学位論文要旨



No 123693
著者(漢字) 髙見,真子
著者(英字)
著者(カナ) タカミ,マコ
標題(和) γセクレターゼ : LC-MS/MSによるトリペプチド仮説の検証
標題(洋)
報告番号 123693
報告番号 甲23693
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3032号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 准教授 郭,伸
 東京大学 特任准教授 河崎,洋志
 東京大学 客員教授 田口,良
内容要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病 (Alzheimer's disease ; AD) は、初老期から老年期にかけて発症する進行性の認知症を特徴とする。神経病理学的特徴としては、無数の老人斑、神経原線維変化の出現と神経細胞の脱落がある。老人斑の構成成分であるアミロイドβタンパク質(amyloid β-protein ;Aβ)は、分子量約4,000の凝集性の高いタンパク質であり、アミロイド前駆体タンパク質 (β-amyloid precursor protein ;APP) がβおよびγセクレターゼと呼ばれる2種類のプロテアーゼによって切断されて産生される。まず、βセクレターゼがAPPの細胞外領域を切断することでAβのN末端側が生じ、つづいてγセクレターゼが膜貫通ドメインの中心部を切断(γ切断) することによりAβが産生され、細胞外に分泌される。この時、同時に膜貫通ドメインの細胞質側も切断 (ε切断) されることがわかり、C末端断片がAPPintracellular domain (AICD) として細胞質内に放出される。γ切断、ε切断ともに、γセクレターゼ阻害剤によって阻害され、また、ほとんどの場合、AICD産生が阻害される状況下ではAβの産生も阻害され、AICDの産生が増加する場合は、Aβ産生も増加することから、γ切断とε切断の間には密接な関連があると思われた。われわれの研究室では、培養細胞やトランスジェニックマウス (Tg2576) の脳内においてAβ1-43、45、46、48の存在を明らかにし、γ切断部位とε切断部位の間にもいくつかの切断部位が存在することを示した。また、培養細胞をγセクレターゼ阻害剤の一種であるDAPTで処理すると、Aβ40の減少とともにAβ43が、遅れてAβ46が、細胞内に蓄積することを見いだした。一方、Aβ1-52、50、49を発現させた細胞では、Aβ40の産生が多いのに対し、Aβ1-51、48を発現させた細胞ではAβ42の産生が多くなること、Aβ40を多く産生する細胞ではAICD50-99が多いのに対し、Aβ42を多く産生する細胞ではAICD49-99が多くなることを観察した。これらの結果から、Aβ40、43、46が相互に関係し、Aβ42、45、48が相互に関係しているのではないかと考えられた。

そこで、以上の観察に基づき、われわれはトリペプチド仮説を提唱した。それは、γセクレターゼによるAPPの切断は、ε切断が起こったあとに、膜貫通ドメインのαへリックス構造 (1ターンは3.6残基) にそって3残基ごとに連続的に起こるという仮説である。しかしながら、これまでの研究では、産生されたAβの種類をウエスタンブロット法で確認し、AICDの種類をマトリックス支援レーザー脱離イオン化-飛行時間型質量分析法 (matrix-assisted laser desorption/ ionization time-of-flight mass spectrometry ; MALDI-TOF MS) によって検出し、その関係をみているだけであり、これらの結果からだけでは、間接的証明と言わざるを得ない。そこで、本研究では、このトリペプチド仮説を検証するために、liquid chromatography-mass spectrometry/mass spectrometry (LC-MS/MS) を用いてトリペプチドを反応液中に直接的に検出、定量する方法を確立し、APPの膜貫通ドメインから遊離されると想定される5種類のトリペプチド (IAT、VIV、ITL、TVI、VIT) の存在を証明しようと試みた。

まず、LC-MS/MSを用いて夾雑物の多いサンプル中の微量のトリペプチドを検出できる条件を確立した。この条件を用いて、無細胞Aβ産生系で5種類のトリペプチドを検出、定量した。

CHO細胞にγセクレターゼの基質であるβCTFを発現させた細胞の膜画分を37゜C で20分間インキュベーションしたところ、インキュベーション前とくらべて、予想した5種類のトリペプチドはすべて著しく増加した。このトリペプチドの増加がγセクレターゼによる産生であることを確認するため、γセクレターゼ阻害剤を添加したサンプルについて解析した結果、VIT以外は約50%抑制された。これらのことから、37゜Cでインキュベーションすることで確認されたIAT、VIV、ITL、TVIの増加の少なくとも一部は、βCTFがγセクレターゼにより切断されることによって産生されたと考えられた。しかし、γセクレターゼは、それ以外の部分での切断をしないのかどうかを確認する必要がある。そこで、1残基ずつずらしたトリペプチドを含む、7種類のトリペプチド (VVI、ATV、IVI、TLV、GVV、VIA、LVM) についてもLC-MS/MSを用いて検出、定量した。その結果、すべてのトリペプチドが37゜Cインキュベーションによって増加した。そのうち、GVV、VVI、ATV、TLVの増加は、γセクレターゼ阻害剤を添加しても減少しないので、γセクレターゼによるものではないと結論した。それ以外のVIA、LVM、IVIは20分間のインキュベーションで増加し、γセクレターゼ阻害剤の添加で産生が抑制されることから、γセクレターゼにより切断されて生じたペプチドの可能性は否定できない。CHO細胞の膜画分には、βCTF、γセクレターゼ以外にも多くのタンパク質、おそらくプロテアーゼも夾雑しているため、βCTF以外のタンパク質からγセクレターゼ以外のプロテアーゼによって分解された同じ配列をもつトリペプチドも検出してしまう可能性があると考えられた。そこで、γセクレターゼのCHAPSO可溶化・再構成Aβした。CHAPSO可溶化/再構成Aβ産生系では、基質は精製したβCTFのみであ産生系を用いて、検討をおこなうことにした。CHAPSO可溶化/再構成Aβ産生系では、基質は精製したβCTFのみであり、酵素源としては、CHO細胞に存在するγセクレターゼをCHAPSO可溶化後に、ニカストリンに対する抗体で免疫沈降したものを使用する。したがって、ほとんど夾雑物のない、酵素と基質のみが存在する系を構築することが可能である。この系でも時間依存的にAICD50-99、49-99と、Aβ1-40、42、43、45、48、49が産生されるので、γセクレターゼの基本的な性質は保存されていると考えた。そこで、これらのサンプルをLC-MS/MSで解析したところ、インキュベーション前のサンプルでは、IVI以外のトリペプチドはほとんど検出されなかった。37゜Cで1時間インキュベーションしたサンプルでは、予想した5種類のトリペプチドはすべて著しく増加するのに対して、それ以外の7種類のトリペプチドはほとんど増加しなかった。また、この系にγセクレターゼ阻害剤であるL685,458またはDAPTを添加して1時間インキュベーションしたサンプルについては、これら5種類のトリペプチド産生はほぼ完全に抑制された。これらの結果から、γセクレターゼによってβCTFから産生されるトリペプチドは、IAT、VIV、ITL、TVI、VITの5種類であることが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、γセクレターゼによるAβ産生経路の機序としてトリペプチド仮説を提唱し、これを検証するために、LC-MS/MSによるトリペプチドの検出、定量を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.LC-MS/MSによるトリペプチドの測定条件について検討した。その結果、無細胞Aβ産生系サンプルでは、目的とするピークの合成標品の溶出時間とサンプル内のトリペプチドの溶出時間がずれるという現象が観察された。また、同じ前駆イオン、プロダクトイオンをもつピークが、定量すべきピーク付近に複数みられるという問題も生じた。これらの問題点は次の2種類の方法を用いて確認することで解決した。第一には、無細胞Aβ産生系サンプルに合成標品を加えた溶液をLC-MS/MSにかけて正確な溶出時間を確認する方法で、第二の方法は、1つのトリペプチドの前駆イオンに対して、プロダクトイオンを2つ選択し、その2つのプロダクトイオンの比を求める方法である。これらの方法によって、夾雑物の多いサンプル中の微量のトリペプチドを検出できる条件を確立した。

2.LC-MS/MSを用いて、無細胞Aβ産生系サンプルを解析した結果、トリペプチド仮説に基づいて遊離してくると予想される5種類のトリペプチド (IAT、VIV、ITL、TVI、VIT) を検出、定量することができた。37゜Cで20分間インキュベーションすると、5種類のトリペプチドはインキュベーション前に比べて大幅に増加し、この増加は、VIT以外のIAT、VIV、ITL、TVIでは、γセクレターゼ阻害剤であるL685,458とDAPTにより大きく阻害された。以上の結果は、これらIAT、VIV、ITL、TVIのトリペプチドの遊離がγセクレターゼ依存的であることを強く示唆している。

3.トリペプチド仮説に基づいて遊離してくると予想した5種類のトリペプチドが、γセクレターゼによって特異的に産生されているのかを調べるため、1残基ずつずらしたトリペプチドなど異なる7種類のトリペプチドについても測定をおこなった。ウエスタンブロットで検討した結果では、無細胞Aβ産生系においては、Aβ40、42、43、45、46、48、しか同定されず、少なくとも1残基ずれた位置ではγセクレターゼによる切断が起こらないはずである。しかし、LC-MS/MSによる定量の結果、予想以外の7種類すべてのトリペプチドが検出された。ただ、これらのトリペプチドはインキュベーションによって増加しない、L685,458またはDAPTによって抑制されない、前の5種類のトリペプチドよりも量が少ない等の理由から、おそらくγセクレターゼによるβCTFの切断によって出現したものではないと考えられた。

4.LC-MS/MSを用いて、CHAPSO可溶化/再構成Aβ産生系サンプルを解析した結果、トリペプチド仮説に基づいて遊離してくると予想されるトリペプチド5種類を検出、定量することができた。この系でも、37゜Cでインキュベーションすることにより5種類のトリペプチドの著しい増加がみられた。特に、この系では、予想された切断部位から1残基ずれたトリペプチドはほとんど検出されず、またγセクレターゼ阻害剤によってトリペプチドの産生がほぼ完全に抑制されたので、CHAPSO可溶化/再構成Aβ産生系で観察された5種類のトリペプチドは、γセクレターゼによるβCTFの切断によって産生されたものであると結論した。

以上、本論文はLC-MS/MSを用いて、トリペプチド仮説に基づいて遊離されてくるトリペプチドを検出、定量し、これらがγセクレターゼによる切断によって産生されてきたものであることを明らかにした。本研究は、LC-MS/MSを用いることにより、これまでに検出できなかった微量のトリペプチドの存在を証明し、今後γセクレターゼの切断機序の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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