学位論文要旨



No 123729
著者(漢字) 杉本,貴史
著者(英字)
著者(カナ) スギモト,タカフミ
標題(和) 側方発育型大腸腫瘍の臨床病理学的および分子生物学的特徴の検討
標題(洋)
報告番号 123729
報告番号 甲23729
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3068号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 准教授 川邊,隆夫
 東京大学 客員准教授 金井,文彦
 東京大学 准教授 福嶋,敬宜
 東京大学 准教授 野村,幸世
内容要旨 要旨を表示する

背景・目的

近年、スクリーニング下部消化管内視鏡検査の普及や、高画質電子スコープ、拡大鏡、特殊光など内視鏡装置の発達と、内視鏡技術の向上とともに、従来のポリープ状の隆起性腫瘍とは形態的に異なる腫瘍の報告が増加している。その中で、側方発育型大腸腫瘍(LST)は、側方発育傾向を示す上皮性腫瘍で、10mm以上の大きさを示す病変と定義される。LSTは、特徴的な形態のみならず、発生部位や発育様式にも特徴があるが、その特徴を明確にする臨床的検討や、その特徴を規定する分子生物学的検討はまだまだ少ないのが現状である。さらに、LSTは、顆粒型(granular type; LST-G)と非顆粒型 (non-granular type; LST-NG) の2種に大別される。この2種は、病変の形態のみならず、発生部位や担癌率においても相違があると考えられているが、その詳しい発生、発育進展様式や、それらの基盤となる分子生物学的メカニズムの差異についてはいまだ不明な点が多い。今回の研究では、LSTという病態に着目して、当科の大腸疾患データベースからLSTの臨床的背景および病理学的特徴と、内視鏡的切除術を施行したLST検体から分子生物学的特徴について検討した。

方法

1.LSTの臨床病理学的検討

1995年9月から2007年3月までの間に、東京大学消化器内科において下部消化管内視鏡検査を施行した、初回患者6501例を対象に、年齢、性別、大腸腫瘍の発生と、その局在部位、大きさ、形態、癌の有無、病理学的特徴について検討した。統計学的手法として、カイ2乗検定、Student t-test、Kruskal-Wallis検定を用い、p<0.05を統計学的有意と判定した。

2.LSTの分子生物学的検討

東京大学消化器内科において、2005年9月から2006年9月までの1年間に、内視鏡的粘膜切除術(Endoscopic Mucosal Resection, EMR)または内視鏡的粘膜下層剥離術(Endoscopic Submucosal Dissection, ESD)にて内視鏡的に一括切除された10mm以上の大腸腫瘍104例(LST 54例、Polypoid 50例)を対象とした。大腸腫瘍で高頻度に報告されているKRAS, BRAF, PIK3CA, CTNNB1遺伝子の塩基配列を、LST検体からPCRダイレクトシークエンス法を用いて解析した。また、大腸腫瘍で高頻度に報告されているTP53,CTNNB1,MYCについて免疫組織化学で検討した。さらに、APC遺伝子の変異については、大腸癌で報告されるように、2か所のマイクロサテライトマーカーを用いた染色体5q21-22領域のLOH解析を行った。統計解析には、カイ2乗検定、Student-t test、多重ロジスティック回帰分析を用い、p<0.05を統計学的有意と判定した。

結果

1.LSTの臨床病理学的検討

全体6,501症例の内、42.4%にあたる2754症例に合計5591病変を認めた。Small adenomaを4,049病変(2,222症例)、Advanced lesionを1,279病変(958症例)、Invasive cancerを263病変(252症例)に認めた。また、Advanced lesion 1,279病変の内、Polypoidを1,073病変(812症例)、LSTを174病変(161症例)、IIcを32病変(32症例)に認めた。

LSTは、Polypoidと比べて、高齢者(P<0.0001)、腫瘍径の大きな病変が多く(P<0.0001)、右側結腸に多く(P<0.0001)、担癌率も高かった(P=0.0344)。女性の頻度がやや上昇するが、統計学的に有意差はなかった(P=0.2296)。LSTは、IIcと比べて、腫瘍径の大きな病変が多く(P=0.0081)、担癌率は低かった(P<0.0001)。年齢、性別、部位に統計学的に有意差はなかった(それぞれP=0.2800、P=0.9181、P=0.1015)。

LSTは、PolypoidやIIcよりも腫瘍径の大きな病変が多いが、IIcと同様の年齢、性別の分布を示し、その発生部位も同様であった。一方で、担癌率はIIcの1/3程度であり、むしろPolypoidに近い性質を有していた。

2.LSTの分子生物学的検討

アミノ酸変異については、LSTとPolypoidを比較して、KRAS, BRAF, PIK3CAの全てにおいて統計的な有意差は認めなかった(それぞれP=0.182、P=0.710、P=0.132)。免疫組織化学では、LSTとPolypoidを比較して、TP53、CTNNB1とも統計的な有意差は認めなかった(それぞれP=0.176、P=0.850)。LSTとPolypoidの比較では、一見すると分子生物学的な特徴に差がないように思われたが、LSTにはLST-GとLST-NGの2種類の形態があり、形態別に解析する必要があった。

形態別に解析すると、KRAS変異は、LST-G群19/35(42.6%)、LST-NG群4/19(21.1%)と統計学的に有意な差を認め(P=0.0156)、CTNNB1陽性は、LST-G群13/35(37.1%)、LST-NG群13/19(68.4%)と統計学的に有意な差を認めた(P=0.0267)。他の背景因子による影響ではないことを確かめるため、さらにロジスティック回帰分析を用いて多変量解析を行った。KRASでは、年齢(/歳)でオッズ比1.001、95%CI 0.947-1.058、性別(男性/女性)でオッズ比0.502、95%CI 0.118-2.131、LSTの部位(左/右)でオッズ比1.597、95%CI 0.415-6.140、LSTの大きさ(mm)でオッズ比0.987、95%CI 0.942-1.034、肉眼型(NG/G)でオッズ比0.222、95%CI 0.056-0.883、癌組織の有無でオッズ比0.483、95%CI 0.105-2.217であり、肉眼形態のみがKRASの恒常活性型変異の有無と相関を示した。CTNNB1では、年齢(/歳)でオッズ比0.992、95%CI 0.935-1.053、性別(男性/女性)でオッズ比4.313、95%CI 0.830-22.41、LSTの部位(左/右)でオッズ比2.578、95%CI 0.617-10.78、LSTの大きさ(mm)でオッズ比1.008、95%CI 0.959-1.059、肉眼型(NG/G)でオッズ比4.512、95%CI 1.124-18.11、癌組織の有無でオッズ比5.105、95%CI 0.881-29.58であり、肉眼形態のみがCTNNB1の活性状態の有無と相関を示した。

LSTの形態による分子生物学的特徴の差について、CTNNB1の免疫組織化学染色の差に着目して、Wntシグナル系の遺伝子についての解析を追加した。CTNNB1のアミノ酸変異、APC遺伝子の2か所のマイクロサテライトマーカーを用いたLOH解析、Wntシグナル系の下流であるMYC遺伝子の免疫組織化学染色を検討した。CTNNB1の恒常活性型変異は、Exon3領域で報告されているが、LST 54症例の中には、1例も変異を認めなかった。MYC陽性症例は、LST-G 6/35(17.1%)、LST-NG 8/19(42.1%)であり、統計学的に有意差があった(P=0.0491)。APC遺伝子のLOHは、LST-Gで7/25(28%)、LST-NGで9/15(60%)に認め、LST-NGで5q21-22領域の欠失が有意に多いという結果であった(P=0.0302)。

考察

進行癌へ進展するハイリスク群、大腸腫瘍摘除治療の絶対適応群としてAdvanced lesionという概念が提唱されている。Advanced lesionは、(1)粘膜内癌、(2)病変の大きさが10mm以上の腺腫、(3)異型度が高度異型(severe atypia)の腺腫、(4)絨毛成分(villous component)を含む腺腫病変、のいずれかを満たす病変と定義される。本研究で対象としたLSTは、10mm以上である点において、すでにAdvanced lesionすなわち大腸進行癌のハイリスク群の範疇に含まれるべき病態である。Advanced lesionは、Polypoid、LST、IIcの3つの肉眼型を示す。Advanced lesionに含まれるこの3種類の病態について臨床的特徴を検討すると、LSTは、IIcと同様に右側結腸に多いが、担癌率はIIcより有意に低く、Polypoidと同程度であった。LSTは、病変の肉眼形態のみならず、臨床的特徴でもPolypoidやIIcと異なる特徴を有していた。また、本研究ではAdvanced lesion1279病変中、Polypoid 1073病変、LST 174病変、IIc 32病変を認めた。LSTのAdvanced lesion全体における割合が約14%と高く、LSTは症例報告の範疇ではなく、大腸腫瘍の診断学上に無視できない位置を占めていることがわかった。

さらに、LSTの形態別にわけると、LST-GはLST-NGに比べて女性に多く、盲腸、上行結腸および直腸と大腸内で離れた分布を示していた。一方、LST-NGはLST-Gと比べ男性に多く、肝彎曲を中心とした上行結腸から横行結腸に分布していた。今回の検討では、LST-GとLST-NGの間に、性別、病変部位以外には、年齢、腫瘍径、担癌率で統計学的に有意な臨床的特徴の差を認めなかった。LSTの中でも、形態により臨床的特徴に差異があり、それ故、その腫瘍発生や進展のメカニズムにも相違があるのではないかと推察された。

分子生物学的検討では、大腸腫瘍(腺腫および癌)で頻度の高いKRAS、BRAF、PIK3CAの遺伝子変異をダイレクトシークエンス法で、TP53、CTNNB1、MYCの発現異常を免疫組織化学で調べた。LSTとPolypoidの2群間には、その肉眼形態と臨床背景の差にもかかわらず、意外なことに5種類の遺伝子すべてについて、統計学的に有意な差は認められなかった。LSTのKRAS活性型遺伝子変異に関する既報によると、Takahashiらの報告では、LSTがPolypoidよりも統計学的に有意にKRAS変異が多かったが(LST: Polypoid=35%:13%)、Mikamiらの報告ではLST: Polypoid=25%:16%、Noroらの報告では、LST: Polypoid=21%:26%で、いずれも統計学的有意差はなかった。今回の検討は前述2報告のLSTのKRAS変異に有意差がないことを支持する結果であったが、報告毎に相違がある理由は不明である。ただし、LSTの形態を考慮せずに行われた検討であり、LST-GとLST-NGに分けて検討することで解決できるのではないかと考えた。

LST-GとLST-NGの形態別に分けると、LST-GはLST-NGよりもKRAS変異が有意に多かった。特に、LST-GはPolypoidや進行癌と比べてもKRAS変異の頻度が有意に高く、興味深い結果であった。LST-GにはKRASの活性型遺伝子変異が強く関与していることが考えられた。

KRAS変異については、つい最近、平岡らが2006年に、LST-GとLST-NGにわけた検討を発表しており[58]、LST-GがLST-NGに比して有意に頻度が高いという結果であった。本研究は、KRAS変異に関してこの報告を支持する結果であった。

一方で、CTNNB1の発現異常では、LST-NGがLST-Gより有意に頻度が高かった。CTNNB1の免疫組織化学について、LST-GとLST-NGに分類した報告はない。CTNNB1の核移行はWntの活性化を裏付ける所見であり、LST-NGにおいて、Wntシグナルの活性化が重要な役割を担っている可能性が示唆された。Wntシグナルの活性化には、大腸腫瘍においては、がん抑制遺伝子のAPCの異常と癌遺伝子のCTNNB1遺伝子の異常が報告されている。LSTでは、CTNNB1遺伝子の変異は、0/54例であった。APC遺伝子近傍の5q21-22領域のLOH について検討した所、やはりLST-NGは、LST-Gに比べLOHが多かった。LST-NGにおいて、Wntシグナルの活性化にはAPCのLOHが一因として関与している可能性が考えられた。

結論

LSTは、下部消化管内視鏡検査の普及、発達とともに、進行する前に早期発見されるようになった病変であり、疫学、治療法、分子生物学的特徴すべてにおいて未知な事が多い病変である。今回の検討で、LSTの臨床的特徴と分子生物学的特徴の一端が示された。臨床的には、LSTはPolypoidやIIcと異なった特徴を有することが示された。分子生物学的には、Polypoid、LST-G、LST-NGの3種類の病態は、同じ病理学的特徴を持ちながら、遺伝子レベルではそれぞれ異なる特徴を有する可能性を示す興味深い結果となった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、側方発育型大腸腫瘍(LST)の臨床病理学的特徴を明らかなにするため、下部内視鏡検査のデータから疫学的に統計解析を行い、さらにLSTの分子生物学的特徴を明らかにするため、内視鏡治療後検体を用いた遺伝子変異の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. LSTは大腸腫瘍の約3%、Advanced lesionの約14%を占める腫瘍であり、大腸腫瘍の診断学上、症例報告の範疇を超えた、重要な位置を占める疾患であることが明らかとなった。また、LSTは、Advanced lesionという大腸進行癌へ進展するハイリスク群に含まれる病態であるが、同じAdvanced lesionに含まれるPolypoid(隆起型)とIIc(陥凹型)の両者とも異なる臨床的特徴を備えていることが示された。

2. LSTは形態学的にLST-G(顆粒型)とLST-NG(非顆粒型)に分類されるが、この両者間でも臨床的特徴に差を認め、特に発生部位においては、LST-Gは盲腸、上行結腸、直腸と大腸内で離れた位置に多く分布し、LST-NGは肝彎曲を中心とした上行結腸から横行結腸に多く分布するといる、特異な特徴が示された。

3. 分子生物学的な検討では、大腸腫瘍で頻度の高いKRAS、BRAF、PIK3CAの遺伝子変異をダイレクトシークエンス法を用いて、TP53、CTNNB1、MYCの発現異常を免疫組織化学を用いて検討しているが、LSTとPolypoidの間には有意な差を認めないことが示された。

4. LST-GとLST-NGの形態別に分けると、LST-GはLST-NGよりもKRAS変異が有意に多く、LST-NGはLST-GよりもCTNNB1の発現異常、MYCの発現異常が有意に多いことが示された。CTNNB1の発現異常とMYCの発現異常は、Wntシグナルの活性化を裏付ける所見であり、LST-NGにおいて、Wntシグナルの活性化が重要な役割を担っている可能性が示唆された。そこで、Wntシグナル活性化に関わる因子についてさらに検討が加えられた。

5. 大腸癌において、Wntシグナル活性化に関わる因子として、がん抑制遺伝子のAPCの異常と癌遺伝子のCTNNB1遺伝子の異常が報告されており、その2因子について検討された。LSTでは、CTNNB1の遺伝子変異が0/54例であった。APC遺伝子近傍の5q21-22領域のLOHについて検討した所、LST-NGはLST-Gに比して有意にLOHが多いことが示され、LST-NGにおいて、Wntシグナルの活性化にはAPC遺伝子のLOHが一因として関与していることが示された。

以上、本論文はLSTがPolypoidやIIcとは異なる特異な臨床的特徴を有する事を明らかにし、LST-GとLST-NGでは、分子生物学的に、特にKRAS変異とCTNNB1の発現異常において特徴を異にする事が明らかにされた。本研究は、これまでに明らかにされていなかった、LSTの発生部位や担癌率を含む臨床的特徴を示され、LST-NGにWntシグナル系の活性化が重要な役割を担う可能性を示された、LSTの病態解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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