学位論文要旨



No 123704
著者(漢字) 王,国琴
著者(英字)
著者(カナ) オウ,コウキン
標題(和) 心血管病変の発症におけるMrf-2/ARID5Bの意義
標題(洋) The Role of Mrf-2/ARID5B in the Pathogenesis of Cardiovascular Disease
報告番号 123704
報告番号 甲23704
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3043号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小山,博史
 東京大学 特任教授 山崎,力
 東京大学 准教授 平田,恭信
 東京大学 准教授 植木,浩二郎
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
内容要旨 要旨を表示する

虚血性心疾患の原因となる動脈硬化は、血管内皮障害を始め、マクロファージなどの炎症細胞浸潤・活性化、脂肪(酸化脂質)蓄積、血管平滑筋細胞の活性化、血栓の形成と多彩なプロセスを経て進展する。このような動脈硬化病変の形成において血管平滑筋の分化および脱分化は重要な役割を演ずる。Mrf-2/ARID5Bは、この血管平滑筋の分化のキーレギュレーターとしてcloningされた。Mrf-2は、様々な細胞の分化や遺伝子発現を調節することが知られているARID(AT-rich interaction domain)転写因子ファミリーの一つに属し、AT richな部位DNAに結合して転写調節を行うと考えられている。Mrf-2のノックアウトマウスの研究により、この遺伝子は脂肪分化・肥満にも関与している可能性が示唆されている。以上のことから、Mrf2遺伝子が、ヒトでも動脈硬化・肥満などの病態に関与している可能性があるのではないかという仮説を立てた。

まず、東京大学医学部附属病院循環器内科における入院した冠動脈疾患(少なくとも一枝以上に75%以上の有意狭窄をもつもの)症例の475例および共同研究機関での健常者310例を用いて、本遺伝子全長をカバーするように均等間隔にpublic database(JSNP(Japanese single nucleotide polymorphisms)およびNCBI GeneBank database)から17個のSNPを選出し、direct sequencingまたはTOF-MSにてタイピングを行った。Mrf-2遺伝子の中ほどの4つのSNPs ―rs2893880、rs10740055、rs7087507とrs10761600(5'側から順番にSNP4, SNP5, SNP6, SNP7と番号付けした)が疾患との関連性が示唆された。アリル頻度でみた場合、SNP4(G/C多型)では健常者においてGアリルが冠動脈疾患患者より高頻度であり(37.1% vs 32.3%)、遺伝子型で見た場合も健常群ではGG:55例(17.8%)、CG:119例(38.5%)、CC:136例(43.7%)であるのに対して、CAD患者群ではGG:42例(8.9%)、CG:222例(46.9%)、CC:209例(44.2%)、動脈硬化の発症との強い関連性が認められた(P =0.0002)。SNP6について、アリル頻度の分布では健常群にGアリル有意に患者群より高く(38.5% vs 33.7%, P =0.0411)、genotypeは健常群ではGG:52例(16.8%)、AG:134例(43.4%)、AA:123例(39.8%)であり、動脈硬化患者群ではGGが48例(10.1%)、AGが224例(47.2%)、AAが203例(42.7%)であり、冠動脈疾患の発症とも強い関連性が認められた(P =0.0058)。以上の結果から、SNP4のGとSNP6のGが動脈硬化発症に対して保護的に作用する可能性が示された。また、この4つのSNPsは完全に連鎖し、同一のハプロタイプブロック内に存在すると考えられ、ハプロタイプ解析を最尤法にて実施したところ、G-C-G-A(SNP4-5-6-7)というハプロタイプ(健常群:34.1%、患者群:29.9%)が動脈硬化性疾患に関連することも合わせて示された(P =0.04)。さらに上記SNP4とSNP 6では冠動脈疾患発症に保護的に作用すると考えられるG/G遺伝子型を有した場合に、冠動脈の重症度も相対的に低下する傾向が認められた。

次に、今回解析した遺伝子多型が動脈硬化の危険因子自体と関連するかどうか検証するため、健常者310名に関して上述した4つのSNPsと冠危険因子との関連を調べたところ、SNP6は、BMIの25未満群はGアリルの頻度が25以上の群より高く(P =0.010)、またSNP7ではAアリルを保有するとDMに対して保護的に作用することを示した(P =0.046)。これは、Mrf2遺伝子のノックアウトマウスにより示された、Mrf2遺伝子と肥満の関係と合致するものである。

さらに、両群での古典的冠危険因子などの交絡因子を補正するため、ロジスチック分析を施行、Mrf-2はBMI、DMを含めた古典的な冠危険因子で補正しても冠動脈疾患との関連が認められた(SNP4:GG/CC+CG 0.004, odds ratio :2.20(95%CI:1.29-3.77))。しかし、subanalysisでは、SNPは糖尿病や肥満との間に弱いながら関連性が認められており、DMは交絡要因である可能性が考えられたため、DM、肥満を除いた他の冠危険因子(sex, age, smoke , HL, HT)の影響を除外した場合を検討してみた。その場合でも、SNPとCAD の間に強い関連も認められたSNP4:GG/CC+CG 0.007, odds ratio :2.00(95%CI:1.21-3.29))。したがって、すくなくとも、Mrf-2 のSNPはこれらの冠危険因子(sex, age, smoke , HL, HT)と独立して冠動脈疾患の発症に関与していると考えられる。

また、冠動脈群及びその対照群の中に糖尿病のない対象に関して、Mrf-2の遺伝子多型と冠動脈疾患との関連性について検討した。その場合でも、強い有意差が認められた(SNP4のCC+CG/GG : P =0.0035;SNP6のAA+AG/GG:P =0.0170)。従って、Mrf-2と冠動脈疾患との関連性に関して必ずしも糖尿病を介さない経路がある可能性が考えられる。

次に、Mrf-2 の遺伝子多型と糖尿病の関連を確認するために、別集団において冠動脈疾患発症と関連のある上記4つのSNPsと糖尿病発症との関連性を検討することとした。対象は、東京大学医学部附属病院糖尿病内科における糖尿病患者500例と広島原爆障害対策協議会においてサンプリングされた健常者500例である。各SNPのアリル分布、genotype分布およびこの4つのSNPsで構成されるハプロタイプは糖尿病発症にも濃厚に関連することが明らかにされた。SNP4 (G/C多型)とSNP6(G/A多型)について、冠動脈疾患と同様に、有意に糖尿病の発症に関連性が認められ(P =0.0238 とP =0.0067)。また、同じハプロタイプに存在するSNP5について、アリル頻度の分布は健常群にCアリル51.5%、A アリル48.5%、患者群にCアリル44.7%、A アリル55.3%、P =0.0024、genotypeはAA/AC+CC及びAA/ AC /CCというモデルが有意に糖尿病の発症に関連性が認められた(P =0.0014とP =0.0056)。SNP7について、アリル頻度は健常群にAアリル61.7%、Tアリル38.3%、患者群にAアリル56.4%、T アリル43.6%、P =0.0170、GenotypeはTT vs AT+AA及びTT/AT/AAというモデルでも糖尿病の発症と相関していることが示された(P =0.0022とP =0.0093)。ハプロタイプ解析では、C-A-A-TとG-C-G-A(SNP4-5-6-7)という組み合わせが健常群に32.64%と32.61%、患者群35.94%と30.54%を占め、糖尿病性疾患に関連することも合わせて示された(P =0.0031とP =0.0478)。以上から、SNP4,5,6,7について、G-C-G-A(SNP4-5-6-7)の保有がC-A-A-Tの保有より、冠動脈疾患と同様に、糖尿病の発症にも保護的な役割を持っている可能性が考えられた。

さらに、糖尿病発症に関連する液性因子について検討を加えることとした。インスリン抵抗性に関与するHOMA-β、HOMA-IR 、IRI、leptinなどについて、検討したが、いずれもMrf2遺伝子の相関は示されなかった。しかし、アディポサイトカインのひとつであるアディポネクチンの血中濃度と SNPsの関連を調べたところ、SNP5はAA(67例, adiponectin濃度:14.341±8.910)、AC+CC (237例, adiponectin 濃度:16.988±9.855)より高い濃度を示し、有意差が認められた(P =0.0464)。アディポネクチンは抗糖尿病作用、抗肥満作用を有し、この血中濃度と糖尿病リスクは逆相関することがよく知られている。したがって、Mrf2遺伝子の多型が、アディポネクチンの濃度を介して、糖尿病発症に寄与している可能性が考えられた。

以上の結果から、私はMrf-2の遺伝子変異およびそのくみあわせからなるハプロタイプが動脈硬化の発症に関与すること、また冠動脈疾患との関連性は、一部は糖尿病を介して、また一部は古典的冠危険因子とは独立した未知の要因を介して、冠動脈の発症に寄与することを本研究において示した。Mrf2遺伝子は、平滑筋細胞分化や糖尿病など、複数の経路で動脈硬化発症に寄与している可能性があり、動脈硬化の治療においても新しいターゲットとなる可能性がある。さらに、Mrf2遺伝子の発現が、アディポネクチンの発現を規定しているという仮説は注目に値し、今後さらなる検討を要する。

本論文の限界としては、サンプル数が相対的に少ないことが挙げられ、またかつ前向き研究でない点が挙げられる。今後、Mrf-2のSNPが冠動脈疾患や糖尿病発症の遺伝的危険因子であるか否かについてはより大規模な集団を用いたprospective研究での検討が必要と考えている。またこの転写因子の機能について、脂肪分化・血管平滑筋分化および脱分化との関連性について分子生物学的検討を詳細に進める必要があると考えている。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は平滑筋分化・発生及び脂肪分化において重要な役割を演じているとされる転写因子(Mrf-2/ARID5B)と、ヒトでの動脈硬化と糖尿病の発症との関連性を明らかにすることを目的とした。Mrf-2遺伝子配列から全長をカバーするように17個のSNP(Single nucleotide polymorphism)を選択し、研究の前半では、これらのMrf-2/ARID5B遺伝子多型と冠動脈疾患発症の関連を解析し、後半では同一の遺伝子多型と糖尿病発症の関連を解析し、下記の事項を明らかにした。

(前半)先ず、Mrf-2/ARID5B遺伝子多型と冠動脈疾患発症の関連を475人の冠動脈疾患の患者群と310人の対象群を用いて解析している。

1.Mrf-2遺伝子配列の第2イントロンから、第3イントロンにかけての、4つのSNPが冠動脈疾患の発症に関与することが示された。アリル頻度でみた場合、SNP4(G/C多型)では健常者においてGアリルが冠動脈疾患患者より高頻度であり、遺伝子型で見た場合もGGの保有は有意に動脈硬化の発症に対して保護的に作用することが認められた(P =0.0002)。SNP6について、アリル頻度の分布では健常群にGアリル有意に患者群より高く(38.5% vs 33.7%, P =0.0411)、genotypeは健常群ではGG/AG+AAというモデルが冠動脈疾患の発症とも強い関連性が認められた(P =0.0058)。また、この4つのSNPsは完全に連鎖し、同一のハプロタイプブロック内に存在すると考えられた。ハプロタイプ解析を最尤法にて実施したところ、G-C-G-A(SNP4-5-6-7)というハプロタイプが動脈硬化性疾患に関連することも合わせて示された(P =0.04)。

2.対象群(健常者)310名について、上記の4つのSNPと動脈硬化の古典的危険因子との関連を解析したところ、SNPと肥満及び糖尿病発症とが関連することが示された。

3.ロジスチック分析により、古典的冠危険因子(BMI、DMを含める)の交絡因子を補正し解析したところ、SNPと冠動脈疾患との関連が認められた。さらに、糖尿病、肥満以外の冠危険因子(性別・年齢・喫煙・高脂血症・高血圧)の影響を補正した場合でも、SNPと冠動脈発症の間に強い関連が示された。したがって、Mrf-2 遺伝子多型は、性別・年齢・喫煙・高脂血症・高血圧といった冠危険因子と独立して冠動脈疾患の発症に関与していることが示された。

4.糖尿病の影響を排除するために、冠動脈群及びその対照群の中で糖尿病に罹患していない症例を抽出し、Mrf-2の同じSNPと冠動脈疾患との関連性についても、強い関連が示された。したがって、Mrf-2と冠動脈疾患との関連性に関しては、糖尿病が仲介するだけではなく、糖尿病を介さない未知の経路の存在が示唆された。

(後半) 次に、Mrf-2遺伝子多型と糖尿病との関連性を確認するため、Mrf-2/ARID5B SNPと糖尿病発症の関連を500人の糖尿病患者と500人の対照群を用いて解析した。

5.冠動脈疾患と同様に、同じMrf-2のSNP及びそのハプロタイプが糖尿病の発症にも強く関連していることが示された。

6.糖尿病発症に関連する液性因子について検討を加え、Mrf2 のSNPと血中アディポネクチン濃度とが、有意に関連することが示された。アディポサイトカインのひとつであるアディポネクチンは抗糖尿病作用、抗肥満作用を有し、この血中濃度と糖尿病リスクは逆相関することがよく知られている。またアディポネクチンは動脈硬化に直接関与している報告もあり、その点から、Mrf-2の遺伝子多型は、アディポネクチンの発現量や濃度を介して、糖尿病や動脈硬化の発症に寄与している可能性が示唆された。

7.Mrf-2はαとβという二つのアイソフォームが報告されており、5'端のエクソン1からエクソン4まではβアイソフォーム特異的であり、αアイソフォームはイントロン4に存在するごく短い特異的なエクソンから始まり、exon5より3'端まで、両者はエクソンを共有している。本研究で疾患に関連した4つのSNPを含むハプロタイプ内のエクソンに遺伝子多型は見いだせず、ブロック内のイントロンの未知の遺伝子多型のいずれかがMrf-2の遺伝子発現の差異に影響している可能性が考えられる。このハプロタイプブロックは、αアイソフォームに対してプロモーター領域に存在しており、βアイソフォームに対しては第2または第3イントロンに存在し、両アイソフォームの発現調節に関与している可能性が示唆される。

以上、本論文はMrf-2のSNPおよびその組み合わせからなるハプロタイプがヒトの冠動脈疾患及び糖尿病の発症に関連していることを、臨床データではじめて示している。また冠動脈疾患との関連は、一部は糖尿病を介しており、また一部は古典的冠危険因子とは独立した未知の要因が寄与していることも示された。Mrf-2遺伝子は、細胞実験や動物実験で脂肪分化や血管平滑筋分化に影響することが知られているが、本論文で臨床的にも多面的に動脈硬化に影響を与えていることが示唆された。今後、Mrf-2転写因子の研究は、動脈硬化研究に新しい分野を開く可能性を持っていると考えられ、本論文は学位の授与に値するものと考えられる。

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