学位論文要旨



No 123697
著者(漢字) 日出山,拓人
著者(英字)
著者(カナ) ヒデヤマ,タクト
標題(和) 筋萎縮性側索硬化症におけるRNA編集異常の病因的意義の検討
標題(洋)
報告番号 123697
報告番号 甲23697
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3036号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 山岨,達也
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
 東京大学 准教授 中田,隆夫
内容要旨 要旨を表示する

序章

筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis,以下ALS)は,脊髄前角運動ニューロンと大脳運動領皮質錐体細胞の変性,脱落により錐体路障害及び進行性の四肢筋萎縮による筋力低下,球麻痺が進行し,2-3年の経過で呼吸不全により死に至る変性疾患である.ALSの9割以上が孤発性である.

孤発性ALSの原因は未解明であるが,現在最有力の仮説がグルタミン酸による興奮性神経細胞死仮説である.長年にわたりAMPA受容体を介する神経細胞死がALSに関与することを示唆する知見が蓄積しており,AMPA受容体の機能異常がALSの病因と関連する可能性が探索されてきた.なかでも,Kwakらにより見いだされたAMPA受容体サブユニットであるGluR2 Q/R 部位のRNA編集異常は孤発性ALS運動ニューロンへの特異性と神経細胞死を引き起こす直接原因となる分子変化であることから,孤発性ALSの運動ニューロン死の原因である可能性が高く,病因とも深く関連すると考えられる.

AMPA受容体を介する神経細胞死は,この受容体チャネルからの過剰なCa2+流入に引き続いて起こることが培養細胞で明らかにされている.また,AMPA受容体はGluR1~4の4種のサブユニットからなる4量体で,Ca2+透過性はGluR2 サブユニットが含まれるかどうかにより決まる. GluR2 を1個以上含むAMPA受容体はCa2+非透過性で,含まない場合はCa2+透過性である. Kwakらは,これらのCa2+透過性に関わるAMPA受容体の分子変化を孤発性ALS剖検脊髄で検討し,正常群とGluR2 mRNA発現量には変化がないが, GluR2 Q/R部位のRNA編集率低下が認められること,さらにlaser microdissectorを用いた単一ニューロンレベルの検討において,孤発性ALSの脊髄運動ニューロンに選択的に生じていること,これが他の神経変性疾患の変性ニューロンには見られないことを示した.さらに,KunerらのCa2+透過性AMPAレセプター・サブユニットGluR-B(N)ミニ遺伝子を導入した変異マウスは, 12ヵ月齢以降に脊髄運動ニューロンの減少を示すこと,孤発性ALSの前角組織の少数例の検討では,adenosine deaminase acting on RNA type 2 (以下ADAR2) 活性を規定する因子の一つであるGluR2 Q/R 部位のRNA編集を特異的に触媒するADAR2の発現量が減少していること,脳虚血による遅発性神経細胞死では,海馬CA1錐体細胞のADAR2 mRNA発現低下によるGluR2 Q/R部位RNA編集低下が引き起こされていることを示したとことを考え合わせると,孤発性ALS脊髄運動ニューロンに見られるGluR2 Q/R部位のRNA編集異常は神経細胞死を引き起こす直接の原因であり,しかも運動ニューロンはこの分子変化に最も脆弱であると考えられる.これらは少数例のALSに疾患特異的分子変化として見出されたGluR2Q/R 部位のRNA編集異常が広く孤発性ALSの病因であることを強く示唆する.また,HiguchiらのADAR2ノックアウトマウスは,脳のGluR2 Q/R 部位のRNA編集率が著減し,痙攣重積で死亡するが,ADAR2なしに編集型GluR2 をコードするミニ遺伝子GluR-B(R)を導入すると正常化する.

目的

以上から, ADAR2活性低下が孤発性ALSの運動ニューロン死を引き起こす,という仮説を立て,以下の項目について検討した.

1)疾患特異性の検討

1-1)多数例の孤発性ALS症例の検討により,病型や罹病期間,発症年齢を問わず孤発性ALSと診断された症例全てに共通する分子変化かどうかを明らかにする.

1-2)孤発性ALS以外の運動ニューロン病の検討により運動ニューロン死全般に生ずる非特異的分子変化の除外を目的とし,トリプレット病である球脊髄性筋萎縮症(以下SBMA)と家族性ALS1ラットモデルの運動ニューロンにおけるGluR2 Q/R 部位のRNA編集率を測定する.

1-3)GluR2 Q/R 部位のRNA編集に特異的に関わるADAR2活性低下の有無を検討するために,ADAR2 mRNA発現量,GluR2 Q/R部位以外のADAR2 基質の編集率を測定する.

2)ADAR2 コンディショナルノックアウトマウスにおける検討

2-1)ADAR2 活性低下がGluR2 Q/R 部位のRNA編集異常を引き起こすか.

2-2)ADAR2 活性低下により神経細胞死が起こるか.

2-3)ADAR2 活性低下は孤発性ALSにおける運動ニューロン死の直接原因となりうるか.

第1章 ヒト剖検脳脊髄組織を用いた検討

1.1 材料と方法

ヒト剖検脳脊髄前角組織及びlaser microdissectorで切り出した単一脊髄運動ニューロンを用いて,正常対照(n=12),孤発性ALS(29例(四肢型 18例(経過13年の臨床的SPMA1例を含む),球麻痺型 8例,ALS痴呆(ALS-D) 2例,basophilic inclusion bodyが出現する若年発症例 1例),孤発性ALS以外の運動ニューロン病であるトリプレット病の球脊髄性筋萎縮症(以下SBMA)(n=3)と家族性ALS1ラットモデル(SOD1G93AおよびSOD1H46R,各n=3)の運動ニューロンで,1)GluR2 Q/R 部位のRNA編集率,2)GluR2 Q/R部位以外の既知のADAR2基質であるGluR6 Q/R部位,kv1.1 I/V部位などの編集率,3)孤発性ALSの前角においてADAR2 mRNA発現レベルとADAR2 基質の編集率の相関を検討した.

1.2 結果と考察

前角でGluR2 Q/R部位の編集低下が認められるのは臨床病型に関わらず,孤発性ALSと診断された症例のみであること,SBMAと家族性ALS1ラットモデルの単一運動ニューロンの同部位の編集率は正常群同様に100%であることから疾患特異的な分子変化であり,運動ニューロン死に生ずる非特異的な分子変化である可能性が除外された.孤発性ALSの前角特異的にADAR2発現レベルが有意に低下し,GluR6 Q/R部位の編集率の低下がみられたことから支持され, GluR2 Q/R部位の編集率に相関がみられることから, ADAR2活性が低下していると考えられた.

以上の結果は,孤発性ALSは,ADAR2活性低下によりGluR2 Q/R部位のRNA編集が低下することで神経細胞死が生じる,という仮説に矛盾しない.

第2章 ADAR2コンディショナルノックアウトマウスにおけるADAR2仮説の検証

2.1方法

上述したHiguchiらの全身的ADAR2ノックアウトマウスは,GluR2 Q/R部位の編集が10%に低下し,生後20日以内に痙攣重積で死に至るが,この時間経過はALSに見られるものとは異なり,神経の過剰興奮に伴う痙攣に伴う非特異的細胞死と考えられ,ADAR2活性低下が直接に神経細胞死を引き起こすかどうかは明らかではなかった.そこで非特異的痙攣死を避けるために,ADAR2のコンディショナルノックアウトマウスを作製し,ADAR2 活性低下が,孤発性ALS運動ニューロンに見られる GluR2 Q/R部位のRNA編集異常と緩徐進行性運動ニューロン死を引き起こすかどうか,を検討した.

ADAR2活性基であるdeaminase domainを2個のLoxPで挟んだADAR2flox alleleをホモに持つ変異マウス(ADAR2flox/flox)を作成し,運動ニューロン選択的に小胞性アセチルコリントランスポーターのプロモータによりCre recombinaseを異なった時期に発現する2系統の変異マウス(VAChT-Cre.Fast と-Cre.Slow)との交配により,ADAR2 flox/flox/VAChT-Cre.Fast(n=28)と-Cre.Slow(n=33)を作製した.

2.2 結果

コンディショナルノックアウトマウスの運動ニューロンでCreによるADAR2flox allele の遺伝子組み替えが生じて, Creの発現に伴い活性基を欠如したADAR2flox の遺伝子産物を発現すると予想される.これをISH,PCR法にて確認した.これらのニューロンは約40%を占め,全てGluR2 Q/R部位の編集率が0%に低下しており, ADAR2タンパクが発現していないことを免疫組織化学で確認した.

これらのノックアウトマウスは,5-8週齢以降に緩徐進行性に運動機能の低下を示し,生存期間もコントロール群に比べ有意に短縮し(median survival ± SEM;81.5±16.4 週 versus コントロール群 105.1 ± 13.5 週;P=0.0262, Log-rank analysis),緩徐進行性に2ヶ月齢以降,変性・脱落が約40%の運動ニューロンに生じた.

2.3 考察

ADAR2活性の消失により,GluR2 Q/R部位のRNA編集が欠如し,緩徐進行性の運動ニューロン死を引き起こすことを初めて示した.緩徐進行性の経過は孤発性ALSの臨床経過に酷似する.

総括

剖検組織の検討から孤発性ALS運動ニューロンに生じているGluR2 Q/R 部位のRNA編集率低下が疾患特異的であり,編集酵素ADAR2の活性低下によりもたらされた可能性が高いことを示した.ADAR2のコンディショナルノックアウトマウスを開発し,ADAR2欠損が緩徐進行性の運動ニューロン死の直接原因になることを示した.以上から孤発性ALS運動ニューロンに見られるGluR2 Q/R 部位のRNA編集異常は,ADAR2活性低下によること,緩徐進行性の神経細胞死の直接原因であることが示され,「孤発性ALSのADAR2仮説」に矛盾しない結果を得た.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は孤発性筋萎縮性側索硬化症(以下ALS)における選択的神経細胞死のメカニズムを明らかにするため,興奮性神経細胞死仮説に基づき,孤発性ALS患者剖検脊髄前角組織におけるAMPA受容体サブユニットGluR2 Q/R部位のRNA編集異常の疾患特異性を様々な病型の孤発例および家族性ALSを含む運動ニューロン疾患との対比により単一運動ニューロンレベルで示した.さらに,この分子変化が同部位のRNA編集に特異的に関わるADAR2 の活性低下によりもたらされることを患者組織におけるADAR2 発現レベル及び各種基質のRNA編集率の検討から明らかにした.その上でこの分子変化が神経細胞死に直接関わることをADAR2のコンディショナルノックアウトマウスを作成することで証明したもので,下記の結果を得ている.

1. 前半では,ヒト剖検脳脊髄前角組織及びlaser microdissectorで切り出した単一脊髄運動ニューロンを用いて,正常対照(n=12),孤発性ALS(29例(四肢型 18例(経過13年の臨床的SPMA1例を含む),球麻痺型 8例,ALS痴呆(ALS-D) 2例,basophilic inclusion bodyが出現する若年発症例 1例),孤発性ALS以外の運動ニューロン病であるトリプレット病の球脊髄性筋萎縮症(以下SBMA)(n=3)と家族性ALS1ラットモデル(SOD1G93AおよびSOD1H46R,各n=3)の運動ニューロンで,1)GluR2 Q/R 部位のRNA編集率,2)GluR2 Q/R部位以外の既知のADAR2基質であるGluR6 Q/R部位,kv1.1 I/V部位などの編集率,3)孤発性ALSの前角においてADAR2 mRNA発現レベルとADAR2 基質の編集率の相関を検討した.

その結果,前角でGluR2 Q/R部位の編集低下が臨床病型に関わらず,孤発性ALSと診断された症例全例にみられること,SBMAと家族性ALS1ラットモデルの単一運動ニューロンの同部位の編集率は正常群同様に100%であった.故に疾患特異的な分子変化であり,運動ニューロン死に生ずる非特異的な分子変化である可能性が除外された.GluR2 Q/R 部位のRNA編集を特異的に触媒するADAR2 mRNA の発現量は,孤発性ALSの前角特異的に有意に低下し,GluR2 Q/R部位の編集率との間に相関がみられること,GluR6 Q/R部位の編集率の低下がみられたことから,孤発性ALS運動ニューロンではADAR2活性が低下していると考えられた.

以上の剖検組織の検討から孤発性ALS運動ニューロンに生じているGluR2 Q/R 部位のRNA編集率低下が疾患特異的であり,編集酵素ADAR2の活性低下によりもたらされた可能性が高いことを示した.

2. 後半では,前半の結果をふまえ,孤発性ALSは,ADAR2活性低下によりGluR2 Q/R部位のRNA編集が低下することで神経細胞死が生じる,という仮説(孤発性ALSのADAR2仮説)を立て,この仮説を検証するために運動ニューロン選択的なADAR2のコンディショナルノックアウトマウスを作製し,ADAR2 活性低下が,孤発性ALS運動ニューロンに見られる GluR2 Q/R部位のRNA編集異常と緩徐進行性運動ニューロン死を引き起こすかどうか,を検討した.ADAR2活性基であるdeaminase domainを2個のLoxPで挟んだADAR2flox alleleをホモに持つ変異マウス(ADAR2flox/flox)を作成し,運動ニューロン選択的に小胞性アセチルコリントランスポーターのプロモータによりCre recombinaseを異なった時期に発現する2系統の変異マウス(VAChT-Cre.Fast と-Cre.Slow)との交配により,

ADAR2 flox/flox/VAChT-Cre.Fast(n=28)と-Cre.Slow(n=33)を作製した.

その結果,コンディショナルノックアウトマウスの運動ニューロンでCreによるADAR2flox allele の遺伝子組み替えが生じて,Creの発現に伴い活性基を欠如したADAR2flox の遺伝子産物を発現すると予想される.これをISH,PCR法にて確認した.これらのニューロンは約40%を占め,全てGluR2 Q/R部位の編集率が0%に低下しており, ADAR2タンパクが発現していないことを免疫組織化学で確認した.これらのノックアウトマウスは,5-8週齢以降に緩徐進行性に運動機能の低下を示し,生存期間もコントロール群に比べ有意に短縮し(median survival ± SEM;81.5±16.4 週 versus コントロール群 105.1 ± 13.5 週;P=0.0262, Log-rank analysis),緩徐進行性に2ヶ月齢以降,変性・脱落が約40%の運動ニューロンに生じた.

以上から, ADAR2活性の消失により,GluR2 Q/R部位のRNA編集が欠如し,緩徐進行性の運動ニューロン死を引き起こすことを初めて示した.緩徐進行性の経過は孤発性ALSの臨床経過に酷似する.

以上のように,剖検組織の検討から孤発性ALS運動ニューロンに生じているGluR2 Q/R 部位のRNA編集率低下が疾患特異的であり,編集酵素ADAR2の活性低下によりもたらされた可能性が高いことを示した.ADAR2のコンディショナルノックアウトマウスを開発し,ADAR2欠損が緩徐進行性の運動ニューロン死の直接原因になることを示した.以上から孤発性ALS運動ニューロンに見られるGluR2 Q/R 部位のRNA編集異常は,ADAR2活性低下によること,緩徐進行性の神経細胞死の直接原因であることが示され,「孤発性ALSのADAR2仮説」に矛盾しない結果を得た.これらの結果は,患者剖検組織を用いて孤発性ALSに疾患特異的な分子変化を見出し,この知見を基にモデル動物を開発することで病因との関連を明らかにしたもので,極めて独創性が高く,得られた知見の質も高いものであり,孤発性ALSの病態解明,治療法開発に向けて重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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