学位論文要旨



No 123699
著者(漢字) 吉河,学史
著者(英字)
著者(カナ) ヨシカワ,ガクシ
標題(和) ラット線条体における虚血損傷後の神経再生
標題(洋)
報告番号 123699
報告番号 甲23699
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3038号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 准教授 郭,伸
 東京大学 准教授 関野,祐子
 東京大学 准教授 百瀬,敏光
 東京大学 講師 張,京浩
内容要旨 要旨を表示する

従来、成熟哺乳類の脳内では神経再生は生じないとされてきたが、自己複製能および多分化能を有した神経幹細胞の存在が明らかになってから、これら内在性神経幹細胞を賦活することにより脳卒中などで損傷を受けた中枢神経組織を修復する試みがなされてきている。内在性神経幹細胞が豊富にあり、持続的に神経新生が生じている部位として前側脳室下帯(anterior subventricular zone, SVZ)及び海馬歯状回における下顆粒層が挙げられ、これらの部位における神経幹細胞は生理的状況下だけでなく、種々の中枢神経損傷時に応答して活性化し、増殖分裂した新生神経細胞がそれぞれの標的部位(嗅球及び海馬歯状回)へ供給されることが判明している。そのような本来の標的部位以外、つまり恒常的に新生神経細胞が供給される場所ではない"non-neurogenic region"においては、種々の損傷時に応答して増殖分裂を経た神経細胞が再生するという報告が近年散見されるようになってきたが、損傷に対する修復、回復の程度や、長期間経過したその時間的変化、損傷部位を構成しているさまざまな性質の神経細胞の応答の違い、細胞レベル及び個体レベルでの機能回復過程、などについてはいまだ明らかとはなっていない。本研究では虚血性脳損傷に注目し、それに応答した内在性神経幹細胞の増殖分裂を成長因子の投与によりさらに賦活化させ、その結果虚血損傷を受けた"non-neurogenic region"である線条体においてその後神経細胞がどの程度、どのようにして回復するのか、線条体を構成している各neural phenotypeは時間経過でどのような変化をきたすのかを免疫組織化学的に検証し、またそれら線条体神経細胞の細胞レベルの機能評価について電気生理学的にパッチクランプ法を用いて膜特性を時間経過を追って検証するとともに、個体レベルでの神経機能の変化を行動実験を行って検証した。

用いたモデルはラットの一過性全脳虚血後に生じる線条体での神経細胞死で、虚血後2日後には線条体での残存神経細胞数は虚血を行わない対照群(Sham群)と比較して約2%にまで減少する。線条体は嗅球や海馬歯状回と異なり、生理的持続的神経新生が生じていないとされる部位であるが、虚血6週後に評価すると残存神経細胞数は6%となり、in vitroでの神経幹細胞の分離培養に用いられる成長因子(EGF, FGF-2)を虚血2日後から7日間脳室内へ浸透圧ポンプを用いて持続的に投与すると、虚血6週後には16%(対Sham群比)にまで神経細胞数が有意に回復していた。これは、DNA合成阻害剤であるAra-C(cytarabine)を成長因子と共に持続的に脳室内へ投与すると虚血6週後の線条体でみられる神経細胞が成長因子単独投与の時と比べて約半減(8%)することから、回復した神経細胞はDNA合成を含んだ過程を経てきた結果であることが推察される。そこでまずSVZにおける神経幹細胞の増殖応答を調べるため、細胞周期のS期に取り込まれるBromodeoxyuridine(BrdU)を投与して標識される分裂増殖細胞数を計測すると、虚血損傷により細胞増殖は虚血7日後にピークとなり、さらに成長因子を投与することでSVZにおける分裂増殖細胞数は3倍以上となり非常に強い刺激が加わっていることが判明した。虚血後5-7日目の3日間BrdUを投与して標識したSVZの増殖細胞を経時的に追跡すると、虚血7日後のSVZでは神経幹細胞から神経細胞への分化を調節する転写因子であるPax6やMash1の発現がみられ、虚血2週間後にはSVZに隣接する脳梁直下において微小管結合蛋白であるDoublecortin (DCX)が発現していることから、分化した幼若な神経芽細胞が遊走段階であることを示唆しており、虚血6週後には損傷部位である線条体においてNeuN(neuron-specific nuclear protein)を発現するに至っており、成熟神経細胞へ分化を遂げて再生してきたものと思われる。

次に成長因子を投与した群で虚血6週後の線条体で回復してきた神経細胞群の各phenotype数を解析し、さらに長期間(虚血後12週)経過した場合どのように変化するのか検証した。その結果、正常線条体神経細胞を構成する各phenotypeの中で95%を占めるmedium spiny projection neuronのマーカーであるdopamine- and adenosine 3': 5'-monophosphate-regulated phosphoprotein with a molecular weight of 32 kilodalton (DARPP-32)の発現がBrdU/NeuN陽性となる再生神経細胞でみられ、これは虚血6週後の線条体でみられたNeuN陽性神経細胞の60%を占めていた。虚血6週から12週にかけての線条体における細胞数の経時的変化について全NeuN陽性細胞数は一定であったがその中におけるDARPP32陽性medium spiny neuron数は減少し、他のphenotypeのinterneuronであるParvalbumin陽性細胞数は虚血6週後に元のレベルに、NeuropeptideY陽性細胞数は虚血12週後に元のレベルに回復し、Cholinergic large interneuronのマーカーであるChAT陽性細胞は虚血6週後に一旦虚血前のレベル以上に増加するが虚血12週後には減少し元のレベルとなっていた。以上のことは虚血6週を過ぎ、成熟神経細胞のNeuNを発現していてもなお神経回復現象が進行中であり、各phenotypeの発現がまだ動的に動きうる状態であることを示唆している。

次に虚血12週後の線条体神経細胞が神経回路に組み込まれているかどうかを、逆行性に軸索内を輸送される蛍光性トレーサーのFluorogoldを用いて調べた。その結果線条体からの投射先の一つである淡蒼球外節に注入されたFluorogoldが4日後に線条体のBrdU/NeuN陽性細胞で発現しており、線条体での再生成熟神経細胞が淡蒼球外節と軸索を介して連絡性があることが示唆される。

さらに成長因子投与群において回復が見られる虚血後6週以降の線条体神経細胞が機能的であるかを電気生理学的にパッチクランプ法を用いて細胞レベルでその膜特性を調べ、経時的変化を記録した。コントロールとして虚血巣ではない線条体内側部位での神経細胞の電位をみると脱分極性電流に対して活発に応答がみられ、正常線条体神経細胞のパターンを示していた。これに対し、虚血6週から10週後に虚血巣である背外側線条体細胞を記録すると脱分極性電流に対してほとんど電位の応答が見られなかった。その後時間が経過するに従ってその応答は次第に活発となり虚血20週すぎに正常神経細胞のパターンを呈するようになってくる。このような膜電位の時間的変化、虚血後6-10週に記録された神経細胞の安静時膜電位や内向き抵抗の値は、新生児ラットで過去の報告でみられる幼若神経細胞の成熟過程、性質に類似していた。電位固定モードで記録し、そのシナプス電流を調べると、虚血16週後には興奮性、抑制性両方の入力がなされていることがわかり、この段階でシナプス形成がされていることを示唆している。

最後に虚血損傷後の神経機能の評価をラット個体レベルで行うためStaircase testによる行動実験を施行した。このtestは軽い飢餓状態においたラットを狭い(従って反転する身動きができないような)箱に入れ、前肢を伸ばして餌をうまくつかんで食べることのできる数を記録して前肢の運動機能(skilled paw-reaching test)を見るもので、運動機能の調節を担う線条体の障害度を測るのに用いられる。虚血施行前に予め訓練されたラットを虚血施行後成長因子投与群(GF群)及び虚血施行後Vehicle投与群(Veh群)の2群に分けて経時的変化を追ったところ、虚血2週後には両群ともに運動機能の低下が見られたが、虚血6週後にはGF群で虚血前のレベルにまで回復する一方、Veh群では依然として運動機能の低下を示したままであった。虚血12週後経過しても全体的なperformanceは両群ともに虚血6週後の時点からは低下するものの依然としてGF群が有意にVeh群を上回るperformanceを示していた。

以上のことから、線条体に虚血損傷を与えるモデルを用いて成長因子投与により神経幹細胞を賦活することで虚血後の神経細胞の回復を得られたが、虚血6週を過ぎてもなお部位特異的分化、成熟過程は進行中であり、細胞レベルでの電気生理学的解析もそれらを裏付ける結果が得られた。虚血12週を超えると軸索を介した連絡性が形成されて電気生理学的にも成熟した反応がみられ、個体レベルにおいても神経機能の改善を得ることができた。今後に向けてよりよい神経再生を得るための成長因子の組み合わせや投与時期、投与量、さらに再生神経細胞の長期生存のための追加維持療法など解決すべき問題があるが、内在性神経幹細胞の賦活化による虚血性脳障害治療戦略は幅広い中枢神経疾患への応用が期待できうるものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は虚血損傷後における線条体神経細胞の再生および修復現象を明らかにするため、ラットの全脳虚血モデルを用いた系において、線条体に虚血巣が形成された後に成長因子を投与することで回復する神経細胞の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.一過性全脳虚血モデルを用いて2日後には元の線条体神経細胞数の約2%にまで成熟神経細胞の減少をみた後に、成長因子を投与することで6週後には約15%の回復がみられることを形態学的かつ免疫組織学的にも示された。これら回復した神経細胞の実体として増殖分裂細胞を標識するBrdUや、細胞の増殖分裂を阻害するAra-Cを用いた実験により脳室下帯(SVZ)に存在する神経前駆細胞が成長因子の投与により活性化されて増殖、分裂を行い、さらに遊走を経て成熟した神経細胞へと再生してきたものが少なくとも半数は含まれている可能性の高いことが示された。

2.BrdUで標識された再生神経細胞が正常線条体神経細胞の大部分を占めるmedium spiny neuronへと部位特異的neuronal phenotypeに分化を遂げて再生していることを示した。また、回復した神経細胞数の動向を解析すると虚血6週~12週の間で線条体における各neuronal phenotypeの数は増減を示しており、いまだ虚血損傷からの修復もしくは再生機構が進行中であることが窺われた。

3.虚血後12週には逆行輸送性の蛍光トレーサーであるFluorogoldが淡蒼球から線条体へ輸送され、線条体の再生神経細胞が本来の投射先である淡蒼球へ軸索を伸ばして既存の神経回路に形態学的に組み込まれていることが示された。

4.虚血後に回復がみられた線条体神経細胞を電気生理学的にパッチクランプ法を用いてホールセル記録を行った結果から、虚血後6~10週に得られた線条体神経細胞の膜電位及び膜抵抗は有意に未熟な神経細胞の性質を示し、その後虚血から10週を過ぎて次第に成熟していく過程が経時的にみられることが示された。これは、新生児ラットの線条体medium spiny neuronの成熟過程と類似することから再生神経細胞の電気生理学的発達過程を支持するものである。また虚血後16週に記録されたシナプス電流の解析からは興奮性、抑制性、両方のシナプス入力が形成されており機能的であることが示されている。

5.個体レベルでの機能回復評価として、ラット前肢の運動機能を測るStaircase testの結果から、虚血損傷後に成長因子を投与することで、投与しなかった群と比較すると虚血後6週以降に有意な回復がみられることが示された。

以上、本論文はラットの虚血損傷後の線条体において成長因子を投与することで神経細胞が回復することを示し、その中には神経幹細胞からの再生した神経細胞が存在することを明らかにしている。また、電気生理学的評価や行動実験の結果から成長因子投与による機能的回復の可能性も示されている。本研究から、虚血性脳障害治療戦略のひとつとして内在性神経幹細胞の賦活化が今後期待できると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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