学位論文要旨



No 123776
著者(漢字) 高橋,さゆり
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,サユリ
標題(和) 前立腺における男性ホルモン受容体の生体内高次機能解析
標題(洋)
報告番号 123776
報告番号 甲23776
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3115号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 准教授 矢野,哲
 東京大学 准教授 池田,均
 東京大学 講師 福原,浩
 東京大学 講師 久米,春喜
内容要旨 要旨を表示する

【目的】ホルモン抵抗性前立腺癌においてアンドロゲンレセプター(AR)遺伝子のリガンド結合領域に位置する点変異ART877Aが高頻度で報告されている。前立腺癌細胞株LNCaPの解析により、このAR点変異によりARのリガンド認識特異性の低下がもたらされ、DHTのみならずエストロゲンやフルタミドなど異種リガンドに対する応答性が獲得されることが明らかとなった。このAR点変異の生体での機能や発癌・癌増悪との関係を明らかにするために、Cre-loxPシステムを用いてART877A点変異を前立腺特異的に発現するコンディショナルマウスを作成し解析を行った。

【方法・結果】ARコドン877ThrはARのexon8にコードされるため、点変異を導入したヒトARexon6-8のcDNAを、loxPサイトに挟まれたWTヒトARexon6-8 cDNAに接続しターゲティングベクターを構築した。遺伝子ターゲティング法によりこれを導入したfloxedマウスを作成し、前立腺時期組織特異的にcre蛋白を活性化でするPSA-creトランスジェニックマウスと交配することで、前立腺組織時期特異的にAR点変異を発現することを可能にした。スクリーニングのために挿入したNEOr遺伝子が入った状態のL3型ARflox/Yマウスは精巣腫瘍を発生するなどの問題がありNEOrを抜いたL2型ARflox/Yマウスを作出した。交配により得られたPSA-CreARflox/Yマウスに6週齢でタモキシフェンを投与し点変異の導入を確認した。このマウスは野生型と同様に成長し血中のテストステロン、LH、エストラジオール濃度はコントロールであるARflox/Yマウスと差はなかった。

16週齢にて前立腺を摘出し定量したところ、ventral prostateはコントロール群が1.15±0.07mgに対して点変異導入体では1.55±0.07mgと大きく、anterior prostate, dorsal prostate も同様に大きかった。組織所見で腺管形成が亢進していることを確認した。24週齢、52週齢でも同様に点変異導入マウス前立腺で形成が亢進していた。Brd-U染色で点変異導入マウスの陽性細胞率が高く増殖能が亢進していることが確認された。また52週齢まで経過をみたが発癌は起こらなかった。

次に生体内でのAR点変異体のホルモン応答性を調べるために、24週齢のマウスを用いて、ヒドロキシフルタミド(HF)、エストラジオール(E2)、カソデックス(CSDX)の応答性を、ホルモンペレットを皮下に埋め3週間ホルモン投与し定量した。また同時にcastrationも行い退縮抑制効果を調べた。コントロールでは、HF、E2、CDXのいずれでも前立腺の退縮を生じた。AR点変異導入マウスではDHT+castration群を100%とし比較定量したところ、castration単独群では17.1%に退縮したが、HF+castration群では28.7%、E2+castration群では85.8%と前立腺退縮の抑制が見られた。またCSDX+castration群では14.7%と抑制効果は見られなかった。病理組織所見ではHF+castration群およびE2+castration群での腺管構造は保たれておりAR点変異のリガンド認識の低下が示唆された。

前立腺癌におけるAR点変異の効果を調べるため、SV40を強制発現し前立腺癌を発癌するモデルマウスであるTRAMPマウスを点変異導入マウスおよびコントロールマウスに交配した。前立腺癌による死亡週齢を統計したところコントロールTRAMP群では38週齢ごろより生存率が低下し62週齢で0%になるのに対し、AR点変異導入TRAMP群では、21週齢より生存率が低下し、38週齢ですべてが死亡した。また各週齢により平均前立腺重量を比較したところ24週齢で10,000倍の重量差を認め、AR点変異がTRAMPマウスの発癌を早めたことが示唆された。

前立腺癌組織をヌードマウス前立腺に同所移植し8週間後に前立腺癌を定量したところ、control群では2700±1273mgであるのに対しTRAMP-点変異群は9420±4572mgと癌増殖の亢進を認めた。このヌードマウスにcastrationを行い同様に前立腺癌組織を同所移植したところ、AR点変異導入前立腺癌ではcastrationを行わない移植マウスと同等の前立腺癌を形成した。次にマウスでは報告のない骨転移モデルを作るため、ヌードマウス頚骨に前立腺癌を同様に移植した。4ヶ月後、AR点変異導入前立腺癌移植ヌードマウスは巨大な腫瘤を移植部に形成。レントゲンにて骨破壊と造骨を伴った腫瘤であり、病理組織では破骨細胞の低下を認めヒト前立腺癌で見られる造骨性骨転移像に類似した。

mRNA発現をreal time PCR法で解析したところ、PTEN、cMyc、p27、NKX3.1などの発癌のイニシエーションになる遺伝子の変動は見られなかった。しかしAR点変異導入マウスでTGFβ1,TGFβ2,TGFβ3およびTGFβR1,TGFβR3の発現が上昇しており、TGFβシグナルの下流のSmad3の上昇が見られ、TGFβシグナルの亢進が癌増悪に関与している可能性が示唆された。

前立腺癌の増殖には上皮細胞―間質クロストークが重要と考えられているため、Wntシグナルの前立腺癌への関与の解明を試みた。Wnt5aへテロノックアウトマウスを、AR点変異導入TRAMPマウスと交配したところ、前立腺癌の発癌の時期が遅れ、抑制に働いた。Wntシグナルが前立腺癌の発癌に影響を与えていることが示唆された。Wnt5a抗体を用いて、ヒト前立腺組織の免疫染色を行ったところ、正常前立腺、前立腺肥大症では陰性であったが、前立腺癌上皮細胞で高い確率で陽性であった。

【結論】 AR点変異体は前立腺の腺管形成を促進した。DHTのみならずHFやE2をもリガンドとすることから内因性ホルモンをリガンドとすることが示唆された。AR点変異体がTRMPマウスによる前立腺癌の発癌を早めること、また増殖速度を著しく速めることがわかった。またcastrationを行っても癌の増殖が全く抑制されなかったため内因性ホルモンをリガンドとして成長する可能性が示唆され、ヒトにおけるホルモン抵抗性前立腺癌の解明につながると考えられた。mRNA発現の解析では発癌遺伝子の亢進や癌抑制遺伝子の低下は見られなかったが、TGFβシグナルが亢進していた。TGFβシグナルは、正常の細胞では増殖抑制に働くが進行癌などでは逆に癌促進、転移の促進に働くことが最近わかってきた。AR点変異がなんらかのクロストークによりTGFβシグナルを活性化し癌の増悪に関与していると考えられた。このAR機能亢進モデルでWnt5a蛋白が前立腺癌の亢進に働くことが証明され、ヒト前立腺癌でも同様の所見を得た。本実験により明らかにされたWnt5aの前立腺癌の関与は、臨床における前立腺癌のスクリーニングや治療への応用が期待できるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は前立腺の発生、形態維持、発癌において中心的な役割を演じていると考えられているアンドロゲンレセプターの高次機能を明らかにするために、Cre/loxPシステムを利用してヒト型AR遺伝子点変異(ART877A)を導入した潜在型の遺伝子マウス(floxedマウス)を作成し、生体内でのアンドロゲンレセプターの解析を試みたものである。

1.L2型のAR遺伝子点変異マウスを作出することと、時期組織特異的に前立腺にのみAR遺伝子点変異を発現するマウスラインの確立を行った。外因性リガンド投与により任意にCreを活性化できる誘導発現システムを用い、タモキシフェン投与により前立腺特異的にCre蛋白を活性化できるPSA-Cre ERTトランスジェニックマウスとの交配し、成体での前立腺特異的ヒト型点変異(T877A)導入マウスを作成した。この点変異がタモキシフェンにより誘導されることをサザンブロット及び前立腺のcDNAのシークエンス解析により確認した。

2.AR遺伝子点変異マウス前立腺が、形態解析により腺管形成を亢進することが示されARの機能が亢進していることが示された。各ホルモン投与を行うことでDHT(5αジヒドロテストステロン)のみならず、本来anti-アンドロゲンであるフルタミドとエストラジオールが去勢による前立腺の退縮を抑制する効果を示すことが証明された。

3.SV40-T antigenを過剰に発現し、癌抑制遺伝子Rbの阻害作用によって前立腺に癌を誘導するTRAMPマウスとの交配によりこの機能亢進したAR点変異体がTRAMPによる前立腺癌の発癌を早めることが明らかになった。

4.AR点変異導入TRAMPマウスと、非導入TRAMPマウスの前立腺癌組織をヌードマウスに同所移植したところ、点変異導入マウスで著しい癌の進行が認められ、ARの機能亢進が癌の増悪を促進することが示された。

5.去勢を行ったヌードマウスに前立腺癌の同所移植を行ったところ、AR点変異導入前立腺癌では、去勢していないマウスと全く変わらない癌の増殖が見られた。この点変異導入マウスがアンドロゲン以外の内因性ホルモンをリガンドとすることが示された。

6.骨での癌の増殖を調べるためヌードマウス脛骨に、AR点変異導入前立腺癌組織を移植した結果、骨組織においてもAR点変異非導入マウスより癌の増殖は速く、骨切片は破骨細胞の低下が見られた。これによりAR機能亢進が前立腺組織のみならず転移巣でも癌の増悪に関与していることが示された。

7.前立腺組織、前立腺癌組織の各RNA発現をマイクロアレイ、及びreal timePCRで調べたところTGFβ系シグナルの亢進が認められ、ARの機能亢進がTGFβ系シグナルとクロストークをもち癌の進行に関わっていることが示された。

8.本研究で確立されたAR機能亢進マウスの系を用いて、スクリーニングを行ったところ、Wnt5a ノックアウトマウスと、AR点変異導入TRAMPマウスとの交配により、Wnt5aヘテロノックアウトマウスで、癌進行の抑制が観察された。AR点変異非導入マウスでは、発癌の抑制は見られず、WntシグナルがARを介した癌増悪の過程においてなんらかの影響を及ぼしていることが明らかになった。またヒト前立腺癌でもWnt5aの発現の亢進が証明された。

以上、本論文はヒト型AR遺伝子点変異(ART877A)導入マウスにおいて、ホルモン応答性の変容と、前立腺癌の発症、進行が促進されることが明らかになった。また癌との関連が知られていなかったWnt5a遺伝子が前立腺癌の増悪に関与していることが解明され、臨床的応用への発展が期待されると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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