学位論文要旨



No 123794
著者(漢字) 蟄川,信幸
著者(英字)
著者(カナ) ニエカワ,ノブユキ
標題(和) 心理教育普及ガイドライン・ツールキットの活用が1年後の精神科スタッフの治療的態度に及ぼす影響の検討
標題(洋) Effects on therapeutic attitudes of staff by introducing family psychoeducation programs into psychiatric hospitals according to implementation guidelines and their toolkits: One-year follow-up study
報告番号 123794
報告番号 甲23794
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3133号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 教授 数間,恵子
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 准教授 井上,和男
 東京大学 講師 笠井,清登
内容要旨 要旨を表示する

1. 問題と目的

統合失調症を抱えるものの家族に対する心理教育(以下,家族心理教育)は,再発率低下の効果が多くの無作為化比較試験(Randomized Controlled Trial: RCT)によって示されており,統合失調症治療における科学的根拠に基づく実践(Evidence Based Practice: EBP)の1つに位置付けられている。しかし,統合失調症の家族心理教育実施率は国内外を通して低く,実施のためのシステムを整える必要性が指摘されている。こうした中,米国では,EBP普及のためのツールキットが作成,活用されており,わが国においても,家族心理教育の普及を目的として,日本の実情に合わせた「心理教育普及ガイドライン・ツールキット」が作成された。これは,家族心理教育を病院の業務に位置付けるためのシステム作りの方法を示した普及ガイドラインと,その中で必要な取り組みを行う際に役立つ資料を用意したツールキットで構成されている。

ところで,家族心理教育の実施・定着を阻害する要因として,臨床スタッフにおける家族心理教育の知識不足や,家族心理教育の治療理念と施設の治療理念との葛藤などが報告されている。それゆえ,家族心理教育の病院業務として導入・実施し,定着させるためには,実施システムを整える中で,臨床スタッフの知識や治療的態度に働きかける必要があると考えられる。心理教育普及ガイドライン・ツールキットは,家族心理教育に関する体系的な広報活動,管理職への実施システムを整えるための働きかけ,院内全体での心理教育研修の開催などを,実施・普及のための重要な取り組みとして位置付けており,臨床スタッフにおける実施阻害要因にアプローチできるように作成されている。それゆえ,心理教育普及ガイドライン・ツールキットの活用によって,施設に勤務するスタッフの家族心理教育に関する知識や関連する治療的態度に及ぼす影響を明らかにすることは,ガイドラインの有用性を示す上で重要であると考えられる。

そこで本研究では,心理教育普及ガイドライン・ツールキットを使用して家族心理教育プログラムを実施することが,臨床スタッフの家族心理教育に関する知識や関連する治療的態度に及ぼす影響を,準実験デザインにより明らかにすることを目的とした。

2. 方法

全国の8つの精神科医療施設が本研究に参加し,施設とその施設に勤務する臨床スタッフを調査の対象とした。各施設で,普及ガイドライン・ツールキットを用いて家族心理教育を導入・実施する取り組みを進めるよう求め,1年間追跡した。8施設は,病床数や入院患者の平均滞在日数,提供している医療・リハビリテーションサービスの範囲などが異なっていた。

普及ガイドラインで示すシステム作りや取り組みの概要は次のとおりである。まず,プログラムの導入期には「準備委員会/有志の会」を立ち上げ,試行プログラムを実施するための様々な取り組みをおこなう。試行プログラムを終えると,本格的な病院プログラムとして実施する本実施期に入る。ここでは,病院管理職で構成される「企画委員会」と,企画委員会から委任を受けてプログラムを運営する「実行委員会」を組織し,本格的な家族心理教育プログラムの実施方法を検討し,プログラムを実施する。定着期では,プログラムを継続的に行ってゆく中で,担当スタッフが異動してもプログラムが継続できるような体制を整えてゆく。各実施段階において,勉強会や研修会,ニーズアセスメント,広報活動,プランの作成・見直しなどの活動を行ってゆく。

スタッフの知識および治療的態度の測定には,心理教育に関する知識を問う7項目,および家族心理教育で重視されるケア行動,ストレングス志向性,家族のケアニーズ認知度,および患者への感情態度を測定する尺度からなる自記式質問紙を用い,ガイドラインの使用開始時(ベースライン)およびその1年後の2時点で施設の全臨床スタッフを対象に調査を実施した。ベースライン調査では1030名,1年後調査では973名の臨床スタッフから回答を得た(回収率はそれぞれ93.0%,85.3%)。また,普及ガイドラインに示された取り組みの実施度(フィデリティ)は,施設の心理教育実施担当者との面接に基づいて,15項目からなる心理教育普及ガイドライン・フィデリティ尺度(Psychoeducation Implementation Guideline Fidelity Scale: PEIFS)を用いて評価した。

PEIFSの得点に基づいて,8施設をフィデリティの3群(高・中・低)に分けた。ガイドラインの取り組みの程度が1年後のスタッフの知識,治療的態度に及ぼす影響を検討するため,心理教育に関与するスタッフに対しては,ベースラインの得点およびスタッフのアウトカムと関連する基本属性や職務上の属性を共変量とし,1年後のスタッフアウトカム得点をフィデリティ群間で比較する共分散分析分析を行った。また,施設全スタッフの2時点のデータは,ID管理による対応が行えなかったため,スタッフ自記式調査の各得点を従属変数,フィデリティ要因と調査時期(ベースライン・1年後)をそれぞれ独立変数,精神科経験年数,心理教育経験の有無などの交絡要因を共変量とする共分散分析を行った。

施設の特性がスタッフのアウトカムに影響を及ぼすことも考えられるが,本研究の参加8施設では,これらの変数を考慮した分析を行うことは困難である。そこで,これらの施設特性は,統計結果の解釈に際して関連の可能性を考慮して考察した。

3. 結果

1年間の取り組みを通して,フィデリティ高群と中群の施設は家族心理教育プログラムの実施に至った。一方,フィデリティ低群の施設は病院業務としての家族心理教育プログラムは実施されていなかった。また,高群の施設は,提供している医療・リハビリテーションサービスの範囲が,中群よりも広い傾向が認められた。

心理教育に関与するスタッフに対する分析では,高群に含まれた人数が少なかったため,中群と合わせて高群とし,低群との比較をおこなった。その結果,フィデリティ高群は低群よりも,家族心理教育の認知度,効果の認知度,プログラムへの参加の自信,ストレングス志向性尺度,家族のケアニーズ認知尺度の得点が有意に高かった。

全スタッフを対象とした分析の結果,フィデリティ高群では,家族心理教育の認知度,本人や家族への有用性,効果の認知度,ケア行動尺度,ストレングス志向性尺度の1年後の得点がベースラインよりも有意に高かった。フィデリティ中群の施設では,家族心理教育の認知度と効果の認知度の得点のみ,1年後が有意に高くなっていた。フィデリティ低群ではこのような有意な変化は認められなかった。また,高群の1年後における家族心理教育の認知度,本人や家族への有用性,効果の認知度の得点は,中群かつまたは低群の得点よりも有意に高かった。

4. 考察

分析の結果,心理教育普及ガイドライン・ツールキットを積極的に活用して家族心理教育を導入・実施する施設において,心理教育に関わるスタッフの家族心理教育に関する知識が高まり,ストレングス志向性の態度が日常のケアにおいても反映されたり,家族もケアのニーズを抱えていることがより認識されることが示された。こうしたガイドラインの積極的な活用の影響は,施設全体のスタッフにおいても知識や治療的態度の変化として認められた。医療・リハビリテーションサービスの提供範囲は,施設の特性を表していると思われ,これがガイドラインを用いた介入によるスタッフの変化を促進した可能性も示唆された。しかし,施設全スタッフの知識に肯定的な変化が認められたフィデリティ中群のサービス提供範囲は,肯定的なスタッフの変化が認められなかった低群と同程度であり,本研究の結果からは,ガイドラインの活用の程度がよりスタッフアウトカムに影響していると考えられた。

普及ガイドラインでは,心理教育に関わるスタッフの勉強会や研修会を行うことを位置付けており,そのためのツールも用意している。フィデリティ高群の施設の心理教育中心スタッフに認められた知識や治療的態度の変化は,こうした取り組みが反映されたものと考えることができる。この知見は,構造的な研修を受けたスタッフの心理社会的介入プログラムへの知識や態度が肯定的に変化したとする先行研究と一致するものと思われる。さらに普及ガイドラインでは,家族心理教育を実施するシステム作りを行う中で,管理職への働きかけや院内の多くのスタッフへの広報,院内研修の実施などの取り組みを位置付けており,これらの活動を支援するツールを用意している。フィデリティ高群の施設全スタッフにおいて,知識や治療的態度に肯定的な変化が認められたのは,こうした取り組みが反映したと考えられる。施設のより多くのスタッフに,家族心理教育の知識が高まり,家族心理教育で重視されるケア行動やストレングス志向性の態度が日常のケアにも反映されることにより,家族心理教育がその他のケアと一貫性を持って行われることが可能となり,統合失調症の治療プログラムとして定着することが期待される。

本研究は準実験デザインであり,フィデリティによって分けた3群間の属性や施設特性,ベースラインのスタッフ調査の得点は差が認められた。また,追跡期間は1年間であり,ガイドライン・ツールキットの使用によってスタッフの治療的態度に十分影響を及ぼすには,短かったかもしれない。今後は,より多くの施設を対象に長期間追跡するRCTを用いた検討が必要となるだろう。このような限界はあるものの,本研究は,普及ガイドライン・ツールキットの活用が施設で勤務するスタッフの治療的態度に肯定的な変化を及ぼすことが示され,普及ガイドライン・ツールキットの有用性を示唆するものと思われた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,統合失調症を抱える者の家族に対する心理教育プログラムを,医療機関に普及することを目的に作成された心理教育普及ガイドライン・ツールキットの活用が,普及の阻害要因として知られている施設スタッフの家族心理教育に関する知識や治療的態度に及ぼす影響を明らかにするため,1年間の普及ガイドラインの実施度(フィデリティ)によって施設スタッフの知識や治療的態度に差が見られるかを,全国8医療施設を対象に検討したものであり,下記の結果を得ている。

1.普及ガイドラインのフィデリティと,1年後の知識や治療的態度の高さ,かつまたは1年間の知識や治療的態度の変化量の散布図より,いくつかの知識や治療的態度は,フィデリティの高さと線形関係にあることが示された。これらの知識・治療的態度は,1年間ガイドラインをより活用した施設で高くなることが示唆された。

2.心理教育プログラムに関与するスタッフの1年後の知識と治療的態度を,ベースラインの得点を調整した共分散分析によりフィデリティの高低2群間で比較した結果,フィデリティの高い施設のスタッフは,低い施設のスタッフよりも,家族心理教育の認知度,家族心理教育の効果の知識,家族心理教育プログラムに参加する自信,ストレングス志向性,家族のケアニーズの認知度が有意に高いことが示された。

3.施設全スタッフの知識と治療的態度を,フィデリティの高中低3群およびベースライン・1年後の時間を要因とする共分散分析により比較したところ,フィデリティの高い施設のスタッフは,1年後の家族心理教育の認知度,家族心理教育の患者本人および家族への有用性の認知度,家族心理教育の効果の知識,ケア行動の幅,ストレングス志向性が,ベースラインよりも有意に高いことが示された。また,フィデリティが高い施設のスタッフの1年後における家族心理教育の認知度,有用性の認知度,効果の知識は,フィデリティが中等度の施設や低い施設のスタッフよりも有意に高いことが示された。フィデリティが中等度の施設のスタッフは,1年後の家族心理教育の認知度と効果の知識のみが,ベースラインよりも有意に高いことが示された。フィデリティが低い施設のスタッフでは,知識や治療的態度において,ベースラインと1年後でこのような有意な差は認められなかった。

4.フィデリティの低い施設の全スタッフにおける1年後の精神科患者への批判的な感情態度は,ベースラインよりも有意に高く,また,フィデリティが中等度の施設全スタッフよりも有意に高いことが示された。フィデリティの高い施設および中等度の施設では,1年間で感情態度に有意な変化は認められなかった。

以上,本論文は1年間の心理教育普及ガイドラインの実施度による施設スタッフの家族心理教育に関する知識や治療的態度の変化の分析から,ガイドラインの実施度の高さが,心理教育に関与するスタッフだけではなく,その施設で勤務する全スタッフの知識や治療的態度に肯定的な変化を及ぼすことを明らかにした。本研究はガイドラインの活用が,家族心理教育の普及阻害要因として知られている施設スタッフの知識不足や治療理念の相違といった問題を克服するために有用であることを示し,家族心理教育の普及に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる。

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