学位論文要旨



No 123671
著者(漢字) 錦井,秀和
著者(英字)
著者(カナ) ニシキイ,ヒデカズ
標題(和) 胚性幹細胞を用いた巨核球・血小板誘導系の樹立及び機能制御機構の解明
標題(洋)
報告番号 123671
報告番号 甲23671
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3010号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 教授 東條,有伸
 東京大学 准教授 辻,浩一郎
 東京大学 准教授 高崎,誠一
 東京大学 准教授 荒川,義弘
内容要旨 要旨を表示する

胚性幹細胞(ES細胞)は、個体を構成する全ての細胞へ分化できる能力 (多分化能) と試験管内で無限に増殖する能力 (自己複製能) を併せ持っている細胞である。個体を形成する全ての細胞を試験管内でから作り出すことが可能であり組織発生のモデルとしてだけでなく細胞移植治療のソースとして期待されているものの、問題点としてES細胞自身が腫瘍形成能を持っている事と免疫学的拒絶が懸念されている。

一方、血小板は生体内のホメオスタシスを保つ為に必須の無核の機能細胞である。造血器腫瘍や外科治療時には大量の血小板輸血が必要となるがこれらは現在100%献血に依存している。しかも、血小板は赤血球等他の血液細胞と比較すると寿命が最大約7日と短く冷凍保存も不可能である為、慢性的な血小板製剤不足に悩まされている。血小板は無核であるため遺伝情報が保存されることがなく、混入する有核細胞を放射線照射により取り除く事が可能である為、将来的な腫瘍化の可能性を考慮する必要がない。この事を考慮すると、ES細胞から分化誘導した血小板は早い段階で臨床応用へ移行できる可能性をもっていると言える。2003年に、マウスES細胞から血小板を誘導する系が発表されたが、ES細胞から血小板への分化過程についての詳細な解析がなされていない点や、分化誘導した血小板の詳細な表現系及び機能解析が不充分である点などから、効率よく且つ機能的なES細胞由来血小板を誘導する為には更なる検討が必須と考えられた。

本研究は、(1)将来的な臨床応用を考慮した際、ES細胞から誘導した血小板が成体由来血小板と同等の表現系及び機能を有しているかどうか評価する (2)巨核球・血小板造血の制御メカニズムを解明し、分化誘導した血小板を常時供給する目的に不可欠である安定かつ効率的な分化誘導系を確立する事を目的とした。

(1)のテーマに関しては生体内で血小板が血栓を形成する際に中心的な役割を担う血小板膜表面糖蛋白GPIbαの発現及び機能調節、(2)のテーマに関しては、血小板減少症・出血傾向を合併する遺伝疾患であるウィスコット-アルドリッチ症候群蛋白 (Wiscott-Aldrich Syndrome protein ; WASp) のファミリー蛋白であるWAVEファミリー蛋白の血小板及び巨核球における機能に焦点を当てて研究を行なった。

(1)ES細胞由来血小板におけるGPIbαの発現及び機能制御機構

血栓形成の第一段階は、血小板膜表面蛋白GPIbαと血管壁の損傷部位に露出するフォン・ウィル・ブランド因子 (von Willebrand Factor;vWF) との結合により開始される。GPIb欠損症であるベルナルド-スーリエ症候群 (Bernard-Soulier Syndrome;BSS) が著明な出血傾向を示す事や、GPIbαの発現が低下すると濃厚血小板液は血栓形成能が低下する事から、血小板機能を評価する際にGPIbαの発現及び機能を考慮する事が必須であると考えられているが、ES細胞由来血小板におけるGPIbαの発現及び機能評価を言及した報告はない。そこで本研究ではマウスES細胞由来血小板のGPIbαの発現及び機能に焦点を当て解析を行なった。

まず、安定した血小板分化誘導系を構築する為に、巨核球分化マーカーであるGPIbαプロモーターの制御下でGFPを発現するES細胞を樹立し、ES細胞から分化した胚様体のうち巨核球・血小板分化能をもった細胞分画をフローサイトメーターによる細胞分離・培養を行った後、GFP陽性細胞数を測定する事で決定した。その結果、CD31陽性細胞やVE-Cadherin陽性細胞に比べ、c-Kit陽性/インテグリンαIIb(CD41)陽性分画には巨核球・血小板分化能を持った細胞が高率に濃縮されている事が示された。

この分画を分離培養する事により誘導したES細胞由来血小板は電子顕微鏡上、成体由来マウス血小板と同様の超微細構造を呈していたが、フローサイトメーターによる表面抗原の解析では、αIIbβ3インテグリンの発現は成体マウス由来血小板と発現はほぼ同等であったが、GPIbαの発現は著明に低下していた。GPIbαの発現は広範なメタロプロテイナーゼ阻害薬であるGM6001を添加する事で著明な改善が観察され、この現象はメタロプロテイナーゼ依存性に血小板膜表面上に表出するGPIbαのN末端が切断されている事によると考えられた。次に、GPIbαの発現を保存する事によるES細胞由来血小板の機能に及ぼす影響を検討したところ、ES細胞由来血小板分化誘導系にGM6001を添加し、GPIbαを保存する事により(1)血栓形成に必須であるαIIbβ3インテグリンの活性化能及び、それに伴う血小板進展能の改善、(2)ずり応力下でのES細胞由来血小板の血栓形成能の改善、(3)血小板減少モデルマウス輸注実験における生体内におけるES細胞由来血小板の体内クリアランスの改善が観察された。以上の結果より、将来的にES細胞由来血小板を臨床応用する際に、メタロプロテイナーゼ活性及び、膜表面上のGPIbαの発現を制御する事が必須である事が示唆された。

(2)巨核球・血小板におけるWAVEファミリー蛋白の機能解析

アクチン重合は、細胞の接着、進展、遊走、個体を形成する際のパターン形成に重要な役割を果たしている。インテグリン等に代表される細胞外からの刺激に呼応して、アクチン重合が引き起こされ、1)細胞の先導端が、糸状突起 (filopodia)と呼ばれる内部に密なアクチンフィラメントの束を含んだ突起を形成し、2)その後、糸状突起を骨格として間を埋めるように葉状仮足 (lamellipodia)と呼ばれる内部に網目状のアクチンフィラメントを含んだ平滑な辺縁を持った構造へと細胞骨格は変化する。これらの細胞骨格変化の形成には、血小板減少症・血小板機能異常症を呈する常染色体劣性遺伝疾患の一つであるウィスコット-アルドリッチ症候群(Wiscott-Aldrich Syndrome;WAS)の原因蛋白として同定されたWASP (Wiscott-Aldrich syndrome protein) /WAVE (WASP Family Verprolin-homologous protein) ファミリータンパク質の活性化が必須であると考えられている。

WASP/WAVEファミリー蛋白はN-WASP (Neural WASp)、WASp、WAVE1-3の5つのタンパク質からなり、巨核球・血小板ではWASp、WAVE1、WAVE2が強く発現している事が報告されている。血小板はアクチン重合を介した細胞骨格変化により生体内で強固な血栓を形成する事から、これらの蛋白は血小板における血栓形成過程において重要な働きを担っている事が予想されるが、薬剤によりアクチン重合を阻害すると血小板産生が障害されることから、細胞外シグナルからアクチン重合に至る一連の過程は生体内における血小板造血の制御にも重要であると考えられている。

ノックアウトマウスの解析の結果から、WASpは血小板の葉状仮足形成及び、血小板造血には必須でないことが報告されている為、WAVE1、WAVE2が巨核球・血小板においてインテグリンからのシグナル伝達からアクチン重合、それに伴う細胞骨格変化及び血小板産生に至る過程で重要な働きをしている可能性が高いと考え、血小板・巨核球におけるWAVE1・WAVE2の機能解析を行なった。

WAVE1ノックアウトマウスは神経系の異常の為出生直後に死亡する為、WAVE1ノックアウトマウス胎児肝由来造血前駆細胞を移植する事により血液系のWAVE1が欠損したキメラマウスを用いた解析を行ない、WAVE2に関してはノックアウトマウスが胎生10日前後で致死となる為、WAVE2ホモノックアウトES細胞を用いて試験管内で巨核球・血小板へ分化誘導する事により解析を行なった。

その結果、胎児肝由来造血前駆細胞移植により作成した血液のWAVE1が欠損したマウスは、末梢血中の血小板数に有意な差を認めず、固層化フィブリノゲン上における薬剤依存性αIIbβ3インテグリン活性化に伴う葉状仮足形成に大きな障害を認めなかった。この結果から、WAVE1は血小板造血及び血小板進展反応において必須の分子でない事が考えられた。

一方、WAVE2ホモノックアウトES細胞から巨核球・血小板を試験管内で誘導したところ、WAVE2ホモノックアウトES細胞からも巨核球分化マーカーであるGPIbαが発現した多核化した細胞を認めるものの、培養後期になると、(1)形態上細胞質の成熟の障害、(2)巨核球成熟マーカーであるvWFの発現の低下、(3)GPIbα陽性巨核球数の減少、(4)培養上清中に放出される血小板数の減少を認めた。また、WAVE2が欠損した巨核球は固層化フィブリノゲン上での葉状仮足形成が著明に障害されており、WAVE2は、巨核球・血小板におけるαIIbβ3インテグリンを介したアクチン重合反応に伴う葉状仮足形成及び、巨核球の後期の成熟過程及び血小板放出機構において必須である事が考えられた。

またWAVE2と複合体を形成するAbi1を、レンチウイルスを用いたRNA干渉によりノックダウンすると、WAVE2と同様に、巨核球成熟の障害及び葉状仮足の欠落を認めた。WAVE2/Abi1複合体は低分子G蛋白Racの下流のシグナル伝達で重要な働きを担っており、Rac欠損血小板でも葉状仮足形成が欠落する事が報告されている事から、これらのシグナル機構を介して、巨核球・血小板におけるアクチン重合を介した細胞骨格変化が制御されていることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、胚性幹細胞(ES細胞)から試験管内で巨核球・血小板を誘導する系を樹立しそのシステムを用いる事により、代替血液としての臨床応用を目指した機能評価及び血小板造血の制御メカニズムを解明する目的で行なわれた。具体的には(1)血小板特異的膜蛋白GPIbαの発現及び機能制御機構、(2)ウィスコット-アルドリッチ症候群(WAS)関連蛋白であるWAVEファミリー蛋白の血小板及び巨核球における機能に焦点を当てて、実験を行ない、下記の結果を得ている。

(1)-1. 血小板特異的膜蛋白であるGPIbのプロモーター制御下でGFPを発現するES細胞で巨核球・血小板を誘導したところ、ES細胞から分化した胚様体の中で、GFPを発現する、すなわち巨核球・血小板分化能を保持する細胞はc-Kit陽性CD41陽性細胞に高率に濃縮されている事が示された。

(1)-2. 分化誘導したES細胞由来血小板は電子顕微鏡上、成体マウス由来血小板と同様の超微細構造をとっていたが、フローサイトメトリーによる細胞表面抗原解析の結果、血小板膜表面上のGPIbαの発現が低下していた。GPIbαの発現はメタロプロテイナーゼ阻害薬であるGM6001を培養後期より添加する事により著明な改善を認め、この現象はメタロプロテイナーゼ活性依存性に血小板膜表面上のGPIbαの細胞外ドメインが切断される為に起きる事が示された。

(1)-3. GM6001添加によりGPIbαの発現が保持されたES細胞由来血小板の機能解析を行なったところ、(1)インテグリン活性化能及びそれに伴う血小板進展反応の改善、(2)ずり応力下でのES細胞由来血小板の血栓形成能の改善、(3)血小板減少モデルマウスに対する輸注実験における体内クリアランスの改善を認め、ES細胞由来血小板におけるメタロプロテイナーゼ活性及びGPIbαの発現及び機能制御が臨床応用に必須である事が示された。

(2)-1. 胎児肝由来造血前駆細胞移植により作成した血液系のWAVE1が欠損したマウスにおいて、血小板数の変化及びインテグリン活性化に伴う葉状仮足形成反応において変化を認めず、WAVE1は血小板造血及び血小板進展反応において必須の分子でない事が示された。

(2)-2. 試験管内でWAVE2ホモノックアウトES細胞から巨核球・血小板を分化誘導したところ、培養後期における細胞質成熟の障害及び、GPIbα陽性成熟巨核球数及び産生される血小板数の減少を認めた。またWAVE2ホモノックアウトES細胞由来巨核球は葉状仮足形成が著明に障害されていた。またWAVE2と複合体を形成するAbi1をレンチウイルスを用いたRNA干渉によりノックダウンした場合でも同様の表現系を認め、WAVE2・Abi1複合体が巨核球後期の成熟及び血小板放出機構、血小板進展時のアクチン重合反応に伴う葉状仮足形成に必須である事が示された。

以上、本論文は胚性幹細胞由来血小板分化誘導システムを用いて、(1)GPIbαの発現及び機能制御機構、(2)巨核球・血小板造血におけるWAVEファミリー蛋白の機能をを明らかにした。本研究は胚性幹細胞を用いた再生医療のみならず、血小板造血及び血小板機能制御機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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