学位論文要旨



No 123719
著者(漢字) 江口,航生
著者(英字)
著者(カナ) エグチ,コウセイ
標題(和) 遊離脂肪酸、小胞体ストレス、転写因子KLF5の膵β細胞の機能低下における役割
標題(洋) The Role of Free Fatty Acids, Endoplasmic Reticulum Stress, and Transcription Factor KLF5 in pancreatic β cell dysfunction
報告番号 123719
報告番号 甲23719
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3058号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 門脇,孝
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 特任教授 山崎,力
 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 教授 大内,尉義
内容要旨 要旨を表示する

現在、肥満・高血圧・脂質代謝異常・インスリン抵抗性を主な構成要素とするメタボリックシンドロームは全世界で急激に増加している。メタボリックシンドロームの病態生理を特徴付けるものとして、インスリン抵抗性が挙げられ、インスリン抵抗性の大きな原因の一つが血中遊離脂肪酸の増加であり、血中遊離脂肪酸濃度は2型糖尿病発症の独立した危険因子である。2型糖尿病の発症と進行においては、インスリン抵抗性とともに膵β細胞の機能低下が進行する。膵β細胞の機能低下においても、血中遊離脂肪濃度の慢性的高値が原因の一つとなることが示され、インスリン合成の低下、グルコース反応性インスリン分泌の低下などからなるβ cell lipotoxicityの概念が確立されている。しかし、遊離脂肪酸が膵β細胞の機能低下をもたらす分子生物学的メカニズムは明らかでない。

今回私は、遊離脂肪酸によるβcell lipotoxicityにおいて、小胞体ストレスのはたす役割を解析した。血中脂肪酸の主要成分であり、また飽和脂肪酸であるパルミチン酸は、膵β細胞においてインスリン含有量の低下、インスリン分泌の低下と同時にCHOP, spliced Xbp-1などの小胞体ストレスマーカーを誘導し、小胞体ストレスを抑制する4-phenyl butyric acid (PBA)やtaurine-conjugated ursodeoxycholic acid (TUDCA)などのchemical chaperoneを用いると、パルミチン酸によるβ細胞の機能低下が抑制された。すなわちβ cell lipotoxicityにおいて小胞体ストレスが重要な役割を果たすことが示唆された。またこのとき、β細胞でのインスリンシグナルを解析すると、パルミチン酸刺激によりインスリン刺激によるAktのリン酸化は抑制され、これは、chemical chaperoneにより小胞体ストレスを抑制することにより回復することが示された。近年小胞体ストレスはそのeffecter分子の一つである、IRE1を介してJNKのリン酸化を起こし、これによりIRS1/2のserineリン酸化を介してインスリン抵抗性を生じることが示されており、この機序が働いている可能性が示唆された。このため、JNKやIRS1(ser307)のリン酸化を調べると、パルミチン酸ストレスによりこれらのリン酸化が生じ、chemical chaperoneにより小胞体ストレスを抑制するとこれらのリン酸化が抑制されることが示された。膵β細胞特異的インスリンレセプターノックアウトマウスや、IRS-1ノックアウトマウスが、インスリンの第1層分泌の低下やインスリン含有量の低下などの表現形を示すことが報告されており、また、2型糖尿病患者では早期より第1相のインスリン分泌の低下が認められることが報告されている。以上のことより、小胞体ストレスはインスリンシグナルの抑制を介してβ cell lipotoxicityに関与し、これは2型糖尿病の病態の一面を説明すると考えられた。

また、パルミチン酸が小胞体ストレスを誘発する仕組みについて検討を行った。toll-like receptor (TLR) 2/4はパルミチン酸などの飽和脂肪酸をリガンドとして認識しシグナル伝達が生じ、またエイコサペンタエン酸を含むn-3 多価不飽和脂肪酸はこれを阻害する事が示されていることから、パルミチン酸による小胞体ストレスの誘導にTLR pathwayが関与している可能性を検討した。siRNAを用いてTLR4またはそのadaptor proteinであるMyD88をノックダウンすると、パルミチン酸による小胞体ストレスの誘導および、インスリン mRNAの低下が減弱することから、TLR 4がパルミチン酸による小胞体ストレスの誘導および、β cell lipotoxicityに関与している可能性が示唆された。

一方、これまでに我々は、転写因子KLF5のヘテロノックアウトマウスにおける高脂肪食モデルなどを用い、KLF5の脂肪細胞分化における役割を報告したが、興味深い事に、同様のモデルにおいて、KLF5ヘテロノックアウトマウスでは高脂肪食による膵β細胞の組織構造の障害が減弱しており、代謝ストレスによる膵β細胞の障害においてKLF5が役割を果たしていることが示唆された。このため、膵β細胞でのKLF5の働きを調べた。

まずマウスから単離した膵β細胞ではKLF5の発現が確認された。膵β細胞のcell line MIN6にパルミチン酸による刺激をすると、小胞体ストレスの誘導と同時にKLF5の発現増加と、インスリンのmRNA・蛋白の減少を伴った。ここでPBAまたはTUDCAにより小胞体ストレスを抑制したところ、KLF5の誘導が抑制され、同時にインスリンmRNA・蛋白の減少が回復した。逆にThapsigarginまたはTunicamycinによる小胞体ストレスの誘導によってもKLF5が誘導され、インスリンmRNA・蛋白の減少を認めた。MIN6におけるインスリンプロモーターのレポーターアッセイでは、KLF5によりインスリンのプロモーター活性が抑制される事が示された。またパルミチン酸の刺激のもとに、siRNAによるKLF5のノックダウンを行うとインスリンmRNAの増加を認め、KLF5のシグナルがインスリンの転写を抑えていることが示された。これらの結果より、KLF5は代謝ストレスによる小胞体ストレスにより誘導され、膵β細胞の障害において重要な役割を果たしていることが示唆された。

さらに、これまでに高脂肪食負荷による第1相のインスリン分泌低下に対して、魚油を添加することにより第1相のインスリン分泌の回復が認められることが報告されていることから、魚油に含まれるn-3多価不飽和脂肪酸の代表としてエイコサペンタエン酸をパルミチン酸刺激に追加したところ、小胞体ストレスの減弱と共に、インスリンシグナルの回復を認め、さらにインスリン含有量・インスリン分泌の回復を認めた。これより、今回明らかにした、飽和脂肪酸による小胞体ストレスを介した膵β細胞におけるインスリン抵抗性が、膵β細胞lipotoxicityに対する治療の標的となることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は現在世界的に急激に増加している2型糖尿病の発症における、膵β細胞の機能低下において、その大きな原因の一つと考えられている遊離脂肪酸の果たす役割について、小胞体ストレスを介した分子生物学的メカニズムを解析し、さらに小胞体ストレスをターゲットとした膵β細胞の機能低下に対する治療の可能性について検討したものである。さらに、転写因子KLF5のヘテロノックアウトマウスが長期の高脂肪食下においても膵β細胞の組織学的変化が抑制されている事に着目し、KLF5の小胞体ストレスの下流転写因子としての機能について解析し、下記の結果を得ている。

1.飽和脂肪酸であるパルミチン酸ストレスは単離膵島のインスリンmRNAの減少と、グルコース応答性インスリン分泌を減少させるが、n-3多価不飽和脂肪酸であるエイコサペンタエン酸を追加するとこれらの膵β細胞の機能低下は減弱した。この時、単離膵島の小胞体ストレスのマーカーを見ると、パルミチン酸により誘導された小胞体ストレスが、エイコサペンタエン酸(EPA)により減弱されていた。

2.このことから、マウスβ細胞株MIN6に対するパルミチン酸ストレス時に、小胞体ストレスを抑制する物質、4-フェニルブチリックアシッド(4-PBA)、またはタウルソデオキシコリックアシッド(TUDCA)を前投与することにより小胞体ストレスを抑制すると、膵β細胞の機能低下は減弱しており、パルミチン酸による膵β細胞の機能低下は小胞体ストレスを介することが示された。

3.小胞体ストレスが膵β細胞の機能低下を起こすメカニズムを解析するため、パルミチン酸ストレス時、およびこれに加えてEPA、4-PBA、またはTUDCAを投与した時のインスリンシグナルを解析したところ、パルミチン酸によりインスリンシグナルが抑制され、この抑制はEPA、4-PBA、またはTUDCAにより小胞体ストレスを減弱させると回復していることが認められ、小胞体ストレスはインスリンシグナルの抑制を介して膵β細胞の機能低下を引き起こしていることが示唆された。

4.転写因子KLF5のヘテロノックアウトマウスでは長期の高脂肪食下においても膵β細胞の組織学的変化が抑制されているが、パルミチン酸ストレスは、小胞体ストレスの誘導と共に、KLF5の発現も増強する所見を認めた。このことから、MIN6において小胞体ストレスとKLF5の関係を調べたところ、KLF5の発現は小胞体ストレス誘導剤により誘導され、パルミチン酸ストレス時に4-PBAまたはTUDCAにより小胞体ストレスを減弱させると抑制されることから、KLF5は小胞体ストレスを介して誘導されることを示した。

5.KLF5ヘテロノックアウトマウスの単離膵島ではインスリンmRNAが野生型に比べ有意に高値であることから、MIN6においてパルミチン酸ストレス下でKLF5をsiRNAによりノックダウンしたところ、パルミチン酸によるインスリンmRNAの減少が減弱される所見を認め、さらにMIN6におけるインスリンプロモーターのレポーターアッセイでは、KLF5によりインスリンのプロモーター活性が抑制された。以上よりKLF5が代謝ストレスによる小胞体ストレスにより誘導され、膵β細胞の障害において重要な役割を果たしていることが示唆された。

以上、本論文は2型糖尿病発症において重要な因子であると考えられる、遊離脂肪酸による膵β細胞の障害のメカニズムの解明と、そのメカニズムをターゲットとした治療法の検討に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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