学位論文要旨



No 123756
著者(漢字) 竹村,由里
著者(英字)
著者(カナ) タケムラ,ユリ
標題(和) 子宮内膜および子宮内膜症におけるアディポネクチンの意義についての検討
標題(洋)
報告番号 123756
報告番号 甲23756
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3095号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 講師 飯島,勝矢
 東京大学 准教授 藤井,知行
 東京大学 教授 門脇,孝
 東京大学 講師 北山,丈二
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

子宮内膜における受精卵の着床は,一種の炎症反応と考えられている.子宮内膜の機能が低下すると,着床現象が障害され,不妊症を引き起こす.一方,子宮内膜症は,炎症・血管新生・線維化を本態とする慢性増殖性炎症性疾患で,生殖年齢の女性の約10 %に発生し,月経痛や不妊症を引き起こす.原因はどちらも解明されていないが,着床障害も子宮内膜症も増加傾向にある.近年,肥満・偏食・運動不足などで生活習慣が乱れると分泌が低下するアディポネクチンの血中濃度が,子宮内膜癌を含む悪性腫瘍や各種炎症性疾患でも低下すると報告され注目されている.

子宮内膜は,子宮内腔に位置し,生殖において大変重要な現象である受精卵の着床が起こる場である.子宮内膜の形態および機能は,ホルモン,排卵,炎症性サイトカインなどの影響を受けてダイナミックに変化する.

子宮内膜症は,子宮内膜類似組織を子宮内腔以外の場所(卵巣・骨盤腹膜など)に認める疾患であり,月経時に剥脱した子宮内膜が腹腔内に流入し着床し増殖するという逆流説が有力である.腹腔内炎症は子宮内膜症の発症に寄与しているとされ,子宮内膜症の進展はエストロゲン依存性に起こる.血中アディポネクチン濃度の低下が乳癌,子宮内膜癌,子宮筋腫で報告され,アディポネクチンがこれらのエストロゲン関連疾患において何らかの役割を担っていると考えられる.

アディポネクチンは,脂肪組織由来の生理活性物質(アディポサイトカイン)で,約30 kDaのポリペプチドである.血中に高濃度に存在し,多量体構造を取る.アディポネクチンは,インスリン感受性を増加させ,抗糖尿病作用,抗動脈硬化作用を発揮する.肥満ではアディポネクチンは低下する.この他に,アディポネクチンは,抗炎症作用,血管新生抑制作用,抗線維化作用も持つ.

アディポネクチン受容体は,AdipoR1とAdipoR2の2種類があり,広範囲に発現が認められている.受容体が活性化されると,細胞のエネルギー維持の調節因子であるAMPK(AMP-activated protein kinase)がリン酸化され,作用を発揮する.

Metforminは,インスリン感受性を増加させる糖尿病治療薬として広く使用され,生殖医学の領域では,多嚢胞性卵巣症候群の治療に使用され成功している.この他,metforminは抗炎症作用やステロイド合成調節作用を持つ.標的分子は,アディポネクチンと同様にAMPKである.アディポネクチンは血中に高濃度に存在するため治療応用が難しいが,metforminは広く使用されている薬剤であり,metforminによるAMPKの活性化が子宮内膜症細胞においても起こり抗炎症作用やステロイド合成調節作用を認めれば治療に結びつく可能性がある.

子宮内膜におけるアディポネクチン受容体の存在とアディポネクチンの作用,子宮内膜症へのアディポネクチンの関与,および子宮内膜症へのAMPKを介したmetforminの関与が推測されたため,以下の検討を行った.

1.子宮内膜におけるアディポネクチン受容体の発現とその意義について

方法

同意の下,子宮内膜組織を77名の良性婦人科疾患患者より得た.子宮内膜間質細胞(endometrial stromal cells: ESC)および上皮細胞(endometrial epithelial cells: EEC)を分離培養した.子宮内膜組織,EEC,ESCにアディポネクチン,AdipoR1,AdipoR2の発現を認めるかをPCR法,定量的PCR法,In situ hybridization法,Western blot法で調べた.ESCおよびEECのAdipoR1とAdipoR2が機能しているか調べるために,アディポネクチンを投与し,AMPKのリン酸化をWestern blot法で確認した.ESCにアディポネクチンとIL-1βを投与し,IL-6,IL-8,MCP-1の産生量をELISA (enzyme-linked immunosorbent assay)法で測定した.

結果

子宮内膜組織,EEC,ESCに,アディポネクチン,AdipoR1,AdipoR2 mRNAおよび蛋白の発現を認めた.アディポネクチン,AdipoR1,AdipoR2 mRNAは子宮内膜において月経周期を通じて発現しており,AdipoR1およびAdipoR2 mRNAの発現は分泌期中期に有意に高かった.アディポネクチンはESCとEECにおいてAMPKをリン酸化させた.アディポネクチンを投与すると,ESCにおいてIL-1βによって誘導されるIL-6,IL-8,MCP-1産生量が経時的に有意に低下した.

考察

ヒト子宮内膜にAdipoR1およびAdipoR2が発現しており,その遺伝子発現は分泌期中期すなわち着床期に有意に増加していることを初めて示した.アディポネクチンがESCやEECでAMPKをリン酸化することより,アディポネクチンはESCやEECにおいて胚の受容のような子宮内膜機能に対するエネルギー供給を制御している可能性がある.アディポネクチンがESCにおいて炎症性サイトカインの産生を抑制したことは,子宮内膜におけるアディポネクチンの抗炎症作用を示唆している。着床の過程は制御された炎症様の事象を必要とするが,分泌期中期におけるAdipoR1およびAdipoR2の発現増加は,炎症性サイトカインの分泌を抑制するというアディポネクチンの作用を増加させることによって着床の促進に寄与している可能性がある.また,ESCにおけるアディポネクチンの抗炎症作用は,子宮内膜症の病理にも関わっている可能性がある.

2.子宮内膜症における腹腔内貯留液中および血清アディポネクチン濃度について

方法

1)子宮内膜症における腹腔内貯留液中アディポネクチン濃度について

同意の下,良性婦人科疾患のために腹腔鏡手術を受けた子宮内膜症患者54名と対照患者26名より腹腔内貯留液を採取し,腹腔内貯留液中のアディポネクチン濃度をELISA法で測定した.子宮内膜症の臨床進行期はrevised American Society for Reproductive Medicine (rASRM)分類に従って評価した.

2)子宮内膜症における血清アディポネクチン濃度について

同意の下,良性婦人科疾患のために腹腔鏡手術を受けた子宮内膜症患者48名と対照患者30名より採血を行い,血清中のアディポネクチン濃度をELISA法で測定した.子宮内膜症の臨床進行期はrASRM分類に従って評価した.

結果

1)子宮内膜症患者の腹腔内貯留液中アディポネクチン濃度(中央値2.06μg/ml, IQR:1.70-2.39)は,対照患者(2.36 μg/ml, 1.95-2.72)に比べ有意に低かった.特に,III/IV期の子宮内膜症では著しい低下が見られた(1.79 μg/ml, 1.61-2.23).

2)子宮内膜症患者の血清アディポネクチン濃度(中央値13.1μg/ml; IQR, 10.2-16.7)は,対照患者(15.9 μg/ml, 13.5-19.5)に比べて有意に低かった.III/IV期子宮内膜症ではさらに低下していた(12.8 μg/ml, 10.6-16.6).また,血清アディポネクチン濃度はrASRMスコア,子宮内膜症スコアあるいは癒着スコアと逆相関した.ダグラス窩閉塞がある患者では,ない患者に比べ血清アディポネクチン濃度が有意に低かった.

考察

1)腹腔内貯留液中アディポネクチン濃度は子宮内膜症患者で低下しており,特にIII/IV期の子宮内膜症では著しい低下が見られた.アディポネクチンの抗炎症作用,血管新生抑制作用,抗線維化作用を考慮すると,アディポネクチンが子宮内膜症の病理に関与している可能性がある.

2)血清アディポネクチン濃度は子宮内膜症患者で有意に低下しており,その低下は進行した期(III/IV期)の子宮内膜症患者で著明であった.また,血清アディポネクチン濃度は子宮内膜症の重症度を示すrASRMスコアと逆相関をしており,アディポネクチン濃度の低下は,エストロゲンの子宮内膜症増殖促進作用を助長し,アディポネクチンの血管新生抑制作用や抗炎症作用を低下させることで子宮内膜症の進展に関わっていると考えられる.さらに,ダグラス窩閉塞があるとアディポネクチン濃度が低いことから,アディポネクチン濃度の低下は抗線維化作用の低下を介して子宮内膜症に関わる骨盤内癒着にも関与している可能性がある.

3.子宮内膜症におけるmetforminの治療効果について

方法

同意の下,卵巣子宮内膜症性嚢胞の手術検体より子宮内膜症組織を採取し,ヒト子宮内膜症間質細胞(endometriotic stromal cells: EMSC)を分離培養した.EMSCにmetforminとIL-1βを投与し,IL-8の濃度をELISA法で測定した.EMSCにmetforminとcAMPを投与し,アロマターゼのmRNA発現および活性を定量的PCR法およびEstrone EIAによって評価した.EMSCの増殖に対するmetforminの効果をBrdU取り込み能で評価した.Metforminの細胞毒性をLDH放出の測定とトリパンブルー除外試験で調べた.

結果

Metforminにより,EMSCにおいてIL-1βによって誘導されるIL-8産生は用量依存性に有意に低下した.Metforminは,EMSCおいてcAMPによって誘導されるアロマターゼのmRNA発現および活性を用量依存性に抑制した.さらに,metforminは,EMSCにおいて用量依存性にBrdU取り込みを阻害したが,LDHの放出量やトリパンブルー陽性細胞数は増加させなかった.

考察

MetforminがEMSCにおけるIL-1βによって誘導されるIL-8産生,アロマターゼ活性,細胞増殖を抑制することを示した.子宮内膜症組織におけるIL-1βによって誘導されるIL-8産生やアロマターゼによるエストロゲンの局所産生は子宮内膜症の進展の原因であり,これらの抑制は子宮内膜症の治療につながる.加えて,EMSCにおける直接的な増殖抑制作用も,metforminの子宮内膜症に対する治療薬としての可能性を支持している.AMPKがmetforminの標的であり,上述のようにアディポネクチンは子宮内膜細胞においてAMPKを活性化し炎症性サイトカインの産生を抑制することより,AMPKはEMSCにおけるmetforminの抗炎症作用に関与していると考えられる.

おわりに

本研究で,子宮内膜および子宮内膜症にアディポネクチンが関与していることが明らかとなった.子宮内膜では,抗炎症作用を発揮して着床という生理的現象の促進や子宮内膜症という病理的現象の抑制に関わっていると考えられた.子宮内膜症では,アディポネクチンと同様にAMPKを活性化してその作用を発揮するmetforminが細胞レベルで子宮内膜症を抑制することがわかった.今後,動物実験レベルでmetforminの治療効果を判定し,将来的には子宮内膜症治療薬としての臨床応用を目指したい.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、多面的機能を持つ重要なサイトカインであるアディポネクチンの子宮内膜および子宮内膜症における意義を明らかにするため、子宮内膜におけるアディポネクチン受容体の存在とアディポネクチンの作用、子宮内膜症へのアディポネクチンの関与、および子宮内膜症へのAMPKを介したmetforminの関与についての検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.同意の下、良性婦人科疾患患者より得た子宮内膜組織での検討により、子宮内膜組織、子宮内膜上皮細胞(EEC)、子宮内膜間質細胞(ESC)に、アディポネクチン、AdipoR1、AdipoR2のmRNAおよび蛋白の発現を認めた。アディポネクチン、AdipoR1、AdipoR2 mRNAは子宮内膜において月経周期を通じて発現しており、AdipoR1とAdipoR2 mRNAの発現は分泌期中期すなわち着床期に有意に高かった。また、アディポネクチンはESCとEECにおいてAMPKをリン酸化させたことより子宮内膜に発現するAdipoR1、AdipoR2は機能を持つことが示された。アディポネクチンを投与すると、ESCにおいてIL-1βによって誘導される炎症性サイトカイン(IL-6、IL-8、MCP-1)の産生量が経時的に有意に低下したことより、アディポネクチンが子宮内膜において抗炎症作用を発揮していることがわかった。

2.子宮内膜症患者の腹腔内貯留液中アディポネクチン濃度は、対照患者に比べ有意に低下しており、特に、III/IV期の子宮内膜症では著しい低下が見られた。同様に、子宮内膜症患者の血清アディポネクチン濃度も、対照患者に比べて有意に低く、III/IV期子宮内膜症ではさらに低下していた。また、これらのアディポネクチン濃度は、rASRMスコア、子宮内膜症スコアあるいは癒着スコアと逆相関した。ダグラス窩閉塞がある患者では、ない患者に比べ血清アディポネクチン濃度が有意に低かった。アディポネクチンの抗炎症作用、血管新生抑制作用、抗線維化作用を考慮すると、アディポネクチンが子宮内膜症の病理に関与している可能性がある。

3.同意の下、卵巣子宮内膜症性嚢胞より得られた子宮内膜症組織から分離培養した子宮内膜症間質細胞(EMSC)での検討により、metforminがEMSCおいてIL-1βによって誘導されるIL-8産生、cAMPによって誘導されるアロマターゼのmRNA発現および活性を用量依存性に抑制することを示した。さらに、metforminは、EMSCにおいて用量依存性にBrdU取り込みを阻害し細胞増殖を抑制したが、LDHの放出量やトリパンブルー陽性細胞数は増加させなかったことより細胞毒性は認めなかった。子宮内膜症組織におけるIL-1βによって誘導されるIL-8産生やアロマターゼによるエストロゲンの局所産生は子宮内膜症の進展の原因であり、これらの抑制は子宮内膜症の治療につながる。また、metforminはEMSCにおける直接的な増殖抑制作用を持つ点でも子宮内膜症に対する治療薬としての可能性がある。

以上、本論文は、子宮内膜および子宮内膜症にアディポネクチンが関与していることを明らかにした。子宮内膜では、アディポネクチンが抗炎症作用を発揮して着床という生理的現象の促進や子宮内膜症という病理的現象の抑制に関わっていると考えられた。子宮内膜症では、アディポネクチンと同様にAMPKを活性化してその作用を発揮するmetforminが細胞レベルで子宮内膜症を抑制することがわかった。今後、動物実験レベルでのmetforminの治療効果判定、将来的には子宮内膜症治療薬としての臨床応用が期待される。本研究は、子宮内膜および子宮内膜症をアディポネクチンやAMPKというこれまでにない視点で捉えた点で画期的であり、増加傾向にある着床障害や子宮内膜症の病態解明および治療開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク