学位論文要旨



No 123766
著者(漢字) 岩田,要
著者(英字)
著者(カナ) イワタ,カナメ
標題(和) Cyclooxygenase-2 (COX-2)阻害剤による腫瘍リンパ管新生の抑制
標題(洋)
報告番号 123766
報告番号 甲23766
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3105号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 光嶋,勲
 東京大学 准教授 矢野,哲
 東京大学 准教授 福嶋,敬宜
 東京大学 准教授 野村,幸世
 東京大学 講師 菅谷,誠
内容要旨 要旨を表示する

§ 研究の背景

癌のリンパ行性転移は多くの癌で予後決定因子の一つであり、リンパ行性転移を制御できれば予後改善につながることが期待される。従来リンパ行性転移は、組織に存在する既存のリンパ管に対して癌細胞が一方的に侵襲してゆく現象と理解されていたが、近年のリンパ管研究の発展により、癌組織中のリンパ管自体も密度や形状が変化して癌細胞を受け入れやすくなっていることが明らかにされてきた。そして、癌組織に新たにリンパ管が誘導される現象、すなわち腫瘍リンパ管新生がリンパ行性転移を促進することがヒトの病理標本の検討あるいは動物実験により明らかにされてきたことから、腫瘍リンパ管新生がリンパ行性転移を抑制する際の標的になることが示唆されてきた。

リンパ管新生の機序でこれまで中心的に解析されてきたのは、リンパ管誘導因子であるVascular endothelial growth factor (VEGF)-C、VEGF-Dと、その受容体として主にリンパ管内皮細胞に発現するVEGF receptor-3 (VEGFR-3)を介した経路である。多くの種類の癌組織においてVEGF-CやVEGF-Dが高発現していることが観察されている。そして、癌組織においては癌細胞のみならず癌間質へ動員されてくる炎症細胞とくにマクロファージもVEGF-CやVEGF-Dを産生して腫瘍リンパ管新生を促進していることが明らかになってきた。このことは、腫瘍リンパ管新生を制御する手段の一つとして炎症の制御が有用であることを示唆している。

Cyclooxygenase-2 (COX-2)は炎症の局所に誘導され炎症性プロスタノイドを産生する酵素として当初同定されたが、さらにCOX-2が炎症に限らず多くの前癌病変や癌組織にも発現しており、発癌や癌の進行へ促進的に働くことが報告されてきた。そしてCOX-2が癌の進行を促進する機序の一つは、COX-2が癌血管新生を誘導することであるということが解明されてきた。ところが、このようにCOX-2と血管新生の関係が注目されてきたこととは対照的に、COX-2とリンパ管新生の関係を直接的に示した報告はこれまで存在しない。

そこで本研究では、COX-2とリンパ管新生の関係を調べるために、COX-2選択的阻害剤Etodolac(商品名:ハイペン)を複数の動物モデルに対して使用した際のリンパ管新生への影響を検討した。さらに、COX-2がリンパ管新生へ関わる機序についてin vitroでの検討もあわせて行った。

§ 方法と結果

《in vivoによる検討》

Etodolacのリンパ管新生への影響について、3つの動物モデルを用いて検討した。

第1 は「リンパ節転移モデル」である。ヌードマウスの胃壁にヒトスキルス胃癌細胞OCUM-2MLNを同所移植すると、4週間後には同所移植巣にリンパ管新生が著しく誘導されるとともに所属リンパ節に転移を認める。また同所移植巣には多数のマクロファージの集積を認める。このモデルを用い、Etodolac投与群(移植直後から4週間にわたり、Etodolacを500 ppmの濃度で混餌して経口投与)とControl群とを比較した (図1)。リンパ管新生の指標として同所移植巣の腫瘍リンパ管密度を定量化すると、Etodolac投与群はControl群と比較してリンパ管密度が抑制された。また、リンパ節転移の指標として転移リンパ節総重量を計測すると、Etodolac投与群はControl群と比較して転移リンパ節総重量が減少した。

第2は「癌性腹膜炎モデル」(新規モデル)である。ヌードマウスにヒトスキルス胃癌細胞OCUM-2MLNを腹腔注すると2週間後に癌性腹膜炎をきたし、横隔膜には著しいリンパ管新生が誘導される。このモデルを用い、Etodolac投与群とControl群を比較した。リンパ管新生の指標として横隔膜胸腔側のリンパ管の出芽sproutの数を定量化すると、Etodolac投与群はControl群と比較して出芽数が抑制された。

第3は「慢性無菌性腹膜炎モデル」(新規モデル)である。正常の免疫能をもつBALB/cマウスに対し、腹膜炎を惹起するためにチオグリコレート培地を反復的に腹腔投与すると(2週間にわたり計6回)、2週間後には横隔膜腹腔側に炎症性のプラークが形成され、このプラークに向かって横隔膜リンパ管からリンパ管の侵入を認める。また炎症性プラークにはマクロファージの集積を認める。このモデルを用いEtodolac投与群とControl群を比較した。リンパ管新生の指標として炎症性プラーク内に新生するリンパ管密度を定量化すると、Etodolac投与群はControl群と比較してリンパ管密度が抑制された。

以上3つのモデルの結果はいずれも、Etodolacがin vivoにおいてリンパ管新生を抑制することを示している。

《in vitroによる検討》

Etodolacがリンパ管新生を抑制する機序を明らかにするために、リンパ管新生に関わる可能性のある細胞、すなわちマクロファージ、リンパ管内皮細胞、およびOCUM-2MLN細胞に対するEtodolacの影響をin vitroで検討した。

マウスマクロファージ様細胞RAW264.7をlipopolysaccharide (LPS)で刺激すると、24時間後にCOX-2およびVEGF-Cが発現誘導される。このときLPS刺激とともにEtodolacを添加すると、VEGF-Cの発現誘導がEtodolacの濃度依存的に抑制された(図2)。この結果は、EtodolacがマクロファージからのVEGF-C産生の抑制を介してリンパ管新生を抑制していることを示唆している。

ヒトリンパ管内皮初代培養細胞Human dermal lymphatic microvascular cell (HDLEC)をLPS刺激すると、24時間後にCOX-2が発現誘導される。LPS刺激とともにEtodolacを添加してVEGFR-3の発現を検討したが、VEGFR-3の発現レベルに変化は見られなかった。

また、HDLECの増殖性を調べるとHDLECはLPS刺激により増殖促進する。LPS刺激とともにEtodolacを添加すると、LPSによるHDLECの増殖促進が抑制された。この結果は、Etodolacがリンパ管内皮細胞の増殖を抑制することによりリンパ管新生の抑制にはたらいていることを示唆している。

ヒトスキルス胃癌細胞OCUM-2MLN自身にはVEGF-CおよびVEGF-Dの発現を認めなかった。また、OCUM-2MLNの増殖性について検討したが、EtodolacはOCUM-2MLNの増殖に影響しなかった。

以上のin vitroによる検討の結果は、in vivoでEtodolacがリンパ管新生を抑制する機序の少なくとも一部は、腫瘍内マクロファージからのVEGF-C産生の抑制、および腫瘍リンパ管内皮細胞の増殖抑制であることを示唆している。

§ 本研究の意義

これまでCOX-2と血管新生の関係については詳細に調べられてきたが、COX-2とリンパ管新生の関係を直接的に示した報告は存在しなかった。そこで本研究では、COX-2選択的阻害剤Etodolacのリンパ管新生への影響について検討した。その結果、Etodolacにはリンパ管新生を抑制し、リンパ節転移を抑制する効果があることが明らかとなった。

本研究では、リンパ管内皮特異的抗体を使用してリンパ管を同定するとともに、癌細胞にGFPを発現させて可視化することによって、腫瘍リンパ管新生およびリンパ行性転移を詳細に観察した。さらに、横隔膜リンパ管を横隔膜のホールマウント染色で評価する新規モデルを樹立してリンパ管新生を評価することにより、リンパ管新生の評価を組織切片で行う場合に潜在する再現性の問題を克服できたと考えられる。

また本研究は、消炎鎮痛剤として古くから臨床で使用されているEtodolacに腫瘍リンパ管新生およびリンパ節転移を抑制する効果のあることを動物実験で確認できたことから、実際にどのような対象患者に使用すべきかの検討は要するものの、この効果を臨床応用することが今後期待される。

図1 リンパ節転移モデルの胃壁同所移植巣における腫瘍リンパ管および腫瘍血管

図2 マクロファージのVEGF-C発現(定量的PCR)

審査要旨 要旨を表示する

本研究はCyclooxygenase-2 (COX-2)のリンパ管新生への影響を明らかにするため、COX-2選択的阻害剤Etodolacの作用を、複数のマウスモデルおよび各種培養細胞において検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.Etodolacは、ヒトスキルス胃癌細胞株OCUM-2MLNをヌードマウス胃壁に同所移植するリンパ節転移モデルにおいて、同所移植巣におけるリンパ管新生を抑制するとともに、リンパ節転移を抑制した。また、同所移植巣における血管新生を抑制した。

2.Etodolacは、OCUM-2MLNをヌードマウスに腹腔注する癌性腹膜炎モデル(新規モデル)において、横隔膜に誘導されるリンパ管新生を抑制した。

3.前出リンパ節転移モデルにおいて、同所移植巣にはVascular Endothelial Growth Factor (VEGF)-C を発現するF4/80陽性マクロファージの集積が見られ、このマクロファージの一部はCOX-2を高発現していた。また、同所移植巣におけるVEGF-Cの発現レベルは、非担癌状態と比べて亢進していたが、このVEGF-Cの発現亢進はEtodolacの投与により半減した。

4.マウスマクロファージ様細胞株RAW264.7に対し、lipopolysaccharide(LPS)で刺激すると、COX-2とともに、VEGF-Cが発現誘導された。このLPSによるVEGF-Cの発現誘導は、Etodolacの添加により抑制された。

5.ヒトリンパ管内皮初代培養株HDLECに対し、LPSで刺激すると、COX-2が発現誘導されるとともに、HDLECの細胞増殖が促進された。このLPSによるHDLECの細胞増殖促進は、Etodolacの添加により抑制された。Etodolacは、HDLECのVEGFR-3の発現レベルや、OCUM-2MLNの細胞増殖には影響しなかった。

6.Etodolacは、免疫正常マウスにチオグリコレートを反復して腹腔注する慢性無菌性腹膜炎モデル(新規モデル)において、腹膜炎にともなって横隔膜の炎症性プラークへ誘導されるリンパ管新生を抑制した。

7.前出慢性無菌性腹膜炎モデルにみられる炎症性プラークには、F4/80陽性CD11b陽性マクロファージが集積していた。また、この炎症性プラークではVEGF-CおよびCOX-2の発現が亢進していた。

以上、本論文では臨床で広く使用されているCOX-2選択的阻害剤Etodolacにリンパ管新生抑制作用のあることを、そのメカニズムとともに明らかにした。本研究はいまだ実用化されていない腫瘍リンパ行性転移の制御に関する、今後の展開の可能性を示しており、学位の授与に値すると考えられる。

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