学位論文要旨



No 123803
著者(漢字) 城戸,康年
著者(英字)
著者(カナ) キド,ヤストシ
標題(和) 抗トリパノソーマ薬アスコフラノンとその標的分子シアン耐性酸化酵素の相互作用に関する研究
標題(洋) Interaction between the trypanoscidal drug, Ascofuranone, and its target molecule, cyanide-insensitive alternative oxidase
報告番号 123803
報告番号 甲23803
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3142号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水口,雅
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 谷口,維紹
 東京大学 准教授 馬淵,昭彦
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<緒言>

アフリカトリパノソーマ症は病原体であるトリパノソ-マ科の原虫Trypanosoma brucei によって発症し、ヒトの場合にはアフリカ睡眠病、家畜の場合ではナガナとよばれる。毎年30-50万人の患者が新たに感染し、数万人が死亡している。病原体であるT. bruceiは鞭毛虫類の原虫でツェツェバエによって媒介され、感染初期には血流中で増殖する。慢性期には中枢神経系が侵されて最終的に嗜眠状態に陥って死に至ることから「アフリカ睡眠病」と呼ばれ、アフリカ大陸諸国の発展を妨げている。ナガナの被害も大きく、アメリカ合衆国と同程度の面積の土地で牧畜が困難となっており、年間の経済的損失は50億ドル以上と推計されている。また近年では南アメリカ大陸やインドにおいても本原虫の近縁種によるヒト・家畜の被害が報告されており、この寄生虫疾患は今や地球規模の問題となっている。原虫は表面糖タンパク質の抗原変異によって宿主の免疫反応を回避するため本症に対するワクチン開発は非常に困難であり、化学療法が唯一の予防と治療の手段となっている。しかし、現在使用されている薬剤はその効果・副作用の面から理想的な薬剤から程遠く、新規薬剤の開発が強く望まれている。しかし、この分野の収益性の低さから製薬企業などによる新薬開発も望めない。このような状況の中、トリパノソーマ原虫に関する基礎研究や新規抗トリパノソーマ薬の開発は国際保健学・寄生虫学を専攻する私にとっての最大の目標の一つである。

私の所属する研究グループでは原虫に特有なエネルギー産生系に注目して研究を進めてきた。アフリカトリパノソーマ原虫は昆虫の中ではATP合成は哺乳類同様に酸化的リン酸化により行っている。一方、宿主中の血流型ではシトクロム類は消失し、ATP合成は主に解糖系に依存している。この解糖系を進行させ続けるためにはNADHの再酸化が必要であるが、このためにミトコンドリアの呼吸鎖が機能している。過剰なNADHの還元力を解消するためにglycerol-3-phosphate dehydrogenase、ユビキノン、ミトコンドリア内膜に存在するシアン耐性末端酸化酵素であるTrypanosome Alternative Oxidase (TAO)から構成されるNADH再酸化系が、ATP合成を維持し細胞内レドックス環境を調節するために機能している(図1)。ここで末端酸化酵素として機能しているTAOは、宿主である哺乳類のシアン感受性のシトクロムc酸化酵素とはサブユニット組成、基質、補欠分子族などの点で全く異なっており、酸素を用いてユビキノールを酸化する。このようなNADH再酸化系は宿主である哺乳類には存在せず、かつ原虫のエネルギー代謝系に必須であることから格好の薬剤標的と考えられてきた。私の所属する研究グループは以前より、糸状菌から単離されたプレニルフェノール化合物であるAscofuranone (AF) がTAOのキノール酸化酵素活性を特異的に極めて低濃度で阻害することを報告してきた。また、トリパノソーマ感染マウスにAFを投与した際、30分以内にマウスの血流中から原虫が完全に消失することが確認されている。

TAOが属しているシアン耐性のAlternative Oxidase (AOX)は広く高等植物、真菌類、粘菌類、藻類などのミトコンドリアに存在し、その生理的意義は多岐にわたっている。過剰な還元力を解消し細胞内レドックスバランスを維持するなど、様々な環境条件に適応するために代謝系を柔軟に変化させる原動力となっており、生物学的にも非常に興味深い酵素である。

<目的>

上述のようにTAOを薬剤標的としてAFの実用化をめざしているが、本論文では薬剤開発の科学的基盤を標的タンパク質と化合物の相互作用と捉え、その相互作用を分子レベルで解析した。AOXは一次構造の解析から、膜表在型二核鉄タンパク質と推定されているが、鉄の存在を示す直接的な証拠はなく、3次元構造は未知で新規フォールディング膜タンパク質である。AOXは極めて不安定なため、活性を保持したまま高純度のAOXを精製できず、活性中心・基質結合部位の構造解析やAOXの反応性に関わる物理化学的解析は全く行われていない。このような中、AFのTAO阻害作用因子を探るため組み換えTAOに対するAF誘導体による構造活性相関研究を進め、組み換えTAOの精製を行い、速度論的解析、活性中心の解析や三次元構造解析に向けた結晶化を行った。このように薬剤AFと薬剤標的TAO双方からのアプローチにより、両者の相互作用の分子基盤構築を試みた。

<結果と考察>

(1) AF誘導体の構造活性相関

100個以上のAF誘導体の合成を鳥取大学斎本教授に依頼し、組み換えTAOに対する阻害活性を調べた。その結果、阻害に必須な構造因子が明らかになった。フラノン環は阻害に必須ではなく、ベンゼン環の官能基群が阻害に重要な役割を果たすことが明らかになった。

(2) 標的分子TAOの精製と解析

2-1 TAOの可溶化・精製

TAOは膜タンパク質であるため精製には可溶化が必須のステップであるが、活性を保持したままTAOを可溶化するため数十種類の界面活性剤と添加剤をスクリーニングしたところ、可溶化に適した界面活性剤と塩の組合せを見出した。特に結晶化にしばしば用いられているオクチルグルコシドによって活性を保持したままTAOを特異的に可溶化できた。TAOはそのN末端にヒスチジンタグが融合しているので、コバルトカラムを用いてアフィニティー精製を行った。可溶化に用いたオクチルグルコシド存在下ではTAOを溶出できなかったが、洗浄段階からドデシルマルトシドに置換したところ溶出された。各画分の電気泳動(図2)を示す。約40倍に精製され、10Lの培養から10 mg程度の精製TAOを得ることが可能で、これは以後の解析には十分な量である。また、TAO安定化条件を見いだし、不安定と言われてきた本酵素を4℃、20℃で半年以上にわたって活性を保持することができた。

2-2 TAOの速度論的解析

基質である還元型ユビキノンは脂溶性であるため水溶液中では十分な濃度で活性測定できなかったが、C10E8という界面活性剤を用いたアッセイ条件を見いだし、精製TAOの速度論的解析を行った (Km = 320 μM; Vmax = 630 μmol/min/mg) 。AFによる阻害についての速度論的解析も行い、還元型ユビキノンに対して混合型の阻害様式を示すことが判った。これは基質結合部位以外にも他の相互作用部位が存在することを示唆する結果である。

2-3 活性中心の解析

TAOは一次構造から二核鉄タンパク質と推定されているが、いまだその直接的な証拠はない。そこで、精製酵素を用いてICP-MSにより鉄とその他の金属について定量分析を行った。その結果、TAO一分子当り鉄が二原子検出され、他の金属は検出されなかった(表1)。さらにEPRを用いて分光学的に金属中心を同定した。これらはAOXが化学両論的かつ分光学的に二核鉄を有することの初の直接的証拠である。また失活したTAOでは鉄原子は1/10程度となり、鉄がTAOの活性に必須であることが明らかとなった。

2-4 TAOの結晶化

一般的に膜タンパク質の結晶化は困難であることが知られているが、TAOの三次元構造解析に向けて種々の界面活性剤を用いて結晶化条件を検討したところ、タンパク質結晶を得ることに成功した。最大3.5 ÅのX線回折像が得られ結晶学的解析を進めることが可能となった。

<統括>

本研究ではTAOとAFの酵素―基質・阻害剤相互作用を研究するにあたり、阻害剤による構造活性相関研究、酵素の速度論的解析、酵素の構造学的解析を総合的に組み合わせて研究を進めた。TAOの強力な阻害に重要なAFの構造因子が明らかになり、ユビキノールに対して混合型の阻害を示すことが判った。また、標的分子であるTAOの精製を行い補欠分子族の解析を行ったところ、二核鉄を有することが明らかになった。X線構造解析に十分なTAO結晶を得ることができたが、この結晶はAOXで初めての報告である。

本研究ではAFという極めて特異性の高い強力な阻害剤とTAOがどのような相互作用をしており、この強い阻害作用の原因はどこにあるのかということが出発点であった。本研究でAF側についての構造活性相関は明らかになったが、さらにここで得られた結晶の解析によって、今後薬剤開発段階で有用な情報を提供できると考えられる。ここで得られる相互作用に関する知見、方法論が、今後のStructure-based drug designなどに広く演繹できる点があるとすればそれは私の望外の展開である。

図1 ATP合成システム

図2 精製画分のSDS-PAGE

表1 TAOと金属原子の化学量論比

審査要旨 要旨を表示する

本研究では抗トリパノソーマ薬Ascofuranone (AF)の実用化を最終目的とし、その科学的基盤となる薬剤AFと薬剤標的Trypanosome alternative oxidase (TAO)の相互作用の解析を試みた。AF誘導体を用いて構造活性相関研究を行い、阻害に必須なAFの構造因子を明らかにすると同時に、薬剤標的であるTAOの生化学的解析を行い、構造生物学的解析のための基盤を構築した。

1.100個以上のAF誘導体(共同研究者である鳥取大学斎本教授により合成された)について、組み換えTAOに対する阻害活性を調べた。その結果、阻害に必須な構造因子が明らかになった。AFのフラノン環は阻害に必須ではなく、ベンゼン環の官能基群が阻害に重要な役割を果たすことが明らかになり、実用化のためには必須である安価で薬効の高いAF誘導体の合成が可能となった。

2.薬剤標的TAOの生化学的解析のために大腸菌を用いて発現させた組み換えTAOの精製法を確立した。活性を保持したままTAOを可溶化するため数十種類の界面活性剤と添加剤をスクリーニングしたところ、可溶化に適した界面活性剤と塩の組合せを見出した。特に結晶化にしばしば用いられているオクチルグルコシドによって活性を保持したままTAOを特異的に可溶化できた。可溶化後、コバルトカラムを用いてアフィニティー精製を行い、比活性が高く、純度の高い精製法が示された。

3.不安定と言われてきた本酵素を4℃、20℃で半年以上にわたって活性を保持するためのTAO安定化条件を見いだし、結晶化をはじめとして酵素の生化学的解析が可能となった。

4.基質である還元型ユビキノンは脂溶性であるため水溶液中では十分な濃度で活性測定できなかったが、C10E8という界面活性剤を用いたアッセイ条件を見いだし、精製TAOの速度論的解析を行った (Km = 320 μM; Vmax = 630 μmol/min/mg) 。AFによる阻害についての速度論的解析も行い、還元型ユビキノンに対して混合型の阻害様式を示すことが判った。

5.精製酵素を用いてICP-MSにより鉄とその他の金属について定量分析を行った結果、TAO一分子当り鉄が二原子検出され、他の金属は検出されなかった。さらにEPRを用いて分光学的に金属中心を同定した。AOXが化学両論的かつ分光学的に二核鉄を有すること示した。

6.一般的に膜タンパク質の結晶化は困難であることが知られているが、TAOの三次元構造解析に向けて種々の界面活性剤を用いて結晶化条件を検討したところ、タンパク質結晶を得ることに成功した。最大3.5 ÅのX線回折像が得られ結晶学的解析を進めることが可能となった。

以上、本論文ではTAOとAFの酵素―基質・阻害剤相互作用を研究するにあたり、阻害剤AFによる構造活性相関研究、薬剤標的TAOの速度論的解析、TAOの構造学的解析を行った。本研究でAF側についての構造活性相関は明らかになり、実用化に向けて大きく前進した。さらにここで得られた結晶の解析によって、今後薬剤開発で有用な情報を提供できると考えられ、タンパク質のような高分子化合物と低分子化合物の相互作用の理解に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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