学位論文要旨



No 123711
著者(漢字) 細谷,弓子
著者(英字)
著者(カナ) ホソヤ,ユミコ
標題(和) 脂肪細胞におけるグルコーストランスポーター4(GLUT4)の細胞内挙動および細胞骨格の関与についての解析
標題(洋) Analysis of dynamics of insulin-induced glucose transporter 4 (GLUT4) translocation and functional role of cytoskeleton remodeling in adipocytes
報告番号 123711
報告番号 甲23711
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3050号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮崎,徹
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 准教授 植木,浩二郎
 東京大学 教授 宮川,清
内容要旨 要旨を表示する

生活習慣病の罹患率上昇に伴う心血管イベントのリスク増加は 現代の重要な医療問題の一つである。近年、高血圧・高脂血症・糖尿病といった生活習慣病の背景には 内臓脂肪の蓄積とその結果発生するインスリン抵抗性および動脈硬化が共通の発症基盤として存在すると考えられるようになり、これらの疾患を総称してメタボリックシンドロームと位置づけるようになった。このメタボリックシンドロームが 冠動脈疾患の独立した危険因子であることから、インスリン抵抗性に対する治療が循環器疾患の予防においても重要であると広く認識されるところとなった。

インスリン抵抗性とは、具体的には骨格筋・肝臓・脂肪組織などの臓器における インスリン刺激に対する反応の低下であると考えられる。全身の糖代謝において、脂肪組織でのインスリンに対する反応自体が占める割合は決して大きくない。例えば、インスリン投与に伴う骨格筋・脂肪組織での糖取込みにおいても、脂肪組織へ取込まれるグルコースの総量は決して多くはない。しかし、脂肪組織でのインスリン感受性の変動が 各種アディポサイトカインを介して他臓器にも影響を及ぼし、全身の糖代謝に大きな影響を与えることが 遺伝子改変マウスを用いた研究で判明している。またヒトにおいても、内臓脂肪量がインスリン抵抗性と相関することが報告されており、脂肪組織におけるインスリン作用及びインスリン抵抗性の機序を解明することが 全身のインスリン抵抗性や糖代謝異常の治療法の開発につながると考えられる。

インスリンの主要作用の一つに 骨格筋及び脂肪細胞における糖取込みがある。この糖取込みはグルコーストランスポーター4(GLUT4)を含む小胞がインスリン刺激により細胞内から細胞膜へ移動し、細胞膜上にGLUT4が表出して細胞内への糖輸送を行うことでもたらされる。

これまでの研究により、インスリン刺激によるGLUT4の細胞内移動(translocation)にはPI3K やTC10などを経由する複数のインスリンシグナル経路の関与が明らかとなっている。またイメージング技術の発達に伴い GLUT4小胞の細胞内動態自体の解析も進んでおり、translocationが幾つかの段階を持つ複雑な運動であると判明しつつある。しかし、インスリンシグナルの伝達がどの其質を介してGLUT4の挙動に直接働きかけるのか、またGLUT4の複雑な挙動のどの段階を制御しているのかに関しては依然不明である。また、脂肪細胞においては表層アクチンがインスリン刺激によって形態変化(リモデリング)を起こし、GLUT4のtranslocationに関わっていることが報告されているが、その具体的な役割もまた明らかではない。

本研究ではまずGLUT4の細胞内動態におけるインスリンの作用点を明らかにすることを目的とし、eGFP-GLUT4-cmycを導入した3T3L1脂肪細胞を対象として用い、レーザー共焦点顕微鏡を用いて生細胞でのGFP-GLUT4小胞の細胞内挙動を記録・観察した。インスリン刺激によりGFP-GLUT4小胞の細胞膜へのtranslocationが観察され、これを核周辺と細胞膜におけるGFP輝度比を計測することで定量化した (図1)。また、蛍光標識グルコースを用いた糖取込みの評価系を用いて、脂肪細胞の糖取込み能を評価しGLUT4小胞の細胞内挙動の変化と比較検討した。

次にレーザー共焦点顕微鏡を用いた時間的・空間的高解像度のライブセルイメージングと FRET( Fluorescence Resonance Energy Transfer;蛍光共鳴エネルギー移動)法を組み合わせた解析法を開発し、GLUT4小胞のtranslocationを詳細に観察し、その過程を幾つかに段階化して解析を行った。GLUT4小胞は細胞質内を直線的に移動して核周辺から細胞膜近辺に到達し、その一部が細胞膜に固定されて膜融合へと至る。本研究では特に細胞膜近辺でのGLUT4小胞の動きに着目し、その挙動を細胞膜直下での停留・細胞膜との接着・膜融合のステップに細分化し 各段階でのインスリンの影響を検討した。その結果、インスリン投与に伴い、GLUT4小胞の細胞膜直下での停留時間が有意に延長し、また細胞膜との接着率も有意に上昇していた。即ち、この2段階がGLUT4小胞のtranslocationにおけるインスリン作用点であると考えられた。

さらに、GLUT4小胞の挙動における細胞骨格の役割を検討した。既に微小管は細胞質内のGLUT4小胞輸送に関わっていることが知られており、実際にコルヒチンを用いて微小管の重合を阻害するとGLUT4小胞の細胞内輸送が消失し、インスリン刺激によるtranslocationも消失した。

一方、同じく細胞骨格を形成するアクチンについては、既存の研究によって脂肪細胞の分化に伴いその形態を大きく変えることが報告されている。即ち、脂肪前駆細胞ではアクチンフィラメントは太いファイバー状の集積(ストレスファイバー)を示すが、脂肪細胞へと分化するに従い 形質膜直下にスポット状に分布する表層アクチンと呼ばれる像へと変化する。この表層アクチンという特殊な形態が インスリン投与前後でどのような変化を示すかを 成熟脂肪細胞を用いた固定染色標本にて観察したところ、インスリン刺激により表層アクチンが細網状に増殖し、さらにGLUT4小胞を捕捉している像が得られた。アクチンの重合阻害剤であるサイトカラシンDで細胞を予め処理すると、このインスリン刺激に対する表層アクチンの形態変化(リモデリング)やGLUT4の捕捉現象は認められなくなった。 そこで同様にサイトカラシンDで前処理した脂肪細胞を用いてGLUT4小胞のtranslocationの解析を行い、GLUT4小胞の細胞内挙動が表層アクチンの形態変化によりどのような影響を受けるか検討した。サイトカラシンD投与により、インスリン刺激に伴うGLUT4小胞のtranslocationは消失した。さらにGLUT4小胞の挙動を各段階に分けて解析すると、細胞質内での輸送速度に変化は認めなかったが インスリン刺激後の細胞膜直下での停留時間の延長や細胞膜との接着率の上昇は消失していた。この結果から、インスリン刺激に伴う表層アクチンのリモデリングが 細胞膜直下でのGLUT4小胞の挙動に影響し translocationに関与している可能性が示唆された。さらに、この表層アクチンのリモデリングに関わる分子を検索するために アクチン結合蛋白のスクリーニングを行った。 対象とした蛋白のうち Dynamin2が成熟脂肪細胞で発現が顕著に増加すること、また免疫組織化学でも表層アクチンと共局在することが確認され、GLUT4小胞の挙動にも関与している可能性があると考えた。siRNAを用いてこのDynamin2発現を抑制した脂肪細胞を用いてGLUT4小胞の挙動解析を行ったところ、インスリン投与後のGLUT4小胞のtranslocationは消失し、細胞膜への停留時間の延長や接着率の上昇も顕著に抑制された。

以上の結果より、インスリン刺激によるGLUT4小胞のtranslocationは 細胞膜近辺でのGLUT4小胞の停留時間の延長及び細胞膜との接着率の上昇によりもたらされることが判明した。またこの細胞膜近辺でのGLUT4小胞の挙動変化にはインスリン刺激による表層アクチンのリモデリングが重要な役割を担っており、Dynamin2も協働蛋白として関与していることが示唆された (図2)。さらに興味深いことには、インスリン投与後の経過時間によるGLUT4小胞の細胞内挙動の変化を各段階で解析したところ、インスリン刺激による細胞膜との接着率の上昇は投与30分後でも残存しており、他段階よりも長時間インスリンの効果が持続していると考えられた。即ち、インスリン刺激に伴う細胞骨格のリモデリングは GLUT4小胞のtranslocationを長時間にわたり促進し、インスリン作用の持続に寄与している可能性が示唆された。

脂肪細胞における糖取込みは 血糖降下に対する実際の貢献度は比較的小さいものの、内分泌的に他臓器に与える影響を介して 全身の糖代謝に関与する重要なインスリン作用であると考えられている。その糖取込み作用の本態であるGLUT4のtranslocationについてはこれまでも様々な研究がなされ、その動態や制御機構が 多数のインスリンシグナルや細胞骨格の関与する複雑な過程であることが明らかになってきた。しかし、その動態が複雑であるために 従来の分子生物学的手法だけでは制御機構を明確にすることが困難であり、共焦点顕微鏡や全反射顕微鏡などを用いたライブセルイメージング技術の発達が この問題の克服に大きく貢献すると期待されている。特に近年報告されている全反射顕微鏡を用いた研究は、細胞膜上でのGLUT4小胞の挙動を詳細に分析するために非常に有用であった。しかし、観察可能範囲が細胞膜上にほぼ限定されるため、細胞全体にわたるGLUT4小胞の動態全貌を捉える事は困難であった。本研究では共焦点顕微鏡を用いた高解像度のライブセルイメージングとFRET法を組み合わせた新たな解析手法を用いて GLUT4小胞の挙動を全段階にわたり詳細に観察し、インスリンの作用点及び細胞骨格の具体的な役割について新たな知見を得た。特に表層アクチンのリモデリングは インスリン作用の持続性への関与も示唆され、今後 インスリン抵抗性治療の新たな創薬ターゲットとなる可能性があると思われる。しかし、インスリンシグナル経路がどのように関与するかなど 未解決な点も多く残されており、今後 分子生物学手法を併用したさらなる追究が必要である。

図1.インスリン刺激によるGFP-GLUT4小胞の細胞内移動(translocation)とGFP輝度を利用した定量化

図2.GLUT4小胞の細胞膜近辺での挙動と細胞骨格の関与

審査要旨 要旨を表示する

脂肪組織における糖取込みは インスリンの主要作用の一つであり、全身の糖代謝にも大きな影響を与えている。本研究はこの糖取込みを担う グルコーストランスポーター4(GLUT4)の細胞内挙動のメカニズムと 細胞骨格の役割を明らかにするため、レーザー共焦点顕微鏡を用いた高解像度ライブセルイメージングを基盤とした手法を用いて GLUT4の細胞内動態の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. eGFP-GLUT4-cmycを導入した3T3L1脂肪細胞を用い、レーザー共焦点顕微鏡にて インスリン刺激によるGFP-GLUT4小胞の細胞膜へのtranslocationを記録し、これを核周辺と細胞膜におけるGFP輝度比を計測することで定量化した。また、蛍光標識グルコースを用いた糖取込みの評価系を併用することにより、脂肪細胞の糖取込みがGLUT4小胞のtranslocationに伴って促進されることが確認された。

2. レーザー共焦点顕微鏡を用いた時間的・空間的高解像度のライブセルイメージングと FRET( Fluorescence Resonance Energy Transfer;蛍光共鳴エネルギー移動)法を組み合わせた解析法を開発し、GLUT4小胞のtranslocation過程を細分化して インスリン作用点の解析を行った。特に細胞膜近辺でのGLUT4小胞の動きに着目して検討したところ、インスリン投与により GLUT4小胞の細胞膜直下での停留時間が有意に延長し、また細胞膜との接着率も有意に上昇することが明らかになった。即ち、この2段階がGLUT4小胞のtranslocationにおけるインスリン作用点である可能性が示された。

3. 成熟脂肪細胞を用いた固定染色標本にて GLUT4小胞と細胞骨格の形態及び相互関係を観察したところ、インスリン刺激により表層アクチンが細網状に増殖し、さらにGLUT4小胞を捕捉している像が得られた。 アクチンの重合阻害剤であるサイトカラシンDで細胞を予め処理すると、このインスリン刺激に伴う表層アクチンの形態変化(リモデリング)やGLUT4の捕捉現象は認められなくなった。

4. 同様にサイトカラシンDで前処理した脂肪細胞では、インスリン刺激によるGLUT4小胞のtranslocationが消失した。さらに同じ細胞を用いて、GLUT4小胞の細胞内挙動のどの段階が影響を受けるかを検討したところ、インスリン刺激によるGLUT4小胞の細胞膜直下での停留時間の延長や細胞膜との接着率の上昇は消失していた。この結果から、インスリン刺激に伴う表層アクチンのリモデリングが 細胞膜直下でのGLUT4小胞の停留を促進し、translocationに関与している可能性が示された。

5. 表層アクチンと協働してGLUT4小胞のtranslocationに関わりうる分子を検索したところ、アクチン結合蛋白の一つである Dynamin2が成熟脂肪細胞において顕著に発現が増加すること、また成熟脂肪細胞の細胞膜直下にて表層アクチンと共局在することが確認された。 この結果よりDynamin2がGLUT4小胞の挙動にも関与している可能性があると考え、siRNAを用いてこのDynamin2発現を抑制した脂肪細胞を用いてGLUT4小胞の挙動解析を行ったところ インスリン刺激によるGLUT4小胞のtranslocationは消失し、細胞膜への停留時間の延長や接着率の上昇も顕著に抑制された。従って Dynamin2がGLUT4小胞の細胞膜付近での挙動に関与し、translocationにおいて重要な役割を担っている可能性が示された。

6. インスリン投与後の経過時間によるGLUT4小胞の細胞内挙動の変化を各段階で解析したところ、インスリン刺激による細胞膜との接着率の上昇は投与30分後でも残存しており、他段階よりも長時間インスリンの効果が持続していると考えられた。即ち、インスリン刺激に伴う表層アクチンのリモデリングは GLUT4小胞のtranslocationを長時間にわたり促進し、インスリン作用の持続に寄与している可能性が示唆された。

以上、本論文は3T3L1成熟脂肪細胞において、GLUT4小胞の細胞内動態におけるインスリンの作用点 及び 表層アクチンのリモデリングの役割を明らかにした。 脂肪細胞における糖取込みは 全身の糖代謝に関与する重要なインスリン作用であるが、本研究はその本態であるGLUT4小胞の細胞内動態の制御機構の解明に寄与すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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