学位論文要旨



No 123782
著者(漢字) 長山,和弘
著者(英字)
著者(カナ) ナガヤマ,カズヒロ
標題(和) 肺がんゲノムにおける100 kb解像度でのホモ欠失探索
標題(洋)
報告番号 123782
報告番号 甲23782
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3121号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 准教授 中島,淳
 東京大学 客員准教授 垣見,和宏
 東京大学 講師 今村,宏
 東京大学 講師 高井,大哉
内容要旨 要旨を表示する

がんは遺伝子異常によって生じる疾患であり、がんの発生・進展は、段階的な複数の遺伝子異常の蓄積により、細胞がより悪性度の高い形質を獲得していく過程を反映したものであると考えられている。この過程において、がん遺伝子の活性化やがん抑制遺伝子の不活化は大きな役割を果たしているが、これらには、いくつかのがん種において共通するものもあれば、それぞれのがん種に特異的なもの、更には同一のがん種内の組織型特異的とされるものまである。それぞれのがん種における共通または特異的ながん遺伝子・がん抑制遺伝子の異常が明らかになれば、がんに対するより効果的な治療法の開発が可能となるであろう。肺がんは我が国の悪性腫瘍による死因の第1位を占め、米国をはじめとする諸外国においても悪性腫瘍における死因の上位を占めている。世界的に肺がんに対する有効な診断・治療法が模索されているためか、肺がんに関する分子病理学的な知見は、他の固形がんに比べて進んでいる。肺がんにおけるがん遺伝子研究の成果として、特定のがん遺伝子を特異的に阻害する薬剤、いわゆる分子標的治療薬の開発・実用化、臨床導入があげられる。また、いくつかの肺がん抑制遺伝子で、その異常が独立した予後不良因子となることや、術後抗がん剤治療の有効性を規定する因子となる可能性のあることが示されており、ハイリスクグループの同定や治療効果予測に有用な分子マーカーとなり得るような、新たな肺がん抑制遺伝子を同定することは、将来の肺がん治療において大きな発展をもたらすことになる。

がん細胞において、ヘテロ接合性の消失 (Loss of heterozygosity; LOH) が生じている領域でがん抑制遺伝子が不活化されていることはよく知られている。これには、一方の相同染色体上のがん抑制遺伝子で変異・メチル化がおこり、もう一方の相同染色体でLOHによる比較的大きなDNA領域の欠失がおこることによって、両アレルのがん抑制遺伝子が不活化する場合と、一方の相同染色体上でがん抑制遺伝子を含む比較的小さなDNA領域の欠失がおこり、もう一方の相同染色体ではLOHによる比較的大きなDNA領域の欠失がおこることで両アレルのがん抑制遺伝子が不活化する場合があるが、後者は特に両相同染色体欠失 (ホモ欠失; Homozygous Deletion; HD) と呼ばれ区別されている。肺がんでは、9p21領域に存在するCDKN2A (p16)、10q23領域に存在するPTENを含め、いくつかのがん抑制遺伝子がホモ欠失により不活化していることが知られている。この他の様々な染色体座においても肺がん細胞がホモ欠失を示すことが報告されており、この事実は、新規肺がん抑制遺伝子、並びに肺がん抑制遺伝子としての役割がまだ知られていない遺伝子が未知のホモ欠失領域に存在している可能性を示唆している。

今回、肺がんゲノムにおける新規ホモ欠失領域、および新たな肺がん抑制遺伝子の同定を目的として、全ゲノムに亘り115,553マーカーを配した、現在最も高解像度のDNAアレイによる、43肺がん細胞株 (32非小細胞肺がん細胞株、11小細胞肺がん株) における全ゲノム網羅的なホモ欠失領域の探索・同定を行った。アレイ解析にて特異的なハイブリダイゼーションシグナルを得られなかったマーカーが4箇所以上連続してみられる常染色体上の区域をホモ欠失の候補区域として選定し、候補区域内に存在するDNA断片の欠失がMultiplex PCR法による産物の増幅欠如により確認された場合にホモ欠失していると判定した。マーカーはゲノム上において平均25 kb間隔で設定されているため、特異的なハイブリダイゼーションシグナルを得られなかったマーカーが4箇所以上連続する区域を対象とした場合には、100 kb解像度でのホモ欠失探索となる。文献を渉猟する限りでは、同様のアレイで、この手法を用いた高解像度でのホモ欠失探索の報告はこれまでにはなく、本研究が初めての報告例となる。

43肺がん細胞株におけるアレイ解析の結果、特異的なハイブリダイゼーションシグナルを得られなかったマーカーが4箇所以上連続する候補ホモ欠失領域は、142区域みられた。これらの区域に対して、Multiplex PCR法による解析を行い、63区域 (63/142, 44%)が、実際にホモ欠失していることを確認した。43肺がん細胞株のうち、30株については、特異的なハイブリダイゼーションシグナルを得られなかったマーカーが3連続 (75 kb解像度) でみられる区域にまで対象を拡げたところ、このような区域は527区域みられ、うち9区域でホモ欠失を確認した。よって、43肺がん細胞株におけるアレイ解析を基に、29細胞株において、のべ72ホモ欠失区域を同定した。欠失区域のサイズは、最小9.0 kb、最大10.2 Mbであった。Multiplex PCR法により欠失領域の重複に関する検討を更に行い、72ホモ欠失区域のうち28区域は、7つの共通欠失領域のいずれかにおいて重複するホモ欠失であり、残りの44区域は、独立した44ホモ欠失領域であることが示された。従って、72ホモ欠失区域は、重複を考慮すると51ホモ欠失領域にまとめられる。このうち20領域はこれまで報告のない、新規に同定されたホモ欠失領域であった。一方、残りの31領域には9p21座や3p14座など、肺がん細胞における既知のホモ欠失領域が含まれていた。51領域各々について、アレイ解析に用いた43株を含めた74肺がん細胞株 (52非小細胞肺がん細胞株、22小細胞肺がん株) におけるホモ欠失の実態を調べたところ、全体で45細胞株において98箇所のホモ欠失が同定された。これらは、19の常染色体に分散して存在しており、染色体腕別でみると、9番短腕が33箇所 (34%)、2番長腕が14箇所 (14%) とそれぞれ第一位、第二位に高い頻度でホモ欠失の標的となっていた。また、以前の報告同様、非小細胞肺がん細胞株におけるホモ欠失の頻度は、小細胞肺がん細胞株に比べて有意に高かった。

ゲノムデータベースの情報から、51ホモ欠失領域のうち41領域内には遺伝子が含まれていると推定した。個々の遺伝子に対して、Multiplex PCR法により対応する遺伝子断片の欠失の有無を解析したところ、3個のマイクロRNA遺伝子を含む113遺伝子が欠失していることが明らかになった。欠失遺伝子のうち、CDKN2A/CDKN2Bは、74細胞株中19細胞株 (26%) と最も高い頻度で欠失しており、PTPRDとLRP1Bは、それぞれ9細胞株 (12%)、8細胞株 (11%) とそれに続いた。上記以外に2株以上の細胞株でホモ欠失を認めたものは、28遺伝子 (9領域) であった。また、1株のみではあったが、既知のがん抑制遺伝子であるRB1のホモ欠失を同定した。検出された一連のホモ欠失領域については、コピー数多型 (Copy number variation; CNV)との異同を検討した。ヒトゲノムにおけるCNVデータベースの情報を参照したところ、51ホモ欠失領域のうち21領域が、登録されているCNV領域と少なくとも一部重複していたが、詳細なMultiplex PCRの結果、コピー数多型を示す領域とホモ欠失領域の範囲とに相違があることを見出した。更に、アレイ解析に使用した7株の肺がん細胞株と、それぞれ同一患者由来の7株のBリンパ球の不死化細胞株をアレイ解析により比較し、7株の肺がん細胞で認められた15ホモ欠失区域のうち11区域では、対応するBリンパ球においてヘテロ接合性が維持されていることを見出した。以上の結果より、21箇所のホモ欠失領域はコピー数多型のような胚細胞性の変化によるものではなく、がん化の過程で生じた体細胞性変化であることを示した。

本研究によって、74株の肺がん細胞において、51箇所のホモ欠失領域およびそこに含まれる113個の欠失遺伝子を同定した。欠失遺伝子には、がん細胞において欠失の標的となりやすいとされる1 Mb以上の長大な遺伝子がLRP1B, FHIT, WWOX ERBB4, PDE4D, CSMD1の6遺伝子含まれており、LRP1B, FHIT, WWOXの3遺伝子は、2例以上の細胞株でホモ欠失を示し、common fragile siteに位置することから、遺伝子欠失に染色体の脆弱性が関わる可能性を示した。また、3個のマイクロRNA遺伝子の欠失が確認されたが、このなかにはRAS調節因子として働くことが知られているlet-7ファミリーのMIRNLET7Cが含まれていた。今回のホモ欠失探索で同定された113個の遺伝子には、既知のがん抑制遺伝子であるCDKN2AおよびRB1と、がん抑制遺伝子候補である、LRP1B, FHIT, CSMD1, PTPRD, DBC1, PTPRO, PCDH20, WWOX, SMAD4が含まれていた。従って、他の欠失遺伝子の中にも、その不活化が肺がんの発生・進展に関与する肺がん抑制遺伝子が含まれている可能性がある。以上の結果から、高解像度DNAアレイによるホモ欠失領域の探索は、肺がんの新規がん抑制遺伝子の同定や、既知のがん抑制遺伝子、並びにその候補の確認に有用であり、肺がんのハイリスクグループの同定や治療効果予測に有用な分子マーカーの同定に結びつくものと思われた。また、同定したホモ欠失に関するゲノム上の位置、大きさ、欠失遺伝子、並びに細胞株名は、他の肺がん遺伝子の研究者にとって貴重な情報を提供するものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

ヒトがんの発生・進展には、がん抑制遺伝子の不活化が大きな役割を果たしているが、がん抑制遺伝子を不活化する分子機構の一つとして、DNA領域のホモ欠失 (両相同染色体欠失) が挙げられる。本研究では、肺がんゲノムDNAにおける新規ホモ欠失領域と新規肺がん抑制遺伝子、並びに肺がん抑制遺伝子としての役割が知られていない遺伝子の同定を目的として、現在最も解像度が高いDNAアレイを用いて43株の肺がん細胞株 (32非小細胞肺がん細胞株、11小細胞肺がん株) における全ゲノム網羅的なホモ欠失領域の探索・同定を行い、下記のような新たな手法を確立し、有用な結果を得ている。

1.がん細胞におけるホモ欠失領域の実態を把握する目的で、高解像度DNAアレイを用いた新たな解析手法を確立した。すなわち、DNAアレイ解析により、特異的なハイブリダイゼーションシグナルを得られなかったマーカーが4箇所以上連続する常染色体上の区域を、ホモ欠失の候補区域として選定し、候補区域内のDNA断片の欠失がMultiplex PCR法による増幅産物の欠如として確認された場合に、ホモ欠失が生じていると判定した。マーカーはゲノム上に平均25 kb間隔で設定されているため、これが4箇所以上連続する区域を対象とした場合、100 kb解像度でのホモ欠失探索となる。文献を渉猟する限り、同様のDNAアレイを用いたこの高解像度でのホモ欠失領域の探索は、本研究が初めてである。

2.上記手法により、43株の肺がん細胞株において既知のホモ欠失領域を含む63箇所のホモ欠失区域を同定した。また、43細胞株のうち30株については、マーカーが3箇所 (75 kb解像度) 連続してみられる区域まで対象を拡げ、更に9ホモ欠失区域を追加、同定した。この結果、29細胞株において合計72箇所のホモ欠失区域を同定した。次に、Multiplex PCR法により欠失領域の重複に関する検討を行い、72箇所の欠失区域のうち28区域は、7つの共通欠失領域にまとめられること、残る44欠失区域は、それぞれ独立した領域であることを示し、合計51箇所のホモ欠失領域を同定した。このうち20箇所は、新規に同定されたホモ欠失領域であった。

3.アレイ解析に用いた43株の肺がん細胞株を含む74株の肺がん細胞株 (非小細胞肺がん細胞株52株、小細胞肺がん株22株) について、51箇所のホモ欠失領域におけるそれぞれの欠失の実態をMultiplex PCR法にて検証し、全体で45細胞株において98箇所のホモ欠失を同定した。染色体部位としては、9番短腕が33箇所 (34%)、2番長腕が14箇所 (14%) とそれぞれ第一位、第二位に高い頻度でホモ欠失の標的なっていた。また、以前の報告同様、非小細胞肺がん細胞株におけるホモ欠失の頻度は、小細胞肺がん細胞株に比べて有意に高いことを確認した。

4.51箇所のホモ欠失領域内の41領域に、のべ113個の遺伝子の存在を確認し、74株の肺がん細胞株に対して、Multiplex PCR法により、個々の遺伝子断片の欠失の有無を検索した。この結果、既知のがん抑制遺伝子であるCDKN2A/CDKN2Bのホモ欠失を最も高い頻度 (74株中19株;26%)で認め、次いで肺がん抑制遺伝子候補PTPRDとLRP1Bのホモ欠失を、それぞれ9株 (12%)、8株 (11%) に認めた。また、既知のがん抑制遺伝子であるRB1のホモ欠失を1株 (1%) に見出した。更に、2q24の7遺伝子、すなわちGRB14, COBLL1, FLJ39822, SCN3A, SCN2A2, FAM130A2, GALNT3、2q34のERBB4、3q14のFHIT、5q11のPDE4D、7q35のCNTNAP2、10p11のPARD3、16q23のWWOX、18q21のSMAD4、21q11-21の14遺伝子、すなわちRBM11, STCH, SAMSN1, NRIP1, USP25, C21orf34, CXADR, BTG3, C21orf91, CHODL, PRSS7, MIRNLET7C, MIRN99A, MIRN125B2、以上合計28個 (9領域) の遺伝子のホモ欠失を2株以上の細胞株に認めた。この中にはRASの調節因子として働くことが知られているlet-7ファミリーのMIRNLET7C など、3個のマイクロRNA遺伝子が含まれていた。また、がん細胞において欠失の標的となりやすいとされる1 Mb以上の長大な遺伝子が、LRP1B, FHIT, WWOX ERBB4, PDE4D, CSMD1の6遺伝子含まれており、LRP1B, FHIT, WWOXの3遺伝子は、2株以上の細胞株でホモ欠失を示し、common fragile siteに位置することから、遺伝子欠失に染色体の脆弱性が関わる可能性を示した。

5.検出された一連のホモ欠失領域についてコピー数多型との異同を検討した。コピー数多型データベースから得た情報を解析したところ、51箇所のホモ欠失領域のうち、21領域がコピー数多型による変化である可能性が示唆された。しかし、詳細なMultiplex PCRの結果、コピー数多型を示す領域とホモ欠失領域の範囲とに相違があることを見出した。更に、7株の肺がん細胞株と、それぞれ同一患者由来の7株のBリンパ球不死化細胞とをアレイ解析により比較し、7株の肺がん細胞株で認められた15ホモ欠失区域のうち11区域では、対応するBリンパ球においてヘテロ接合性が維持されていることを見出した。以上の結果より、21箇所のホモ欠失領域はコピー数多型のような胚細胞性の変化によるものではなく、がん化の過程で生じた体細胞性変化であることを示した。

以上、本論文では43株の肺がん細胞株ゲノムDNAに対して、これまで試みられていない高解像度アレイ解析法による100 kb解像度でのホモ欠失探索を行い、20箇所の新規ホモ欠失領域を含む、51箇所のホモ欠失領域を同定した。更に74株の肺がん細胞株における51領域各々の欠失の実態を示し、また欠失領域内に存在するマイクロRNA遺伝子3個を含む、113個の遺伝子の欠失を明らかにした。これら113個の欠失遺伝子の中には、既知のがん抑制遺伝子であるCDKN2AおよびRB1と、がん抑制遺伝子候補である、LRP1B, FHIT, CSMD1, PTPRD, DBC1, PTPRO, PCDH20, WWOX, SMAD4が含まれていた。従って、他の欠失遺伝子の中にも、その不活化が肺がんの発生・進展に関与する肺がん抑制遺伝子が含まれている可能性が示唆される。また、同定したホモ欠失に関するゲノム上の位置、大きさ、欠失遺伝子、並びに細胞株名は、他の肺がん遺伝子の研究者にとって貴重な情報を提供するものと考えられる。このように、本研究は肺がんの発生・進展にかかわる遺伝子、特にがん抑制遺伝子研究において、新たな手法と知見をもたらすものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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