学位論文要旨



No 123784
著者(漢字) 今橋,久美子
著者(英字)
著者(カナ) イマハシ,クミコ
標題(和) 高次脳機能障害スクリーニングのための簡易神経心理学的検査法の検討
標題(洋)
報告番号 123784
報告番号 甲23784
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3123号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村嶋,幸代
 東京大学 講師 伊藤,健
 東京大学 講師 相原,一
 東京大学 講師 田中,行夫
 東京大学 講師 宮本,有紀
内容要旨 要旨を表示する

I 緒言

交通事故による頭部外傷や脳血管疾患の発症後に、記憶障害、注意障害、遂行機能障害などの高次脳機能障害が問題となることがある。特に、顕著な運動障害や言語障害を伴わない場合、外から障害が見えにくいため看過されやすい。高次脳機能障害は、詳細な神経心理学的検査と画像所見とをあわせて診断が可能になるが、現在そのような診断を行える医療機関は限られている。したがって、患者の受療過程において簡便なスクリーニング方法を用いて主要症状を検出し、高次脳機能障害の診断を専門に行う機関に紹介する流れを構築することが現実的である。現在、診断基準に沿ったスクリーニング方法はなく、一般医療機関の医師、看護師、市町村の行政機関の職員などが、頭部外傷や脳血管疾患の患者から相談を受けた場合に、それらの受傷や発症後に出現しやすい主要症状を簡便に検出するスクリーニング方法の開発が期待される。

II 目的

一般医療機関や市町村の行政機関において使用するための簡便なスクリーニング検査を作成することを目的とした。研究は3段階で実施した。はじめに、主要症状を検出するチェック項目を作成し(研究1)、次に作成したチェック項目群について感度と特異度およびカットオフ値を検証し(研究2)、さらにチェック項目の一貫性と安定性を検証した(研究3)。

III 対象

3段階の研究は、すべて同一の対象に対して実施した。モデル事業の地方拠点機関であった東北厚生年金病院において、高次脳機能評価のために、平成18年4月1日から平成19年3月31日までに入院した患者42名を対象とした。

対象者の適合基準は、(1)18歳以上65歳未満である(2)交通事故や転落による頭部外傷受傷または脳血管疾患等の既往がある(3)受傷または発症から3ヶ月以上経過しており、意識が清明で神経心理学的検査を受けられる者とし、除外基準は、検査を施行できない程度の視聴覚障害または運動障害がある者とした。

対象者のうち男性は31名、女性は11名であった。年齢は22~61歳、平均±標準偏差:43±12歳であった。高次脳機能障害の原因は、頭部外傷31名(74%)、脳血管疾患11名(26%)であった。受傷または疾患の発症から検査日までの期間は、3ヶ月から32年で、平均5年、中央値は2年であった。

IV 方法

方法1 高次脳機能チェック表(試作版)の作成

はじめに高次脳機能障害の主要症状である記憶・注意・遂行機能障害を検出するためのチェック項目を以下の方法で作成した。試作版のチェック項目と記憶・注意・遂行機能それぞれの標準神経心理学的検査との相関、すなわち併存的妥当性を検証した。

(1)従来、認知症のスクリーニング方法として主に高齢者を対象に用いられている質問項目および記憶・注意・遂行機能に関連がある質問項目のなかから、検査のために特殊な用具を必要としない20項目を選択した。スクリーニングは最大限20分以内のものが望ましいとされるため、項目数は健常者が10分以内に終える量とした。

はじめに、対象者の要件である「意識が清明で神経心理学的検査を受けられる」状態にあることを確認するために、質問1(年齢)、質問2・3(見当識)を設けた。次に、記憶を測定するために、質問4(関連のない3単語の即時再生)、質問6(質問4の遅延再生)、質問8(単語想起)、質問9(物品再生)、質問10(物品呼称)を設けた。次に、注意を測定するために、質問5(100-7計算)、質問7(2桁から7桁の数字の逆唱)、質問11(文章復唱)、質問16(立体描画)、質問17(花描画)、質問18(線分二等分)、質問19(3桁から9桁の数字の順唱)を設けた。

(2)記憶・注意・遂行機能障害の標準神経心理学的検査のうち、国際的に広く用いられている検査を対象者に施行した。記憶の測定には、Wechsler Memory Scale-Revised(WMS-R)の日本版を、注意の測定には数字抹消検査(Digit Cancellation Test:D-CAT)および線引きテスト(Trail Making Test Part A:TMT-A) を、遂行機能の測定には、ウィスコンシンカードソーティングテスト(Wisconsin Card Sorting Test:WCST)および線引きテスト(Trail Making Test Part B:TMT-B) を基準として用いた。

(3)(1)の20項目の得点と(2)の標準神経心理学的検査の得点との相関係数を算出し、記憶・注意・遂行機能それぞれの検査と相関の高い項目を選択した。

方法2 感度・特異度の検証

方法1で選択した高次脳機能チェック項目(5項目)を標準的な神経心理学的検査と比較し、感度および特異度を算出した。さらに「1-特異度」をX軸、感度をY軸にしたROC曲線で示した。

(1)記憶障害は、チェック項目(単語遅延再生、物品再生)と標準検査(WMS-R)

(2)注意障害は、チェック項目(数字逆唱)と標準検査(D-CATとTMT-A)、チェック項目(100-7計算)と標準検査(TMT-A)

(3)遂行機能障害は、チェック項目(桁数差)と標準検査(WCST)、チェック項目(100-7計算)と標準検査(TMT-B)を比較した。

方法3 信頼性の検証

方法1で選択した高次脳機能チェック項目(5項目)の信頼性については、折半法を用いて一貫性を、再テスト法を用いて安定性を検証した。折半法ではCronbach のアルファ係数を算出した。再テスト法では、2名の検査者が2週間以内の間隔で同一患者にチェック項目を施行し、安定性を検証した。

V 結果

結果1 高次脳機能チェック表(試作版)と標準神経心理学的検査との相関

まず記憶検査WMS-Rと相関の高い項目(p<0.005)は、質問6(単語遅延再生)、質問7(数字逆唱)、質問9(物品再生)であった。次に注意検査D-CATと相関の高い項目は、質問7(数字逆唱)のみであった。同じく注意検査TMT-Aと相関の高い項目は、質問5(100-7計算)、質問7(数字逆唱)、質問9(物品再生)であった。最後に遂行機能検査WCSTと相関の高い項目は、質問6(単語遅延再生)と質問20(桁数差)であった。同じく遂行機能検査TMT-Bと相関の高い項目は、質問5(100-7計算)、質問7(数字逆唱)、質問9(物品再生)、質問18(線分二等分)であった。

以上の結果と散布図より、各標準神経心理学的検査との相関係数が高い順にチェック項目を2つずつ選択した。すなわち、記憶障害は単語遅延再生と物品再生、注意障害は100-7計算と数字逆唱、遂行機能障害は、100-7計算と桁数差をチェック項目とし、次項で感度・特異度を検証した。

結果2 高次脳機能チェック項目の感度・特異度

高次脳機能チェック項目の感度と特異度を算出し、ROC曲線で示した結果、単語遅延再生が2点以下、または物品再生が4点以下で「記憶障害あり」数字逆唱が4桁以下、または100-7計算が4点以下で「注意障害あり」100-7計算が4点以下、または数唱桁数差が2桁以上で「遂行機能障害あり」としたときに最も高かった。

結果3 高次脳機能チェック項目の一貫性と安定性

高次脳機能チェック項目として選択した単語遅延再生、物品再生、100-7計算、数字の逆唱、数唱桁数差の5項目のCronbach のアルファ係数は0.803であった。

さらに2名の検査者が17名を対象に、2週間以内の間隔で施行した得点を比較した。素点を単語遅延再生で2点以下を0点、3点満点を1点に換算すると、複数検査者による一致率は0.941であった。同様に、物品再生で4点以下を0点、5点満点を1点に換算すると一致率は0.941、数字逆唱で4桁以下を0点、5桁以上を1点に換算すると一致率は0.882、100-7計算で4点以下を0点、5点満点を1点に換算すると一致率は0.824、数唱桁数差で2桁以上を0点、1桁以下を1点に換算すると一致率は0.882であった。

VI 考察

本研究では、頭部外傷や脳血管疾患の後遺症として生じる高次脳機能障害のスクリーニングのための高次脳機能チェック表の有用性を検討した。

本研究の結果、高次脳機能チェック表(試作版)からチェック項目を選択し、主要症状の判定基準を明記した様式に修正したものを高次脳機能チェック表(改訂版)とした。さらにチェック項目の感度・特異度を検討した結果、記憶・注意・遂行機能障害の指標として以下の基準が有効と考えられた。

(1)記憶障害は、単語遅延再生が2点以下または物品再生が4点以下の場合「陽性」とする。

(2)注意障害は、数字逆唱が4桁以下または100-7計算が4点以下の場合「陽性」とする。

(3)遂行機能障害は、数唱の桁数差が2桁以上または100-7計算が4点以下の場合「陽性」とする。

高次脳機能チェック表(改訂版)は5分程度で施行可能であり、主要症状を検出するチェック項目の感度・特異度は高く、一貫性および安定性も確認された。

最終的な標準検査による判定と高次脳機能チェック表(改訂版)による判定を比較した結果、記憶障害と注意障害の9割、遂行機能障害の8割を検出した。一般に、疾患のスクリーニング検査の要件として、感度・特異度、簡便性、安全性、低費用が挙げられるが、本チェック表はこれらの要件を満たした。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、頭部外傷や脳血管疾患の後遺症として生じる高次脳機能障害のスクリーニングのための高次脳機能チェック表の有用性を検討し、下記の結果を得ている。

1. 高次脳機能チェック表(試作版)と標準神経心理学的検査との相関(併存的妥当性)の検証

高次脳機能障害の主要症状である記憶、注意、遂行機能障害を検出するための高次脳機能チェック表(試作版)を作成し、各標準神経心理学的検査との相関係数が高い順にチェック項目を2つずつ選択した。すなわち、記憶障害は単語遅延再生と物品再生、注意障害は100-7計算と数字逆唱、遂行機能障害は、100-7計算と桁数差をチェック項目とした。

2.高次脳機能チェック項目の感度・特異度およびカットオフ値の検証

高次脳機能チェック項目の感度と特異度を算出し、ROC曲線で示した結果、単語遅延再生が2点以下、または物品再生が4点以下で「記憶障害あり」、数字逆唱が4桁以下、または100-7計算が4点以下で「注意障害あり」、100-7計算が4点以下、または数唱桁数差が2桁以上で「遂行機能障害あり」としたときに最も高かった。

3.高次脳機能チェック項目の一貫性と安定性

高次脳機能チェック項目として選択した5項目のCronbach のアルファ係数は0.803であった。さらに2名の検査者が17名を対象に、2週間以内の間隔で施行した得点を比較した。素点を単語遅延再生で2点以下を0点、3点満点を1点に換算すると、複数検査者による一致率は0.941であった。同様に、物品再生で4点以下を0点、5点満点を1点に換算すると一致率は0.941、数字逆唱で4桁以下を0点、5桁以上を1点に換算すると一致率は0.882、100-7計算で4点以下を0点、5点満点を1点に換算すると一致率は0.824、数唱桁数差で2桁以上を0点、1桁以下を1点に換算すると一致率は0.882であった。

現在、詳細な神経心理学的検査を行い、画像所見とあわせて高次脳機能障害を診断する医療機関は数が限られているため、一般の医療機関や市町村の行政機関において、本チェック表を用いて主要症状を検出し、高次脳機能障害の診断を専門に行う機関に紹介する流れを構築することが期待される。今回作成したチェック表は短時間かつ神経心理学的検査に精通した専門職でなくても施行でき、標準的神経心理学的検査と相関が高く、感度・特異度を検討した結果、記憶・注意・遂行機能障害の指標として有効な基準が明らかになった。信頼性についても、チェック項目の一貫性と複数の検査者間における安定性が確認された。以上、本論文は高次脳機能障害のスクリーニングにおいて重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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