学位論文要旨



No 123685
著者(漢字) 有馬,史子
著者(英字)
著者(カナ) アリマ,フミコ
標題(和) 海馬歯状回におけるシナプス可塑性の抑制性制御機構
標題(洋) Inhibitory modulation of synaptic plasticity in the dentate gyrus
報告番号 123685
報告番号 甲23685
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3024号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 狩野,方伸
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
 東京大学 特任准教授 河崎,洋志
 東京大学 教授 岡部,繁男
内容要旨 要旨を表示する

側頭葉内側部に位置する海馬はある種の記憶形成に不可欠な脳部位である。海馬内には一方向性の線維連絡がある。内嗅皮質から海馬内への入力はまず貫通線維として歯状回の顆粒細胞にシナプスを形成し、顆粒細胞はその軸索をCA3錐体細胞に伸ばす。さらにCA3から伸びる軸索は自分自身に、あるいはシャッファー側枝としてCA1の錐体細胞にシナプスを形成する。CA1からの出力は大脳皮質へと投射する。

シナプス可塑性の一つである長期増強 (long-term potentiation, LTP)とは、シナプスの高頻度刺激によってシナプス伝達効率が長期的に増強する現象である。この現象は海馬で初めて発見され、海馬依存性記憶形成の細胞・分子基盤と広く考えられている。海馬内の全てのシナプスでLTPが誘導されるが、CA3-CA1シナプスでのLTPについてはその誘導メカニズムについて特に研究が進んでいる。通常の興奮性シナプス伝達はAMPA型グルタミン酸受容体が担っているが、高頻度刺激などにより大きな脱分極が起きると、それまでMg2+により阻害されていたNMDA型受容体が開口できるようになり、グルタミン酸結合によりNa+とともにCa2+が流入する。Ca2+の流入によりCAMKIIなどのタンパク質リン酸化酵素を介した経路が活性化され、結果としてAMPA受容体の修飾やシナプスへの挿入が起こる。

貫通線維-歯状回顆粒細胞シナプスでも、LTPが共通のメカニズム(シナプス後細胞のNMDA型受容体依存性)によって誘導されることが分かっている。このような共通のLTP誘導メカニズムを持つ一方、LTPの制御に領域間で違いがあることが示唆されており、その一つがGABAA受容体を介した抑制性の制御が歯状回でより強いということである。

私は以前転写因子Pax6遺伝子変異ラット(rSey2/+ ラット)を解析していた。このラットでは成体歯状回における神経新生が減弱していることが分かっており、それによるLTPやその抑制性制御への影響を検討した。その実験の際、歯状回で抑制系を阻害しない条件でLTPが全く誘導されなかったことから、抑制性制御が歯状回で強いということを再認識した。そこで本研究では、LTPの抑制性制御が歯状回でより強いということを確認し、その違いを生む分子メカニズムについて調べるため、まずフィールド記録によりGABAA受容体阻害剤存在下、非存在下でLTPを誘導し、それを領域間で比較した。歯状回ではGABAA受容体阻害剤のピクロトキシン存在下では全てのスライスで有意なLTPが誘導されたものの、非存在下ではLTPは全く誘導されなかった。一方CA1ではピクロトキシンを除くことによりLTPの大きさは有意に減弱したものの、全くなくなるということはなかった。この結果より、歯状回におけるLTPの抑制性制御はCA1のそれよりも強いということが示された。

さらに、このLTPの抑制性制御の違いを生むメカニズムについてシナプス性抑制、持続性抑制という抑制の2つの側面から検討した。シナプス性抑制としては、全細胞記録により抑制性・興奮性の単シナプス入力を比較し、さらにLTP誘導刺激中の、それぞれの入力の加算を比較した。抑制性・興奮性単シナプス入力の比を領域間で比較したところ、歯状回で大きいという傾向は見られたものの、有意差は検出されなかった。しかし、LTP誘導刺激に対する抑制性応答が歯状回でより大きい加算を示し、それが歯状回でLTP抑制性制御が強いことにつながるという可能性も考えられたため、それについて比較したところ、テタヌス刺激中の抑制性入力の加算は歯状回でより小さいという、LTPの抑制性制御が歯状回でより強いということに矛盾するような結果となった。しかし別の可能性として、LTP誘導刺激中の興奮性入力の加算についても歯状回で小さいということが考えられた。検討した結果、興奮性入力の加算はやはり歯状回でより小さく、さらに領域間での差は興奮性応答についてのほうが大規模であった。これらの結果より、LTPの抑制性制御が歯状回でより強いことは、LTP誘導刺激中の抑制性・興奮性入力の加算のバランスが、歯状回でより抑制に傾いていることに起因する可能性が示唆された。最初にフィールド記録によって行ったLTP実験の際に記録したLTP誘導刺激中の波形は、より生理的な条件での加算を反映しているといえる。この条件での加算は、両領域においてピクロトキシン存在下のほうが大きいという結果になった。さらに、ピクロトキシン除去によって、応答の加算は歯状回のほうが大きく減弱する傾向を示した。したがって、抑制性・興奮性入力の加算のバランスが、歯状回でより抑制に傾いている可能性は十分高いと考えられた。LTP誘導刺激に対するシナプス応答の加算が領域間で違う原因については、神経伝達物質の放出確率が異なるなどシナプス前性の違いや、シナプス後細胞膜の性質の違いなどが考えられる。

また、シナプス前性の機構に領域間における違いが存在するかを検討した。様々な間隔の二発刺激を与えて一発目に対する二発目のシナプス応答の比を算出し、領域間で比較したところ、50 msの間隔の二発刺激に対するシナプス応答の比は歯状回で有意に小さく、100 msでは有意差がなく、200 msでは歯状回でより大きいという結果になった。おそらく刺激している抑制性介在ニューロンの種類が複数あることにより二発刺激応答比も複雑なパターンを示したものの、シナプス前性の機構には何らかの違いがあると考えられ、また一番短い50 msという間隔において歯状回で二発刺激比が小さいということは、LTP誘導刺激に対する抑制性応答の加算が歯状回でより小さかったことに寄与するかもしれない。

次に、持続性抑制、つまり細胞外に常に存在する低濃度のGABAがGABAA受容体をランダムに活性化することにより、常にかかっているような抑制について検討した。ピクロトキシン投与によりシナプス外に存在するGABAA受容体が阻害されると、全細胞記録中の細胞の電位を固定するための電流が減少する。ただし歯状回顆粒細胞とCA1錐体細胞はその大きさに違いがあるためそれも電流の減少分に大きく寄与してしまう。そこで大きさの違う細胞間で比較するために、この電流の減少分を細胞の膜容量で補正して領域間で比較したところ、持続的抑制は歯状回で有意に強いという結果となった。

この違いは、シナプス外に存在するGABAA受容体を構成するサブユニットが歯状回とCA1で異なるということが寄与している可能性がある。実際歯状回では持続性抑制を担うのはδサブユニットを含むGABAA受容体であるとされており、このGABAA受容体は低濃度のGABAに対する感受性が高いと報告されている。CA1ではδサブユニットは豊富には存在せず、持続的抑制は主にα5サブユニットを含むシナプス外性GABAA受容体が担っていると報告されている。またエタノールなどの薬物の、持続性抑制に対する作用が領域間で異なることも報告されていることなどから、このシナプス外性GABAA受容体サブユニットの薬理学的性質の違いが持続性抑制の違いを生んでいるのかもしれない。別の可能性としては、GABAの放出量や取り込み機構、物理的なシナプス間隙の大きさが領域間で異なることで、細胞外のGABA濃度に違いができることも考えられる。

これらの結果から、持続性の抑制の強さと、LTP誘導中の抑制性・興奮性シナプス入力の加算のバランスが、LTPに大きな影響を及ぼしていることが強く示唆された。

海馬スライスを用いたLTP実験では、麻酔下の動物個体を用いた実験とは線維連絡や細胞外領域の組成などの条件が異なることが予想され、そのことによりLTPの起こりやすさに関しては異なる結果が出ることが知られている。とはいえ、本研究により示されたLTPの抑制性制御に関する領域間の違いについては、歯状回で情報を選択し、CA1ではそれを増幅するという、記憶学習における役割が領域間で違うこと、さらに記憶学習におけるLTPの担う役割が領域間で異なり抑制がその違いに寄与している、歯状回は癲癇発作が海馬内に伝播するのを予防する役割を持つ、などの意義が考えられる。また、抑制の違い自体については、抑制入力の同期やリズムに関する領域間の違いを生み出している可能性がある。

本研究により、歯状回でのLTPの抑制性制御とそのメカニズムに関して、深い洞察が得られたといえる。記憶・学習の機構モデル構築などの基礎的研究のみならず、癲癇の発症・治療といった臨床研究についても大きな貢献となることが期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、海馬歯状回における長期増強(Long term potentiation, LTP)が強い抑制性制御を受けることを確認し、そのメカニズムを探るため、海馬スライスを用いた電気生理学的実験による検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.海馬スライスを用いて海馬歯状回、CA1の両領域で抑制を残した条件、阻害した条件でLTPを検討した結果、抑制存在下では歯状回ではLTPは誘導されなかった。それに対してCA1では全てのスライスにおいてLTPが誘導されたことから、歯状回ではCA1と比較してLTPに対する抑制性の制御が強いことが示された。

2.LTPの抑制性制御の違いを生むメカニズムを検討するため、まずシナプス性の抑制について検討した結果、抑制性・興奮性の入力比には領域間に有意差が認められなかった。

3.抑制性・興奮性入力のLTP誘導時の加算について検討したところ、加算の程度は両方ともCA1でのほうが大きいという結果であったが、その違いは興奮性入力の加算についてのほうが大きく、LTP誘導時の抑制性・興奮性バランスが歯状回でより抑制性に傾いていることがその領域での強いLTPの抑制性制御につながることが示唆された。

4.様々な間隔の二発刺激を与えて一発目に対する二発目のシナプス応答の比を算出し、領域間で比較したところ、そのパターンに領域間に違いが見られた。従ってシナプス前性の機構には何らかの違いがあると考えられ、また一番短い50 msという間隔において歯状回で二発刺激比が小さいということが、LTP誘導刺激に対する抑制性応答の加算が歯状回でより小さかったことに寄与する可能性がある。

5.持続性抑制について検討したところ、持続的抑制は歯状回で有意に強いという結果となり、このことも、LTPに大きな影響を及ぼしていることが強く示唆された。

以上、本論文は、歯状回でのLTPの抑制性制御を確認し、そのメカニズムに関して、抑制メカニズムに領域間の違いがあることを明らかにした。本研究はこれまで詳細に示されていなかった、海馬歯状回とCA1におけるLTPの抑制性制御、また抑制メカニズム自体の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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