学位論文要旨



No 123806
著者(漢字) 田中,健
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,タケシ
標題(和) 遺伝子破壊法による熱帯熱マラリア原虫コハク酸-ユビキノン還元酵素Fpサブユニットの解析
標題(洋) Gene disruption of the flavoprotein subunit in succinate-ubiquinone reductase from Plasmodium falciparum
報告番号 123806
報告番号 甲23806
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3145号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 准教授 田中,輝幸
 東京大学 准教授 馬淵,昭彦
内容要旨 要旨を表示する

<緒言>

マラリアはAnopheles属の蚊によって媒介されるPlasmodium属の原虫が引き起こす寄生虫感染症である。ヒトに感染するマラリア原虫はPlasmodium falciparum、P. vivax、P. malariae、P. ovaleの4種類であり、この中、P. falciparumが最も重篤な症状を引き起こす。主にアフリカ、アジア、ラテンアメリカの熱帯地域において、毎年2億7000万人の感染者と100万人の死者を出している。治療薬としてクロロキン、スルファドキシン・ピリメサミン合剤などが用いられているが、近年になって薬剤耐性原虫が出現し、新規抗マラリア薬、マラリアワクチンの開発が急務となっている。新規抗マラリア薬、マラリアワクチンの開発には原虫の代謝系、性分化機構、宿主-寄生虫間相互作用機構などの幅広い情報が不可欠であるが、現在のところ十分であるとは言いがたい。そのため、マラリア原虫に関する詳細な基礎研究が必要である。

マラリア原虫の生活環については、まず、マラリア原虫を保持した蚊が吸血した際にスポロゾイト期の原虫がヒト体内に入り、血流によって肝臓に達し肝細胞に侵入する。肝細胞内で増殖した原虫はメロゾイトとなり血流中に放出され、赤血球に侵入する。原虫は赤血球内で発育し、多数のメロゾイトに分裂する。メロゾイトは赤血球を破壊し新しい赤血球に侵入し、発育して同様のサイクルを繰り返す。この時期の原虫は赤内型原虫と呼ばれ、ヒトにマラリアの症状を引き起こす。赤内型原虫は主に解糖系によってATPを合成している。P. falciparumのゲノム解析により、エネルギー代謝に関わるタンパク質の一部やβ酸化に関わるタンパク質のホモログが存在しないことが示されたことや、赤内型原虫ミトコンドリアにクリステが存在しないことなどから、エネルギー転換系におけるミトコンドリアの役割は不明であった。一方、赤内型原虫においてTCA回路は機能していないと考えられていたが、TCA回路を構成する酵素は全てゲノム上に存在していた。私の所属する研究グループは、TCA回路構成酵素の一つであるコハク酸ユビキノン還元酵素(SQR)で、同時に呼吸鎖の構成酵素でもあるミトコンドリア複合体IIに注目して解析を進めており、2000年には触媒部位の遺伝子をクローニングした。また、P. falciparumはコハク酸により酸素消費を示し、原虫ミトコンドリアがSQR活性とコハク酸脱水素酵素(SDH)活性を示すことを発見した。これらの結果は、赤内型原虫において複合体IIが機能していることを示している。そこで、本研究において私は、P. falciparumの赤内型原虫内の生存におけるミトコンドリア複合体IIの役割を明らかにすることを目的として、複合体IIの機能低下による原虫への影響を観察した。

<方法と結果>

複合体IIは通常、触媒部位を構成するフラボプロテイン(Fp)サブユニットと鉄硫黄クラスター(Ip)サブユニット、及び、アンカー部位であるシトクロムb大サブユニット、シトクロムb小サブユニットの合計4個のサブユニットで構成されている。複合体IIの機能を低下させるため、触媒部位のフラボプロテイン(Fp)サブユニットをコードするpfsdha遺伝子の破壊を行った。アンチセンスRNA/DNAやRNA干渉法はP. falciparumにおいて確立されておらず、また、私は複合体IIが生存に必須であると考えていたことから、ノックアウトではなく、アンハイドロテトラサイクリン(ATc)依存性遺伝子発現調節システムを用いてコンディショナルノックアウト株の樹立を試みた。しかしながら、得られたpfsdha遺伝子破壊株はATcによる遺伝子発現調節機能を失っており、恒常的にpfsdhaの発現が低下していた。その発現抑制の程度をノザンブロットによって解析したところ、遺伝子破壊株では検出限界以下にまで抑制されていることが明らかとなった。さらに、ウェスタンブロットによる解析により、FpサブユニットだけでなくIpサブユニットもタンパク質レベルで発現が低下していることが明らかとなった。そして、遺伝子破壊株ミトコンドリアがSQR活性とSDH活性を示さなかったことから、pfsdha遺伝子破壊により複合体IIの機能が大きく低下していることが示された。複合体IIは呼吸鎖の一部であるため、機能低下がミトコンドリア膜電位に影響する可能性が考えられたが、MitoTrackerを用いた方法では変化は観察されなかった。次に、増殖への影響を解析したところ、遺伝子破壊株で増殖が阻害されることが観察された。また、この増殖阻害はSQRの基質であるコハク酸によって回復したが、QFRの基質であるフマル酸は効果を示さなかった。

<考察>

複合体IIの機能低下を目的として、私はATc依存性pfsdhaコンディショナルノックアウト株の樹立を試みた。しかし、遺伝子破壊株ではATcによる遺伝子発現調節能が失われており、恒常的なpfsdha発現抑制株が得られた。このATcによる遺伝子発現調節能の消失は、コントロールの形質転換株でも確認された。また、このシステムを作成したBrendan S. Crabb博士によれば「長期間の培養によって、トランスアクチベーターの発現量の低下またはATc反応性の低下によるものと考えられるATc依存性遺伝子発現調節能の低下が起こること」が記されている。詳しい機序は不明ながら、本研究においても長期間の培養が遺伝子発現調節能の消失を引き起こしたと考えられる。

得られたpfsdha遺伝子破壊株はATcによる遺伝子発現調節能を失っていたものの、恒常的なpfsdha発現抑制と複合体IIの機能低下が起こっており、本研究の目的には合致していた。そこで、解析を行ったところ、複合体IIの機能低下はミトコンドリア膜電位には影響しないものの、増殖を阻害することが明らかとなった。これは、複合体IIが赤内型原虫の生存に寄与していることを示している。そして、この増殖阻害がコハク酸では回復されるが、フマル酸は効果を示さないことが明らかとなった。この結果は、赤内型原虫において複合体IIがSQRの逆の反応を行うキノール-フマル酸還元酵素(QFR)として機能しており、それによって産生されたコハク酸が原虫の生存に寄与していることを示唆している。

以上をまとめて、本研究により

1.複合体IIは赤内型原虫の生存に寄与していること

2.複合体IIはSQRではなくQFRとして機能していること

3.複合体IIによって産生されたコハク酸が原虫の生存に寄与していること

が示された。コハク酸はスクシニルCoA合成酵素によりスクシニルCoAに変換されることで、赤内型原虫の生存に必須であるヘムの生合成に用いることが可能である。多くの生物においてスクシニルCoAの主な供給源であるTCA回路やβ酸化がP. falciparumの赤内型原虫には存在していないことから、「複合体IIによって産生されたコハク酸がスクシニルCoA合成酵素によりスクシニルCoAに変換され、ヘム生合成系に用いられている」と考えることができる。本研究から、ヒトにマラリアの症状を引き起こすステージである赤内型P. falciparumミトコンドリアにおける複合体IIの機能が明らかになった。さらに、今回得られたpfsdha遺伝子破壊株は、生活環における他のステージの複合体IIやミトコンドリアの役割の解明に大いに貢献すると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は熱帯熱マラリア原虫Plasmodium falciparumの赤内期の生存におけるミトコンドリア複合体IIの役割を明らかにすることを目的として、複合体IIの機能低下による原虫への影響を観察したものである。そのため、アンハイドロテトラサイクリン(ATc)依存性遺伝子発現調節システムを用いて、複合体IIの触媒部位を構成するサブユニットの一つであるフラボプロテインサブユニット(Fp)をコードするpfsdha遺伝子のコンディショナルノックアウト株の樹立を試み、下記の結果を得ている。

1. 得られたpfsdha遺伝子破壊株はATcによる遺伝子発現調節機能を失っており、恒常的にpfsdhaの発現が低下していた。このATcによる遺伝子発現調節能の消失は、GFPを発現するコントロールの形質転換株でも確認された。また、このシステムを作成したBrendan S. Crabb博士によれば「長期間の培養によって、トランスアクチベーターの発現量の低下またはATc反応性の低下によるものと考えられるATc依存性遺伝子発現調節能の低下が起こること」が記されている。詳しい機序は不明ながら、本研究においても長期間の培養が遺伝子発現調節能の消失を引き起こしたと考えられる。これは、pTGPI-GFPベクターではP. falciparumにおいてコンディショナルノックアウト株を樹立できないことを示唆している。

2. 得られたpfsdha遺伝子破壊株はATcによる遺伝子発現調節能を失っていたものの、恒常的なpfsdha遺伝子発現抑制と複合体IIの機能低下が起こっており、本研究の目的には合致していた。そこで、解析を行ったところ、複合体IIの機能低下によるミトコンドリア膜電位の変化は観察されなかったが、増殖を阻害することが明らかとなった。

3. pfsdha遺伝子破壊株における増殖阻害が、コハク酸では回復されるがフマル酸は効果を示さないことが明らかとなった。この結果は、赤内型原虫生体内において複合体IIがSQRの逆の反応を行うキノール-フマル酸還元酵素(QFR)として機能しており、複合体IIによって産生されたコハク酸が原虫の生存に寄与していることを示唆している。

4. コハク酸はスクシニルCoA合成酵素によりスクシニルCoAに変換されることで、赤内型原虫の生存に必須であるヘムの生合成に用いることが可能である。多くの生物においてスクシニルCoAの主な供給源であるTCA回路やβ酸化がP. falciparumの赤内型原虫には存在していないことから、「複合体IIによって産生されたコハク酸がスクシニルCoA合成酵素によりスクシニルCoAに変換され、ヘム生合成系に用いられている」という仮説を提唱した。

以上、本論文はヒトにマラリアの症状を引き起こすステージである赤内型P. falciparumミトコンドリアにおいて、発現解析に留まっていたTCA回路構成酵素のひとつである複合体IIの機能を明らかにし、その代謝系における役割としてヘム生合成系への寄与を提唱した。さらに、今回得られたpfsdha遺伝子破壊株は、生活環における他のステージの複合体IIやミトコンドリアの役割の解明に大いに貢献すると考えられ、学位の授与に値すると思われる。

UTokyo Repositoryリンク