学位論文要旨



No 123788
著者(漢字) 戸ヶ里,泰典
著者(英字)
著者(カナ) トガリ,タイスケ
標題(和) 20~40歳の成人男女におけるsense of coherenceの形成・規定にかかわる思春期及び成人期の社会的要因に関する研究
標題(洋)
報告番号 123788
報告番号 甲23788
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3127号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川上,憲人
 東京大学 准教授 島津,明人
 東京大学 准教授 松山,裕
 東京大学 教授 水口,雅
 東京大学 准教授 井上,和男
内容要旨 要旨を表示する

Antonovskyにより提唱されたsense of coherence(SOC)概念とは、慢性ストレッサー、進学、就職、結婚、出産といったライフイベント、戦争などのトラウマティックなイベントも含めた生活、人生上の出来事や逆境を経験する際に、そのストレスを成功的に対処し、健康の維持増進を図るストレス対処能力あるいは健康保持能力として理解することができる。

SOCに関する実証研究はweb of scienceによればこの概念が提唱された1979年以降2007年9月までに1,085本に上り、年々その数は増加傾向にある。これらの実証研究は主にSOCを説明変数においた、SOCの機能や効果に関する研究がほとんどで、縦断研究の結果、罹患率や死亡率を中心とする客観的健康、およびQOLや健康度の自己評価を中心とする主観的健康に対する予測力、また、強いストレッサーにさらされていながらも高いSOCを保つことにより心身の負担を軽減しているというストレッサー緩衝効果についても検証されている。

ストレス対処能力であるSOCの効果について多くの実証研究が得られている一方で、SOCがどのように、形成され、どのような要因によって規定されるかという観点からの研究は極めて限られている現状にある。SOCの発達・形成に関する仮説は、提唱者であるAntonovskyにより詳細に述べられており、特に乳幼児期から思春期にかけての家庭環境、成功体験を中心とする人生経験、また、思春期から成人初期における社会関係や職業が重要な要因として挙げられている。SOCはこうした良好な環境下における人生経験を経て徐々に形成されるものとされる。

そこで、本研究ではまず、わが国における大規模な多目的の調査において使用可能で簡便な、SOC概念の測定尺度を日本語で開発し(研究1) 、次いで、AntonovskyによるSOCの形成仮説およびわずかに実施された先行研究の結果を踏まえた仮説に基づき、SOCの形成・発達上重要な役割を果たすと考えられる思春期における社会経済的環境、学業上の成功および成人期の学歴や雇用形態も加味した職業を中心とする社会経済的地位、および配偶関係やサポートネットワークを中心とする社会関係といった要因と現在のSOCとの関連性を、20歳から40歳までの男女に関する大規模全国サンプルにおいて、まず、男女別に、次いで20歳以上25歳未満、25歳以上35歳未満35歳以上40歳以下の3群で検討し、ストレス対処能力概念SOCの形成に関するモデルを探索することを目的とする(研究2)。

研究1

方法

対象と方法:調査1として、インターネットリサーチ会社「goo リサーチ」に登録する関東地方在住の20歳~39歳の調査モニター77,000名のうち、性、年齢で層化無作為抽出した1,800名を対象とし、2007年4月12日~2007年4月15日にインターネットによる配票調査を実施、返信された544名(男性275名、女性269名)を分析対象とした。調査2として日本国内に在住の満20歳以上40歳以下の男女を性、年齢、居住都市による層化2段無作為抽出によりサンプリングした。第1段抽出単位としては都市規模により市町村単位で全国271地点を抽出し、第2段抽出単位として各地点で性、年齢別に住民基本台帳より等間隔抽出し、13,938名に自記式調査票を郵送で配布、調査員による訪問回収を行い4,800名を分析対象(有効回収率34.4%)とした。

変数:SOC3-UTHS(University of Tokyo Health Sociology version of the SOC scale)修正版、5件法13項目版、健康度の自己評価(Self-Rated Health; SRH)、Mental Health Inventory(MHI)、CES-D(Center for Epidemiologic Studies Depression Scale)13項目版、Herth Hope Index(HHI)、性、年齢、配偶者の有無、学歴を測定した。

結果及び結論

調査1においてSOC13とSOC3-UTHSの分布において、性差は見られなかった。調査2においても同様で性差は見られなかった。調査1の年代別の検討ではSOC13に関しては20~24歳の群に比較して30~34歳の群で有意にスコアが高いという結果が出たが、SOC3-UTHSに関しては年代による差が見られなかった。配偶関係に関して、調査1のSOC13、SOC3-UTHS、および調査2のSOC3-UTHSいずれにおいても配偶者ありのほうがなしに比して有意にスコアが高くなっていた。

調査1におけるα係数は.83、調査2におけるα係数は.86であった。また、収束妥当性を意味するSOC3-UTHSとSOC13との相関係数値は.49 であった。SRHとの相関に関して、調査1のSOC13とは.36、SOC3-UTHSとは.29、調査2のSOC3-UTHSとは.22であった。CES-Dに関して、調査1ではSOC13とは-.68であったのに対し、SOC3-UTHSとは-.38にとどまった。MHI5に関しては調査1ではSOC13とは.66に対し、SOC3-UTHSとは.38で、調査2のSOC3-UTHSとは.26にとどまった。他方で、調査1におけるHHIとの関連性は、SOC13とは.67に対し、SOC3-UTHSとは.62とほぼ同水準の相関が得られた。

今回収束妥当性の検討として用いたSOC13とSOC3-UTHSとの相関は.49とやや低い値であった。また、先行研究におけるSOC3-UTHSとSOC13との相関は.51であり、ほぼ同程度の大きさといえる。しかしながら、SOC13は、これまでに行なわれたSOCとネガティブ感情との関係の検討結果よりSOCスケール得点との関係は極めて強く、むしろ強すぎるのではないか、という議論が行われてきている。また、SOCスケールに含まれている感情的ドメインについては、これを排する必要があるという意見も見られていた。今回のスケール開発に当たっては、SOC13は感情の頻度を測定する項目(・・・と感じることがよくある~まったくない)が多いのに対し、新たに作成したSOC3-UTHSは同意の程度(あてはまる~あてはまらない)を測定しており、できる限り感情を排するように考慮していることから、その違いを反映している可能性がある。したがって、収束妥当性としては低い相関係数ではあるが、感情ドメインとの相関を排した結果であり、一定の収束妥当性があるものと考える。しかしながら、SOC13に含まれる感情ドメインとそれ以外のドメインと、SOC3-UTHSとの関係については今回は十分に検討できていないことから、今後の検討課題であると考える。

以上よりSOC3-UTHS修正版の信頼性と妥当性は概ね認められ、一般住民調査においてもSOC3-UTHS修正版は使用可能と考えられた。

研究2

方法

対象と方法:研究1における調査2に同じ。

変数:SOC3-UTHS、性、年齢(20~24歳、25~34歳、35~40歳の3カテゴリ)、15歳時の父親の職業(専門・管理職、ホワイトカラー、ブルーカラー、不在・無職、わからない・欠損)、15歳時の家庭の経済状況(豊か・やや豊か、ふつう、やや貧しい・貧しい)、中学3年時の学業成績(上、やや上、真ん中、やや下、下、わからない・欠損)、学歴(高校以下、専門学校、短大・高専、大学、大学院)、現在の職業と雇用形態(正規・専門・技術、非正規・専門・技術、管理・自営、正規・ホワイト、非正規ホワイト、正規・ブルー、非正規・ブルー、無業、専業主婦(夫)、学生)、現在の経済的状況(豊か・やや豊か、ふつう、やや貧しい・貧しい)、現在の婚姻状況と子どもの有無(未婚離死別、既婚子どもあり、既婚子どもなし)、サポートネットワーク(仕事や勉強の相談、仕事を紹介してもらう、人間関係の相談、まとまったお金を貸してもらう)を扱った。

分析方法:2変量間の関係は一元配置分散分析と多重比較を、規定要因とSOCの関連性の検討のための多変量解析は階層的OLS多重回帰分析を実施した。

結果及び結論

第一に、男性、女性ともに、また世代によらず思春期における家庭の経済的状況が豊かであったこと、学校における成功体験があったことは、その後の学歴、職業、現在のサポートネットワークによらず、直接現在のSOCとの関連性を持っていた。また、父親の職業、家庭が経済的に貧しかったことは、現在のSOCに対して直接の関連性は持たず学業成績あるいは学歴を介して間接的に影響していた。他方で学歴は基本的には職業、現在の経済的状況を介してSOCに影響する間接的な関連性のみを有していた。ただし、父親が不在または無職であることは世代を問わず、現在、専門・管理職の群と変わらない一定水準のSOCのレベルを規定していることが明らかとなった。

職業とSOCの関係については、非正規雇用のブルーカラー職と無業者であることは、男性、女性によらず、また、世代によらず、また、思春期の社会経済的な状況、学歴によらず正規雇用の専門・技術職よりも低いSOCが規定され、現在の経済的状況を介した間接的な関連性を持っていた。その一方で、女性の正規雇用のブルーカラー職、ならびに25~34歳の世代における、非正規雇用のホワイトカラー職であることが低いSOCを規定しており、それは直接の関連性と現在の経済的状況を介する間接的な関連性の両者が見られていた。また25~34歳の世代は正規雇用のブルーカラー職においても低いSOCが規定されており、この世代においては職業間でSOCスコアの格差が他の世代よりも若干広かった。また、世代を問わず現在の経済的状況が豊かであることが現在の良好なSOCに関連し、貧しいことが低いSOCに関連することが明らかとなった。

サポートネットワークに関しては、男性、女性によらず、世代によらず、人間関係の相談相手の範囲が少ないほど低いSOCであるが、男女ともに、また、世代別では20~24歳の世代以外では仕事や勉強の相談相手の範囲が狭いほど低いSOCとなっていた。しかし、仕事を紹介してくれる相手の範囲とSOCとは線形の関連が見られず、男女ともにまとまったお金を貸してもらう範囲が広いほどSOCが高いという関連性がみられたが、世代別では35歳以上の群のみにとどまることが明らかとなった。

本研究はわが国において初の一般成人を対象とした大規模一般住民調査によるSOCの形成要因、規定要因に関する研究であり、世界的に見ても、SOCの形成・規定要因に関する研究蓄積が少なく期待されている中で、思春期ならびに成人期のGRRsである社会的環境とSOCとの関連性を明確に示すことができた点で重要な研究といえる。特に、性、年齢を問わず、思春期における学業成績の自己評価にみる成功経験がその後の地位達成を介さず直接SOCと関連している点、現在の職種と就業形態のうち、非正規雇用のブルーカラー職と25-34歳の世代の非正規雇用のホワイトカラー職においても低いSOCが規定されていることが本研究において初めて実証され、他の要因に関しても数少ない先行研究の結果を支持する結果が得られた点より、Antonovskyの仮説を一部検証し、SOC形成につながる方策の開発に資する結果であることから意義があるものと考えられた。

以上

審査要旨 要旨を表示する

本研究は健康社会学者Aaron Antonovskyにより提唱され、WHOにおけるヘルスプロモーションの基礎理論として評価されている健康生成論および健康生成モデルにおける中核概念であるストレス対処能力・健康保持能力概念であるsense of coherence(SOC)を規定する社会的要因を、20~40歳の成人男女を対象として、Antonovskyの理論と先行研究から導かれる仮説に基づいて明らかにすることが目的とされた。そのため、まず、大規模多目的一般住民調査において使用可能なSOCスケールを開発し、ついでSOCの形成・発達上重要な役割を果たすと考えられる思春期における社会経済的環境、学業上の成功および成人期の学歴や雇用形態も加味した職業を中心とする社会経済的地位、および配偶関係やサポートネットワークを中心とする社会関係といった要因と現在のSOCとの関連性を検討した。分析にあたっては、男女別に、次いで20歳以上25歳未満、25歳以上35歳未満35歳以上40歳以下の3群で検討し、下記の結果を得た。

1.新たに開発した3項目版SOCスケール(SOC3-UTHS)のα係数は.83~.86であった。また、収束妥当性を意味するSOC3-UTHSとSOC13との相関係数値は.49 であった。SRHと調査1のSOC13との相関係数は.36、SOC3-UTHSとは.29、調査2のSOC3-UTHSとは.22であった。CES-Dと調査1のSOC13との相関係数は-.68であったことに対し、SOC3-UTHSとの相関係数は-.38にとどまった。MHI5は調査1ではSOC13との相関係数は.66に対し、SOC3-UTHSとは.38で、調査2のSOC3-UTHSとは.26にとどまった。他方で、調査1におけるHHIとSOC13との相関係数は.67に対し、SOC3-UTHSとは.62とほぼ同水準の相関が得られた。SOC13との収束妥当性の値はやや低く、SOC13自体が感情ドメインを多分に含むとされる先行研究を踏まえると、今回感情ドメインを排すべく測定を行なったことからもSOC3-UTHSとのやや低い相関に関しては、今後更なる妥当性の検討が必要という課題は残るが一定の妥当性があると考えられた。したがって、概ね信頼性妥当性が認められ、一般住民調査においても本スケールは使用可能と考えられた。

2.男性、女性ともに、また世代によらず思春期における家庭の経済的状況が豊かであったこと、学校における学業上の成功体験があったことは、その後の学歴、職業、現在のサポートネットワークによらず、直接現在のSOCとの関連性を持っていた。また、父親の職業、家庭が経済的に貧しかったことは、現在のSOCに対して直接の関連性は持たず学業成績あるいは学歴を介して間接的に影響していた。他方で学歴は基本的には職業、現在の経済的状況を介してSOCに影響する間接的な関連性のみを有していた。

3.職業とSOCの関係については、非正規雇用のブルーカラー職と無業者であることは、男性、女性によらず、また、世代によらず、正規雇用の専門・技術職よりも低いSOCが規定され、現在の経済的状況を介した間接的な関連性を持っていた。その一方で、女性の正規雇用のブルーカラー職、ならびに25~34歳の世代における、非正規雇用のホワイトカラー職であることが低いSOCを規定しており、それは直接の関連性と現在の経済的状況を介する間接的な関連性の両者が見られていた。また25~34歳の世代は正規雇用のブルーカラー職においても低いSOCが規定されており、この世代においては職業間でSOCスコアの格差が他の世代よりも若干広かった。また、世代を問わず現在の経済的状況が豊かであることが現在の良好なSOCに関連し、貧しいことが低いSOCに関連することが明らかとなった。

4.サポートネットワークに関しては、男性、女性によらず、世代によらず、人間関係の相談相手の範囲が少ないほど低いSOCであるが、男女ともに、また、世代別では20~24歳の世代以外では仕事や勉強の相談相手の範囲が狭いほど低いSOCとなっていた。しかし、仕事を紹介してくれる相手の範囲とSOCとは線形の関連が見られなかった。さらに、男女ともにまとまったお金を貸してもらう範囲が広いほどSOCが高いという関連性がみられたが、世代別では35歳以上の群のみにとどまることが明らかとなった。

以上より、本論文は、回収率がやや低めであることによる選択バイアス、回顧的な設問による情報バイアス、思春期時の健康状態やライフイベント等の交絡バイアスを考慮する必要があるものの、わが国において初の一般成人を対象とした大規模一般住民調査によるSOCの形成要因、規定要因に関する研究論文である点、また、世界的に見ても、SOCの形成・規定要因に関する研究蓄積は少なく、期待されている中で、思春期ならびに成人期の汎抵抗資源である社会的環境とSOCとの関連性を明確に示すことができた点で、重要な研究といえる。特に、性、年齢を問わず、思春期における家庭の経済的状況や学業成績の自己評価にみる成功経験が直接SOCと関連している点、現在の職種と就業形態のうち、非正規雇用のブルーカラー職と25-34歳の世代の非正規雇用のホワイトカラー職においても低いSOCが規定されていることは、本研究において初めて実証され、他の要因に関しても数少ない先行研究の結果を支持する結果が得られた点は、Antonovskyの理論が一部検証されたことに加え、SOCの形成をはかる方策の開発に資する重要な結果であるものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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