学位論文要旨



No 123801
著者(漢字) 大塚,里津子
著者(英字)
著者(カナ) オオツカ,リツコ
標題(和) 低蛋白及びビタミン郡欠乏食を母獣暴露した仔マウスの高血圧発症
標題(洋) Fetal low protein and vitamin B deficiency programs hypertension in mice
報告番号 123801
報告番号 甲23801
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3140号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,知保
 東京大学 教授 大橋,泰雄
 東京大学 准教授 大迫,誠一郎
 東京大学 准教授 黒岩,宙司
 東京大学 准教授 田中,輝幸
内容要旨 要旨を表示する

1.緒論

日本を含め世界的に、高血圧、高脂血症、動脈硬化、糖尿病などの成人病(生活習慣病)が著しく増加しており、この発症の予防が重要な課題となっている。現在、これらの原因として、遺伝的要因、生活習慣要因、外部環境要因が考えられている。予防として生活習慣の改善を中心にした一次予防、そして二次予防として病気の早期発見・早期治療が挙げられている。1989年英国サウザンプトン大学の疫学者David Barker達が出生体重と心疾患による死との間に強い関連性のある事を明らかとし、この生活習慣病には胎児期の環境が関係しているという説が提唱された。この説は成人病胎児期発症説と呼ばれ、現在ではDevelopmental Origins of Health and Disease (DOhaD)学説に発展している。多くの疫学調査、動物実験から、妊娠中の母親の低栄養・過量栄養状態が児の発達および代謝大きな影響をおよぼす事が明らかとなってきた。

我々は、母親の低栄養が引き起こす、児の高血圧発症に着目し研究した。高血圧は、世界の死亡因の3分の1を占める、心循環器疾患を引き起こす。2000年には、世界中には10億人の高血圧患者がおり、2025年には、15億6千万人にも増えると予測されており、発展途上国、先進国に限らず、世界全体で今後も増加していく病気である。母親の栄養状態すなわち、胎児期の低栄養環境が引き起こす高血圧発症機序を明らかにする事は、予防方法の確立にも、有用であると考える。

母親の低栄養と児の高血圧の関連を調べる動物実験は、低蛋白モデルが一般的に使われている。1994年にLangley達が行った、母親への投与蛋白を半分に制限する、低蛋白ラットモデルは、成長後の仔の血圧上昇を惹起した、多くの研究者達が、このモデルを用いてその血圧上昇機構について研究を進めた。

その中で、腎臓機能の変化が、高血圧を引き起こす一つの機序である事が明らかになってきた。腎臓は尿の量と成分を大幅かつ迅速に増減して体液の調節を行い、体液の量と組成の制御を行っている。また、血管と密接な繋がりを持ち、心拍出量の20%強の血液が供給されている。腎臓は血圧調節において、重要な役割を担っている臓器である。先行研究では、腎臓に非可逆的な解剖学的構造変化が生じる事が明らかになっている。すなわち腎臓糸球体ネフロンが形成される時期に低蛋白に曝されると、アポトーシスカスケードの活性化が起こり、ネフロンは減少する事が明らかとなっている。出生後にネフロン数は増える事はなく、このネフロン減少は高血圧発症の一因となる。また、グルココルチコイドやRAS(Renin Angiotensin system)のような、血圧調節機構も大きな変化を生ずる。細胞質内に11β-ヒドロキシステロイドデヒドロゲナーゼタイプ(HSD1)、2(HSD2)という酵素が存在し、HSD1は不活性型のコルチゾンから活性型のコルチゾールに、HSD2は逆に活性型のコルチゾールを不活性化する。不活性化されたコルチゾールはレセプターに結合することは出来ず、作用は発揮しない。腎臓では、活性型グルココルチコイドは、遠位尿細管や集合管の上皮細胞の核内レセプターに結合することでその作用を発揮する。ラットの低蛋白暴露モデルで、胎盤の11βHSD2減少、腎臓のGR発現増加が報告されている。もう一つの血圧調節機構としてはRASがあり、アンジオテンシンIIがアンジオテンシンレセプタータイプ1(AT1R)、タイプ2(AT2R)を介して起こす昇圧・降圧作用である。ラットの先行研究では、胎仔期の低蛋白暴露でAT1R、mRNAの発現増加が認められている。

ラットでは血圧上昇機構が明らかになりつつあるが、種差が大きくマウスの研究成果には見るべきものがない。しかし、マウスの研究技術は確立しており、ノックアウトなどの遺伝子操作の技術も進んでいる。それ故、胎児期の栄養と生後の高血圧発症の機序を分子生物学的に研究して行くに当たり、マウスモデルは大変有用であると考える。我々は、マウスの蛋白制限モデルでの高血圧発症の機序を腎臓に焦点をあて、明らかにすることを目的として研究を行った。遺伝子発現の調節機序としてエピジェネティクスがある。そのメチレーションに関与する代謝系のひとつとしてOne-carbon metabolismがある。One-carbon metabolismではアミノ酸が重要な役割を担っている。胎児期の低蛋白はアミノ酸不足を引き起こし、One-carbon metabolismに影響を及ぼし、児の遺伝子発現変化、生後の高血圧を引き起こす。一方、葉酸や、VB12、VB6は、重要なコファクターとして作用している。これらビタミンB群が欠乏すると、この代謝系でホモシステインが上昇し、DNAのメチル度が減少する。我々は、このOne-carbon metabolismの代謝不全が重要な役割を果たしている可能性を考え、胎仔期にこれらビタミン欠乏に曝された場合に、仔の代謝系の不全が生じると考え、ビタミンB群欠乏の影響も検討した。

2.方法

プラグ確認後マウス(C57/BL6)を4群に分け、コントロール群(C)には18%蛋白食を与え、低蛋白食群(PR)には9%蛋白食を与え、妊娠5日目に、ビタミン欠乏群(CVR)には18%蛋白に葉酸、VB12、VB6を除いた食事を与え、低蛋白・ビタミン欠乏群(PRVR)には9%蛋白に葉酸、VB12、VB6を除いた食事を与えた。4群共に出産直後より通常食を与え、4週間の授乳後、児は離乳し、通常食を与えた。妊娠18日目に一部の母マウスを解剖し、母親の血液を採取、ホモシステインおよびメチオニン、グリシン、スレオニンを測定し、胎盤、胎児、胎児の腎臓・肝臓の重量を測定した。残りの母マウスより生まれた児は、離乳4週間後12週齢まで毎週体重を測定し、5週齢から12週齢まで週に1回血圧を測定した。最も大きな血圧差を認めたC-GとPRVR-Gのメスについて12週齢に解剖し、右腎よりRNAを抽出、RT-PCRを用い、GR、11βHSD2、AT1R、AT2Rの発現の比較を行った。また、左腎はパラフィン抱埋後、免疫染色にてGRおよびAT1Rについて2群間での比較を行った。

3.結果

低蛋白とビタミン欠乏は共に6週齢以降の仔に血圧上昇を引き起こした。12週齢においてはCに比べ、PR,CVR,PRVRそれぞれ平均7,6,12mmHg程度血圧が高く、低蛋白およびビタミン欠乏の血圧への影響はそれぞれp<0.0001,p=0,0029と、共に有意であった。出生体重はCに比べそれぞれ、PR 7%、CVR 11%、PRVR 11%ほど低く、授乳時には急激な体重増加が認められた。しかし、離乳後には肥満は認められず、CVRでは成長阻害が認められた。低蛋白は、妊娠18日目の児の腎臓重量を17%減少させた。一方ビタミン欠乏は妊娠18日目児の胎盤重量が12%低かった。12週齢ではビタミン欠乏のみ腎臓重量が8%低かった。RT-PCRではPRVR群の12週齢の腎臓においてGR,11βHSD2,AT1R,AT2Rいずれの遺伝子においても発現変化が認められなかった。しかし、免疫染色ではGRはメザンジウムおよび尿細管、AT1Rはマクラデンサ細胞、ボウマン嚢の膜細胞、および一部遠位尿細管での局在的増加を認めた。母親の血中のホモシステイン濃度は、PRは Cの56%で最も低く、CVRは1.7倍で最も高かった。母親の血中のアミノ酸はCVRでメチオニンがCより19%低く、PRではメチオニン、グリシン、スレオニンそれぞれ21,36,41%Cに比べ低かった。

4.考察

母親のビタミン欠乏は仔の血圧上昇を引き起こした。そして、ビタミン欠乏の血圧上昇は低蛋白が引き起こした血圧上昇と同程度であった。

CVRでは母親の血中のホモシステイン値が有意に上昇していた事から、ビタミン欠乏により引き起こされた高ホモシステインが高血圧発症に起因している事が示唆された。

低蛋白およびビタミン欠乏は共に仔の出生体重を低くしたが、生後4週齢にはコントロールと同じ、またはそれ以上に成長した。この低出生体重および授乳中の体重のキャッチアップはその後の血圧上昇に何らかの影響を及ぼしていると考えられた。しかし、血圧で一番高値を示したのはPRVRであったが、低出生体重および授乳中の体重増加ではPRVRが最も顕著に傾向を示したわけではなかった。以上の事から、我々のマウスモデルでは低出生時体重および授乳中の体重増加は血圧を規定する因子ではあるが、第一の要因ではない事が示された。

我々はまた、低蛋白では腎臓、ビタミン欠乏では胎盤重量の減少を認め、胎仔期の臓器への影響が異なる事を明らかとした。

更に、低蛋白ではホモシステインおよびメチオニンの減少を認め、アミノ酸不足による、One-carbon metabolismの低下およびメチルドナーの不足が高血圧プログラミングに一因している可能性を示唆した。一方ビタミン欠乏におけるホモシステインの著しい増加はOne-carbon metabolismの代謝不全を介し、仔の高血圧発症の機序となっている可能性もまた示唆された。これらの変化は、仔の腎臓で認められた局所的なGR、AT1R発現増加を引き起こし、高血圧発症の機序となっている可能性が示唆された。

以上のように、我々は母親の摂取蛋白に加え、ビタミンの重要性を明らかとした。また、マウスを用いて、母親の低蛋白およびビタミン欠乏が仔の成長、臓器への影響は異なるものの、共に、高血圧発症を引き起こす事を明らかとした。

審査要旨 要旨を表示する

1989年英国サウザンプトン大学の疫学者David Barker達が出生体重と心疾患による死との間に強い関連性のある事を明らかとし、この生活習慣病には胎児期の環境が関係しているという説が提唱された。この説は成人病胎児期発症説と呼ばれ、現在ではDevelopmental Origins of Health and Disease (DOhaD)学説に発展している。ラットや羊を用いた動物実験では、母親の低栄養、すなわち胎児期の低栄養が児の生後の高血圧を引き起こす事が明らかとなっている。本研究ではマウスを用いて、妊娠中の母親の低蛋白およびビタミンB群の欠乏が、児の血圧に及ぼす影響を明らかにする事を目的とし研究を行い、下記の結果を得ている。

1.母親の低蛋白とビタミン欠乏は共に6週齢以降の仔に血圧上昇を引き起こした。6~12週齢において、コントロール群(C)に比べ平均4~6mmHg血圧が高い結果を得た。ラットを用いた先行研究では低蛋白の血圧上昇が認められているが、本研究ではマウスにおける血圧上昇を明らかとしたと共に、ビタミン欠乏もまた低蛋白と同程度の血圧上昇を引き起こす事を始めて明らかとした。

2.出生体重はCに比べそれぞれ、低蛋白群(PR)7%、ビタミンB群欠乏群(CVR)11%、低蛋白ビタミンB群欠乏群(PRVR)11%ほど低く、授乳期における急激な体重増加を認められた。一方、離乳後には肥満は認められず、CVRでは雌の方が顕著ではあったが、雄、雌共に成長阻害が認められた。このように低蛋白食とビタミンB群欠乏食では成長パターンの違いを明らかとした。また、胎児期の低栄養状態に対する適応的な防御反応とも解釈できるような代謝変化が起きたが、児は生後に十分な栄養に曝され、このギャップの結果、授乳中の体重の急激なキャッチアップが起きたと考えられた。しかし、出生体重はCVRとPRVRで差は無かったが、血圧ではPRVR群が一番上昇を示した。このことは、人を対象とした先行研究にて低出生体重と高血圧の関連が明らかとなっているが、我々のマウスにおいては低出生体重は血圧を規定する因子であるが、第一の要因ではなく、要因の一つであるに過ぎなかった。

3.低蛋白は、妊娠18日目の児の体重を12%減少させ、腎臓重量は17%減少させた。一方ビタミン欠乏は妊娠18日目児の胎盤重量が12%低かった。12週齢ではビタミン欠乏のみ腎臓重量が8%低かった。血圧は同程度上昇させたものの、胎盤、児、児の臓器の成長への影響は、蛋白とビタミンでは違い、少なくとも、腎臓は血圧上昇に大きく影響を及ぼしている事を示した。

4.12週齢の雌の腎臓において血圧調節に重要な役割を担っているGR,11βHSD2,AT1R,AT2R の発現をRT-PCRにて確認した所、PRVR群のいずれの遺伝子においても発現変化は認められなかった。しかし、免疫染色にてGRはメザンジウムおよび尿細管、AT1Rはマクラデンサ細胞、ボウマン嚢の膜細胞、および一部遠位尿細管での局在的増加を認めた。この腎臓における局在の変化が血圧上昇に一因している事が示唆された。

5.妊娠18日目の母親の血中のホモシステイン濃度はビタミン欠乏群でコントロール群の1.7倍を示した。母親の血中アミノ酸はコントロールに比べメチオニンが19%低かった。これらの事から、ビタミン欠乏によって認められたホモシステイン上昇は、ビタミン欠乏により、ホモシステインからメチオニンへのリメチレーションが制限され、ホモシステインの濃度が上昇したものと考えられた。ビタミンB群欠乏食の児の血圧上昇の機構には、高ホモシステイン状態による児の血管への直接的な影響が示唆され、また、葉酸およびB6の欠乏による血管への影響の可能性も考えられた。

一方低蛋白群では妊娠18日目の母親の血中のホモシステイン濃度はコントロール群の56%ほどであった。母親の血中のアミノ酸は、低蛋白によってスレオニンは26%、グリシンは41%の低下を認めた。更に、メチオニンは20%低かった。低蛋白ではアミノ酸不足を引き起こし、メチルドナーの減少が高血圧プログラミングの一因となっている可能性が示唆された。

以上、本論文は母親の摂取蛋白に加え、ビタミンB群の重要性を示した。また、マウスを用いて、母親の低蛋白およびビタミン欠乏が仔の成長、臓器への影響は異なるものの、共に、高血圧発症を引き起こす事を明らかとした。本研究は成人病胎児期発症説において、機序解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク