学位論文要旨



No 123687
著者(漢字) 荻原,英樹
著者(英字)
著者(カナ) オギワラ,ヒデキ
標題(和) 神経膠腫における染色体変異の解析および新規癌抑制遺伝子の同定
標題(洋)
報告番号 123687
報告番号 甲23687
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3026号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 教授 宮川,清
 東京大学 講師 後藤,順
 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 准教授 福嶋,敬宜
内容要旨 要旨を表示する

神経膠腫は、神経細胞の支持や栄養を司り、また髄鞘の構成要素となる神経膠細胞が腫瘍化したものと考えられている。年間10万あたり3人に発生し、脳という重要な組織に浸潤性に進展し、一般に予後不良である。なかでも、最も悪性度の高い神経膠芽腫では、その生存期間中央値は1年である。現在までに、神経膠腫の発生や進展の分子レベルでの解析が進められており、TP53, CDKN2A, PTEN, RB等の関与が報告されている。しかしながら、これらは個別の遺伝子異常についての情報であり、これらだけでは解明できない腫瘍の進展機構も存在していると考えられる。

一般に、悪性腫瘍は、その発生、進展の過程でさまざまな遺伝子に異常が生じ、これらが蓄積していくことにより、浸潤、転移、薬剤耐性といった悪性形質を獲得していくことが知られている。このような遺伝子異常の背景として、ゲノムの一次構造の異常が深く関わっており、腫瘍特異的なゲノム一次構造の異常を検出すれば、病態と関連する遺伝子の同定につながり、治療標的としての意義が検討できる。

悪性腫瘍で染色体のコピー数の増加がみられる部位から、EGFR, MYCなどの癌遺伝子 (oncogene) が同定され、染色体のコピー数が減少している部位からPTEN, TP53, RB1等の細胞周期を抑制する遺伝子やDNAの修復を担う腫瘍抑制遺伝子 (tumor suppressor gene) が報告されてきた。これらの腫瘍抑制遺伝子の不活化には、その領域における2本の染色体の両方の機能が失われる必要がある。それは2本のアレルの欠失 (ホモ欠失)、一方のアレルの欠失 (LOH) と他方のアレルの点突然変異、あるいは一方のアレルのLOHともう一方のアレルのメチル化、により起こるとされている。

近年、SNP genotyping arrayを用いたゲノム解析により、高速かつ高解像度なコピー数の解析が可能となっている。これにより、数10kbの解像度で染色体変化の全体像を見ることが可能であり、また、本研究で使用したアルゴリズムを用いるとアレル別コピー数の解析が可能となった。

本研究では、50K SNP genotyping arrayを用いて、32例の神経膠腫(稀突起神経膠腫12例、退形成性稀突起神経膠腫4例、星状細胞腫4例、退形成性星状細胞腫4例、神経膠芽腫8例)の染色体変異を解析し、新規癌抑制遺伝子を同定することを目的とした。

SNP genotyping arrayによるコピー数解析の結果、7箇所、6検体でホモ欠失領域を認めた。ホモ欠失を認めた検体6例中、5例が神経膠芽腫であり、1例は星状細胞腫であった。ホモ欠失7箇所のうち、4箇所は9p21.3の領域であった。この領域には既知の癌抑制遺伝子であるCDKN2A (cyclin-dependent kinase inhibitor 2A), CDKN2B (cyclin-dependent kinase inhibitor 2B)が存在している。また、1箇所は10q23.31の領域であり、既知の癌抑制遺伝子であるPTEN (phosphatase and tensin homolog)が存在している。その他、12q21, 13q21の2箇所は神経膠芽腫における新規のホモ欠失領域であった。

この新規ホモ欠失領域に関して、ダイレクトシークエンシングを用いたSNP解析により、ホモ欠失領域とその両端のLOH領域の解析を行い、検証した。12q21のホモ欠失領域は4.17Mbp、13q21では388Kbpに渡っていた。このように50K SNP タイピングアレイを用いることにより、従来のCGHなどの方法に比し、より限局した範囲でのホモ欠失の同定が可能であることが示された。

更に、SNP genotyping arrayに用いた神経膠芽腫8例に22例の神経膠芽腫を加えた28例に対して、質量分析によるLOH解析を行い、染色体欠失の頻度を調べたところ、12q21の領域では、28例中4例 (14.3%) にLOH、2例 (7.1%) にホモ欠失を認めた。13q21の領域では28例中8例 (28.5%) にLOH、3例 (10.7%) にホモ欠失を認めた。

12q21ホモ欠失領域には、4つの遺伝子が含まれていたが、定量PCRによるmRNAの発現解析により、正常脳の発現に比し、神経膠芽腫で発現が低下しているNAV3が候補癌抑制遺伝子として選出された。

13q21ホモ欠失領域には、DACH1遺伝子が存在していた。定量PCRによるmRNAの発現解析により、正常脳での発現部位のひとつと考えられる尾状核での発現量に比し、神経膠芽腫の臨床検体、細胞株において、発現が低下していることを確認した。

DACH1は、13q21に存在する遺伝子で、Drosophilaのdachshund geneのhuman homologとして同定された。Drosophilaでは、dachshund geneの欠損で、眼、足が低形成となることが報告されている。Mouse Dach1はSix6と結合して複合体を形成し、cyclin-dependent kinase inhibitorsを抑制することにより、網膜と下垂体の発生に関与している。Human homologのDACH1は全長706アミノ酸からなり、分子量は73kDaである。N末にski/snoに相同なDSドメインを持つ。腫瘍との関連では、Wuらは、DACH1はそのDSドメインを介して、NcoRとSmad4と相互作用し、TGFβシグナルを抑制することを示し、乳癌細胞株においてTGFβが誘導するアポトーシスを抑制することを示した。一方で、Wuらは、DACH1がcyclin D1を抑制し、乳癌細胞株において増殖抑制効果を持つことを示し、DACH1が核で発現している乳癌の患者群では、発現していない群に比し予後が良好であることを示した。このように、DACH1は腫瘍増殖に促進的に働く場合もあれば、抑制的に働く場合もあることが示され、腫瘍細胞におけるDACH1の役割について一致した見解は得られていない。

本研究では、DACH1の発現を認めていない神経膠芽腫由来の細胞株であるU87にDACH1を強制発現させることにより、DACH1の発現が神経膠芽腫の進展に関してどのような機能を果たしているのかを検討する目的で、テトラサイクリンにて誘導されるDACH1の安定発現株の作製を行った。

2種類のクローンでDACH1の発現による増殖に対する効果をWST-8アッセイにて検討した。ドキシサイクリン1ug/mlの投与から96時間後に、コントロール(ドキシサイクリンなし)と比較して、クローン1では15.8%、クローン2では25.7%と有意な低下を認めた。ドキシサイクリン1ug/mlの投与から144時間後では、クローン1では29.0%、クローン2では32.7%と有意な低下を認めた (p<0.005)。

また、ソフトアガーアッセイにて足場非依存性増殖に対する効果をみたところ、ドキシサイクリン1ug/mlの投与をしたものは、コントロール(ドキシサイクリンなし)と比較して、クローン1では62.7%、クローン2では69.6%と有意な低下を認めた(p<0.005)。

また、DACH1を発現している神経膠芽腫由来の細胞株であるU251において、siRNAによるDACH1の発現抑制が腫瘍細胞に与える影響について検討した。siRNAは、Invitrogen社の3種類のStealth RNAiを用いた。20nMのsiRNAにより、DACH1タンパク質の発現抑制効果が見られることを確認した。この条件で、DACH1を発現抑制したときの細胞増殖への影響をWST-8アッセイにて検討したところ、96時間後にsiRNA-1で35.6%、siRNA-2で17.9%、siRNA-3で14.6%と、細胞増殖は有意に亢進した。

これらのことによりDACH1の発現が神経膠芽腫において増殖抑制効果を持つことが示唆された。

今回の結果より、DACH1が神経膠芽腫細胞で発現低下することにより、腫瘍細胞の増殖や生存を促進すると考えられ、DACH1が神経膠芽腫において、癌抑制遺伝子としての働きを持つことが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は神経膠腫における腫瘍の進展機構を解明するため、50K SNP genotyping arrayを用いて、32例の神経膠腫(稀突起神経膠腫12例、退形成性稀突起神経膠腫4例、星状細胞腫4例、退形成性星状細胞腫4例、神経膠芽腫8例)の染色体変異を解析し、新規癌抑制遺伝子を同定することを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.SNP genotyping arrayによるコピー数解析の結果、従来のCGHなどのコピー数解析法では検出されないUPDが13症例21箇所で、神経膠腫において検出された。神経膠腫のグレードが増加するにつれ、染色体変異が増加する傾向を認めた。

2.SNP genotyping arrayによるコピー数解析の結果、7箇所、6検体でホモ欠失領域を認めた。ホモ欠失7箇所のうち、4箇所は過去にホモ欠失の報告がある9p21.3の領域であり、1箇所は10q23.31の領域であった。12q21, 13q21の2箇所は神経膠芽腫における新規のホモ欠失領域であった。

3.新規ホモ欠失領域に関して、ダイレクトシークエンシングを用いたSNP解析により、12q21のホモ欠失領域は4.17Mbp、13q21では388Kbpに渡ることを検証した。また、28例の神経膠芽腫をに対して、質量分析によるLOH解析を行い、染色体欠失の頻度を調べたところ、12q21の領域では、28例中4例 (14.3%) にLOH、2例 (7.1%) にホモ欠失を認めた。13q21の領域では28例中8例 (28.5%) にLOH、3例 (10.7%) にホモ欠失を認めた。

4.12q21ホモ欠失領域には、4つの遺伝子が含まれていたが、定量PCRによるmRNAの発現解析により、正常脳の発現に比し、神経膠芽腫で発現が低下しているNAV3が候補癌抑制遺伝子として選出された。13q21ホモ欠失領域には、DACH1遺伝子が存在していた。定量PCRによるmRNAの発現解析により、正常脳での発現部位のひとつと考えられる尾状核での発現量に比し、神経膠芽腫の臨床検体、細胞株において、発現が低下していることを確認した。

5.DACH1の発現を認めていない神経膠芽腫由来の細胞株であるU87を用いて、テトラサイクリン誘導型のDACH1の安定発現株の作製し、2種類のクローンでDACH1の発現による増殖に対する効果をWST-8アッセイにて検討した。ドキシサイクリン1ug/mlの投与から96時間後に、コントロール(ドキシサイクリンなし)と比較して、クローン1では15.8%、クローン2では25.7%と有意な低下を認めた。ドキシサイクリン1ug/mlの投与から144時間後では、クローン1では29.0%、クローン2では32.7%と有意な低下を認めた (p<0.005)。また、ソフトアガーアッセイにて足場非依存性増殖に対する効果をみたところ、ドキシサイクリン1ug/mlの投与をしたものは、コントロール(ドキシサイクリンなし)と比較して、クローン1では62.7%、クローン2では69.6%と有意な低下を認めた(p<0.005)。

6.DACH1を発現している神経膠芽腫由来の細胞株であるU251において、siRNAによるDACH1の発現抑制が腫瘍細胞に与える影響について検討したところ、DACH1の発現抑制により、WST-8アッセイにて、96時間後にsiRNA-1で35.6%、siRNA-2で17.9%、siRNA-3で14.6%と、細胞増殖が有意に亢進した。

以上、本論文は、SNP typing arrayにより神経膠芽腫における新規のホモ欠失を同定し、新規ホモ欠失13q21に存在したDACH1の発現により神経膠芽腫細胞の増殖、足場非依存性増殖が抑制される、またDACH1の発現抑制により増殖が亢進することを示した。本研究は予後不良な神経膠芽腫の発生、進展機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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