学位論文要旨



No 123702
著者(漢字) 西川,尚子
著者(英字)
著者(カナ) ニシカワ,タカコ
標題(和) 肝星細胞におけるHGF産生に対するアミノ酸の影響
標題(洋)
報告番号 123702
報告番号 甲23702
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3041号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 講師 永田,泰自
 東京大学 講師 今村,宏
 東京大学 講師 塚本,和久
 東京大学 講師 森屋,恭爾
内容要旨 要旨を表示する

肝硬変患者では、その重篤度に応じて血中の分枝鎖アミノ酸 (branched-chain amino acid, BCAA) の濃度が低下していることが知られている。本邦では、その血中値の是正を目的として、肝硬変患者に対しBCAAを主成分とする特殊アミノ酸製剤の投与が行われている。その効果に対しては議論があるが、近年いくつかのrandomized control trial (RCT) が施行され、血中アルブミン値の上昇だけでなく特殊アミノ酸製剤の肝機能、予後、肝発癌などに対する有用性が報告されている。これらの臨床研究から、BCAA製剤は血中の蛋白濃度の上昇という栄養素補充としての意義だけでなく肝機能改善、肝発癌抑制等をもたらす可能性が示唆されている。しかしその機序は明確ではない。

BCAAとは、アミノ酸のうち、側鎖に枝分かれが認められるバリン、ロイシン、イソロイシンの総称である。生体内で合成できないため栄養学的に必須アミノ酸とされている。BCAAは血漿中のアミノ酸の約40%を占め、エネルギー源として、あるいは糖新生において重要な役割を担っている。更に最近の研究により、BCAAは遺伝子発現調節、細胞内代謝調節、アミノ酸輸送、タンパク質代謝調節、タンパク質合成促進作用など、いわゆる薬理作用を持つと考えられてきている。

Hepatocyte growth factor (HGF) は、肝部分切除後動物血清及び劇症肝炎患者血清から独立に精製され、最終的に同一物質であることが判明した分子量約9万の蛋白である。動物種差はあるが生物活性は共通し、肝細胞だけでなく、培養腎尿細管細胞等の増殖を促進することが認められている。肝、脾、腎、肺、脳、胸腺及び白血球でのmRNAの発現が報告され、ラットでは血小板にも存在する。肝においては、HGFは肝星細胞をはじめとする非実質細胞で産生され、受容体は少なくとも肝細胞に発現している。HGFは培養肝細胞のDNA合成を濃度依存的に上昇させる。また、HGFを過剰発現させたtransgenic mouseやHGFを正常ラットに大量投与した場合、肝細胞増殖の結果、肝の肥大をきたす。更に近年HGFは、細胞の成長、分裂促進、形態形成に影響を与えるほか抗アポトーシス作用や腫瘍抑制効果など多彩な機能を持つことが報告された。更に肝においては培養肝細胞の増殖だけでなくアルブミン、フィブリノーゲン合成など蛋白合成を含めた分化機能の発現も促進しうる。また、動物モデルにおいてはHGFの投与により肝臓、腸管、腎臓、肺、脳や心臓の傷害が軽減され、特に肝臓では肝機能の改善や線維化の抑制がみられることが示された。これらの研究によりHGFは多様な疾患の治療に応用できることが示唆される。

我々はBCAAの持つ上述の薬理作用に着目し、BCAAの肝におけるHGF産生に対する影響に関して検討を行った。肝星細胞にBCAAを添加し培養すると、3種のBCAAの中でロイシンのみが肝星細胞のHGF産生を濃度依存的に増加させた。またラットにBCAAを投与し血中及び肝のHGF値を検討したところ、ロイシン投与のみが血中及び肝のHGF値を上昇させ、さらに血清中のアルブミン値の上昇も認めた。これらの結果から、BCAAの中でもロイシンがHGF産生を促進し、肝機能に好影響を与えうることが示唆された。BCAA投与の効果の一部はHGFの誘導によりもたらされている可能性がある。しかし、ロイシンによるHGF産生促進作用の機序は不明である。又、近年BCAA以外のアミノ酸の薬理作用も報告されているが、それらのHGF産生に対する効果に関しても明らかではない。これらを明らかにすることは更に有効なアミノ酸製剤を生み出す基盤となると思われる。

近年アミノ酸によるmammalian target of rapamycin (mTOR) 系を介した蛋白合成促進作用が注目されている。mTORは真核細胞の蛋白合成を制御する情報伝達系を担う最も重要な蛋白質の一つである。mTORはリン酸化酵素であり、その基質分子として、70 kDa ribosomal protein S6 (p70 S6 kinase) とeukaryotic initiation factor 4E-binding protein 1 (4E-BP1) の二つが主体とされている。p70 S6 kinaseは、mTORによりリン酸化されるとリボソームの40Sサブユニットを構成するS6蛋白質をリン酸化する。S6は40Sリボソームを構成する蛋白質の中で唯一リン酸化を受ける分子として知られており、リン酸化されることによって蛋白質合成が促進される。一方、4E-BP1は低リン酸化状態ではeukaryotic initiation factor (eIF) -4Eと複合体を形成することにより、eIF-4Eの他の翻訳開始因子との結合を阻害している。アミノ酸等により、mTORが活性化され4E-BP1がリン酸化されると、eIF-4Eは4E-BP1から解離し、他の翻訳開始因子と複合体を形成することが可能となり、eIF-4Eは5'cap構造を有するmRNAの翻訳を誘導する。アミノ酸など栄養素の刺激を受けると、mTORは活性化し、p70 S6 kinase系および4E-BP1系を介して蛋白質合成を制御することが推定される。

本研究において我々は、肝星細胞におけるHGF産生促進に対する各種アミノ酸の影響を検討した。さらに作用機序について、情報伝達系の一つと考えられているmTOR系の関与について評価した。

肝星細胞の培地中およびラット血漿中、肝組織中HGF値の測定はEIAにて行った。p70 S6 kinaseの活性化の測定オートラジオグラフィーにて、またp70 S6 kinase及び4E-BP1のリン酸化の検出はウェスタンブロットにて行った。統計解析においては独立2群の差はStudent's t-testで、用量依存的効果は、一元配置分散分析を用いて検定した。すべて、p < 0.05を有意とした。

その結果、ロイシン以外にグルタミンおよびプロリンが有意に濃度依存的に培地中のHGF濃度を上昇させた。この実験系では細胞の増殖はみられず、ゆえにグルタミンおよびプロリンはHGF産生を刺激していると考えられた。これらアミノ酸によるHGF産生促進の機序としては、まずHGF産生のためのエネルギーあるいは素材を提供した可能性があげられる。しかし、他のアミノ酸がHGF産生促進作用を持たなかったことより、その可能性は低い。また、正常ラットにおいてグルタミンおよびプロリンを投与した場合にも、ロイシンと同様肝および血中HGF値は有意に上昇した。以上より、ロイシン、グルタミンおよびプロリンはいわゆる薬理作用を介して、肝におけるHGFの産生を促進している可能性が示唆される。

次に我々はロイシン、グルタミンおよびプロリンがHGF産生に促進的に働くメカニズムとして、mTOR系の下流に位置するp70 S6および4E-BP1を介した経路への関与について検討した。

ロイシンを培地中に加えると、肝星細胞においてp70 S6 kinaseの活性化と4E-BP1のリン酸化が急速に促進されることが示された。さらに、mTORの特異的インヒビターであるラパマイシンを添加すると、ロイシンによるp70 S6 kinaseの活性の上昇と4E-BP1のリン酸化は抑制された。また、ラパマイシンはロイシンによるHGF産生促進効果を濃度依存的に抑制した。これらの実験結果より、ロイシンはmTOR系すなわちp70 S6 kinaseおよび4E-BP1のリン酸化を介して肝星細胞のHGF産生を促進することが示された。

一方、グルタミンおよびプロリン添加によって、ロイシンのように明らかなp70 S6 kinaseの活性の上昇と4EBP1のリン酸化の促進はみられなかった。グルタミンおよびプロリンはmTOR系の蛋白合成調節経路を介さずにHGF産生を促進することが示唆された。

以上、まとめると

1.グルタミンとプロリンは、ロイシンと同程度に肝星細胞におけるHGF産生を促進する。

2.ロイシンが、mTOR系を活性化して、肝星細胞のHGF産生を促進するのに対して、グルタミンとプロリンは、この系をほとんど活性化しない。この2つのアミノ酸は、mTOR系以外の作用で、HGF産生を促進すると考えられた。

臨床的には、HGF合成を促進することが多くの疾患の治療に結びつく可能性がある。特に、急性および慢性肝不全においては、HGFを増加させることが病態を改善すると、期待されている。しかし、グルタミンとプロリンに関しては、血中アンモニアの増加や肝におけるコラーゲン合成の促進などの可能性も病態によっては考えなくてはならない。臨床の場においてはどのアミノ酸配合が最もその病態の改善のために適しているか、いわゆる'テイラーメイド医療'の考えに基づき、さらに効果的な治療法が開発されていくべきであろう。

審査要旨 要旨を表示する

Hepatocyte growth factor (HGF) は急性および慢性肝不全の治療を目的とした投与が考慮されている物質であるが、内因性のHGF量や活性の上昇はHGF投与と同様の効果をもたらすことが期待されている。本研究は、HGFの産生調節につき、既報のロイシン以外のアミノ酸の効果を検討したものである。更に、これらアミノ酸によるHGF産生促進作用に関して、その作用機序として情報伝達系の一つであるmammalian target of rapamycin (mTOR) 系との関与についても解析し、下記の結果を得ている。

1. 肝星細胞に20種類のアミノ酸を添加したところ、ロイシン以外にグルタミンおよびプロリンが有意に培地中のHGF濃度を上昇させたことが示された。

2. 正常ラットに対してグルタミンおよびプロリンを投与した場合、肝および血中HGF値は有意に上昇することが示された。

3. 肝星細胞において、ロイシンを培地中に加えると、p70 S6 kinaseの活性化と4E-BP1のリン酸化が急速に促進されることが示された。さらに、mTORの特異的インヒビターであるラパマイシンを添加すると、ロイシンによるp70 S6 kinaseの活性の上昇と4E-BP1のリン酸化は抑制された。また、ラパマイシンはロイシンによるHGF産生促進効果を濃度依存的に抑制した。これらの実験結果より、ロイシンはmTOR系すなわちp70 S6 kinaseおよび4E-BP1のリン酸化を介して肝星細胞のHGF産生を促進することが示された。

4. 一方、肝星細胞においてグルタミンおよびプロリン添加によって、ロイシンのように明らかなp70 S6 kinase及び4E-BP1のリン酸化の促進はみられなかった。それにも関わらず、グルタミンおよびプロリンによるHGFの産生促進効果はロイシンによる効果とほぼ同等であった。これらの結果より、グルタミンおよびプロリンはmTOR系の蛋白合成調節経路を介さずにHGF産生を促進することが示唆された。

以上、本論文は肝星細胞において、ロイシン以外にもグルタミンおよびプロリンがいわゆる薬理作用を介して、肝におけるHGFの産生を増加させている可能性があることを明らかにした。また、HGF産生の機序に関しロイシンはmTOR系を活性化するのに対し、グルタミンとプロリンはこの系をほとんど活性化しないことも明らかにした。本研究はこれまで明らかにされていなかったアミノ酸によるHGF産生促進作用に関して重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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