学位論文要旨



No 123708
著者(漢字) 志賀,太郎
著者(英字)
著者(カナ) シガ,タロウ
標題(和) Long Pentraxin 3 (PTX3) の心血管炎症マーカーとしての役割の検討
標題(洋) Role of Long Pentraxin 3 (PTX3) as a Marker for Cardiovascular Inflammation
報告番号 123708
報告番号 甲23708
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3047号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 教授 宮崎,徹
 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 准教授 宇野,漢成
内容要旨 要旨を表示する

虚血性心疾患,とくに不安定狭心症(unstable angina pectoris; UAP)や急性心筋梗塞(acute myocardial infarction; AMI)の急性冠症候群(acute coronary syndrome; ACS)は致死率に大きく関与する重大な疾患である.ACSの疾患背景は冠動脈の動脈硬化であり,動脈硬化の進展には慢性的な血管炎症が大きく関与することが広く知られている.そのため,これまでに各種炎症マーカーとACSとの関与について多くの研究がなされ,とくに炎症マーカーのひとつであるC-reactive protein (CRP) は,冠動脈イベントをはじめとする心疾患イベントの予測因子として確立されるようになった.しかし,CRPは感染や自己免疫性疾患,悪性腫瘍など,全身的炎症に反応して肝臓から産生されるために動脈硬化性疾患マーカーとしては非特異的と考えられ,最近ではACSに対するより特異的な血管炎症マーカーの確立が求められるようになった.

そこで私は急性期反応性炎症マーカーの一つであるLong Pentraxin 3 (PTX3) に着目した.PTX3はIL-1βの刺激により血管内皮細胞から分泌される蛋白として発見され,CRPと同じペントラキシンファミリーに属し,C-末端においてCRPと相同性をもつ.しかし,肝臓で産生されるCRPとは異なりPTX3は動脈硬化病変の主要構成細胞である内皮細胞とマクロファージなどから多く産生される.実際私の行った実験においても,ヒト大動脈由来血管内皮細胞(HAEC: Human Aortic Endothelial Cell)へのIL-1βの刺激によりPTX3が豊富に産生されることをそれぞれノーザンブロット法、およびウェスタンブロット法,共焦点顕微鏡による観察で確認できた.更にUAP患者から得た冠動脈粥腫切除術(DCA: Directional Coronary Atherectomy)切片の免疫染色で,PTX3の発現を確認することもできた.ゆえに,私はPTX3が冠動脈の動脈硬化病変から多く分泌され虚血性心疾患の病態を特異的に反映する可能性があると考えた.実際にAMI患者においてPTX3がその発症後約7時間後を最大に上昇することが既に報告されているが,臨床現場においては早期ACS病態の検出が期待されている.これまで商業的に可能であったELISA kitによるPTX3アッセイ法では感度が低く,早期ACSの病態をとらえることは困難と考えられた.そこで,私は今回新しく開発された高感度に測定できるPTX3のELISA kit(0.1~20 ng/ml)を用いて,PTX3と早期ACS病態であるUAP との関係を臨床的に調査し,さらにCRPとの関係についても比較検討した.

本研究では,2005年10月から2006年3月の期間で東京大学附属病院において冠動脈造影検査(CAG)を受けた連続259例(男性194例,年齢20から80歳)を対象に調査した.なお本研究ではPTX3とUAPとの関係を調査するためにAMI症例は除外した.また,全ての症例において東京大学大学院医学系研究科の倫理委員会において承認されたプロトコールに基づきインフォームドコンセントがとられた.CAG施行直前,もしくは入院時にこれらの症例から血液を採取し,新しく開発したPTX3 ELISA kitで測定した.他,高感度のCRP値を含めた各種検査値は当院中央検査室の値を使用した.統計解析はSPSS 11.0を用いた.

はじめに全259例におけるPTX3値とCRP値との相関性を解析したところ,その相関性は非常に弱いものであった(Spearman's ρ=0.117).この結果から,今回の患者群では,体内においてPTX3とCRPはそれぞれ異なる反応形態を呈する可能性が示された.患者背景との関係を解析した結果では,PTX3値は女性において高い傾向があった(3.21±2.43 ng/ml vs. 4.00±3.27 ng/ml,p=0.076).また,PTX3値はアスピリンを服用している患者において有意に低値を示し(3.14±2.43 ng/ml vs. 3.97±3.07 ng/ml,p=0.031),PTX3およびCRPともにスタチンを服用している患者において低い傾向があった(PTX3:3.04±2.33 ng/ml vs. 3.68±2.89 ng/ml,p=0.051,CRP:3.96±7.57 mg/L vs. 5.17±10.3 mg/L,p=0.296).そして,CRP値はHbA1cが高い群において有意に高かった(2.82±5.96 mg/L vs. 5.20±9.43 mg/L,p=0.036).

続いて,UAPを含めた病態とPTX3値およびCRP値との関係を調査するために,登録された259例をCAG所見と病態に応じて4群に分類した.第1群(intact coronary)19例:CAGにおいて有意狭窄なし,第2群(controlled CHD)45例:冠動脈に動脈硬化は認めるが有意狭窄ではない,第3群(ischemic CHD)172例:冠動脈に有意狭窄を認めるもしくは安定型狭心症を認める,第4群(UAP)23例:UAPの4群に分類し,UAP群と他の群とで比較検討を行った.UAPの決定はBraunwald分類に基づき決定した.その結果,PTX3値は他群と比較して有意に高値を示した(各群のPTX3中央値:第1群 2.34 ng/ml, 第2群 2.23 ng/ml, 第3群 2.43 ng/ml,UAP群 4.85 ng/ml, P<0.01).一方,CRP値はUAP群において最も高値を示したが,統計的有意差は認めなかった(各群のCRP中央値:第1群 1.0 mg/L, 第2群 1.0 mg/L, 第3群 1.2 mg/L,第4群 2.0 mg/L,P=0.254).続いて,PTX3とCRPをUAPのマーカーとして考えた場合,その有意性を比較するためにROC曲線による解析を行った.その結果,PTX3による曲線下面積(AUC)はCRPによるものよりも大きく,UAPの検出マーカーとしてはPTX3のほうがCRPよりも優れている可能性が示された.さらにUAPを対象におこなった多変量解析では,PTX3およびCRPともに統計的有意性を持ってUAPに関与していることが明らかにされ,とくにPTX3はCRPよりも強くUAPに関与していることを統計的に示すことができた.最後に,PTX3値と冠動脈病変の重症度との関係を検討した.冠動脈狭窄の重症度評価にはGensiniスコアを使用した.その結果,PTX3値とGensiniスコアの間には統計的に有意な相関は認められなかった.本結果から,PTX3は冠動脈狭窄の重症度ではなく,動脈硬化病変の不安定性を反映する可能性が推察された.

今回の研究目的は,冠動脈疾患における血管炎症マーカーとしてのPTX3の役割を検討し,古典的なマーカーの一つであるCRPと比較することであった.これまでAMIでPTX3が上昇することが報告されていたが,その頃使用可能であったPTX3のELISA kitでは感度が不十分であったため,臨床的に安定した安定型狭心症や不安定狭心症などの早期ACSの病態を評価することが困難であったが,今回新しく開発された高感度のPTX3 ELISA kitを使用することで,これまで不可能であった臨床的に安定した冠動脈疾患とPTX3の関係を解析することができた.

その結果,PTX3はCRPと構造的相同性など共通点がありながらも,臨床的にPTX3値とCRP値に相関関係は非常に弱くPTX3とCRPの体内での反応形態が異なる可能性があることが判明した.また,PTX3はUAP群において有意に高値を示し,多変量解析によりCRPよりも強くUAPに関与する事が示された.さらにROC曲線による解析から,PTX3はCRPよりもUAPの検出に優れていることが判明した.そして,PTX3はUAPにおいて上昇するものの冠動脈狭窄の重症度に相関がなく,PTX3が冠動脈プラーク破綻を引き起こす血管炎症の活動性を反映している可能性を示すことができた.これは,CRPが局所の炎症を反映して肝臓から分泌されるのに対して,PTX3は局所の炎症部位である動脈硬化部から豊富に直接分泌されることから,CRPよりも病態を早期に,かつ鋭敏にとらえることができたと考えられた.

CRPは心血管炎症マーカーとして,炎症を直接反映するサイトカインや細胞接着因子よりも優れ,予後予測因子としても重要な炎症マーカーであることが多く報告されてきた.その理由にCRPが構造的に安定で半減期が長く,かつ年齢や性別などに影響を受けにくいという特徴をもつことが考えられている.PTX3もCRPと同様な特徴を持ちえており,かつ本研究によるPTX3の優位性も考慮すると,PTX3はCRPと同じ,もしくはより優れた心血管炎症マーカーとして有望な候補となりうることを示すことができた.

今回の研究では示すことができなかったが,PTX3が心血管イベントの予後予測因子としての有用性に期待が持たれる.また,今回の解析でアスピリンやスタチンによりPTX3値が臨床的に変化する可能性が示されたことから,PTX3による治療モニタリングも可能性が期待できる.これらPTX3の有用性のさらなる追及には,今後の前向き大規模研究が必要であり積極的に取り組んでいきたいと考えている.

審査要旨 要旨を表示する

近年,急性冠症候群(ACS)と各種炎症マーカーとの関係が盛んに研究されている.なかでもC-reactive protein (CRP) は虚血性心疾患イベントとの関与が明らかにされ注目をされるようになった.しかし,CRPは感染や自己免疫性疾患,悪性腫瘍など全身的炎症に反応して肝臓から産生されるために動脈硬化性疾患のマーカーとしては非特異的と考えられ,最近はより特異的な血管炎症マーカーの確立が求められるようになった.

本研究ではCRPと同じペントラキシンファミリーに属し構造相同性も持つが, CRPと異なり動脈硬化病変から多く分泌されるLong Pentraxin3 (PTX3) に注目した.PTX3は急性期炎症タンパクの一つで,これまでに急性心筋梗塞(AMI)症例で血中PTX3が上昇する事が報告されている.本研究では新しく開発された高感度PTX3 ELISA kitを用い,早期ACSである不安定狭心症 (UAP) におけるPTX3の臨床的意義を調査しCRPと比較検討した.実験的検証も行い下記のような結果を得た.

1.ヒト大動脈由来血管内皮細胞(HAEC)へのIL-β刺激により,PTX3 mRNAおよびPTX3タンパクが有意に発現することをノーザンブロット法およびウェスタンブロット法により確認することができた.また,共焦点顕微鏡による観察でIL-1β刺激により誘導されたPTX3がHAECの細胞質に多く発現している様子を観察することができた.本結果より,動脈硬化病変の主要構成細胞である血管内皮細胞からPTX3が分泌されることが確認され,PTX3がCRPとは異なり動脈硬化の病変局所から多く分泌する可能性が示された.

2.UAP症例から得た冠動脈粥腫切除術(DCA:Directional Coronary Atherectomy)切片の免疫染色を施行し,冠動脈病変からPTX3が多く発現していることが確認できた.

3.東京大学循環器内科で冠動脈造影検査を受けた259症例について,1群:冠動脈狭窄なし,2群:冠動脈狭窄はあるが心筋虚血を認めない,3群:心筋虚血を認める,4群:UAPの4グループに分類.それぞれの群のPTX3値を比較したところ,他群と比較してUAP群で有意にPTX3値が高値を示した.一方CRPはUAPグループにおいて高値を示したが,統計的に有意な差は認めなかった.PTX3がUAPにおいて有意に上昇するマーカーとなる可能性が示された.

4.この259症例において,PTX3とCRP値の相関関係を解析した.その結果,相関係数であるSpearman's p値は0.117で相関は極めて弱く,PTX3の体内動向はCRPと無関係である可能性が示された.

5.PTX3とCRPの,UAPのマーカーとしての有用性をROC曲線による解析で比較した.その結果,PTX3の曲線下面積はCRPのものよりも大きく,UAPのマーカーとしてPTX3はCRPよりも優れている可能性が示された.

6.冠動脈病変の重症度を示すGensiniスコアとPTX3との相関関係を解析した.その結果,PTX3はGensiniスコアとの間に相関関係は認めなかった.本結果から,UAPで高値を呈するPTX3は,冠動脈狭窄の重症度ではなく動脈硬化病変の活動性・不安定性を反映している可能性が推察された.

7.UAPを対象に行った多変量解析では,PTX3値およびCRP値はいずれも独立してUAPに有意に関与することが示された.かつPTX3はCRPよりも統計的に強くUAPに関与していることが示された.

8.患者背景調査の結果,アスピリンやスタチンを服薬している症例においてPTX3が低値を示し,またレポーターアッセイからスタチンはPTX3の転写調節に影響を与えている可能性が示された.今後,PTX3がスタチンなどによる治療ターゲットとしての役割をになう可能性が期待できる結果であった.

本研究において急性期炎症タンパクであるPTX3が独立してUAPに強く関与し,かつCRPもりも優れた炎症マーカーになりうる可能性が示された.本論文により,今後PTX3が虚血性心疾患の病態解明や臨床上の管理において多大なる貢献を果たす可能性が示された.以上のことから,本論文は学位授与に値するものと考えられる.

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