学位論文要旨



No 123673
著者(漢字) 半田,浩
著者(英字)
著者(カナ) ハンダ,ユタカ
標題(和) 赤痢菌lpgB1蛋白質による上皮細胞侵入機構の解析
標題(洋)
報告番号 123673
報告番号 甲23673
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3012号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 清野,宏
 東京大学 准教授 中川,一路
 東京大学 准教授 堀本,泰介
内容要旨 要旨を表示する

赤痢菌属菌はA群からD群の4菌種からなる主要な病原性細菌の一つである。今なお発展途上国において乳幼児を中心に年間一億人が赤痢菌に感染しており、死者は数十万にのぼる。国内においては、衛生環境の改善や抗生剤の普及により赤痢菌の患者数は減少したが、近年では多剤耐性赤痢菌の出現も確認されており、有効なワクチンが存在しない事から、今後感染者が増加に転じる可能性もある。このような状況下に置いて、赤痢菌の感染機構を分子レベルにて解明する事は新たな治療薬を開発する上で非常に重要である。

赤痢菌は飲料水や食物を介して経口より体内に侵入する。菌はその後、大腸へと到達し腸管に散在しているM細胞から粘膜上皮下に侵入する。赤痢菌はその後、M細胞直下の常在マクロファージにより貪食されるが、マクロファージにアポトーシスを誘導する事により脱出する。マクロファージから脱出した赤痢菌は腸管上皮細胞の側底面から侵入を果たす。侵入した赤痢菌は細胞の一極にF-アクチンを凝集させる。このF-アクチンの凝集とブラウン運動を利用する事により赤痢菌は駆動力を得て細胞内拡散を行ない、隣接細胞へと感染部位を拡散している。

このような一連の出来事には赤痢菌の保有する230kDaの大プラスミド上にコードされているIII型分泌装置とそれにより分泌されるエフェクターと呼ばれる蛋白質が必須である。III型分泌装置により分泌されるエフェクターはおおよそ30あり赤痢菌の感染に重要な役割をもっている。赤痢菌が腸管上皮細胞へ接触すると、III型分泌装置からIpaB、IpaC、IpaD蛋白質が分泌される。IpaBはIpaCと複合体を形成し腸管上皮細胞上のインテグリンやCD44と結合しアクチン骨格の再編成を誘導するとともに、腸管上皮細胞にIII型分泌装置のニードルを挿入するための小孔を形成する。その後、赤痢菌はニードルを通してエフェクターを腸管上皮細胞へと分泌することにより感染に必要な様々な現象を誘導する。赤痢菌感染時おいて最初のステップは腸管上皮細胞への侵入である。赤痢菌はエフェクターを用いて腸管上皮細胞にアクチン重合の再編成を誘導し、ラッフル膜と呼ばれる巨大な波状仮足を誘導し、それに取り込まれる事により腸管上皮細胞へと侵入する。これまでに、腸管上皮細胞へと侵入するために必須なエフェクターとしてIpaC、VirA、IpgB1が存在するが、その中においてもIpgB1は赤痢菌のラッフル膜形成誘導に最も重要な因子であることが報告されている。

赤痢菌のエフェクターの一つであるIpgB1は低分子量G蛋白質Rhoファミリーの一つで細胞運動に中心的な役割をしているRac1を活性化させる事により腸管上皮細胞にラッフル膜を誘導し赤痢菌の宿主細胞侵入を促進する事が報告されているが、その詳細な機構は不明であった。そこで、本研究では一章でIpgB1のラッフル膜誘導機能の解明を分子生物学的、細胞生物学的な手法を用いて解析を行なった。

IpgB1のRac1活性化機構を解明するためにIpgB1の宿主標的因子を検索した結果、Engulfment and Cell Motility(ELMO)が同定された。ELMOはN末端にて低分子量G蛋白質ファミリーの一つで細胞運動に関わっているRhoGの活性化体と結合し、C末端ではRac1の特異的GEFであるDock180と結合する。RhoGが活性化されると細胞質に局在しているELMO-Dock180複合体がRhoGと結合し、細胞質から細胞膜へと移行され、その結果Rac1が活性化されることが報告されている。IpgB1が活性化RhoGと同様にELMO-Dock180のシグナル経路を介してRac1を活性化しているのかを検討するために、様々なELMO変異体を作製した。その結果、Dock180と結合しないELMOT625をIpgB1と共発現した細胞ではラッフル膜の誘導が減少した。また、Rac1と結合できないDock180ISP変異体をIpgB1と共発現した時も同様にラッフル膜形成能は減少した。siRNAを用いた内在性ELMO、Dock180のノックダウンでもIpgB1によるラッフル膜誘導は減少した。赤痢菌感染においてもELMO変異体の強発現やsiRNAによる内在性ELMOノックダウンによりIpgB1依存的な赤痢菌の細胞侵入が減少した。また、IpgB1によるRac1活性化を検討した結果、IpgB1は活性化RhoGと同様に細胞質に局在しているELMO-Dock180細胞膜へと移行する事によりRac1を活性化している事が示された。以上の結果より、赤痢菌により分泌されたIpgB1は宿主細胞内において活性化RhoGと同じ機構を用いてRac1を活性化させ、ラッフル膜を誘導する事により宿主細胞内に侵入する事が明らかとなった。

IpgB1により上皮細胞に誘導されたラッフル膜は赤痢菌侵入後に素早く消失する。本研究では、二章にてラッフル膜消失機構の解明を行なった。その結果、赤痢菌により分泌されたIpgB1が侵入後速やかに分解されているのを発見した。IpgB1のホモログでありIpgB1ファミリーに属しているIpgB2も同様に分解されていた。IpgB1、IpgB2がどのような機構を用いて分解されているのかを検討した結果、IpgB1、IpgB2は宿主細胞内にてユビキチン化されていた。プロテアソーム阻害剤であるMG132を添加した所、IpgB1、IpgB2の分解は阻害されたことから、IpgB1、IpgB2はユビキチンープロテアソーム系により分解されていることが示唆された。基質蛋白質がユビキチン化されるためにはユビキチン活性化酵素(E1)、ユビキチン結合酵素(E2)、ユビキチン連結酵素(E3)が必要であり、この中において、E3リガーゼは基質となる標的蛋白質の選別を行なうのに必要である。IpgB1、IpgB2をユビキチン化するために必要なE3リガーゼの同定を行なった所、IpgB1、IpgB2のE3リガーゼとしてHECT型E3リガーゼであるSmurf1、Smurf2が同定された。プルダウンアッセイと免疫沈降によりIpgB1、IpgB2とSmurf1、Smurf2が結合する事が判明した。さらに、それぞれの蛋白質を精製してIn vitroユビキチンアッセイを行なった結果、IpgB1とIpgB2がユビキチン化された。以上の事から、赤痢菌により分泌されたIpgB1、IpgB2は宿主細胞内でE3リガーゼであるSmurf1、Smurf2と結合する事によりユビキチン化され、プロテアソームに速やかに分解され、その結果IpgB1依存的なラッフル膜が消失する事が判明した。

本研究では以下の事を発見した(i)IpgB1はELMOと結合する、(ii)IpgB1は活性化RhoGと同様に細胞質のELMO-Dock180複合体を細胞質から細胞膜へと移行させる事によりラッフル膜形成を誘導する、(iii)赤痢菌感染下において宿主細胞へと移行したIpgB1は速やかに分解される、(iv)IpgB1は宿主細胞内でユビキチン化されプロテアソームにより分解される、(v)Smurf1、Smurf2はIpgB1、IpgB2のE3リガーゼであり、宿主細胞内に分泌されたIpgB1、IpgB2をユビキチン化し分解する。本研究により、赤痢菌の巧妙な感染機構の一端が明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は赤痢菌III型分泌装置により分泌されるエフェクター蛋白質IpgB1による宿主細胞侵入機構解析を行い、一章ではIpgB1によるラッフル膜誘導機構の解析を、二章ではIpgB1分解によるラッフル膜消失機構の解析を行った。一章、二章において下記の結果を得ている

一章

・赤痢菌により分泌されたIpgB1の宿主細胞内における結合因子を探索した。その結果、IpgB1は宿主細胞内でEngulfment and Cell Motility (ELMO)と結合する事をプルダウンアッセイにより示した。また、ELMOのどの部位に結合するかを検討した結果、IpgB1はELMOのN末端部位に結合する事を明らかにした。

・Dock180と結合しないELMOT625もしくはRac1と結合できないDock180ISP変異体の強制発現によりIpgB1により誘導されるラッフル膜が阻害される。

・RNA干渉を用いて内在性ELMO、Dock180をノックダウンすることによりIpgB1により誘導されるラッフル膜形成が阻害される

・IpgB1は通常細胞質に局在しているELMO-Dock180複合体を細胞質から細胞膜へと移行させる事によりRac1の活性化を促す。

・Dock180ノックアウトMEFへの赤痢菌感染によりIpgB1-Dock180依存的にアクチン凝集が縮小する。

二章

・IpgB1とIpgB1ファミリーに属しているIpgB2はユビキチン-プロテアソーム系により分解される。

・IpgB1、IpgB2は宿主細胞内でユビキチン化され、迅速に分解される。

・IpgB1とIpgB2のユビキチン化にはE3リガーゼであるSmurf1、Smurf2が関与している。

以上、本論文は赤痢菌のIII型分泌装置により分泌されたIpgB1蛋白質は宿主細胞内でELMOと結合し、細胞質に局在しているELMO-Dock180複合体を細胞膜へと移行させRac1を活性化することによりラッフル膜形成を誘導する。その後、IpgB1はE3リガーゼであるSmurf1、Smurf2と結合し、ユビキチン-プロテアソーム系により分解されることによりラッフル膜が消失することを明らかとした。本研究は赤痢菌感染において最初のステップであり、最も重要な出来事である宿主細胞への侵入機構に新しい知見を示し、学位の授与に値するものと考えられる。

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