学位論文要旨



No 123692
著者(漢字) 鈴木,一詩
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,カズシ
標題(和) 歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症(DRPLA)トランスジェニックマウスを用いたポリグルタミン病の病態機序の解明 : 遺伝子転写障害の関与の検討
標題(洋)
報告番号 123692
報告番号 甲23692
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3031号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 准教授 川原,信隆
 東京大学 准教授 郭,伸
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 狩野,方伸
内容要旨 要旨を表示する

歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症(DRPLA)はDRPLA遺伝子中のCAG繰り返し配列の異常伸張を原因とする進行性の神経変性疾患である。同種の疾患はポリグルタミン病と総称され、(1)CAGリピート数が35~40を超えると発症、(2)リピート数と発症年齢の逆相関、(3)神経細胞中の変異蛋白を含む核内封入体の出現、等の共通点から発症には共通の機序が関与すると推測される。近年、変異蛋白と種々の転写関連蛋白との相互作用や、モデル動物における種々の遺伝子発現低下の報告などから、遺伝子の転写障害を主体とする神経細胞の機能障害が病態の核心である可能性が高まっている。一方、神経細胞には神経活動依存性に転写を活性化する機構が存在し、神経細胞の生存や分化、シナプス可塑性等様々の面で重要な役割を果たしている。特に、転写因子CREB(cyclic-AMP-response-element-binding protein)は、種々の細胞内シグナル伝達系の集約点に位置してFosなどの最初期遺伝子群の転写を誘導し、転写活性化に重要な役割を担っている。近年、ポリグルタミン病の病態機序としてこのCREB系を中心とした転写活性化機構の障害も注目されており、HDAC阻害薬などの転写賦活を目的とした薬剤の治療効果も報告されている。1999年Satoらにより作成されたDRPLAトランスジェニックマウス4系統(Q76, Q96, Q113, Q129)は、ヒト変異DRPLA遺伝子が全長かつ単一コピーで同一箇所に導入され、CAGリピート数以外の点において遺伝学的にほぼ同一であり、脳において週齢及びリピート長依存性に変異蛋白の核内集積が増加する等、ポリグルタミン病の病態をよく反映したモデルである。本研究では、これら4系統のマウスの(1)行動表現型、(2)遺伝子発現プロファイルを検討し、(3)更にトランスジェニックマウス脳の転写活性化障害とその回復を検討する。

(1)最初に、各系統の生存期間及び体重は明確に導入遺伝子のリピート長に依存して短縮、減少が認められた (Fig1,2)。また加速ロタロッド試験 (Fig3), Beamwalking試験の運動協調性評価ではQ129、Q113、Q96の各系統がリピート長依存性、週齢依存性の成績低下を示した一方、最短リピートのQ76は障害を認めなかった。更に、情動行動の評価のオープンフィールド試験では、Q129、Q113、Q96の3系統がリピート長依存性の活動低下を示した一方、Q76はnTgよりも寧ろ有意に活動性が亢進していた。最後に、Home cage内での活動を測定したところ、Q76はnTgと総運動量の差を認めず活動の概日リズムも保たれていたが、Q96、Q113、Q129マウスでは、暗時間における活動量が減少し、かつその程度はリピート長依存性に悪化した。更に、同一系統(Q113)で経時的に観察を行ったところ、週齢依存性に正常な睡眠覚醒リズムが失われた。以上のように、生存期間、体重減少、運動協調性障害に関しては明確なリピート長依存性、週齢依存性の悪化が認められ、変異蛋白のリピート長の伸長が直接にこれらの表現型を悪化させることが示された。これらの表現型は進行性の変異タンパクの蓄積、脳萎縮に伴って表出しており、ヒトDRPLAにおける症状の経過と神経変性の過程の特徴をよく再現していた。一方でQ76の活動性亢進、Q113マウスの睡眠覚醒リズムの障害など、過去のマウスモデルからは非典型的な表現型もみられたが、これらはヒトDRPLA症例の精神症状や睡眠障害等との類似性を窺わせる。本マウスの病理学的検索からは、これらの表現型の背景にDRPL系以外の広汎な部位に及ぶ変異タンパクの蓄積が存在することが判明している。特に、摂取エネルギー調節、睡眠覚醒リズムなどの中枢である視床下部に関しては、過去にもヒト症例やマウスモデルでの検討で機能障害が存在する可能性が指摘されており、DRPLAの多様な臨床像の背景には、これら視床下部を含む「早期からの脳内の広範な部位に及ぶ変異蛋白の蓄積」があると考えられる。

(2)次に、マイクロアレイによるTgマウス大脳、小脳の網羅的な発現解析を行なった(Fig4)。同一検体を2種の異なるプラットフォームを用いて解析した結果、双方は互いに高い相関を示し、正の相関を示した遺伝子数は不の遺伝子数を大きく上回った(Fig5)。この結果から、cross-platform analysisはマイクロアレイ解析結果の網羅的かつハイスループットな確認の方法として信頼性が高いことが証明された。この方法を用いて、同週齢のnTgを対照としたDRPLAマウス大脳及び小脳の発現変動遺伝子数を算出した結果、その数はリピート長依存性に顕著に増加しており、マウスの表現型の重症度とよく相関することが示された。更に、変動遺伝子群を同定するため、Tg/nTgの発現比データを基に週齢および系統を変動因子とした2way-ANOVAを行い、両方のplatformで Interaction p-value<0.005であった遺伝子(大脳: 204遺伝子、小脳: 431遺伝子)を発現変動パターンによりクラスタリングし (Fig6, Fig7)、各々のクラスターに付与されたGene ontologyを集計して属する遺伝子の傾向を分析した。その結果大脳、小脳に共通して発現低下遺伝子の多数を占めたのはカルシウムイオン結合蛋白群であり、またcalcium signaling pathwayとその下流、phosphatidylinositol signaling system, MAPK signaling pathwayの構成要素である遺伝子が多く含まれた。カルシウムシグナリングは種々のシグナル伝達経路の集約点に位置する非常に多様な役割を担っており、これらの遺伝子の発現低下は転写活性化の障害に大きな影響を与えていると考えられる。更に大脳では、Penk1, Npy, Cart, Sstなどの視床下部由来の神経ペプチドの発現低下も特徴的であり、行動解析の結果から視床下部の障害が示唆された点に合致した。他方小脳では、神経細胞の発生、分化、発達に関する遺伝子群が低下していた。本マウスでは病理学的にも神経細胞の萎縮やスパインの数の減少が報告されており、ヒトにおける小脳症状の発現にもこれらの遺伝子の発現異常による神経回路の形成不全が関与する可能性がある。先行研究では、上昇遺伝子の多くはストレス反応関連の遺伝子とされていたが、今回の検討では上昇遺伝子の大部分をnucleotide binding proteinや、蛋白修飾に関与する核内蛋白など生理的に重要な機能性タンパクが占め、単に反応性の上昇にとどまらない可能性が示唆された。更に今回の検討では、4週齢のQ129マウスで発現が一過性に上昇する一群の遺伝子群が大脳と小脳の双方で確認され、その多くはCdkn1a, Sgk, Trp53inp1, Tsc22d3, Agt等の細胞死とその制御に関する遺伝子であった。これらの変化は病初期の変異DRPLA蛋白の細胞毒性の発現とそれに対する神経保護機構の表出と考えられる。更に小脳では、RNAスプライシング、クロマチン構造、転写などの転写プロセスに関与する遺伝子も多く含まれ、発症早期から転写制御機能の異常が存在する可能性が示唆された。

(3)更に、神経系における転写制御は種々の刺激に応じて変動する動的なシステムであるため、これを薬剤刺激に対するFos mRNA発現の活性化という形で定量的に検討した。マウス腹腔内に15mg/kg、25mg/kgのカイニン酸を投与し、1,2h後に海馬を摘出してリアルタイム定量的RT-PCRでFos mRNAの上昇度を定量した。結果、8週齢のQ129 TgとnTg各群では、15mg/kg 、25mg/kg, 1h, 2h後いずれの条件でもTgはnTgに比しFosの上昇度が有意に低かった。更に12週齢と22週齢のQ113マウスで経時的変化を検討した (Fig8,9)。12週齢群では25mg/kg投与群には有意なFos低下は観察されなかったが、22週齢群では15mg/kg、25mg/kgの両方で有意にFos mRNA誘導が低下し、転写活性化障害が進行性に悪化した可能性が考えられた。更に、カイニン酸に先行してヒストン脱アセチル化酵素 (HDAC)阻害薬である酪酸ナトリウム (SB)を前投与し、このFos mRNA転写活性化障害がどのように変動するかを検討した。予備実験でSBの単独投与は濃度依存性にマウス海馬のアセチル化ヒストンH3を上昇させることを確認した。そこで12週齢Q113TgマウスにSB 1800mg/kgを投与し、20分後にカイニン酸15mg/kgを投与して1,2h後Fosを定量したところ、SB前投与群では非前投与群に比しFos上昇度が有意に改善した(Fig10)。カイニン酸は、細胞内へのカルシウム流入を介してCAMKやMAPKを介する経路を活性化、クロマチン再構成等を経てFosを誘導すると推測される (Fig11)。この経路が発現プロファイリングの結果から病態への関与が最も強く疑われたcalcium signaling pathwayと一致する部分が多いことは非常に興味深く、転写活性化障害には細胞内のCa恒常性の障害が関与することが示唆された。更にその障害はヒストンのアセチル化というエピジェネティックな転写制御機構に介入することより回復する可能性が示された。この点において、今回の結果はポリグルタミン病の治療研究に新たな側面を提示するものである。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はポリグルタミン病の一種である歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症(DRPLA)の病態機序を転写障害の観点から明らかにするため、ヒト変異DRPLA遺伝子全長が単一コピーで同一箇所に導入され、CAGリピート長のみ異なる4系統のDRPLAトランスジェニックマウスQ76、 Q96、 Q113、 Q129を用いて、行動表現型の解析、マイクロアレイによる遺伝子発現プロファイリングを用いた転写産物の変化の解析、薬剤投与による最初期遺伝子Fosの活性化を用いた転写活性化障害の定量的検証を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.各系統の生存期間及び体重は明確に導入遺伝子のリピート長に依存して短縮、減少した。 また加速ロタロッド試験, Beamwalking試験で運動協調性を評価したところ、Q129、Q113、Q96の各系統がリピート長依存性、週齢依存性の成績低下を示した一方、最短リピートのQ76はnTg (non-transgenic)との間に成績差を認めなかった。オープンフィールド試験では、Q129、Q113、Q96の3系統はリピート長依存性に新奇環境における活動性が低下した一方、Q76はnTgよりもむしろ有意に活動性が亢進していた。

2.Home cage内での活動を測定したところ、Q76はnTgと総運動量の差を認めず活動の概日リズムも保たれていたが、Q96、Q113、Q129マウスでは、暗時間における活動量が減少し、かつその程度はリピート長依存性に悪化した。更に、同一系統(Q113)で経時的に観察を行ったところ、週齢依存性に正常な睡眠覚醒リズムが失われた。

3.Tgマウス大脳、小脳の網羅的な発現解析を2種の異なるマイクロアレイプラットフォームを用いて解析した結果、双方の結果は互いに高い相関を示し、正の相関を示した遺伝子数は不の遺伝子数を大きく上回った。この結果から、cross-platform analysisはマイクロアレイ解析結果の網羅的かつハイスループットな確認の方法として信頼性が高いことが証明された。この手法を用いて、同週齢のnTgを対照としたDRPLAマウス大脳及び小脳の発現変動遺伝子数を算出した結果、その数はリピート長依存性に顕著に増加しており、マウスの表現型の重症度とよく相関することが示された。

4.週齢、リピート長に依存して発現が変動する遺伝子群を同定するため、Tg/nTgの発現比データを基に週齢および系統を変動因子とした2way-ANOVAを行い、両方のplatformで Interaction p-value<0.005であった遺伝子(大脳: 204遺伝子、小脳: 431遺伝子)を発現変動パターンによりクラスタリングし、各々のクラスターに付与されたGene ontologyを集計して属する遺伝子の機能、局在面の傾向を分析した。その結果大脳、小脳に共通して発現低下遺伝子の多数を占めたのはカルシウムイオン結合蛋白群であり、またcalcium signaling pathwayとその下流、phosphatidylinositol signaling system, MAPK signaling pathwayの構成要素である遺伝子が多く含まれた。更に大脳では、Penk1, Npy, Cart, Sstなどの視床下部由来の神経ペプチドの発現低下も特徴的であった。他方小脳では、神経細胞の発生、分化、発達に関する遺伝子群が低下していた。上昇遺伝子の多くは核酸結合蛋白や、蛋白修飾に関与する核内蛋白が占めていた。更に、4週齢のQ129マウスで発現が一過性に上昇する一群の遺伝子群が大脳と小脳の双方で確認され、その多くは大脳では細胞死とその制御に関する遺伝子であり、小脳では、RNAスプライシング、クロマチン構造、転写などの転写プロセスに関与する遺伝子も多く含まれた。

5.転写活性化障害を検討するため、マウス腹腔内に15mg/kg、25mg/kgのカイニン酸を投与し、1,2h後に海馬を摘出してリアルタイム定量的RT-PCRでFos mRNAの上昇度を定量した。結果、8週齢のQ129 TgとnTg各群では、15mg/kg 、25mg/kg, 1h, 2h後いずれの条件でもTgはnTgに比しFosの上昇度が有意に低く、DRPLAマウスではFosの発現活性化障害が存在することが示された。更に12週齢と22週齢のQ113マウスで経時的変化を検討した。12週齢群では25mg/kg投与群には有意なFos低下はなかったが、22週齢群では15mg/kg、25mg/kgの両方で有意にFos mRNA誘導が低下しており、障害が進行性に悪化した可能性が考えられた。

6.更に、カイニン酸に先行してヒストン脱アセチル化酵素 (HDAC)阻害薬である酪酸ナトリウム (SB)を前投与し、このFos mRNA転写活性化障害がどのように変動するかを検討した。予備実験でSBの単独投与は濃度依存性にマウス海馬のアセチル化ヒストンH3を上昇させること、またSBの単独投与ではFosが上昇しないことを確認した。12週齢Q113TgマウスにSB 1800mg/kgを投与し、20分後にカイニン酸15mg/kgを投与して1,2h後Fosを定量したところ、SB前投与群では非前投与群に比しFos上昇度が有意に改善した。

以上、本研究は詳細な行動解析により、DRPLAトランスジェニックマウス4系統がリピート長、週齢に依存した多様な表現型を示すことを明らかにし、更にその背景に存在する転写産物の変化をCross-platformの手法を用いた遺伝子発現プロファイリングで詳細に検討し、カルシウムシグナリング関連遺伝子や神経ペプチド類の発現低下が病態に関与する可能性を示した。またカイニン酸によるマウス海馬のFos mRNA発現誘導をモデルとして、DRPLAトランスジェニックマウスに転写活性化障害が存在すること、更にその障害がHDAC阻害薬の投与により回復する可能性を定量的に示した。これらの成果は、現在治療法のないポリグルタミン病に対して、転写活性化障害を標的とした治療法が効果をもたらす可能性を提示するものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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