学位論文要旨



No 123755
著者(漢字) 高山,賢一
著者(英字)
著者(カナ) タカヤマ,ケンイチ
標題(和) 前立腺癌におけるアンドロゲン受容体結合部位と新規アンドロゲン応答遺伝子の同定
標題(洋)
報告番号 123755
報告番号 甲23755
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3094号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 教授 堤,治
 東京大学 准教授 矢野,哲
 東京大学 准教授 秋下,雅弘
内容要旨 要旨を表示する

[研究の背景と目的]

前立腺癌はアメリカでは男性において最も頻繁に診断される癌であり日本においても近年発生率は急激に増加している。正常の前立腺上皮および前立腺癌はアンドロゲン受容体(AR)を介しアンドロゲンによりその増殖の制御を受けている。そのためARを阻害する抗アンドロゲン療法は進行した前立腺癌において確立された治療法であり、癌が再燃した治療耐性のアンドロゲン非依存性癌においてもARシグナルの重要性が報告されている。

ARは男性ホルモンであるジヒドロテストステロン(DHT)をリガンドとして細胞質内で結合したのち核内に移行しゲノム上のアンドロゲン応答配列(ARE)と結合し転写因子として機能する核内受容体のファミリーの一つである。ARはSRC(Steriod receptor coactivator)ファミリーと言われるp160共役転写活性化因子、ヒストンアセチル化酵素と結合することでターゲト遺伝子のプロモーター領域においてヒストンのアセチル化などの修飾を与え転写活性化を起こす。

これまでcDNAマイクロアレイ法によりアンドロゲン応答遺伝子の同定が試みられてきたがARの直接のターゲットを同定するためにはAR結合部位を網羅的に同定するアプローチが求められてきた。近年、転写因子の結合部位をより網羅的に同定する方法としてChIP-chip法が開発されてきた。クロマチン免疫沈降法(Chromatin immunoprecipitaion: ChIP)はゲノム中での転写因子の結合を確認する有用な手段として用いられているが、ChIP-chip法はChIPに組み合わせてゲノムのDNA配列を短いプローブに区切りアレイ上に並べたゲノムタイリングアレイを用いる手法である。標識したChIP DNAをアレイにハイブリダイゼーションさせ有意なシグナルを得られる領域を検出する。本法の開発により様々な転写因子の結合部位同定に応用が試みられており、核内受容体の結合部位を同定するためにChIP-chipを応用することが有用であると考えられエストロゲン受容体(ER)についてはゲノム中に広く分布するER結合部位が同定されてきた。

本研究ではChIP-chip法を用いてARの直接的な応答遺伝子の同定を目的とした。まずChIPによって得られたDNAをゲノムタイリングアレイにハイブリダイゼーションさせることでENCODE(Encyclopedia of DNA Elements) 領域における新規のAR結合部位を同定した。ENCODE領域は30 Mbの全ゲノム上の1%を占める領域でありヒト全ゲノムの代表的なモデルとして使用されている。さらにAR結合部位の転写調節への役割、周辺遺伝子の発現変化を解析し新規のAR応答遺伝子を同定した。本研究からARの前立腺癌における機能やARの下流シグナルが前立腺癌の発生、悪性化にどのように寄与しているかを総括的に考察した。

[結果と考察]

まず代表的なアンドロゲン応答遺伝子であるPSA(Prostate specific antigen)をモデルにARの機能を検証した。PSAの5'上流領域には2箇所のAR結合部位が知られている。転写開始点近傍におけるプロモーター領域のARE、4K上流にあるエンハンサー領域のAREが報告されている。ARを発現するヒト前立腺癌細胞のLNCaP細胞において合成アンドロゲンであるR1881により刺激しChIPを行いプロモーター領域、エンハンサー領域共にARが結合することまたルシフェラーゼアッセイによりエンハンサーを介した転写活性化が起こることを確認した。

次にゲノム上におけるバイアスのないAR結合領域の同定のためChIP-chip法による解析を行った。ヒトゲノム中のENCODE領域を25 bpずつアレイに並べたDNAタイリングアレイを用いてAR結合部位(ARBS)の同定を試みた。クロマチン免疫沈降法によって得られたDNAをin vitro transcription(IVT)法を用いてバイアスのかからない状態にて増幅し得られたDNAを断片化、ビオチン化しタイリングアレイにハイブリダイゼーションした。コントロールに比較して有意に増加(P値<10-5)している領域を10箇所同定した。

得られたARBSはintron領域及び転写開始点より10 kb以上離れたintergenic領域に存在しているものがほとんどであった。得られたAR結合領域の例としてUGT1A遺伝子近傍およびCDH2遺伝子内にAR結合部位を認めた。UGT1Aは10個のアイソフォームからなる代謝酵素でUGT1A1、UGT1A3の転写開始点の中間の領域に強いAR結合領域を認めた。また接着分子であるCDH2のintron 1においても強いARの結合が観察された。

次に得られたAR結合部位のSequenceを用いてARE motifの同定を試みた。AREはAGAACA nnn TGTTCTの回文型の配列であるが過去に報告されたARE配列をみると中央のG/C塩基が保存されている例が多く配列中の塩基により"重み"が異なるため転写因子結合配列中のそれぞれの塩基に重みづけをしたものがmatrixと言われている。matrixとしてTRANSFAC, Jasperを用いたところ何らかのARE様のmotifが見出された。これらのARE motifに対してプライマーを設計しLNCaP細胞においてChIP assayを施行し10個すべてにおいて10 倍以上の濃縮が認められChIP-chip法により求められたAR結合領域が偽陽性を含まないものであることが確証された。

次にアセチル化ヒストンH3、ヒストンH4、RNA PolymeraseII(PolII)に対する特異抗体を用いてChIP Assayを行い定量的RT-PCRを用いて10個のAR結合部位のアセチル化、PolIIの結合を解析した。UGT1A1、CDH2のAR結合部位においてヒストンのアセチル化の亢進、RNA PolIIの結合が強く観察された。またその他のARBSすべてにおいてヒストンH4のアセチル化が確認された。今回同定したARBS10箇所(#1-10)のうちARBS#1、4、5、10においてリガンド依存性のヒストンH3アセチル化の亢進、RNA PolIIの集積が確認され、AR結合領域において転写活性化を促す変化が起きている可能性が示唆された。

またARBS近傍の遺伝子のアンドロゲン処理におけるmRNA発現の変化を検証しアンドロゲン応答遺伝子の同定を試みた。10個の遺伝子のうち8個は2倍以上の発現上昇を認め、特にUGT1A1、Pepsinogen Cは強い発現誘導が確認された。またMET、SCAP2の2個については処理により発現の抑制が観察された。これらのことよりAR結合領域の近傍の遺伝子の発現がアンドロゲンにより制御を受けていることが示唆された。

さらにSRCファミリーの特異抗体を用いてChIP Assayを行った。SRCファミリーはSRC1、SRC2/GRIP1/Tiff2、SRC3/AIB1/ACTRの3種類が報告されアンドロゲン刺激によりPSAプロモーターに集積されヒストンのアセチル化を促進し転写を活性化することが報告されている。今回同定した10個のAR結合領域においてSRCファミリーの集積が起きているのか確認した。10個のAR結合領域においては特にUGT1A、CDH2のAR結合領域においてSRCファミリー全ての結合が強く確認された。またARBS#4、#5においてはSRC1の集積が上昇しているのが確認された。全てのAR結合部位にSRC ファミリーが関与しているとは言えないもののいくつかのAR結合部位についてはSRC ファミリーによる転写活性化の機構が働いていることが示唆された。

次にAR結合領域がエンハンサーとしてアンドロゲンによる転写活性化に寄与している可能性を考えルシフェラーゼアッセイを用いて検証した。UGT1AのARBSを挿入したルシフェラーゼベクターではアンドロゲン添加時に活性の上昇が認められ、その一方でARE motifに変異を入れると活性の上昇は消失し、UGT1AのARE motifがアンドロゲンによる転写活性化に寄与しておりエンハンサーとして働くことが考えられた。またCDH2のARBSを挿入したルシフェラーゼベクターにおいてもアンドロゲン添加時に活性の上昇が確認された。AR結合領域がエンハンサーとして働きアンドロゲンによる転写活性化に関わっている可能性が示唆された。

本研究により新たに見出した標的遺伝子はカドヘリン、プロテアーゼ、代謝酵素、シグナル伝達、成長因子受容体、イオンチャンネル、転写因子など様々な機能にわたる遺伝子が同定された。個々の遺伝子と前立腺癌とのかかわりは未知なものがほとんどであり今後の機能解析により前立腺癌への影響が明らかになるものと期待された。

[結論]

本研究によりアンドロゲンの直接的な応答遺伝子をChIP-chip法を用いて同定した。AR結合部位は従来考えられていた領域より多様な領域に分布し、機能としては転写活性化に寄与していることが示唆されより広い範囲で転写制御を行っていると考えられた。またその標的遺伝子は前立腺癌の悪性化、発癌に関与している因子が多くさらに範囲を広げることでより広いアンドロゲンのターゲットを同定することが可能でありアンドロゲンによる前立腺癌発症機構の解明が可能になるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は前立腺癌において重要な機能を持つステロイドホルモンであるアンドロゲンによる機能を探索するためクロマチン免疫沈降とゲノムタイリングアレイを用いたChIP-chip法によりアンドロゲン受容体(AR)のヒトゲノムにおける結合部位を系統的に探索しARの直接的な応答遺伝子の同定を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.ヒトゲノム中のENCODE領域を並べたDNAタイリングアレイを用いてAR結合部位(ARBS)の同定を試みた。クロマチン免疫沈降法によって得られたDNAをin vitro transcription(IVT)法を用いてバイアスのかからない状態にて増幅し得られたDNAを断片化、ビオチン化しタイリングアレイにハイブリダイゼーションした。コントロールに比較して有意に増加(P値<10-5)している領域を10箇所同定した。

2.得られたARBSはintron領域及び転写開始点より10 kb以上離れたintergenic領域に存在しているものがほとんどであった。得られたAR結合領域の例としてUGT1A遺伝子近傍およびCDH2遺伝子内にAR結合部位を認めた。

3.得られたAR結合部位のSequenceを用いてARE motifの同定を試みた。matrixとしてTRANSFAC, Jasperを用いたところ何らかのARE様のmotifが見出された。これらのARE motifに対してプライマーを設計しLNCaP細胞においてChIP assayを施行し10個すべてにおいて10 倍以上の濃縮が認められChIP-chip法により求められたAR結合領域が偽陽性を含まないものであることが確証された

4.アセチル化ヒストンH3、ヒストンH4、RNA PolymeraseII(PolII)に対する特異抗体を用いてChIP Assayを行い定量的RT-PCRを用いて10個のAR結合部位のアセチル化、PolIIの結合を解析した。UGT1A1、CDH2のAR結合部位においてヒストンのアセチル化の亢進、RNA PolIIの結合が強く観察された。またその他のARBSすべてにおいてヒストンH4のアセチル化が確認された。今回同定したARBS10箇所(#1-10)のうちARBS#1、4、5、10においてリガンド依存性のヒストンH3アセチル化の亢進、RNA PolIIの集積が確認され、AR結合領域において転写活性化を促す変化が起きている可能性が示唆された。

5.ARBS近傍の遺伝子のアンドロゲン処理におけるmRNA発現の変化を検証しアンドロゲン応答遺伝子の同定を試みた。10個の遺伝子のうち8個は2倍以上の発現上昇を認め、特にUGT1A1、Pepsinogen Cは強い発現誘導が確認された。またMET、SCAP2の2個については処理により発現の抑制が観察された。これらのことよりAR結合領域の近傍の遺伝子の発現がアンドロゲンにより制御を受けていることが示唆された。

6.SRCファミリーの特異抗体を用いてChIP Assayを行った。10個のAR結合領域においては特にUGT1A、CDH2のAR結合領域においてSRCファミリー全ての結合が強く確認された。またARBS#4、#5においてはSRC1の集積が上昇しているのが確認された。全てのAR結合部位にSRC ファミリーが関与しているとは言えないもののいくつかのAR結合部位についてはSRC ファミリーによる転写活性化の機構が働いていることが示唆された。

7.AR結合領域がエンハンサーとしてアンドロゲンによる転写活性化に寄与している可能性を考えルシフェラーゼアッセイを用いて検証した。UGT1AのARBSを挿入したルシフェラーゼベクターではアンドロゲン添加時に活性の上昇が認められ、その一方でARE motifに変異を入れると活性の上昇は消失し、UGT1AのARE motifがアンドロゲンによる転写活性化に寄与しておりエンハンサーとして働くことが考えられた。またCDH2のARBSを挿入したルシフェラーゼベクターにおいてもアンドロゲン添加時に活性の上昇が確認された。AR結合領域がエンハンサーとして働きアンドロゲンによる転写活性化に関わっている可能性が示唆された。

8.本研究により新たに見出した標的遺伝子はカドヘリン、プロテアーゼ、代謝酵素、シグナル伝達、成長因子受容体、イオンチャンネル、転写因子など様々な機能にわたる遺伝子が同定された。個々の遺伝子と前立腺癌とのかかわりは未知なものがほとんどであり今後の機能解析により前立腺癌への影響が明らかになるものと期待された。

以上、本論文は前立腺癌細胞においてChIP-chip法を応用することで新規のアンドロゲン受容体の結合部位ならびにARの直接の応答遺伝子を同定することに成功し、ChIP-chip法がホルモン依存性癌におけるステロイドホルモンの転写ネットワーク網の解明に重要な貢献をなすことを可能とした。本研究はアンドロゲンの前立腺癌における作用機構の解明に貢献するものと期待され学位の授与に値するものと考えられる。

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