学位論文要旨



No 123809
著者(漢字)
著者(英字) PHAN,GIA TUNG
著者(カナ) ファン,ジャトンク
標題(和) 日本の2003-2006年の急性胃腸炎患児における下痢症ウイルスの分子疫学的研究
標題(洋) Molecular Epidemiology of Diarrheal Viruses in Children with Acute Gastroenteritis in Japan from 2003 to 2006
報告番号 123809
報告番号 甲23809
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3148号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 准教授 黒岩,宙司
 東京大学 准教授 馬淵,昭彦
 東京大学 講師 金森,豊
 東京大学 講師 渡辺,博
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要旨本文

急性胃腸炎は発展途上国、先進国でともに未だに大きな健康問題であり、これらの国々では急性胃腸炎は全死亡の原因のトップの一つになっている。急性胃腸炎による小児の死亡率は先進国に比較して発展途上国において高い。この20年の間に、小児下痢による全世界の死亡人数は減少したものの、下痢による入院率は上昇している。病因論的の解明や、経口補液療法の普及に伴う治療法の発展にも関わらず、全世界の小児の死亡や罹患している病気の最重要なものの一つであり続けている。一方様々な病原微生物の中で、ウイルスは全世界の小児における急性胃腸炎の重要な原因として捉えられており、わが国においても同様である。このため、本研究の目的は日本における小児の急性胃腸炎の下痢原性ウイルスに対して分子疫学的検討を行う事とした。

2003年7月から2006年6月まで、筆者らが共同研究をしている日本の5都市(舞鶴、東京、札幌、佐賀、大阪)の小児科外来において、急性胃腸炎と診断されたすべての小児から収集した1,650個の便検体を用いて本研究は行われた。2つのグループの下痢原性ウイルスを検出するために、2種類のマルチプレックスPCRを施行した。第一のグループはA,B,C群ロタウイルスとアデノウイルスを、第二のグループはアストロウイルス、ノロウイルス、サポウイルスを含むものである。ロタウイルスの遺伝子型分析は特異プライマーを用いたPCRか、VP4またはVP7遺伝子のダイレクトシークエンスで行った。後者の場合は新規のまたは新興するロタウイルスバリアントにおけるアミノ酸変異を検出するためにアライメント解析を行った。ノロウイルスとサポウイルスの遺伝子解析は、キャプシド領域の遺伝子でそれぞれの遺伝子群および遺伝子型のreference strainと本研究のstrainを核酸、およびアミノ酸レベルで比較して行った。それに加えて、ノロウイルスとサポウイルスのポリメラーゼ領域の配列も組み換えウイルスの発見やそのブレイクポイント解析のために行われた。

本研究では、急性胃腸炎の小児に6種の下痢原性ウイルスが存在していることが示された。しかし、B群ロタウイルスは検出されなかった。全体として検査した便検体の35.9%から下痢原性ウイルスが検出された。ロタウイルスは1,650個の検体のうち258個、15.6%から検出された。ロタウイルス感染症の主なピークは3月から4月にかけてであった(P<0.05)。特に興味深いのは、2003年から2004年にかけて新規バリアントのロタウイルスG3が97.6%という高い検出率をもって初めてみられたという点である。このバリアントのロタウイルスG3は1990年から1995年に日本で流行していた株とは相同性が低く、16個のアミノ酸変異を認めた。これは特に、VP7遺伝子のAおよびC抗原領域に認められた。他の流行株であるG1やG4、G9は検出されなかった。興味深い事に、2004年から2005年にかけては50%、2005年から2006年にかけては72.7%という高い検出率でロタウイルスG1が再度最流行株として認められた。G遺伝子型は全ての検体において決定できたのであるが、P遺伝子型に関しては一般的な特異プライマーでのRT-PCRを用いても32検体において決定できなかった。このため、遺伝子解析が行われ、結果的にこれらのうち31検体は、P[8]であることが証明された。興味深い事に、このロタウイルスP[8]はVP4遺伝子のプライマー結合部に4-6個のミスマッチがあることが判明した。ロタウイルスG1内の遺伝子学的多様性をさらに理解するために、11のlineageと17のsublineageに分類する新規の分類法を考案した。それぞれのlineage、sublineageに特異的なアミノ酸変異が34個認められた。注目に値することとして、VP7遺伝子の29-75および211-213番目のアミノ酸において、2つの短いモチーフを認め、これらが樹形図解析におけるlineageおよびsublineageに分ける決め手となることが明らかになった。日本においては、ロタウイルスG1に関しては少なくとも3つの異なるクラスター(sublineage 1a, sublineage 1d, sublineage 2c)が流行していることが判明した。これらの中で、sublineage 1dとsublineage 2cは新規のクラスターとして認められた。これは、近い将来日本においてロタウイルスワクチンが導入された場合に、ワクチン株が流行株に与える影響を評価するための基礎的データとして重要である。もう一つの興味深い発見は、新規のintragenicの組み換えウイルス、Ban-59を認めたことである。樹形図解析を施行すると、VP7遺伝子の異なる領域を解析すると、このロタウイルスG1は異なるlineage4と6に分類されることがわかった。この結果は我々の知る限り、ロタウイルスG1におけるintragenic recombinationの報告として初めてのものである。この現象はロタウイルスG1の進化に関する知識を深め、遺伝子学的多様性の起源を知る上で重要である。

11.6%の検体においてノロウイルスが陽性であり、11月から1月にかけて主なピークがみられた(P<0.05)。ノロウイルスは8個の遺伝子型GI/1, GI/4, GII/1, GII/2, GII/3, GII/4, GII/6, GII/7に属していた。2003年から2004年にかけてGII/3がGII/4より多く最流行株として検出された。2003年から2004年にかけて検出されたGII/3は5424JP/03-04以外はGII/4のポリメラーゼとGII/3のキャプシドによる新規の組み換えウイルスであった。5424JP/03-04はGIIbのポリメラーゼとGII/3のキャプシドによる新規の組み換えウイルスであった。本研究は日本においてGIIbが存在している事を示した最初の研究ということになる。さらに興味深い事に、GIIb は2004年から2005年にかけてまったく検出されなかったのが、2005年から2006年にかけて日本でGIIbを含めたこの2つの組み換えウイルスが最流行株となったということである。明らかに、組み換えが起きる事によって新規の株がヒトにおいて流行することがありうる。2003年から2004年にかけて4%しかなかったGIIbが2005年から2006年には81.5%にまでなったということは、このウイルスが日本において、病原性が高かった事を示唆している。GII/3の新規の組み換えウイルスが流行している際に、2002年から2003年に75.6%と流行していたGII/4が2003年から2004年に34.5%、2005年から2006年に37.2%と急速に検出率が低下した。2004年から2005年にはノロウイルスGII/4は80.5%の検出率で再度、最流行株となった。2004年から2005年に検出されたノロウイルスGII/4は2003年から2004年および2005年から2006年に検出されたものとは、同じ遺伝子型に属しながらも異なるクラスターを形成していた。その他の興味深い発見は、今までに報告のないintergenotypeの組み換えウイルスHokkaido133と、intersubgenotype組み換えウイルスMiami292が検出されたことである。これらは、ノロウイルスにおいてintersubgenotype組み換えウイルスの報告としては初めてであり、ノロウイルスにおいては組み換えのスピードがはやいことを示すものとして意義深い。

一方、全体として、62個、3.8%の検体からサポウイルスが検出された。2003年から2004年にかけては、ピークは6月であったのが、2004年から2006年にかけては11月であった(P<0.05)。2003年から2004年のサポウイルスは、genogroup Iの中でgenotype 1と6に分けられ、それぞれ92.9%と7.1%を占めていた。2004年から2005年にかけては、GI/1が13%と低い検出率であったのに比してGI/6が74.2%と高い最流行株となった。珍しいサポウイルスであるGI/2とGI/8がそれぞれ2検体で検出され、6.4%を占めていた。これらを併せて考えると、日本において急性胃腸炎に関連するサポウイルスの遺伝子型に関して、珍しいGI/6が流行してきているという、遺伝子型の推移の初めての報告となる。2005年から2006年にかけてGI/1が再度最流行株として82.3%という高い検出率をもって認められた。対照的に、それまで多かったサポウイルスGI/6は2005年から2006年には急速に減少した。一方で、検出されたGI/6のほとんど(78.3%)が大阪で検出されており、これはGI/6による小児のアウトブレイクとしては初めての報告となり、このウイルスの脅威を印象づけるものである。GI/1のポリメラーゼとGI/8のキャプシドをもつ5862JP/04-05 と5821JP/04-05を検出し、新規の組み換えウイルスがgenogroup Iでも起きている事、また日本国内で組み換えが起きている可能性を示唆する報告としては、本研究が初めてのものである。これはgenogroupIにおける組み替えの頻度が極めて低いためにこれまで検出が難しかったことによる。さらに、私の遺伝子分析によると、サポウイルスは7個の遺伝子型に分類されると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は2003年7月から2006年6月の間に日本国内5カ所(舞鶴、東京、札幌、佐賀、大阪)における6人の共同研究者の小児科医院において急性胃腸炎と診断された小児から収集した1,650の便検体から得た下痢症ウイルスの分子疫学的研究を行ったもので、下記の結果を得た。

1.この研究では急性胃腸炎に罹患した小児の間で流行している6種類の下痢症ウイルスの存在を明らかとした。最終的に、測定した35.9%の検体で下痢症ウイルスが検出された。この知見から下痢症ウイルスは日本で急性胃腸炎に罹患した小児において重要な病因であることが裏付けられた。

2.ロタウイルスの分布が変化していることがわかった。特に興味深いのはロタウイルスG3が2003-2004年に97.6%という例外的な高頻度まで急増したことである。さらにその後G1が再度流行し、2004-2005年には50%、2005-2006年には72.7%と最頻出となった。

3.この研究のハイライトは、ロタウイルスG1の新しい分類法の開発である。この方法はロタウイルスG1を固有のクラスターに分類する有益な手段であり、新たに見つかった株、稀な株の出現や発生を同定することができ、一つの地域に流行しているロタウイルスG1の進化を示すことが可能である。さらにロタウイルスワクチン接種をしても有効でなかった場合、理由付けが可能となる。遺伝的多様性から、日本ではロタウイルスG1は少なくとも3つの個別のsublineageが流行しており、そのうちの2つは新しいクラスターに属しており、残りの一つは日本で初めて検出されたクラスターであった。

4.ロタウイルスG1の株Ban-59はVP7遺伝子の異なる領域が二つの別個のlineage4と7に属していた。つまり2カ所で異なるlineageへ変化することはBan-59が遺伝子内組換えをおこしていたことを示す。これはロタウイルスG1においてlineage間での遺伝子内組換えの初めての報告である。

5.ノロウイルスGII/3は2003-2004年にノロウイルスGII/4より優位となり、最頻出genotypeであった。2003-2004年のノロウイルスGII/3はpolymerase領域がGII/4で、capsid領域がGII/3の新しい組換え体であった。しかし、2004-2005年にはノロウイルスGII/4の新たなsubgenotypeが再流行して、80.5%と高頻度を示した。2005-2006年にはGII/b polymeraseとGII/3 capsid領域を持つ新たなノロウイルス組換え体が流行して日本での最頻出株となった。

6.すでに発表されているノロウイルスMiami292株の解析をしたところ、polymeraseおよびcapsid領域の分類から、二つの異なったsubgenotype GII/6aとGII/6bに属すことが明らかとなった。この結果はノロウイルスのsubgenotype間での組換えの最初の報告であり、注目に値する。

7.2004-2005年にまれなサポウイルスGI/6の流行があり、日本におけるサポウイルスgenotype分布が変化した。このサポウイルスGI/6感染の大流行は大阪での急性胃腸炎罹患小児の間で報告された。この報告では日本におけるサポウイルスGIの組換えと組換え部位が初めて報告された。

この研究で明らかとなったロタウイルス感染に関する知見は、近い将来日本においてロタウイルスワクチンを広く使用し、流行株に対してワクチン効果を与える際の、基礎資料を提供するものとなる。また、ウイルスの組換えは下痢症ウイルスの進化に重要な役割を果たし、日本における下痢症ウイルスの遺伝的多様性形成を明らかにするものであり、有意義な報告である。したかって、本論文は学位の授与に値するものと考えられる。

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