学位論文要旨



No 123686
著者(漢字) 大宅,宗一
著者(英字)
著者(カナ) オオヤ,ソウイチ
標題(和) 成体哺乳類における内在性神経幹細胞の虚血性脳損傷に対する反応と、その治療への応用可能性に関する研究 : 特にNotch情報伝達系に着目して
標題(洋)
報告番号 123686
報告番号 甲23686
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3025号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山岨,達也
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 准教授 郭,伸
 東京大学 講師 田中,栄
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

脳梗塞に対する治療手段は現在でもきわめて限られている。いったん発症した虚血性脳損傷に対する治療手段には、克服されていない多くの限界がある。中でも治療開始までの時間が大きな障害となっており、虚血発症から3時間以内に虚血が解除されなかった場合には、リハビリなどの他には有効な治療方法がないのが現状である。

一方基礎研究では、胎生期に中枢神経系の形成に働く神経幹細胞が成体脳でもごく限られた領域には存在していることが明らかとなり、以下のような事実も知られてきた。

・成体脳の神経幹細胞は主に前脳室下帯(anterior subventricular zone: aSVZ)と海馬歯状回顆粒細胞下層(subgranular zone: SGZ)に存在する。

・これらの成体内在性神経幹細胞は、虚血損傷に対して反応性に増殖する。さらに、脳室内へ成長因子などを投与するとその増殖が増幅される。

・こうして増殖した内在性神経幹細胞はその一部が神経細胞へと分化しうる。

・これらの再生された神経細胞により、限定的ではあるが、組織学的・機能的な虚血損傷の回復がみられる。

しかしながら脳梗塞治療における内在性神経幹細胞の利用を考えると、いくつもの大きな問題がある。中でも、動物モデルにおいてさえも再生規模が小さく、依然として大きな規模の神経細胞再生を得る方法がないということは、重大な問題である。

今までに様々な物質が成体神経幹細胞の増殖を刺激することが報告されてきたが、その治療効果に関して比較した研究はない。そこで本研究実験1では、過去の脳室内投与の報告から、EGF(epidermal growth factor)、FGF2(fibroblast growth factor-2)、EGF/FGF2の混合投与、IGF-I(insulin-like growth factor-I)、EPO(erythropoietin)、BDNF(brain-derived growth factor)、を選択し、同一条件下で比較することによって内在性神経幹細胞の増殖を刺激する最適な方法を検討した。評価する部位としては、上記のaSVZとSGZ以外の神経細胞新生部位の候補である後脳室壁(posterior periventricle: pPV)と第3脳室周囲の視床下部(hypothalamus: HT)を、神経幹細胞の存在の確認と増殖刺激効果の評価を行った。

さらに、様々な幹細胞の維持と分化を制御するNotch情報伝達系の神経幹細胞における機能に注目した。Notch情報伝達系の虚血性脳損傷への関与については、現在までに次のようなことがわかってきた。

・Notch情報伝達系は、胎生期のみではなく成体脳にも存在する。

・Notch情報伝達系の活性化により、神経幹細胞の維持・増殖が促され、また神経細胞への分化は抑制される。

・Notch情報伝達系のリガンドを成体マウスの脳室内へ投与したところ、脳室周囲の神経幹細胞の増殖が促され、これらの神経幹細胞から分化した神経細胞が梗塞巣内に認められた。

・Notch情報伝達系を阻害するγセクレターゼ阻害剤を脳室内へ投与すると、マウス多発性硬化症モデルにおいてオリゴデンドロサイト前駆細胞の分化が促進され、再髄鞘化が促進された。

以上の報告から、神経再生療法の規模向上のために、Notch情報伝達系はきわめて有望な治療のターゲットとしての性質を有しているといえる。そこで本研究実験2では、Notch情報伝達系の活性化あるいは抑制によって、成体ラット一過性全脳虚血モデルにおける海馬CA1錐体細胞の虚血損傷に対する再生治療効果の改善が得られるかについて検討した。

【方法と結果】

○実験1

雄性ラット(8週齢)の6分間一過性全脳虚血モデルを使用した。虚血後2日目(Day2)からDay5にかけての3日間に渡り、下記に示す各物質を脳室内へ持続投与した。

分裂細胞を標識するために、Day2-5にかけて12時間おきに計6回bromodeoxyuridine (BrdU; 50 mg/kg)を腹腔内へ投与した。Day5の最終BrdU投与2時間後に脳を取り出し、aSVZ、SGZ、pPV、およびHTの4カ所におけるBrdU陽性細胞数を、投与物質ごとに比較した。

すると、BrdU陽性細胞がaSVZ/SGZ/pPV/HTの4領域全てにおいて観察され、その多く(40-80%)は、BrdU/MCM2/Nestinの免疫三重染色にて陽性となる細胞であり、分裂して新たに生じた神経幹細胞または前駆細胞であると考えられた。部位別に各物質の神経幹細胞増殖刺激効果を検討するためBrdU陽性細胞数を比較した(図1)。

以上より、部位による反応性の違いはあるもののEGFとFGF2の混合投与が各部位の神経幹細胞増殖を広く刺激することが明らかとなった。また第3脳室周囲(HT)にも免疫組織学的に幹細胞の性質を示す細胞が存在し、FGF2による強い増殖刺激を受けることが明らかとなった。

○実験2

実験1と同様にラット6分間一過性全脳虚血後のDay2-5にEGF/FGF2を脳室内投与するモデルとを用いた。本モデルでは、虚血後に海馬CA1錐体細胞に神経細胞死が生じる(図2)。Day7では成長因子を投与してもCA1細胞数に有意な変化はないが、虚血後28日後には成長因子投与にて有意に細胞数が増加する。BrdUを投与して分裂細胞を標識すると、CA1錐体細胞の一部はBrdU陽性であり、神経再生の関与が考えられた。

そこでまず、海馬CA1におけるNICD(Notch intracellular domain)のウェスタンブロッティングを行い、虚血後のNotch情報伝達系活性の時間的経過と、脳室内へのγセクレターゼ阻害剤の投与による影響を調べた(図3)。細胞膜に存在するNotch受容体はγセクレターゼによる開裂を受け、NICDが生じる。NICDの増加はNotch情報伝達系の活性化を反映する。本モデルでは、図2のように虚血の急性期(Day5)にはNICDが増加し、Day10にかけて通常の活性へ戻るが、γセクレターゼ阻害剤を投与することによりさらに活性が抑えられることがわかった。

ここで、活性化したNotch情報伝達系は神経幹細胞の神経細胞への分化を阻害することに着目し、Day2-5にかけてEGF/FGF2を脳室内へ治療し神経幹細胞を増殖させ次にこれらの神経幹細胞が分化へ向かうDay5-12にかけてγセクレターゼ阻害剤を脳室内へ投与すると、Notch情報伝達系の抑制によるCA1錐体細胞の再出現現象が促進されるか、について検討することとした。

すると、γセクレターゼ投与群では非投与群と比べて、Day28におけるCA1錐体細胞数が36%増加した(図4)。

またγセクレターゼ阻害剤投与群ではDay12における幼弱な遊走中ニューロンで発現するDoublecortinが陽性の細胞が増加していた。さらに、阻害剤投与治療による炎症反応やアミロイド前駆体タンパクを介した経路などに関する明らかな影響は認められず、γセクレターゼ阻害剤投与によって、神経細胞への分化が促進される可能性が示唆された。

次に虚血急性期にNotch情報伝達系をさらに活性化させることで神経幹細胞の増殖を促すことができるかどうかを検討した。Day2からDay5にかけてNotch情報伝達系のリガンドであるDLL4あるいはJag1を、単独であるいはEGF/FGF2混合投与に追加して、脳室内へ投与しpPVにおけるBrdU陽性細胞数を数えた(図5)。

すると、リガンド単独投与では増殖刺激効果は認められず、またEGFとFGF2の混合投与にリガンドを加えても付加的な増殖刺激効果は得られなかった。すなわち海馬においてはNotchリガンド脳室内投与による虚血急性期のさらなる神経幹細胞の増殖は認められなかった。

【まとめ】

現段階では、内在性神経幹細胞を利用した再生療法は再生する細胞の規模が絶対的に少ないという問題を抱えている。内在性神経幹細胞を利用して虚血後の機能回復までに至ったとする過去の多数の報告があるものの、これらの効果が全て組織学的な再生現象に帰していいものか、はよくわかっていない。本研究にて、

(1)虚血急性期にはEGFIFGF2の混合投与がもっとも増殖刺激効果が高く、かつ広汎な部位に影響を及ぼす。

(2)虚血の亜急性期にNotch情報伝達系を抑制することにより、神経幹細胞の分化が促され、組織学的な回復が促進される可能性がある。

ことが示された。今後の研究により、Notch情報伝達系が新たな脳梗塞治療のターゲットとなる可能性が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、成体哺乳類脳に対する虚血性脳損傷に対する内在性神経幹細胞を利用した神経再生療法の増幅法を明らかにするため、ラット一過性脳虚血モデルを用いて成長因子などの物質の脳室内投与による神経幹細胞に対する増殖刺激効果を比較し、もっとも効果的な増殖刺激法を検討している。また本研究は、胎生期中枢神経系の発達の際に神経幹細胞の維持・増殖と分化を制御する細胞間情報伝達系であるNotch情報伝達系が虚血後の成体海馬CA1領域においても存在することを確認し、それを利用した再生療法増幅の可能性に関しても検討している。本研究の結果より以下の知見が得られた。

(1) 過去の脳室内投与の報告から、EGF (epidermal growth factor)、FGF2 (fibroblast growth factor-2)、EGF/FGF2の混合投与、IGF-I (insulin-like growth factor-I)、EPO (erythropoietin)、BDNF (brain-derived growth factor)、を選択し、同一条件下で増殖刺激効果を比較した。評価する部位としては成体脳における神経細胞新生部位として確立している前脳室壁(anterior subventricular zone: aSVZ)および海馬歯状回顆粒細胞下層(subgranular zone: SGZ)に加えて、神経細胞新生部位の候補である後脳室壁(posterior periventricle: pPV)と第3脳室周囲の視床下部(hypothalamus: HT)において、神経幹細胞の存在の確認と増殖刺激効果の評価を行った。本実験により、部位による反応性の違いはあるもののEGFとFGF2の混合投与が各部位の神経幹細胞増殖を広く刺激することが明らかとなった。また第3脳室周囲(HT)にも免疫組織学的に幹細胞の性質を示す細胞が存在し、FGF2による強い増殖刺激を受けることも明らかとなった。

(2) 様々な幹細胞の維持と分化を制御するNotch情報伝達系の神経幹細胞における機能に注目し、これを利用した海馬CA1錐体細胞の虚血損傷後の再生治療効果の改善が得られるかを検討した。虚血急性期の海馬ではNotchリガンドの脳室内投与による神経幹細胞に対する明らかな増殖刺激効果は認められなかったが、虚血急性期のEGF/EGF2投与後にγセクレターゼ阻害剤を脳室内へ投与することにより、増殖した神経幹細胞の分化が促され、組織学的な回復が促進される可能性が示された。

以上本研究は、今まで未知であった、虚血急性期の神経幹細胞の反応性増殖を広汎に促進する方法を明らかとした。さらに虚血後亜急性期における確立した治療法が未だないなかで、発症数日以降の虚血性脳損傷に対するγセクレターゼ阻害剤による再生療法促進という新しい治療アプローチの開発に寄与すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク