いた各種実験を行い、下記の結果を得ている。

1.乳癌、肺癌、腎癌、肝癌、頭頚部扁平上皮癌、胃癌、大腸癌の外科手術材料を対象に、免疫組織化学的手法を用いた網羅的発現解析を行い、浸潤癌の線維性間質や、腎癌や肝細胞癌などにみられる線維性被膜にペリオスチンが発現していることが示された。また、ペリオスチンmRNAの検出を目的としたin situ hybridizationによる検討を行い、免疫組織化学的に認められるペリオスチンタンパクの局在と、ペリオスチンmRNAの局在が一致することから、腫瘍間質の線維芽細胞がペリオスチンを産生していることが示された。

2.大腸粘膜におけるペリオスチンの免疫組織化学的な発現解析の結果、正常大腸粘膜では、pericryptal fibroblastといわれる筋線維芽細胞がペリオスチンを分泌していることが示された。また、ペリオスチン欠損型マウスと野生型マウスの大腸粘膜の解析により、pericryptal fibroblast由来のペリオスチンが、陰窩上皮の増殖活性に作用することが示された。

3.大腸では、炎症性変化あるいはadenoma-carcinoma sequenceや早期癌から浸潤癌に至る過程において、ペリオスチンの発現パターンが推移を示し、特に腫瘍化に伴うpericryptal fibroblastの減少に先行して、陰窩周囲のペリオスチンの発現が消失すること、癌の浸潤に伴って腫瘍間質にペリオスチンが発現しはじめることを見出した。また浸潤癌間質では、cancer-associated fibroblastといわれる腫瘍間質の筋線維芽細胞がペリオスチンを産生していることを示した。

4.線維芽細胞株(NIH3T3)にペリオスチンをトランスフェクションすることにより、これまでcancer-associated fibroblastの特徴といわれていた収縮能および遊走能が亢進することから、ペリオスチンの発現がcancer-associated fibroblastの機能の一翼を担っている可能性を示唆した。

5.大腸癌細胞株(HCT116)と線維芽細胞の共培養実験を行い、I型コラーゲンゲルを用いた3次元培養下では、癌細胞の浸潤に伴って線維芽細胞にペリオスチン産生が誘導されることを示した。また大腸癌細胞株は、ペリオスチンを産生する線維芽細胞の共存条件では、コラーゲンゲル中により大きなコロニーを形成することから、ペリオスチンが癌のプログレッションに関係することを示し、MTT assayおよびmigration assayによって、増殖亢進作用や遊走能亢進作用があることを示した。

6.胃癌手術材料における免疫組織化学的検討によって、豊富な線維性間質が誘導されるスキルス胃癌で、ペリオスチンの発現が高度に認められることを示し、さらにスキルス胃癌細胞株(OCUM-2MLN)胃壁同所移植モデルにおいても、移植腫瘍間質にペリオスチンが誘導されていることが示された。

7.ペリオスチン欠損型マウスに、スキルス胃癌細胞株を移植する目的で、ペリオスチン欠損型マウスとRag2欠損型免疫不全マウスとの交配を行い、作製されたダブルノックアウトマウスに胃壁同所移植を行った結果、ペリオスチン欠損型マウスでは移植腫瘍が有意に小さく、癌細胞の増殖活性も低下していることが示された

以上、本論文は癌微小環境において、間質線維芽細胞由来のペリオスチンが癌間質相互作用を担い、癌のプログレッションに関与することを明らかにした。本研究は、癌微小環境における間質因子の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク