学位論文要旨



No 123750
著者(漢字) 橋本,寛子
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,ヒロコ
標題(和) 大動脈弓石灰化の臨床的意義
標題(洋)
報告番号 123750
報告番号 甲23750
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3089号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 講師 賀藤,均
 東京大学 客員准教授 佐田,政隆
 東京大学 講師 下澤,達雄
 東京大学 講師 寺本,信嗣
内容要旨 要旨を表示する

<背景>

現代は著しい高齢社会となっており、加齢に伴い増加する循環器疾患の成り立ちの解明は重要な課題である。高齢者の循環動態が特徴的である原因として、動脈硬化が重要視されている。この血管壁の硬化にはコラーゲン沈着やエラスチンの脱落なども関わっているが、最大の要素は血管壁における石灰化である。

しかし、血管の石灰化が臨床的な循環動態とどのように関連しているのかはまだ明確にはわかっていない。

近年、血管石灰化、特に冠動脈石灰化に対してEB-CTやMD-CTなどの最新医療機器を駆使して、血管石灰化を定量化し動脈硬化との関連が研究されているが、日常的な診療において一番簡便であり頻繁に行われている胸部単純X線撮影を用いて、同様に様々な危険因子との相関や心血管病の発症予測に関する情報を得られるのかは大きな課題である。

本研究では大動脈石灰化に着目し,臨床診療において用いられている胸部X線撮影正面像を用いて大動脈弓石灰化の程度をグレード分類し、腹部大動脈石灰化の程度との差異を検討した上で、胸部X線検査での大動脈弓石灰化の評価の妥当性を検討する。また、様々な因子や動脈硬化危険因子との関連も調べ、さらに追跡調査を行い心血管イベント発症の予測因子となり得るかを検証する。以上から、一般診療において最も簡便であり必須検査である胸部X線撮影を用いた大動脈石灰化の評価の有用性を多角的に検討する。

<対象及び方法>

1995年から2000年に東京大学医学部附属病院老年病科通院中であった238名を対象とした。

本研究は東京大学倫理委員会の承認を得て行われ、検査にあたってはその目的、方法を口頭、文書で説明し、同意書に署名を頂いた。

研究1 胸部X線検査を用いた動脈弓石灰化の評価の妥当性の検討

胸部大動脈石灰化の評価法として,胸部X線正面像(肺野条件)を用いた。大動脈弓石灰化の評価を行い、その石灰化の程度を4分類した。腹部大動脈石灰化の評価法として腰椎X線側面像(骨条件)から腹部大動脈石灰化長および腹部CTから腹部大動脈石灰化率(ACI)を計測した。

研究2 大動脈弓石灰化と動脈硬化危険因子との関連の研究

1)身体測定および血圧・生化学的マーカー測定

BMI、血圧、血清総コレステロール、LDLコレステロール、HDLコレステロール、中性脂肪、空腹時血糖、HbA1c、血清クレアチニン、血清カルシウム、血清リン、尿蛋白の測定を行い、eGFRを算出した。

2)動脈硬化の評価法として以下のものを測定した

i) 内頚動脈内膜中膜壁厚(IMT)

ii) 血管拡張反応機能

内皮依存性血管拡張反応:%FMD (flow-mediated dilatation)

内皮非依存性血管拡張反応:%NTG (nitroglycerin-mediated dilatation)

研究3 心血管系疾患発症に対する予後追跡調査

前述の対象症例のうち167名に関して、約3.5年間にわたる脳心血管イベント(脳血管障害(脳梗塞、脳出血、一過脳虚血発作)、虚血性心疾患(狭心症・心筋梗塞)、心不全)発症および予後の追跡調査をおこなった。

統計解析

統計データは平均値±標準偏差で表現した。2群間での有意差検定にはt検定およびMann-WhitneyのU検定を行い、3群間以上のデータはone-factor ANOVAおよびKruskal-Wallis法で検定し、P<0.05を有意とした。

生存曲線はKaplan-Meier法にてイベント回避生存率を計算し、Log-rank検定を行った。エンドポイントの発症を目的変数とし、臨床的背景を説明変数としてCox比例ハザードモデルを用いて危険比を算出した。P<0.05を有意とした。

<結果>

単純X線写真胸部正面像で評価した大動脈弓石灰化においてGrade0は46%、Grade1は22%、Grade2は29%、Grade3は4%であり、構成の性差は認めなかった。

研究1 胸部X線検査を用いた動脈弓石灰化の評価の妥当性の検討

大動脈弓石灰化グレードの上昇に伴い、腹部大動脈石灰化長が増大する傾向およびACIが有意に増大することが認められた。以上の定量性をもつ2つの検査との比較から、大動脈弓石灰化がより強く認められた症例には腹部大動脈にもより多量の石灰化が認められることが証明され、最も簡便な検査である胸部X線正面像における大動脈弓石灰化の評価が大動脈石灰化の評価法として妥当であることが確認できた。

研究2 大動脈弓石灰化と動脈硬化危険因子との関連

1)年齢、性別、BMI

i)年齢: 40~64歳の群と比較して65歳以上の高齢者はより大動脈弓の石灰化が進展していることが認められた。

ii)性別:平均大動脈弓グレード値に有意差は認められなかった。

iii) BMI: BMI低値症例群において、高値症例群より大動脈弓石灰化グレードが有意に高かった。

iv)腎機能:腎機能の指標として、eGFRと尿蛋白をスコア化したものを用いた。大動脈弓石灰化のグレードが強い群ほどeGFR値は有意に低下し、尿蛋白スコアは有意に高値を示した。

2)大動脈石灰化と動脈硬化危険因子との相関

i) 血圧:収縮期血圧、拡張期血圧は有意な関連を認めなかったが、脈圧とは有意な正の関連を認めた。

ii) 動脈硬化危険因子:高血圧、糖尿病、脂質異常症の3つの基礎疾患の有無では糖尿病で有意な差が認められ、疾患の重複度が増すにつれ大動脈弓石灰化グレードが有意に上昇することが認められた。

3)大動脈石灰化とIMT、%FMD、%NTG

%FMDと%NTGの双方ともに大動脈弓石灰化グレードの上昇に伴い有意に低下していた。%FMD/%NTGでは、関連は認められなかった。IMTはグレード分類が上がるに伴い有意に増大が認められた。

研究3 心血管系疾患発症に対する予後追跡調査

最高66ヶ月の追跡期間中(平均40.5±19.1ヶ月、中間値43ヶ月)に心血管イベントは全体で32例発症した。冠動脈疾患に関連したイベントが最も多く計21例に発症した。脳血管障害計8例、その他閉塞性動脈硬化症、心不全が認められた。

全体を大動脈弓石灰化グレード分類に従ってグレード0、グレード1、グレード2およ3の3群に分け心血管イベント発症を検討したところ、イベント発症率はグレード2および3の群において他の2群に比べて有意に高かった。

次に、心血管イベント発症に対する予測因子の検討を行った。年齢、性別、喫煙、BMI、高血圧、脂質異常症、糖尿病、eGFR(60ml/min/1.73m2未満、以上に分類)を説明変数として検討したところ、eGFR、大動脈弓石灰化グレードは独立したリスク要因であった(eGFR オッズ比:2.13倍 95%CI:1.04~4.37、大動脈弓石灰化グレード オッズ比: 1.83倍 95%CI 1.15~2.90)。説明変数として、総コレステロール値、HDLコレステロール値、LDLコレステロール値、中性脂肪、収縮期血圧、血糖値、HbA1c値、eGFR値の実測値を用いた検討も行った。実測値を用いたどの解析においてもHbA1c、血糖値、eGFR,大動脈弓石灰化グレードはリスク要因であった。以上の全ての解析において大動脈弓石灰化グレードは独立したリスク要因であった。

<考察>

本研究では臨床診療によく頻用される胸部X線撮影正面像を用いて大動脈弓石灰化をグレード分類し評価した。胸部単純X線は最も簡便な動脈硬化のスクリーニング検査としての評価法であり、非観血的、安価なルーチン検査法である。よって、長期間にわたる経年的評価をするのに適している。定量性のある腰椎X線側面像,腹部CTスキャンの検査を含めて,今回の3種類の評価法を比較することにより、胸部X線正面像における大動脈弓石灰化の評価が総合的に胸部から腹部にかけての大動脈石灰化を評価できたとともに、特に心血管イベント発生の予想が出来得る、その妥当性と有用性が本研究により検証された。

加齢における血圧変化として、一般的にはより高齢者になるほど血管の伸展性低下により、拡張期血圧が低下し、脈圧は増大する。増大することにより、冠動脈も含めて臓器血流が低下しやすくなり、心血管イベント発症における予測因子の一つであるとも考えられている。これらの病態においては血管石灰化との関わりは明確ではなかった。今回の研究において、脈圧と大動脈弓石灰化の程度に非常に強い関連があることが認められ、病態との関わりを示唆した。

2種類の血管拡張機能(%FMDと%NTG)は一般的に汎用されている動脈硬化の指標である。%FMDは内皮細胞から放出される一酸化窒素(nitric oxide; NO)による内皮依存性血管拡張反応を表しており、%NTGは内皮非依存性血管拡張反応を表している。%FMDの低下は動脈硬化の早期の所見でもある。今回、大動脈弓石灰化との関連を検討したところ、大動脈弓石灰化のグレードの強い症例において%FMDの低下が認められた。その原因の一つとして酸化ストレスによる内皮細胞障害が考えられる。%NTGの低下も同時に認められた。これは内皮非由来のNOに対する弛緩反応が低下していることを示し、この原因としては血管中膜に石灰化が存在する可能性や、血管平滑筋細胞の弛緩が不良になっている可能性が考えられる。%FMDと%NTGの比を算出し、%NTGの影響を検討したところ、大動脈弓石灰化グレードとの間に関連は認められず、%NTGの低下が%FMDの値の低下に大きな影響を与えていたことが推測された。

我々の最終的な解析において、胸部X線撮影による大動脈弓石灰化グレードは、心血管イベント発症に対する独立した予測因子であった。一般診療上,胸部X線撮影で大動脈弓に強度の石灰化所見を認める症例に対しては、将来の心血管イベントに対するハイリスク群である可能性を示唆している。そのような症例に対し現時点では血管石灰化に対して特異的な治療法がないため、他の古典的動脈硬化危険因子の管理をより厳格に行い、経過を慎重に追う必要があると考えられる。

<まとめ>

心血管組織の石灰化は循環器疾患を考える上で大きな影響を及ぼしており、中でも血管石灰化は高齢者の循環動態の変化に大きく関わっている。

今回の研究において、我々の用いた大動脈弓石灰化の評価法は定量的評価でないことが欠点であるが、様々な動脈硬化の指標とも良い相関を示し、心血管イベント発症の予後をより鋭敏に予測し得ることが確認された。胸部単純X線において強い大動脈弓石灰化が認められる症例においては、動脈硬化性疾患に対する特殊検査による精密評価が必要であり、また厳格な危険因子の管理がより必要であることを示唆し、一般診療における強いsupportiveな情報となる得ることがわかった。

高齢者の特徴的な循環動態である、孤立性収縮期高血圧、血圧動揺性などは血管壁弾力性の低下に基づく動脈壁硬化により起こり、最終的には臓器灌流障害も含めた血行動態の悪化を惹起している。より安定した血行動態を保つにはそれらを引き起こす原因およびその分子機序が重要となる。今回、大動脈石灰化と脈圧との間に強い関連を認め、大動脈石灰化が高齢者の循環動態に影響を与えていることを示唆する結果となり、大動脈石灰化の治療および予防が重要であることが確認された。今後大動脈石灰化を規定する因子の同定および前向き研究としての薬剤介入を行い、最終的に大動脈石灰化の発症予防・進展抑制につながる治療法の開発が必要と思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は大動脈石灰化に着目し、臨床診療において汎用されている胸部X線撮影正面像を用いて、大動脈弓石灰化の程度をグレード分類し、その評価の有用性を多角的に検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.腰椎X線側面象、腹部CTスキャンを用いて腹部大動脈石灰化の評価を定量的に行い、胸部大動脈弓石灰化グレード分類との比較をおこなった。大動脈弓石灰化がより強く認められた症例では腹部大動脈にもより多量の石灰化が認められており、胸部X線正面像における大動脈弓石灰化の評価が大動脈石灰化の評価法として妥当であることが確認できた。

2.大動脈弓石灰化と動脈硬化危険因子との関連を検討した。高齢、BMI低値でより石灰化の進展が有意に認められたが、性別による有意差は認められなかった。腎機能の指標としてeGFR、尿蛋白をスコア化したものを用いたが、石灰化のグレードがより高い群においてeGFR値は低下し、尿蛋白スコアは高値を示すことが有意に認められた。収縮期血圧、拡張期血圧は有意な関連を認めなかったが、脈圧とは有意な正の関連を認めた。高血圧、糖尿病、脂質異常症の3つの基礎疾患の有無では糖尿病で有意な差が認められ、疾患の重複度が増すにつれ大動脈弓石灰化グレードが有意に上昇することが認められた。動脈硬化の指標として内頚動脈内膜中膜壁厚(IMT)と内皮依存性血管拡張反応(%FMD)および内皮非依存性血管拡張反応(%NTG)を用いた。大動脈弓石灰化グレードの上昇に伴い、IMTでは上昇有意に増大が認められ、%FMDおよび%NTGのでは優位に低下が認められた。しかし、%FMD/%NTGではグレードによる変化認められず、%NTGの低下が%FMDの低下に大きな影響をあたえていたことが推測された。

3.約3.5年間にわたる脳心血管イベント発症および予後の追跡調査を行い、大動脈弓グレードにより3群に分けてKaplan-Meier法にてイベント回避生存率を計算し、Log-rank検定を行ったところ、イベント発症率はグレード2および3の群において他の2群と比較して有意に高かった。次に、心血管イベント発症に対する予測因子の検討を行ったところ、大動脈弓石灰化グレードは独立したリスク要因であった。これにより胸部単純X線において強い大動脈弓石灰化が認められる症例においては、動脈硬化性疾患に対する特殊検査による精密評価が必要であり、また厳格な危険因子の管理がより必要であることを示唆し、一般診療における強いsupportiveな情報となる得ることがわかった。

以上、本論文は胸部X線正面像における大動脈弓石灰化の評価をすることが大動脈石灰化の評価法として妥当であり、様々な動脈硬化の指標とも良い相関を示し、さらに心血管イベント発症のハイリスク群を予測することができうることを示した。高齢社会において重要とされる高齢者の循環動態と大動脈石灰化の関連を示唆するものであり、高齢者の循環器疾患の成り立ちの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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