学位論文要旨



No 123798
著者(漢字) 川田,紀美子
著者(英字)
著者(カナ) カワタ,キミコ
標題(和) 中国雲南省の女性の環境性鉛曝露への危険因子および予防行動に関する研究
標題(洋) Risk factors and prevention behaviors regarding environmental lead exposure among women in Yunnan province, China.
報告番号 123798
報告番号 甲23798
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3137号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,知保
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 神馬,征峰
 東京大学 准教授 黒岩,宙司
内容要旨 要旨を表示する

本論文は序論、第一章および第二章より構成する。

序論では、研究の背景と目的、調査地について述べる。鉛は蓄積性の毒性物質であり、また胎盤通過性があることから、女性の鉛曝露予防は重要である。中国では近年の急速な産業発展から起こった子どもの鉛中毒が大きな問題となっている。調査地の雲南省昆明市は、国内において比較的発展の緩やかな地域であり、都市部に比べて十分な調査がなされていないが、先行研究により、他の都市部と同様に深刻な子どもの健康被害が報告されている。現在中国は、環境汚染の改善に積極的に取り組んではいる。だが問題が改善されるまでは、現状把握と個人レベルでの曝露予防が非常に重要である。

そこで第一章では、(1)分娩直前の女性と胎児の環境性鉛曝露の程度を把握する、(2)胎児の鉛曝露に影響を及ぼす母体の環境要因について明らかにすることを目的とし、また、地域の予防教育のアイテムとしての提言を目標とした調査研究についてまとめる。

<対象・方法>

昆明市内の2つの調査病院において、妊娠37週から42週で正常分娩した女性100名を対象とし、インフォームドコンセントを得た後、陣痛開始前に母体血を採取、胎児娩出後に臍帯血を採取し、両検体の鉛濃度を測定した。血中鉛濃度測定にはフレームレス原子吸光法を用いた。また、対象の入院期間中に質問紙調査を行った。

<結果>

平均血中鉛濃度は、母体血が67.3μg/L、臍帯血が53.1μg/L、CDC(アメリカ疫病管理予防センター)によるガイドライン値である100μg/Lを越えたものは母体血が13例、臍帯血が6例であった。

(1)重回帰分析

臍帯血鉛濃度を従属変数、質問紙調査から得た潜在的な鉛曝露リスク因子を独立変数として重回帰分析を行った。結果、母親が鉛曝露しやすい職業についていること、自家製の乾燥野菜(大根など)を食べていること、(周辺地域ではなく)昆明市に生まれ育ったことが臍帯鉛濃度の平均的増加に有意に相関した。

(2)ロジスティック回帰分析

先行研究結果より、新生児の脳の発育に障害を及ぼす臍帯血鉛濃度を50μg/lをとし、ロジスティック回帰分析を行った。結果、重回帰分析で有意に相関のあった3項目の他、母親が内側に絵柄のついた皿を頻繁に使用することが有意に相関した。

<考察>

調査地における母体血および臍帯血の鉛濃度は、環境の鉛汚染に対する対策がすすんでいる地域に比べてやや高めであった。また、地域に特異的な鉛曝露のリスク因子として、市内在住期間、母親の職業性鉛曝露、自家製の乾燥野菜を食する習慣、内側に絵柄のついた皿の頻繁な使用が示唆された。これは、雲南省の都市部が周辺部に比べて鉛による環境汚染が深刻であること、労働環境に問題があること、調査地における特異的な食習慣や、陶磁器の着色顔料や釉薬がリスクになっていることを意味している。特に調査地において、自家製の乾燥野菜を食する習慣と、陶磁器の着色顔料や釉薬がリスクであることを明らかにしたのは、本研究が初めてである。したがって、無鉛ガソリンの完全導入や労働環境改善徹底などの政府政策の支持と、リスク因子4項目を地域の予防教育に加えることを提言とした。

以上の結果をふまえて、次に予防教育の効果向上に必要な影響因子について調査をおこなった。第二章ではその調査結果についてまとめる。女性が生活環境において曝露する鉛は骨内に蓄積され、妊娠や授乳期に血液内に溶出するため、妊娠前からの曝露予防が重要である。予防教育の効果向上には、対象の予防行動に対する態度や周囲からの影響への理解が必要であり、それには健康行動理論がよく用いられる。本研究では、保健信念モデル(HBM)と合理的行為理論(TRA)を用いた。

HBMの理論では、自ら実行できる行動に「健康への有益性」があると認識することが、望ましい行動をとることにつながる。また「自己効力感」は、その重要性からしばしばHBMに加えられる概念であり、「ある結果のために必要な行動を首尾よく達成できるという確信」と定義される。また、TRAによれば、人間の行動は、それを実際に行おうとする「行動意図」により予測できる。「行動意図」は「主観的規範」に影響を受け、「主観的規範」は「規範的信念」と「遵守の動機」から構成される。「規範的信念」とは、ある行動を、行動者にとって重要な他者がどう評価するかについての、行動者の主観的な認識であり、「遵守の動機」とは、行動者の重要な他者への服従の度合いである。現在さまざまな行動理論が保健分野の研究に用いられており、また複数の理論を統合したモデルについても、その優れた適応性と行動予測が報告されている。しかし鉛曝露予防行動に関しては、その報告はきわめて少なく、また中国における調査報告はまだない。

以上から、第二章ではHBMとTRAの理論を統合したモデルを用い、(1)対象者の「行動意図」と「自己効力感」、「健康への有益性」の関連から、各予防行動への対象自身の影響因子を探る、(2)対象の予防行動に影響する人物と影響の程度について把握し、社会因子を探ることを目的とし、予防教育の効果向上のための提言を行うことを目標とした調査研究についてまとめる。鉛曝露予防行動としては4項目をあげたが、うち2項目は、第一章で明らかにした地域に特異的なリスク因子に対する予防行動である。他、CDC推奨の一般的な予防行動2項目を加え、特異的および一般的の両行動において分析した。また、重要他者を具体的に挙げて分析を行ったが、これは先行研究の非常に少ない試みである。

<対象>

昆明市内の2つの大学に在籍する学生1152名。その内訳は以下のとおりである。

昆明医学院(医学系) :女子343名 男子254名

雲南農業大学(非医学系):女子263名 男子292名

<方法・尺度>

自己記入式アンケート調査を行った。まず、環境による鉛曝露の予防行動として以下の4項目を挙げた。

行動1:乾燥野菜を屋外で保存しない

行動2:内側に絵柄のついた皿を使用しない

行動3:食前に手洗いをする

行動4:血液鉛濃度検査を受ける

「主観的規範」については、対象に影響を及ぼす人物(重要他者)として以下の8群を挙げた。

母親、父親、専門家、友人、祖母、女性の親戚、姉妹、兄弟

アンケート回答から得た対象の「自己効力感」、「健康への有益性」、「主観的規範」を独立変数、「高い行動意図」を従属変数として、上記8群を各行動別にロジスティック回帰分析を行った。

<結果>

4行動における対象の「自己効力感」の平均値の最高は行動3、最低は行動4であった。また「健康への有益性」の平均値の最高は行動2、最低は行動4であった。

相関分析の結果、行動3の「自己効力感」と4行動すべての「健康への有益性」が「高い行動意図」に有意に相関した。また、学生が医学系専攻であることも「高い行動意図」に有意に相関した。重回帰分析の結果、行動2と4の「健康への有益性」および医学系専攻であることが「高い行動意図」に有意に相関した。

各行動、各重要他者群別にロジスティック回帰分析を行った結果、母親群では、すべての行動において「自己効力感」、行動2において「健康への有益性」、行動1と4において「主観的規範」が「高い行動意図」に有意に相関した。父親群では、行動1において「自己効力感」、すべての行動において「健康への有益性」が「高い行動意図」に有意に相関したが、「主観的規範」はどの行動においても有意な相関が見られなかった。同様に他群においても、いくつかの行動において「自己効力感」や「健康への有益性」が「高い行動意図」に有意に相関したが、「主観的規範」が「高い行動意図」に有意に相関した行動はなかった。

<考察>

調査地においては、食前の手洗いと陶磁器の着色顔料や釉薬の危険性についてはある程度の普及が推察されたが、血液検査の普及に課題が残ることがわかた。予防行動に対する対象自身の影響因子については、「健康への有益性」が対象の行動意図に大きな影響をもつことがわかり、予防行動を行う有益性の認識が重要であることが示唆された。したがって、各予防行動の利点が強調、認識されるような工夫が予防教育プログラムに取り入れられるべきである。また社会因子については、母親群において、2つの予防行動に対する「主観的規範」が対象の行動意図に有意な相関を示した。これは、母親の予防行動への信念が対象の行動意図に大きな影響を与えることを示唆している。したがって今後は、母親の認識を高める、あるいは変えるような取り組みを予防教育プログラムに加えることが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、中国雲南省における環境性鉛曝露のリスク因子について明らかにし、またその結果をもとに、曝露予防行動における影響因子について分析したものであり、下記の結果を得ている。

1.分娩直前の女性と胎児の環境性鉛曝露の程度を把握するために、昆明市内の2つの調査病院において、妊娠37週から42週で正常分娩した女性100名に対し、インフォームドコンセントを得た後、陣痛開始前に母体血を採取、胎児娩出後に臍帯血を採取し、両検体の鉛濃度を測定した。結果、平均血中鉛濃度は、母体血が67.3μg/L、臍帯血が53.1μg/Lであった。また、CDC(アメリカ疫病管理予防センター)によるガイドライン値100μg/Lを越えたものは、母体血が13例、臍帯血が6例であった。これは、環境の鉛汚染に対する対策がすすんでいる地域に比べてやや高めである。

2.対象の入院期間中に質問紙調査を行い、臍帯血鉛濃度を従属変数、質問紙調査から得た潜在的な鉛曝露リスク因子を独立変数として重回帰分析を行った。結果、母親が鉛曝露しやすい職業についていること、自家製の乾燥野菜(大根など)を食べていること、(周辺地域ではなく)昆明市に生まれ育ったことが臍帯鉛濃度の平均的増加に有意に相関した。

3.先行研究結果より、新生児の脳の発育に障害を及ぼす臍帯血鉛濃度を50μg/Lをとし、ロジスティック回帰分析を行った。結果、重回帰分析で有意に相関のあった3項目の他、母親が内側に絵柄のついた皿を頻繁に使用することが有意に相関した。

4.上記2つの分析結果より、地域に特異的な鉛曝露のリスク因子として、市内在住期間、母親の職業性鉛曝露、自家製の乾燥野菜を食する習慣、内側に絵柄のついた皿の頻繁な使用が示唆された。よって、無鉛ガソリンの完全導入や労働環境改善徹底などの政府政策の支持と、リスク因子4項目を地域の予防教育に加えることを提言とした。

5.鉛曝露は妊娠前からの予防が重要であり、また、予防教育の効果向上には、対象の予防行動に対する態度や周囲からの影響への理解が必要であることから、明らかになったリスク因子をもとに、予防教育の効果向上に必要な影響因子について調査をおこなった。対象は昆明市内の2つの大学に在籍する学生1152名、自己記入式アンケート調査を行った。「主観的規範」については、対象に影響を及ぼす人物(重要他者)として以下の8群(母親、父親、専門家、友人、祖母、女性の親戚、姉妹、兄弟)が挙がった。

6.環境による鉛曝露の予防行動として、行動1:乾燥野菜を屋外で保存しない、行動2:内側に絵柄のついた皿を使用しない、行動3:食前に手洗いをする、行動4:血液鉛濃度検査を受ける、の4項目を挙げた。行動1と2は前調査結果から地域に特異的なリスクである。分析の結果、行動2と3はある程度普及していることが推察され、また、行動4の普及には課題が残ることが明らかになった。

7.アンケート回答から得た対象の「自己効力感」、「健康への有益性」、「主観的規範」を独立変数、「高い行動意図」を従属変数として各行動別に相関分析を行った。結果、4行動すべてにおいて「健康への有益性」が「高い行動意図」に有意に相関した。また、学生が医学系専攻であることも有意に相関した。また重回帰分析の結果では、行動2と4の「健康への有益性」が有意に相関した。このことから、予防行動に対する対象自身の影響因子については、「健康への有益性」が対象の行動意図に大きな影響をもつことがわかり、予防行動を行う有益性の認識が重要であることが示唆された。

8.各行動、各重要他者群別にロジスティック回帰分析を行った結果、「主観的規範」が「高い行動意図」に有意に相関したのは母親群だけであり、行動1と4において有意に相関した。この結果から、母親の予防行動への信念が対象の行動意図に大きな影響を与えることが示唆された。

特に、2と3の分析結果のうち、自家製の乾燥野菜を食する習慣と、陶磁器の着色顔料や釉薬がリスクであることを明らかにしたのは、本研究が初めてである。また、鉛曝露の予防行動に関する研究はきわめて少なく、また中国における報告はまだない。本研究は調査地に特異的な提言をし、重要な貢献をなしたと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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