学位論文要旨



No 123696
著者(漢字) 原,信子
著者(英字)
著者(カナ) ハラ,ノブコ
標題(和) 高次聴覚認知における知覚的範疇化の神経機構 : fMRI・TMSによる複合的検討
標題(洋)
報告番号 123696
報告番号 甲23696
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3035号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山岨,達也
 東京大学 教授 斉藤,延人
 東京大学 准教授 中田,隆夫
 東京大学 講師 川合,謙介
 東京大学 講師 湯本,真人
内容要旨 要旨を表示する

ヒトにおける言語機能の特殊性は、発声器官を精密に制御する運動能力と伝達内容の豊富さをカバーする高度な処理能力にある。また、ヒトでの音による情報伝達のもう一つの重要な様態に音楽がある。音楽機能の生物学的意義は未解明であるが、社会性や情動と関連するとされる。複雑な構成を持つ音楽の産生、あるいは音楽による豊富な伝達内容の処理に対しては、言語の複雑化におけると同じく高い情報処理能力を持つ脳機能が必須である。

音声知覚については、言語音と楽音では異なった脳内処理過程をたどるというのが通説である。言語音では、音韻処理(BA22)、語彙-意味処理(BA21)の過程を経て文法や構文(BA44, 45, 39)に至るまで、脳内地図の概要は示されているものの、各過程の詳細は未解明な部分も多い。楽音については、音楽心理学で示された情報処理過程の脳内機能分化はほとんど解明されていない。言語音と楽音は研究上しばしば別個の分野で扱われることが多いが、音声の知覚の脳内処理には多くの共通の神経機構が用いられている。こうしたヒトの音声処理過程の中で特徴的な点は、物理的には異なる音信号を、高次の認知過程では同一の音声情報としてグループ化する現象(知覚的範疇化)である。例えば、女性と男性の発声では周波数などのパラメータは大きく異なるが、同じ単語を発話すれば同じ単語として認知される。また、英語の/r/と/l/や/b/と/v/の組み合わせは、互いに異なる音素でありながら、日本語を母国語とする話者には同一の言語音として知覚される。さらに楽音では、2:1の周波数比にある音同士に知覚的な類似性(オクターブ関係)があり、同一の音名に帰せられる。ソルフェージュテストの際などに、オクターブ関係にある楽音が混同して知覚されるオクターブエラーが生じるのはこの性質に由来するとされる。こうした知覚的範疇化の過程は、外界の音の物理的性質を直接的に反映する神経活動から、音韻情報の高次処理への中継に相当すると考えられる。したがって、語音と楽音の脳内処理過程の双方において、知覚的範疇化の様態を検討することは、音韻情報の脳内処理過程の初期段階を理解する上で重要である。

本研究では、ヒトの認知過程で起こる知覚的範疇化に着目し、言語音・楽音それぞれで、(1)機能的磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging: fMRI)を用いた研究手法によるアプローチにより、この心理現象が脳内に局在可能かどうかを明らかにし、(2)局在化し得た機能についてはその脳内地図の詳細を解明することを目的とした。

言語音知覚については、先に指摘した日本語を母語とする正常被験者での/r/と/l/の知覚的範疇化の実験課題を用いて、その脳内機構を解明することを目指す実験を行った。言語音と楽音のいずれにおいても、心理的実験課題としてはプライミング効果を利用した反応時間課題を用い、fMRIと組み合わせた。なお、プライミング効果とは、刺激が次々に提示される反応時間課題において、二つの類似刺激が提示された場合に、先行(プライム)刺激と比べて後続(ターゲット)刺激に対する反応時間の短縮や誤答率の低下が生じることを指す。

この結果、語彙性があるときのみプライミング効果が現れるという行動実験での結果と一致して、単語の同一反復、/r/と/l/をとりかえた単語ペア(minimal pair)の提示のいずれの条件でも、両側の中側頭回・上側頭回で反復抑制が観察された。その一方、語彙性のない偽単語に対しては、反復抑制に相当する局所脳活動の有意な変化は認められなかった。以上の結果から、知覚的範疇化を実現する脳内情報処理機構が、両側の中側頭回・上側頭回を含む神経回路にあることが示唆された。これらの領域は、プライミングを用いずに言語音と非言語音の比較などの手法によって行われた先行研究で明らかにされてきた領域とほぼ一致している。新たな知見としては、単語での反復抑制のピーク座標が、同一単語の場合では中側頭回に見られたのに対して、minimal pairの提示条件でより前方に遷移していたことである。同一音での知覚的範疇化がたんなる刺激の反復による馴化の要素をも含んでいる可能性が高いことに比較して、minimal pairでの言語音の知覚的範疇化が側頭葉のより前方の領域の活動を伴っていたことは、その部位がより抽象的な高次の音韻の範疇化処理に関与すると考えられる。また、語彙性のない偽単語では、プライミング効果も反復抑制も認められなかったことは、親和度の低い刺激を用いた場合にはプライミング効果が現れないという既報告と一致する所見である。偽単語において、同一単語が繰り返されても、プライミング効果も反復抑制も認められなかったという結果は、本研究で対象とした語彙性のある単語特異的に見られた知覚的範疇化が、同一音の反復による馴化とは異なった情報処理過程を反映している可能性を示唆している。語彙性の有無と交互作用を認めるということは、知覚的範疇化に対しては、一次聴覚野よりも高次の二次聴覚野や連合野の関与が大きいと推定される。

楽音については、楽音の音程の知覚的範疇化の特殊事例として絶対音感能力に関連した脳部位を明らかにするための実験を行った。さらに、MRI画像を用いた脳の形態計測による絶対音感保持者と非保持者の比較および経頭蓋的磁気刺激法(Transcranial magnetic stimulation: TMS)によって局所脳機能を一時的・可逆的に阻害してその行動上の影響をみる実験を行った。

脳機能画像実験では、反復抑制効果と被験者群間で交互作用を調べた結果、同一和音の繰り返し提示では交互作用がなかったが、オクターブ関係にある和音の提示では右上側頭溝、左下頭頂葉に反復抑制効果の違いが見られた。さらに、形態計測実験からは絶対音感保持者で左側頭平面の大きさが大きいことが分かった。これらの部位に対するTMS実験の結果、右上側頭溝に対する磁気刺激では、刺激後に調性判断課題におけるプライミング効果が消失した。左下頭頂葉に対する磁気刺激では、磁気刺激前後でプライミング効果には変化がなかったが、刺激後に音-音符マッチング課題の反応時間の遅延が見られた。また、左側頭平面に対する磁気刺激では、プライミング効果、反応時間ともに変化がなかった。このことは、右上側頭溝、左下頭頂葉が絶対音感知覚に関与することを示している。

本研究では、ヒトの認知過程上の現象である知覚的範疇化に着目し、語音と楽音の認知の初期過程において、知覚的範疇化に関連した局所脳活動が二次聴覚野ないしより高次の連合野に存在することを示した。また楽音認知における知覚的範疇化については、形態計測実験およびTMSによって、その脳内地図の詳細を明らかにした。ただし、fMRIによって得られたこの結果は、知覚的範疇化の神経機構がそれ以外の脳部位、たとえば一次聴覚野などのより低次の情報処理過程で、すでに働いていることを完全に否定するものではない。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、ヒトの音声認知過程で起こる知覚的範疇化に着目し、言語音・楽音それぞれで、(1)この心理現象が脳内に局在可能かどうかを明らかにし、(2)局在化し得た機能についてはその脳内地図の詳細を解明することを目的として、機能的磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging: fMRI)を用いた研究手法によるアプローチを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.言語音知覚については、日本語を母語とする正常被験者では/r/と/l/が同じ[R]と知覚される知覚的範疇化の実験課題を用いて、プライミング効果を利用した反応時間課題を適用し、語彙性があるときのみ単語の同一反復、/r/と/l/をとりかえた単語ペア(minimal pair)双方でプライミング効果が現れるということを示した。

2.心理実験での結果と一致して、fMRI実験により同一反復、minimal pairの提示のいずれの条件でも、両側の中側頭回・上側頭回で反復抑制が観察された。その一方、語彙性のない偽単語に対しては、反復抑制に相当する局所脳活動の有意な変化は認められなかった。以上の結果から、知覚的範疇化を実現する脳内情報処理機構が、両側の中側頭回・上側頭回を含む神経回路にあることが示唆された。

3.単語での反復抑制部位が、同一単語では中側頭回だったのに対して、minimal pairではより前方に遷移していた。同一単語での知覚的範疇化は、同一音反復による馴化の要素を含んでいる可能性が高い。これに対して、minimal pairでの反復抑制が側頭葉のより前方の領域の活動と関連していたことは、その部位がより高次の音韻の範疇化処理に関与することを示唆する。同一の偽単語の反復では、プライミング効果も反復抑制も認められなかったという結果は、単語での知覚的範疇化が、馴化とは異なった情報処理過程を反映するという仮説と一致する。知覚的範疇化は、語彙性と交互作用を認めることから、一次聴覚野よりも高次の聴覚関連領野に関連した機能であると推定された。

4.楽音知覚については、通常は基準音無しに音名同定ができる絶対音感保持者が、オクターブ関係にある楽音の音名を混同して知覚する知覚的範疇化の実験課題を用いて、同一音名に帰せられる音の反復提示を利用した反応時間課題を適用した。この結果、絶対音感非保持者と比較して、絶対音感保持者でのみ、プライミング効果を認めた。

5.心理実験の結果と一致して、fMRI実験での反復抑制は絶対音感保持者特異的に観察された。すなわち、反復抑制効果と被験者群間で交互作用を調べた結果、同一和音の繰り返し提示では交互作用がなかったが、オクターブ関係にある和音の提示では右上側頭溝、左下頭頂葉に反復抑制効果の違いが見られた。この結果は、これらの部位が、絶対音感に機能的に関与することを示唆する。また、絶対音感能力の解剖学的な手法での検討として、MRI画像を用いた脳の形態計測実験を行い、絶対音感保持者で左側頭平面の体積が大きく、右側頭平面が小さいことを明らかにした。

6.絶対音感保持者を対象として、これら三つの部位に対する経頭蓋的磁気刺激法(Transcranial magnetic stimulation: TMS)により局所脳機能を一時的・可逆的に阻害してその行動上の影響をみた。右上側頭溝へのTMSは、調性判断課題でのプライミング効果を消失させた。左下頭頂葉へのTMSは、プライミング効果に影響せず、音-音符マッチング課題の反応時間を遅延させた。左側頭平面へのTMSは、プライミング効果、反応時間に影響しなかった。この結果は、脳機能画像実験の結果と一致し、右上側頭溝と左下頭頂葉が、絶対音感保持者での音名同定に関与する可能性を示しており、楽音での知覚的範疇化に機能的に重要であると推察される。

以上、本論文はヒトの言語音・楽音認知過程で起こる知覚的範疇化に着目し、脳機能画像を用いて、語音と楽音の認知の初期過程において、知覚的範疇化に関連した局所脳活動が二次聴覚野ないしより高次の連合野に存在することを示した。また楽音認知における知覚的範疇化については、形態計測実験およびTMSをも複合的に用いて、その脳内地図の詳細を明らかにした。本研究はこれまでに知見の乏しかった、音声言語の知覚的範疇化の際に働く、言語音・楽音認知メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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