学位論文要旨



No 123690
著者(漢字) 﨑山,快夫
著者(英字)
著者(カナ) ササヤマ,ヨシオ
標題(和) 進行性核上性麻痺における臨床と分子病理の統合的研究
標題(洋)
報告番号 123690
報告番号 甲23690
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3029号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 斉藤,延人
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 准教授 百瀬,敏光
 東京大学 准教授 郭,伸
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

進行性核上性麻痺(Progressive supranuclear palsy, 以下PSP)は、1964年Steele-Richardson-Olszewskiが臨床病理学的連関を初めて報告した成人発症の神経変性疾患で、パーキンソン症状と認知機能障害を主徴とし、非典型的なパーキンソン症候群の最も主要な疾患の一つである。神経病理学的には、脳幹、基底核、海馬、新皮質に抗タウ免疫染色陽性の神経原線維変化(Neurofibrillary tangle, 以下NFT)、グリア原線維変化(Glial fibrillary tangle, 以下GFT)を認める。生化学的にはSarkosyl不溶分画のウェスタンブロットで4リピート( R)タウを示すバンドが認められる。遺伝的にはMicrotubles Associated Protein Tau (以下MAPT)遺伝子のH1 haplotypeと相関を認める。疫学的には、近年の英国の調査では、6.4人/10万人と報告されている。既報告では日本人は全員がH1 haplotypeであるが、特定疾患研究事業での登録数は欧米の有病率と比較して著しく少なく、十分な疫学調査が存在しないのが現状である。英国や米国では患者団体主導のPSPブレインバンクが整備されているが、臨床的にPSPあるいはパーキンソン病と診断された症例の臨床病理一致率が示されている。しかし、反対にPSPの病理を持つ症例における臨床病理一致率を示すデータは存在せず、これを示すには連続剖検例における検討が必要と思われた。

本研究は、高齢者専門総合病院における多数連続剖検例を母集団とした高齢者ブレインバンク(Brain Bank for Aging Research, 以下BBAR)からPSP病理を持つ症例を抽出し、その臨床症状を後方視的に検討することで、PSPの臨床的広がりを再定義することを試みた。

【方法】

1.PSPブレインバンクの構築:東京都老人医療センター開院1972年以来の連続開頭剖検例6909例に対し、1994年以前の症例については、PSPの病理診断がついている症例について、1995年例以降は凍結臓器から抽出されたDNAが保存され、臨床・神経データベースが構築されており、それらの臨床・神経病理所見について再検討を行った。免疫組織化学を含む最新の分子病理学的手法で再評価を行い、臨床病理所見を統合し、研究資源として整備した。

2.神経病理学的評価

全開頭剖検例に神経病理医が立会い、臨床医からの情報や神経放射線画像をもとに脳の凍結部位を決定した。左右差が疑われる症例は、病変のより軽度な半側を凍結側とし、それ以外では左右交互に凍結側とした。表面からの肉眼的観察・写真撮影後、凍結側の大脳は7mm厚冠状断、脳幹は約5mm厚水平断、小脳は7mm厚矢状断の割面を作成、肉眼的観察・写真撮影後、9箇所のルーチン部位に加え、病変部位を適宜追加し4%パラホルムアルデヒドに24-48時間固定、パラフィン包埋後6μm切片を作成した。非凍結側は20%中性緩衝ホルマリンに7-13日間固定後、神経内科・神経病理合同ブレインカッティングカンファランスにて、固定側の半脳も原凍結側と同様に割面を作成した。肉眼的観察・写真撮影後、米国国立神経疾患・脳卒中研究所(以下NINDS)-PSP神経病理診断基準、レビー小体型認知症(以下DLB)コンセンサスガイドラインの切り出し推奨部位、老人斑・NFTのBraak Staging、CERADのアルツハイマー病(Alzheimer Disease, 以下AD)診断基準を包括した26箇所の代表的部位を切り出し、パラフィン包埋後、6μm切片を作成した。

染色は、通常染色として全切片にHematoxylin & Eosin染色とKluver-Barrera染色を施行した。代表的部位に、渡銀染色であるGallyas-Braak染色、改良Methenamine銀染色、Bodian染色、Bielschowsky 染色、アミロイド沈着評価目的にCongo-Red染色、血管の評価目的にelastica-Masson染色を行った。免疫染色は、Ventana 20NX autostainer を用いて施行。一次抗体には、抗タウ抗体として抗リン酸化タウ抗体(AT8, PHF-1, AP422), 抗4Rタウ抗体(RD4, ET3, 抗4Rタウ抗血清)、抗3Rタウ抗体(RD3)、抗コンホメーション特異抗体(MC1)を採用、その他の老年性変化の評価に、抗アミロイドβ抗体(12B2)、抗リン酸化αシヌクレイン抗体(Psyn64)、抗ユビキチン抗体、抗glial fibrillary acidic protein抗体、抗CD68抗体、抗リン酸化ニューロフィラメント抗体(SMI31)を用いた。

神経病理診断は、NINDS-PSP神経病理診断基準を用いて、Typical PSP, Atypical PSP, Combined PSPに分類した。Combined PSPに合併する他疾患の病理の診断基準として、ADはBBAR診断基準、パーキンソン病・DLBはBBAR診断基準・DLBコンセンサスガイドラインの診断基準から総合的に判断、嗜銀顆粒性認知症についてはJellingerの診断基準を用いた。ユビキチン陽性封入体を伴う前頭側頭葉型変性症については後方海馬の抗ユビキチン抗体免疫染色でスクリーニングしたが合併を認めなかった。また、全例について、老人斑・NFTのBraak staging、嗜銀顆粒・レビー小体のBBAR stagingを行い、それらの広がりを評価した。

3.臨床病歴の評価:二人以上の神経内科専門医が病歴を評価し、手段的日常生活動作、Mini-Mental State Examination、長谷川式簡易知能スケールを参考に、Clinical Dementia Ratingを決定した。生前におけるパーキンソン症状、眼球運動、精神症状を抽出した。

4.DNA microarrayを用いたMicrotubles Associated Protein Tau (以下MAPT)遺伝子の網羅的解析:DNAが保存された症例について、東京大学医学部神経内科で設計、Affimetrix社で作成したDNA-microarrayを用いて、MAPT遺伝子の全塩基配列の解析を行った。

5.NINDS病理診断基準における評価部位について抗リン酸化タウ抗体(AT8)免疫染色を施行し、半定量的Gradingを行い、認知症の有無、小脳症状の有無で比較した。

6.タウアイソフォルム特異抗体である抗3Rタウ抗体(RD3)、抗4Rタウ抗体(RD4)、AT8の三つの抗体を用いて、PSPで必ず病変が出現する黒質と、3Rタウの混入が指摘されている嗅内野の免疫染色を行い、その結果を、他の部位に適応した。

7.認知症の有無とFDG-PETの連関、小脳症状を来たした症例の画像病理連関を検討した。

【結果】

1. PSPの病理を持つ71例が抽出され、高齢者ブレインバンク全体の1%、PD/DLBの約1/3と頻度の高い疾患であることが示された。典型的なTypical PSPは全体の1/3に過ぎず、動眼神経核の病変が軽く眼球運動障害が目立たないAtypical PSPや他疾患の合併を伴うCombined PSPが残りを占めており、臨床上診断困難例が高頻度に存在することを示した。MAPT遺伝子の解析では、未報告の多型が二つ見つかったが、アミノ酸置換を伴う変異ではなく、病的でない多型と考えられ、FTDP17の症例は認めなかった。

2. PSPにおける認知症の責任病巣は中心前回、小脳症状では小脳歯状核・小脳白質のタウ沈着にあることを示した。

3. PSPの固有病変は3つの抗タウ抗体のパネルでRD4強陽性、AT8陽性、RD3陰性のパターンを示し、中心前回、小脳歯状核もこのパターンを示した。

4. FDG-PETで、認知症のあるPSPとないPSPでは前頭葉新皮質の糖代謝が前者では低下しており、中心前回で有意差を認めた。

5. 小脳症状での初発した症例では、PSPに合致する形態機能画像的特徴(形態:中脳被蓋萎縮。機能画像:前帯状回・前頭弁蓋・中脳の糖代謝低下)を認め、さらに左右差のある上小脳脚の萎縮と左右差のある歯状核を含んだ小脳半球の糖代謝低下を認め、対応する病理を認めた。

【考察・結論】

連続剖検例を母集団としたPSPの病理を持つ症例をブレインバンクとして整備し、臨床診断が困難と思われるAtypical PSP, Combined PSPが高頻度に存在することを示した。

タウアイソフォルム特異抗体を用いた分子病理学的手法を用いて、PSP固有病変の染色パターンを示し、認知症・小脳症状がPSPの固有病変によって起こることを示した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はAtypical Parkinson Disordersにおける主要疾患である進行性核上性麻痺(PSP)について、日本人の集団における疾患頻度・特徴を明らかにするために、高齢者ブレインバンク連続剖検例からPSPの病理を持つ症例を抽出し、臨床分子病理学的検討を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 約7000例の高齢者連続開頭剖検例を母集団とする、PSPブレインバンクを本邦で初めて整備し、PSPの病理を有する症例は71例と全体の約1%、パーキンソン病/レビー小体型認知症の病理診断を持つ症例の約1/3にのぼり、PSPの病理を持つ症例は臨床の場で指摘されるよりも、かなり高頻度に存在する可能性を示した。病理分類ではPure PSPが39例、Combined PSPが32例と合併病理を持つ症例の頻度が高く、Pure PSPの中ではTypical PSP 19例に対しAtypical PSPが20例とAtypical PSPの頻度も高いことを指摘した。Typical PSPはPSPの臨床診断基準に記載された症状を呈することが多く臨床病理診断一致率も高いが、他の病型では臨床病理診断の一致率が低く、その原因としてCombined PSPは合併病理の影響を受けること、Atypical PSPは動眼神経核の病理が軽く垂直性眼球運動障害の頻度が少ないことが指摘された。

2. PSPに特異的な病理のパターンを3つの抗体(抗リン酸化タウ(AT8), 抗3Rタウ(RD3), 抗4Rタウ(RD4)抗体)を用いた分子病理学的手法によって見出し、認知症と小脳症状の背景病理がPSPに固有の病理であることを明らかにした。PSPにおける認知症の背景病理は中心前回を中心とする前頭葉のタウ沈着であり、このタウ沈着はRD4で顕著であり、AT8ではより少なく、RD3では陰性になり、アルツハイマー病(AD)のタウ沈着と異なることを示した。少数例のパイロットスタディではあるが、生前にFDG-PETを施行した剖検例を用いて、中心前回の糖代謝に認知症のあるPSPとないPSPで有意差を示した。小脳症状のあるPSPと認めなかったPSPの比較において、小脳歯状核・白質のタウ沈着に有意差を示しと関連し、このタウ沈着はAT8, RD3, RD4の免疫染色で中心前回と同様のパターンを認め、PSPに内在する病理であることを示した。小脳症状が前景に立った症例を検討することで、歯状核・上小脳脚の左右差が四肢小脳失調の左右差に一致し、小脳遠心系の関与が重要であることを示した。

以上、本論文はPSPを病理学的視点から高齢者連続剖検例の解析を行い、その頻度の高さ、多様性を示した。また、これまで重視されてこなかった認知症・小脳症状についてその背景病理がPSPに特異的な病理の分布のバリエーションであることを示した。

本研究はこれまで稀な疾患と考えられてきた進行性核上性麻痺が臨床診断困難例を含めると高頻度な疾患である可能性を指摘し、今後の進行性核上性麻痺の研究に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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