学位論文要旨



No 123682
著者(漢字) 山口(関野),さち子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ(セキノ),サチコ
標題(和) 磁気刺激による腫瘍増殖抑制効果に関する研究
標題(洋)
報告番号 123682
報告番号 甲23682
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3021号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 准教授 中川,恵一
 東京大学 准教授 細井,義夫
内容要旨 要旨を表示する

1.研究目的

磁気刺激は,体表面に置いたコイルから強力なパルス磁場を発生させ,誘導される渦電流により脳や神経,筋肉を刺激する手法である.磁気刺激は,刺激施行時の身体的負担も少なく,装置は小型でありベッドサイドでの施術も可能であることから,身体的負担の少ない治療法として臨床応用が行われつつある.これまでに,大脳皮質の機能的マッピングや損傷神経の機能評価,うつ病の治療など,脳・神経系組織に対して臨床的効果を挙げている.しかしながら,このような成り立ちから磁気刺激の主たる応用分野は脳・神経系組織であり,それ以外の組織では殆ど使用例がない.また癌における磁気刺激の生体効果は現在までにまったく報告がないが,生体系に対する直接的電気的刺激の印加は抗腫瘍効果を示すことが知られているため,磁気刺激は身体的負担の少ない治療法として期待できるのではないかと考えた.

そこで本研究は,磁気刺激を用いる事により,身体的負担の少ない癌治療法の開発を目指し,磁気刺激による腫瘍増殖抑制効果について検討を行うことを目的とした.

2.マウスメラノーマB16-BL6モデルにおける,磁気刺激の効果の検討

本研究では,第一に磁気刺激の癌に対する効果の基礎的知見の獲得を目的として,

(1)実験系の構築と磁気刺激条件の決定,および磁気刺激時の磁束密度・渦電流密度分布の算出

(2)磁気刺激がマウスメラノーマB16-BL6モデルに与える効果

を検討した.

(1)では,細胞および動物用の磁気刺激実験系を構築し磁気刺激条件の設定を行った.実験装置は日本光電社製磁気刺激装置と,外径75 mm,内径25 mmの円形を用いた(Fig. 1-A)コイル基本磁気刺激条件を0.25 T,25 Hz,1000パルス/日とした.また,磁気刺激時の磁束密度・渦電流密度分布の算出を有限要素法により行った.細胞モデルでは,渦電流密度は28.6-38.1 A/m2の範囲であった.動物モデルでは,モデル内における最大渦電流密度は7.38 A/m2で,腫瘍部位では2.37-4.61 A/m2,膵臓部分では2.37-4.61 A/m2であった(Fig. 1-B).磁気刺激時の発熱は,2.66×10-10℃/パルスであり,無視できるレベルであった.

(2)では,磁気刺激がマウスメラノーマB16-BL6モデルに与える効果の検討を行った.マウスメラノーマB16-BL6は皮下移植による腫瘍形成が容易であることや,腫瘍形成・成長に関する知見も多く蓄積されていることから,本研究ではB16-Bl6皮下腫瘍モデルを実験に用いた.

B16-BL6細胞そのものに対する磁気刺激は,増殖能に影響を与えなかった.しかしながら,B16-Bl6皮下腫瘍モデルに磁気刺激を行ったところ,腫瘍形成阻害効果は観察されなかったが,磁場強度0.25 Tの刺激条件で有意な腫瘍増殖抑制効果が観察された(Table 1).この効果は,他の磁場強度(0.5 T,0.75 T)では観察されなかった.

2. 磁気刺激にともなう生理機能変化の検討

次に,これまで磁気刺激にともなう生理機能変化は検討されていないことから基礎的知見の獲得を目的として,磁気刺激後のサイトカイン産生量についてin vitro,in vivoで検討した.脾臓細胞に対する磁気刺激は,LPS存在下で増殖能に変化は観察されなかったがTNF-αの産生亢進が観察された.マウスにおいても,磁気刺激後に脾臓中TNF-α量の増大が観察された(Table 2).また,その効果は特定の磁場強度(0.25 T)に依存し,磁気刺激の施行時間・施行日数についても効果の依存性が観察された(Fig. 2).

これらの結果から,磁気刺激処置によりin vivoでは脾臓中TNF-α量の増大が観察され,in vitroでは脾臓細胞が,LPSなどの刺激存在下でTNF-α量の産生亢進などが観察され,免疫賦活作用が生じていることが示された.

3.BCR/ABL陽性細胞における,磁気刺激と抗癌剤メシル酸イマチニブの相乗効果の検討

次に,BCR/ABL陽性細胞における抗癌剤メシル酸イマチニブ(Imatinib Mesylate: IM)と磁気刺激との相乗効果について検討を行った.

BCR/ABLは慢性骨髄性白血病細胞で観察される,染色体転移に伴い生じた融合遺伝子であり,強いTyrosine Kinase活性を持つためにBCR/ABL陽性細胞では細胞増殖能の亢進や,アポトーシス耐性などの病態を示す.IMは軽微な有害事象を伴うのみで劇的な臨床効果を現すため,BCR/ABL陽性細胞の第一選択剤として広く臨床応用されているが,近年IM耐性細胞の出現が問題化されている.本研究では,磁気刺激とIMを併用することにより,(1)IMの減量と(2)IM耐性の克服が出来ないかと考え,

(1)IM感受性BCR/ABL陽性細胞における磁気刺激とIMの併用効果の検討

(2)IM耐性BCR/ABL陽性細胞における磁気刺激とIMの併用効果の検討

の検討を行った.

(1)では,IM感受性BCR/ABL陽性細胞(CML由来)であるTCC-S細胞を用いて,磁気刺激とIMの併用効果を細胞増殖アッセイにより検討した.その結果,磁気刺激とIMを併用する事により,顕著な併用効果が生じ低濃度のIMで十分な細胞増殖抑制効果を得た(Fig. 3).また,磁気刺激による増殖抑制効果は刺激磁場強度×総刺激パルス数の積で表された.しかしながらコイルの発熱など装置上の制約を勘案して,0.25 T, 1000パルス/日を至適刺激条件として設定した.

(2)では,IM耐性BCR/ABL陽性細胞(pre-pre B cell ALL由来)であるTCC-Y/sr細胞を用いて,磁気刺激とIMの併用効果を検討した.その結果,磁気刺激はIMと併用することで,IM耐性BCR/ABL陽性細胞株であるTCC-Y/sr細胞の薬効を上昇させ,十分な細胞死を誘導した(Table 3).TCC-Y/sr細胞においては,IMと磁気刺激を併用する事により,IM単独より早い時間から細胞死が誘導された(Fig. 4A).フローサイトメトリーの結果より,ミトコンドリア膜電位の早期低下やCytochrome c放出量増加が観察された(Fig. 4B). また磁気刺激単独では効果が得られないことから,IM耐性BCR/ABL陽性細胞における磁気刺激の細胞死誘導効果は,IM依存的な効果であると考えられる.また,近年ELF(超低周波電磁界)がヒトマクロファージのROS産生量増加に貢献するとの報告があることから,磁気刺激の長期暴露がIM耐性BCR/ABL陽性細胞のROS産生量におよぼす影響について検討したところ,IM+磁気刺激により細胞内ROSの減少が観察された.

これらの結果はIMの抱える臨床的課題である(1)IMの低減化と(2)IM耐性の克服について,IMと磁気刺激の併用により効果が期待できるものであると考えられる.

4.結論

本研究は,非侵襲的電気刺激法である磁気刺激を用いる事により,身体的負担の少ない癌治療法の開発を目指し,マウスメラノーマB16-BL6動物モデルおよびヒト血液腫瘍であるBCR/ABL陽性細胞において,磁気刺激による腫瘍増殖抑制効果について検討を試みたものであり,下記の結果を得た.

1.マウスメラノーマB16-BL6皮下腫瘍モデルを用いた実験結果からは,至適刺激条件0.25 T,25 Hz,1000パルス/日で,腫瘍接種日より17日後において腫瘍重量の減少が観察された.磁気刺激により腫瘍増殖抑制効果を有する事が示された.

2.同条件での磁気刺激は,脾臓細胞・脾臓組織において,TNF-α産生量増大といった生理機能変化を伴うものであった.

3.磁気刺激は,ヒト血液腫瘍であるBCR/ABL陽性細胞において,抗癌剤メシル酸イマチニブ(IM)と併用することで,IM感受性細胞株であるTCC-S細胞と,IM耐性株であるTCC-Y/sr細胞の薬効を上昇させ,十分な細胞死を誘導した.磁気刺激とIMの併用を行うことにより,アポトーシス誘導,ミトコンドリア膜電位の早期機能低下,Cytochrome c細胞内放出量増加が観察された.

以上,本論文は磁気刺激の腫瘍における効果および,磁気刺激にともなう生理機能変化の基礎的知見を明らかにした.本研究は磁気刺激の応用可能性を広げるものであり,本研究で得られた知見は,磁気刺激を用いた身体的負担の少ない癌治療法の開発にとって,極めて有用と思われる.

Fig. 1 実験装置と磁気刺激時の磁束密度,渦電流密度の算出 A:磁気刺激装置とコイル B:磁束密度(T)および渦電流密度(A/m2)分布:B16-BL6皮下腫瘍モデル

Table 1 磁気刺激がB16-BL6皮下腫瘍モデルに与える効果 Day17における各群の腫瘍重量を示す.磁場強度0.25 Tで最も高い腫瘍増殖抑制効果が観察された.結果は平均値±S.D.で示す.***:p<0.005 v.s. sham群

Table 2 0.25 T,3日間の磁気刺激後のマウス脾臓中サイトカイン産生量 結果は平均値±S.E.で示す.*:p<0.05

Fig. 2 磁気刺激後のマウス脾臓中TNF-α産生量 A:磁場強度依存性 B:処置時間依存性

Fig. 3 TCC-S細胞における磁気刺激の効果 N=4.結果は対照群%±S.E.で示す.*:p<0.05 v.s. 対照群,**:p<0.01 v.s. 対照群

Table 3 TCC-Y/sr細胞における磁気刺激の効果 結果は平均値±S.E.で示す.*:p<0.05 v.s. 対照群,IM 20 uM.***:p<0.001 v.s. 対照群.††:p<0.01 v.s. IM 40 uM.

Fig. 4 TCC-Y/sr細胞における磁気刺激の効果 A:Annexin VおよびPI染色 B:ミトコンドリア膜電位の変化

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,非侵襲的電気刺激法である磁気刺激を用いる事により,身体的負担の少ない癌治療法の開発を目指し,マウスメラノーマB16-BL6動物モデルおよびヒト血液腫瘍であるBCR/ABL陽性細胞において,磁気刺激による腫瘍増殖抑制効果について検討を試みたものであり,下記の結果を得ている.

1.マウスメラノーマB16-BL6皮下腫瘍モデルを用いた実験結果からは,至適刺激条件0.25 T,25 Hz,1000パルス/日で,腫瘍接種日より17日後において腫瘍重量の減少が観察された.磁気刺激により腫瘍増殖抑制効果を有する事が示された.

2.同条件での磁気刺激は,脾臓細胞・脾臓組織において,TNF-α産生量増大といった生理機能変化を伴うものであった.

3.磁気刺激は,ヒト血液腫瘍であるBCR/ABL陽性細胞において,抗癌剤メシル酸イマチニブ(IM)と併用することで,IM感受性細胞株であるTCC-S細胞と,IM耐性株であるTCC-Y/sr細胞の薬効を上昇させ,十分な細胞死を誘導した.磁気刺激とIMの併用を行うことにより,アポトーシス誘導,ミトコンドリア膜電位の早期機能低下,Cytochrome c細胞内放出量増加が観察された.

以上,本論文は磁気刺激の腫瘍における効果および,磁気刺激にともなう生理機能変化の基礎的知見を明らかにした.本研究は磁気刺激の応用可能性を広げるものであり,本研究で得られた知見は,磁気刺激を用いた身体的負担の少ない癌治療法の開発にとって,極めて有用と思われることから,学位の授与に値するものと考えられる.

UTokyo Repositoryリンク