学位論文要旨



No 123712
著者(漢字) 董,艶
著者(英字)
著者(カナ) トウ,エン
標題(和) コモンマーモセットにおけるP190BCR-ABL遺伝子導入造血細胞の動態に関する検討
標題(洋)
報告番号 123712
報告番号 甲23712
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3051号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 教授 中内,啓光
 東京大学 准教授 辻,浩一郎
 東京大学 准教授 千葉,滋
 東京大学 講師 高橋,強志
内容要旨 要旨を表示する

新規治療法の開発にあたり、その有効性や安全性を十分に検討するためには前臨床段階における体内(in vivo)実験系が必要であり、特に、ヒト疾患病態により近似した実験動物モデル系の利用が重要である。従来より、前臨床試験の疾患モデル実験動物としては主としてマウスやラットなどの齧歯類が使われているが、齧歯類とヒトとの遺伝学的背景がかなり異なっているため、これらで得られた実験結果をそのままヒトに当てはめて結果を予測することは危険である。近年、小型新世界サルのコモンマーモセット(以下マーモセットと略)が従来医学実験にしばしば使用されている大型霊長類における諸問題を克服可能な新たな実験動物として注目を集めている。当分子療法分野では、以前より新規遺伝子治療や細胞移植療法の開発のための基礎研究や前臨床研究を行ってきた経緯を持ち、その為の疾患動物モデル系を確立する目的で、マーモセットの血液免疫学的検討を特に行ってきた。

本研究ではPh陽性白血病の責任遺伝子であるp190(BCR-ABL)を発現するシュードタイプレンチウイルスベクターを自家末梢血前駆細胞移植法および大腿骨髄内直接ウイルス感染法でマーモセット造血細胞に導入し、各個体における遺伝子導入細胞の動態について経時的に解析した。

遺伝子導入自家末梢血前駆細胞を移植した3個体中1個体では移植後2ヶ月まで末梢血におけるp190遺伝子発現が確認されたが、その後現在まで2年以上経過した時点で3個体とも末梢血・骨髄細胞におけるp190遺伝子の発現は検出できなかった。また、これらの個体に対して前処置として5FUとプレドニンを投与し大腿骨髄内直接ウイルス感染実験を行ったが、結果的に安定した遺伝子発現は認められなかった。これら個体に対する前処置として使用したブスルファンによる骨髄抑制の救済目的で移植後にヒトG-CSFを連日大量投与した際、複数の個体で投与3週目以降に抗ヒトG-CSF中和抗体を生じたことはp190発現細胞が免疫学的に排除された可能性を示唆している。また、本研究に使用したマーモセットの年齢は4~6歳で、既に成体になっており十分な免疫機能を有している。今後の検討事項として低年齢の、極端にいえば生後間もない個体を使用すれば、免疫学的監視機構を逃れて遺伝子発現細胞の安定した増幅が望めるかもしれない。

2個体に対しては最初から骨髄内に直接ウイルスベクターを注入した。本法は本研究で初めてわれわれが実施したものであるが、in vivoにおいて造血前駆細胞への遺伝子導入が可能であることを証明できた。直接ウイルス感染法を試みた個体では長期間p190遺伝子発現が認められており、実験条件を改変することによりp190遺伝子導入細胞の安定した体内増幅が得られる可能性があるものと考えられた。しかし、遺伝子の発現は見られるものの、ウイルス注入1年半の時点ではまだ白血病発症は認められなかったことより、より未分化細胞への遺伝子導入効率を上げるための前処置法、高力価遺伝子導入ベクターの作成、ウイルスベクター投与後の免疫抑制処置などの工夫が必要であろう。実際、骨髄内へのウイルスベクター注入後に末梢血中にウイルスベクター遺伝子が検出されたことから、樹状細胞など抗原提示細胞への感染の可能性は高く、これによって誘起された抗ウイルスベクター免疫応答によりp190発現細胞が排除された可能性は十分に考えられる。この解決策として、ウイルス感染後の長期的な免疫抑制剤の使用は一策であるが、遺伝子導入細胞への影響や感染症合併のリスクなどの問題点もあり、今後十分な検討が必要である。

マウス白血病モデルはヒト白血病発症機序の解明ならびに治療法開発等を目的に、近年その重要性がさらに増してきているが、その作出法としては遺伝子導入ベクターを用いてがん遺伝子を過剰発現させた造血幹細胞を自家もしくは同系移植する方法、ヒト白血病細胞を免疫不全マウスに異種移植する方法、さらにはがん遺伝子の過剰発現、遺伝子点突然変異のノックイン、もしくはがん抑制遺伝子のノックアウトを胚性幹細胞に導入することで遺伝子改変マウスを作出する方法等が可能になってきている。

これらの方法により作出されたマウス白血病モデル系では白血病細胞の特性としてはヒト白血病に類似しているものの、現在開発が急速に進められてきている遺伝子導入ベクターを含む新規分子標的薬剤などの安全性、有効性を検定する上では、宿主への影響を予測する機能面から十分な実験動物系であるとは言い難い。非ヒト霊長類を用いて白血病モデル系を作出することはこの観点から極めて重要であると考えられるが、今回のわれわれの研究結果を含め、まだ十分なモデル系の報告はないのが現状である。その理由として先ずマウスと霊長類との間の造血幹・前駆細胞の間の遺伝子変異に対する感受性の違いがあげられよう。すなわち同じがん遺伝子を造血幹細胞に遺伝子導入して自家もしくは同系移植を行ってもマウスでは幹細胞に発生するセカンドヒットがおこるまでの時間が早く、結果として白血化までの時間が短い可能性が考えられる。この考え方を直接支持する結果はまだ得られていないが、マウスでの白血病化までの時間が多くは1年以内であるのに対し、最近フランスで行われたX-SCID(伴性重症複合免疫不全症)に対する遺伝子治療臨床研究においては、共通γ鎖遺伝子を高頻度に導入した患者造血幹細胞の自家移植後約2~3年以降に白血病が発症していることはこの一つの例とも考えられる。

また、個体のもつ原因遺伝子への白血病感受性は年齢によって異なることが報告されている。例えば、急性リンパ性白血病(ALL)染色体転座において乳児ALLに一番多く見られているのはMLL-AF4であって、これに対し児童ALLではTEL-AML1、成人ALLではBCR-ABLであることが報告されている。上述のX-SCIDに対する遺伝子治療臨床研究においても、白血病化した患者は患者群の中で若い時期に遺伝子治療を受けた患者であったことから、若年期の造血幹・前駆細胞が有する白血病化感受性は成人造血幹・前駆細胞が有する白血病化感受性よりも高いのではないかということが、遺伝子導入効率の差とともに議論されている。さらに、ヒト造血幹・前駆細胞中にBCR-ABL遺伝子を導入後、免疫不全マウスに移植し白血病化が報告されているのは臍帯血造血幹・前駆細胞を用いたものであり、成人造血幹・前駆細胞を用いての報告は検索しえた範囲ではまだない。この観点からのヒト造血幹・前駆細胞の白血化に関する詳細な分子機構に関してはこれからもさらに検討がなされるものと考えられるが、本研究に用いたマーモセットは全て既に成体であったことから、今後の研究ではより若年の個体を用いて検討することで本研究の目的に沿った情報が得られるものと考えられる。

さらに、ヒト白血病発症過程において多数の遺伝子異常が関与することはよく知られており、齧歯類のマウスと霊長類のヒトやサルでは白血病発症に必要な遺伝子異常の数や種類が同じとは限らない。一般に高等動物ほど実験的に悪性腫瘍を作るのは困難である。この点を克服する為にはBCR-ABLに加えて白血病化に関与することが知られている複数の遺伝子導入が必要である可能性も考えられ、我々は現在基礎的研究を実施中である。

以上より、マーモセットにおいてヒト造血器腫瘍モデルを確立するためにはまだ多くの課題が残されているが、本研究で得られた結果から、今後マーモセットを含む非ヒト霊長類の造血幹・前駆細胞を標的とする疾患モデル構築の上で有用な情報を提供できたと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はPh陽性白血病の責任遺伝子であるp190(BCR-ABL)を発現するシュードタイプレンチウイルスベクターを自家末梢血前駆細胞移植法および大腿骨髄内直接ウイルス感染法でマーモセット造血細胞に導入し、各個体における遺伝子導入細胞の動態について経時的に解析したものであり、下記の結果を得ている。

1.5FUとプレドニンの前処置を行った骨髄内に直接ウイルスベクターを注入する方法によりp190をマーモセット造血幹細胞にIntegrationさせられた。

2.骨髄内に直接ウイルスベクターを注入する方法を試みた個体では長期間に渡ってp190遺伝子発現が認められており、in vivoにおいて造血前駆細胞への遺伝子導入が可能であることを証明できた。

3.遺伝子の発現は見られるものの、ウイルス注入1年半の時点ではまだ発症は認められなかった。

4.ブスルファンの前処置による自家移植モデル系ではp190遺伝子の安定した体内増幅は認められなかった。

5.大量ヒトG-CSFの短期間連日投与によって末梢血中に造血前駆細胞を効率よく誘導する効果が得られたが、投与3週目以降に抗ヒトG-CSF中和抗体が上昇したことから、マーモセットの造血刺激にヒトG-CSFを長期間使用することは有効でないことが判明した。

以上、本論文はマーモセットにおいてヒト造血器腫瘍モデルを確立するためにはまだ多くの課題が残されているものの、in vivoにおいてp190遺伝子導入細胞の安定した体内増幅を得る可能性があることを明らかにした。本研究で得られた結果は、今後マーモセットを含む非ヒト霊長類の造血幹・前駆細胞を標的とする疾患モデル構築の上で有用な情報を提供できたと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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