学位論文要旨



No 123807
著者(漢字) 冨塚,江利子
著者(英字)
著者(カナ) トミツカ,エリコ
標題(和) ヒトミトコンドリア呼吸鎖複合体II(コハク酸-ユビキノン酸化還元酵素)の多様性とその機能的変化
標題(洋)
報告番号 123807
報告番号 甲23807
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3146号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 准教授 田中,輝幸
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 山岨,達也
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

ミトコンドリアは細胞が生存する上で不可欠なエネルギー転換反応を行なう細胞内小器官である。近年、ミトコンドリアは生物の発生、老化、疾病などに重要な役割を果たしていることが示されている。ミトコンドリアのエネルギー代謝の最終段階である電子伝達系酵素群の一酵素である複合体II(コハク酸-ユビキノン還元酵素;SQR)は電子伝達系とTCA回路を直接結ぶ酵素であり、4つの核DNA由来のサブユニット(Fp; flavoprotein subunit, Ip; iron-sulfur protein subunit, CybL; cytochrome b large subunit, CybS; cytochrome b small subunit) により構成されている。複合体IIの遺伝子変異による疾患が報告されているが、ヒトミトコンドリア病においてはFpサブユニットのみの遺伝子変異が報告されている。一方、Fp以外のサブユニットの遺伝子変異は傍神経節細胞腫(paraganglioma)や褐色細胞腫(phaeochromocytoma)などの腫瘍において数多く報告され、これらの遺伝子ががん抑制遺伝子であることが示唆されている。さらに、paragangliomaは酸素センサーである頸動脈小体に好発するため、複合体IIが酸素適応にも関わっていることが示唆されている。また、これまでにも哺乳類以外の生物では複合体IIが複数存在することが示されている。生活環において環境の酸素分圧が変化する回虫(Ascaris suum)の複合体IIはサブユニット構成が変化し、受精卵の発生過程における好気的環境下では哺乳類と同様のコハク酸-ユビキノン還元酵素(SQR)として、また宿主小腸内の低酸素環境下に生息する成虫ではNADH-フマル酸還元系の末端酸化酵素、キノール-フマル酸還元酵素(QFR)として機能している。そして、最近、寄生虫NADH-フマル酸還元系酵素を標的とした抗蠕虫薬パモ酸ピルビニウムは低栄養下のがん細胞に対し、毒性を示すことが報告され、がん細胞における代謝系、特に複合体IIの機能と寄生虫低酸素下の代謝系との関連性が示唆された。

以上のことよりヒト複合体IIは疾病における様々な役割を有することが考えられる。そこで本研究ではヒト複合体IIの多様性と機能的変化を知ることを目的とし、まず、複合体IIと疾患との関係を知るため、ヒト複合体II欠損患者における複合体IIの解析を行なった。次に、ヒト複合体IIの機能的変化の存在を調べるために、様々な環境下のがん細胞における複合体IIのSQRとQFRという機能的変化を解析した。最後に複合体IIの多様性という観点で、がんにおける複合体IIの役割を解析した。

【結果・考察】

まず、複合体II活性欠損を示すミトコンドリア病患者の病因を明らかにする目的で遺伝子変異解析を行ない、複合体II Fpサブユニットの遺伝子変異があることを見い出した。さらにヒト複合体IIは二種類のFpアイソフォームが存在するが、本患者においてFpアイソフォームの発現異常を見い出した。また、複合体IIの活性測定を行ない、それらが複合体II活性低下原因であることを突き止めた。このことより、疾病におけるFpアイソフォームの重要性が示された。

近年のミトコンドリアプロテオミクス解析より、電子伝達系酵素群におけるリン酸化修飾が検出され、ウシ複合体IIにおいてはリン酸化Fpサブユニットの存在が示されているが、その機能的意義は判っていなかった。そこで、ヒト複合体IIの機能的変化の検出と、そのFpサブユニットのリン酸化との関係を知るために、まず、哺乳類ミトコンドリア、特にヒト培養細胞ミトコンドリアにおける二種類の複合体II活性、コハク酸-ユビキノン還元酵素(SQR)とフマル酸還元酵素(FRD)の活性の検出を行ない、哺乳類においても複合体IIは二種類の活性、SQRとFRDを有することを示した。また、培養細胞における培養環境変化における複合体IIの活性変化を測定し、低栄養および低酸素下において複合体II活性はSQRが減少し、FRDが上昇することを示した。これより、低酸素環境に生育する回虫のNADH-フマル酸還元系をヒトがん細胞が有している可能性が示された。さらに、ヒトミトコンドリアにおけるFpサブユニットのリン酸化を検出し、リン酸化・脱リン酸化酵素処理によりFpのリン酸化量が変化し、さらに複合体IIの活性変化が生ずることを示した。また、Fpリン酸化部位の探索を行ない、いくつかのリン酸化候補アミノ酸部位の変異により、複合体II活性の変化が起こることを示した。これらより、複合体IIの活性変化とFpのリン酸化との関連性が示された。

次に、抗蠕虫薬で寄生虫のNADH-フマル酸還元系を標的とするパモ酸ピルビニムはグルコース欠乏がん細胞特異的に抗がん作用を有することが報告されていることから、がん細胞における複合体IIの機能と寄生虫の低酸素における複合体IIとの関連性が考えられた。そこで、このパモ酸ピルビニウムの寄生虫および宿主である哺乳類における作用機構の解析を行なった。その結果、パモ酸ピルビニウムは複合体II阻害だけでなく、複合体Iの阻害を起こすことが判った。さらに、寄生虫特異的なパモ酸ピルビニウムの毒性発現は、哺乳類宿主に対してはパモ酸ピルビニウムが複合体II (SQR)の活性上昇を起こし細胞障害が補償されることによることが判った。また、パモ酸ピルビニウムのグルコース欠乏がん細胞特異的な細胞障害作用の作用機序の解析を行ない、パモ酸ピルビニウムのSQR活性上昇効果が低栄養・低酸素状態により消失することによるものであることが判った。つまり複合体IIの環境変化へ対する機能的変化がパモ酸ピルビニウムの効果の鍵となっていることを見い出した。また、パモ酸ピルビニウムによりFpの脱リン酸化が生じることが判り、パモ酸ピルビニウムによる脱リン酸化が複合体IIの機能的変化のみならず複合体Iの阻害にも関係していることが示唆された。

これらより、ヒト複合体IIはいままで知られていたTCA回路の一酵素としての機能だけではなく、低栄養・低酸素環境下のがん細胞において、フマル酸還元酵素として機能していることが示され、それらはFpサブユニットのリン酸化修飾に関係していることが、タンパク質のリン酸化による複合体IIの機能制御の可能性が示唆された。また、複合体IIの機能的変化が抗がん剤の標的となる可能性を示した。

本研究によってヒト複合体IIにはSQRとFRDという二種類の活性があり、環境変化によりその機能的変化が生じることが示され、がんを始めとするさまざまな疾病に関わる複合体IIの役割を知る上で大きな進展があったと考えられる。これらを複合体IIの機能的変化を標的とした治療法・治療薬の開発に役立てたい。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はヒトミトコンドリア呼吸鎖酵素である複合体II(コハク酸-ユビキノン酸化還元酵素)の機能を明らかにするため、ヒト疾病における複合体IIの役割の解析および複合体IIの機能的変化の解析を行ない、疾病治療への応用を期待し研究を行なったものであり、下記の結果を得ている。

1.複合体II活性欠損を示すミトコンドリア病患者の病因を明らかにする目的で遺伝子変異解析を行ない、複合体II Fpサブユニットの二種類の遺伝子変異があることを見い出した。さらにヒト複合体IIは二種類のFpアイソフォーム(FpI, FpII)が存在するが、本患者においてFpIIアイソフォームの発現異常を見い出した。また、複合体IIの活性測定を行ない、それらが複合体II活性低下原因であることを突き止めた。このことより、疾病におけるFpアイソフォームの重要性を示した。

2.ヒト複合体IIの機能的変化の検出と、そのFpサブユニットのリン酸化との関係を知るために、哺乳類ミトコンドリア、特にヒト培養細胞ミトコンドリアにおける二種類の複合体II活性、コハク酸-ユビキノン還元酵素(SQR)とフマル酸還元酵素(FRD)の活性の検出を行ない、哺乳類においても複合体IIは二種類の活性、SQRとFRDを有することを示した。それらの活性はヒトがん細胞において培養環境変化により、低栄養および低酸素下において複合体II活性はSQRが減少し、FRDが上昇することを示した。これより、低酸素環境に生育する回虫のNADH-フマル酸還元系をヒトがん細胞が有している可能性が示された。さらに、ヒトミトコンドリアにおけるFpサブユニットのリン酸化を検出し、リン酸化・脱リン酸化酵素処理によりFpのリン酸化量が変化し、さらに複合体IIの活性変化が生ずることを示した。また、Fpリン酸化部位の探索を行ない、いくつかのリン酸化候補アミノ酸部位の変異により、複合体II活性の変化が起こることを示した。これらより、複合体IIの活性変化とFpのリン酸化との関連性が示された。

3.抗蠕虫薬で寄生虫のNADH-フマル酸還元系を標的とするパモ酸ピルビニムはグルコース欠乏がん細胞特異的に抗がん作用を有することが報告されていることから、がん細胞における複合体IIの機能と寄生虫の低酸素における複合体IIとの関連性が考えられた。そこで、このパモ酸ピルビニウムの寄生虫および宿主である哺乳類における作用機構の解析を行なった。その結果、パモ酸ピルビニウムは複合体II阻害だけでなく、複合体Iの阻害を起こすことが判った。さらに、寄生虫特異的なパモ酸ピルビニウムの毒性発現は、哺乳類宿主に対してはパモ酸ピルビニウムが複合体II (SQR)の活性上昇を起こし細胞障害が補償されることによることが判った。また、パモ酸ピルビニウムのグルコース欠乏がん細胞特異的な細胞障害作用の作用機序の解析を行ない、パモ酸ピルビニウムのSQR活性上昇効果が低栄養・低酸素状態により消失することによるものであることが判った。つまり複合体IIの環境変化へ対する機能的変化がパモ酸ピルビニウムの効果の鍵となっていることを見い出した。また、パモ酸ピルビニウムによりFpの脱リン酸化が生じることが判り、パモ酸ピルビニウムによる脱リン酸化が複合体IIの機能的変化のみならず複合体Iの阻害にも関係していることが示唆された。

以上、本論文はヒト複合体IIがTCA回路の一酵素としての機能だけではなく、低栄養・低酸素環境下のがん細胞において、フマル酸還元酵素として機能していることを示し、それらはFpサブユニットのリン酸化修飾に関係しており、タンパク質のリン酸化による複合体IIの機能制御の可能性を示した。また、複合体IIの機能的変化が抗がん剤の標的となる可能性を示した。本研究によってヒト複合体IIにはSQRとFRDという二種類の活性があり、環境変化によりその機能的変化が生じることが示され、がんを始めとするさまざまな疾病に関わる複合体IIの役割を知る上で大きな進展となったと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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