学位論文要旨



No 123812
著者(漢字) 宮川,卓
著者(英字)
著者(カナ) ミヤガワ,タク
標題(和) ゲノムワイド関連解析によるナルコレプシーの新規疾患感受性領域の同定
標題(洋) Genome-wide association study (GWAS) identified new candidate regions for narcolepsy
報告番号 123812
報告番号 甲23812
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3151号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水口,雅
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 准教授 渡邊,洋一
 東京大学 特任教授 古川,洋一
 東京大学 准教授 中安,信夫
内容要旨 要旨を表示する

緒言

ナルコレプシーは、睡眠発作、情動脱力発作、入眠時幻覚及び睡眠麻痺を主症状とする異常なREM睡眠を伴う代表的な過眠症である。一卵性双生児一致率は20-30%、第一近親発症率は1-2%と報告されていることから、ナルコレプシーは遺伝素因や環境素因といった複数の因子が複雑に作用し合って、発病に至る多因子疾患であると考えられている。ナルコレプシーの遺伝学的背景に関するこれまでの研究において注目すべき点は、ナルコレプシーとヒト白血球抗原(human leukocyte antigen; HLA)との強い関連性である。HLA class II領域に存在するDRB1*1501-DQB1*0602ハプロタイプを日本人ナルコレプシー患者ではほぼ100%、白人集団でも85%の患者が保有している。しかしながら、DRB1*1501-DQB1*0602ハプロタイプを持たないナルコレプシー患者がいること、日本人健常者の10%以上がDRB1*1501-DQB1*0602ハプロタイプを保有すること、及び遺伝統計学による計算の結果から、HLA領域以外の遺伝子の関与が示唆される。そこで、HLA領域以外のナルコレプシー疾患感受性遺伝子を同定することを目的とした研究を行った。

疾患感受性遺伝子を探査する方法は、候補遺伝子アプローチと位置的アプローチの二つに大別することができる。候補遺伝子アプローチは、遺伝子の機能や動物モデル等の情報から疾患に関与すると予想される遺伝子や、位置的アプローチにおいて同定された候補領域内に存在する遺伝子について、変異と疾患との関連を検討する方法である。候補遺伝子アプローチは簡便で直接的な方法であるが、疾患に関与すると予測できない遺伝子や未知の遺伝子に対しては適用できないアプローチ方法である。位置的アプローチでは、従来ノンパラメトリック連鎖解析が多用されてきたが、この解析方法は統計学的検出力が低いことから、比較的弱い疾患感受性領域を検出することが困難であるという弱点があった。近年、ノンパラメトリック連鎖解析より検出力が高く、ゲノム全域を探索できる方法であるゲノムワイド関連解析を実施するための実用的な技術が開発された。そこで、本研究では疾患感受性遺伝子同定のために最も効果的と考えられるゲノムワイド関連解析を行った。

また、ゲノムワイド関連解析では大規模SNPタイピングキットを用いて遺伝子型のタイピングを行う。しかし、最新の技術をもってしても全てのSNPが正確にタイピングされているとは限らないことが知られており、そのような不正確なSNPの情報を排除する必要がある(データクリーニング)。そこで、最適なデータクリーニング方法を同定することも目的として研究を行った。

対象と方法

最適なデータクリーニング方法の同定

Affymetrix社の50万SNPタイピング用のアレイでタイピングされた健常者群(389例)を二等分して擬似の関連解析を行った。健常者群同士を比較していることから、得られた結果(観察値)が偶然において期待される値から逸脱しないという仮説が立てられる。擬似の関連解析の結果に対して、遺伝子型決定のためのBRLMMアルゴリズムの設定値、各SNPのcall rate、ハーディ・ワインベルク平衡及びマイナーアリル頻度を用い、これらの条件を変更してデータクリーニングを行い、観察値と期待値を比較した。

ナルコレプシーの疾患感受性遺伝子の探索

日本人集団におけるナルコレプシー患者(ケース)222例と健常者(コントロール)389例を用いて、ゲノムワイド関連解析を行った。タイピングキットとしてAffymetrix社の50万SNPタイピング用のアレイを用いた。同定された最適なデータクリーニングを行い、約25万SNPを選別した。次に、それら候補SNPの再現性を確認するために、独立のサンプルセット(ケース159例、コントロール190例)を用意し、再度関連解析(Replication study)を行った。再現性の得られたSNPに関しては、真性過眠症候群75例を用いた関連解析も行った。

再現性の得られたSNPが、その近傍に存在する遺伝子のmRNAの発現量に影響を与えるか検討するために、白血球から抽出されたRNAを用いて合成したcDNAを鋳型として、リアルタイムRT-PCRを行った。

結果

最適なデータクリーニング方法の同定

前述した各種条件でデータクリーニングを行った。その結果、BRLMMアルゴリズムの設定値0.5、各SNPのcall rate(95%以上)、ハーディ・ワインベルク平衡(P値0.001以上)及びマイナーアリル頻度(5%又は1%以上)のデータクリーニング後の観察値において、期待値からの逸脱が小さいことを確認した。この方法の再現性を確認するために、健常者群(389例)の二等分の組み合わせ方法を変えて、再度擬似の関連解析を行った。その結果に対し同様のデータクリーニングを行った後の観察値においても、期待値からの逸脱が小さいことを確認した。

ナルコレプシーの疾患感受性遺伝子の探索

ナルコレプシーの疾患感受性遺伝子を探索するためにゲノムワイド関連解析を実施した。タイピング後に、前述したデータクリーニングを行い、約25万SNPを選別した。検定によって得られた各SNPのP値及び、それらSNPの周辺の遺伝子情報等を参考にし、疾患に関連し得ると予想される新規候補SNPを30個選別した。それら候補SNPの再現性を確認するために、独立のサンプルセットを用意しReplication studyを実施した。その結果、一つのSNP(マーカーTM22.1)において再現性が確認された(表1)。ゲノムワイド関連解析におけるTM22.1(T/C)のCアリルの頻度は、ケース26%、コントロール17%であり、ナルコレプシー患者において有意に増加していた(P=1.4×10-4、OR=1.74)。Replication studyにおいても、Cアリルの頻度はケース24%、コントロール14%であり、ナルコレプシー患者において有意に増加していた(P=5.2×10-4、OR=1.97)。両解析を統合した結果のP値及びORは4.4×10-7及び1.79となった。

TM22.1に関して、真性過眠症候群における関連解析を行い、患者において有意に増加していることを確認した(片側検定P=0.04、OR=1.44)。

TM22.1の周辺の連鎖不平衡構造を明らかにするために、周辺に存在する多型(主にtagSNP)を用いて更なる解析を行った。その結果、TM22.1を含む連鎖不平衡ブロック内には、Gene X及びGene Yの二つの遺伝子が存在することを確認した(図1)。次に、連鎖不平衡ブロック内に存在するSNPを用いてハプロタイプ解析を行い、TM22.1又はTM22.1と強い連鎖不平衡にある多型が一義的な感受性変異であることを明らかにした。

TM22.1又はTM22.1と強い連鎖不平衡にある多型が、Gene X及びGene Yの発現量に影響を与えるか検討した。両遺伝子のmRNAの発現量をリアルタイムRT-PCRを用いて定量し、TM22.1の遺伝子型(TT及びTC)間で比較した。その結果、図2のように両遺伝子において、TC群で有意にmRNAの発現量が低下していることを確認した(Gene X: P=0.003; Gene Y: P=0.01)。

考察

大規模SNPタイピングキットでタイピングされたデータの中に存在する不正確なSNPのタイピング結果は、その後の統計解析や候補SNPの選別に悪影響を与える可能性がある。本研究では、最適なデータクリーニング方法を同定することで、その後のナルコレプシーの関連解析を効率的に進めることを可能にした。また、今回のデータクリーニング方法は、他の研究者が行った大規模SNPタイピングキットを用いた研究にも応用できると考えている。

本研究では、ナルコレプシーとの強い関連をマーカーTM22.1に見出した。TM22.1を含む連鎖不平衡ブロック内には、Gene X及びGene Yの二つの遺伝子が存在し、TM22.1のCアリルを保有すると、両遺伝子のmRNAの発現量が低下することを明らかにした。この結果からGene X及びGene Yとも疾患感受性遺伝子の候補となると考えられる。Gene Xはβ酸化に関わる遺伝子である。β酸化はθ波周波数(REM睡眠の特徴)を調節する物質的基盤のひとつであることが判明しており、Gene Xの発現量が低下することでREM睡眠に影響を与える可能性が考えられる。Gene Yはコリンの代謝に関わる遺伝子である。コリンは、神経伝達物質のアセチルコリン、脳循環・代謝改善薬の一つであるCDPコリンなどの合成材料である。Gene Yの発現量が低下することで、これら脳の活動に重要な働きを示す物質の合成量が低下する可能性が考えられる。今後、ナルコレプシーのモデルマウスにGene X又はGene Yの働きを補う物質を投与することで、症状が改善するか確認したいと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、代表的な過眠症であるナルコレプシーの疾患感受性遺伝子を同定するために、ゲノムワイド関連解析及び機能解析を行い、下記の結果を得ている。

1.ゲノムワイド関連解析を行うために、本論文では大規模SNPタイピングキット(50万SNPタイピング用アレイ)を用いて遺伝子型のタイピングが行われた。しかし、全てのSNPが正確にタイピングされているわけではないことが予想された。そのため、そのような不正確なSNPの情報を排除(データクリーニング)するために、上記アレイでタイピングされた健常者群(389例)を二等分して擬似の関連解析を行い、その関連解析から得られた観察値と期待値を比較することにより、最適なデータクリーニング方法を探索した。その結果、BRLMMアルゴリズムの設定値0.5、各SNPのcall rate(95%以上)、ハーディ・ワインベルク平衡(P値0.001以上)及びマイナーアリル頻度(5%又は1%以上)のデータクリーニング後の観察値において、期待値からの逸脱が小さく、最適なデータクリーニング方法であることが示された。

2.日本人集団におけるナルコレプシー患者(ケース)222例と健常者(コントロール)389例を用いて、ナルコレプシーのゲノムワイド関連解析が行われた。タイピング後に、第1項で示したデータクリーニングが施行された。検定によって得られた各SNPのP値及び、それらSNPの周辺の遺伝子情報等を参考にし、疾患に関連し得ると予想される30個の新規候補SNPが選別された。

3.それらの候補SNPの再現性を確認するために、独立したサンプルセット(ケース159例、コントロール190例)を用いた関連解析(Replication study)が行われ、一つのSNP(マーカーTM22.1)において再現性が確認された。ゲノムワイド関連解析におけるTM22.1(T/C)のCアリルの頻度は、ケース26%、コントロール17%であり、ナルコレプシー患者において有意に増加していた(P=1.4×10-4; odds ratio, 1.74)。Replication studyにおいても、Cアリルの頻度はケース24%、コントロール14%であり、ナルコレプシー患者において有意に増加していた(P=5.2×10-4; odds ratio, 1.97)。両解析を統合した結果のP値及びOdds ratioは4.4×10-7及び1.79であった。

4.マーカーTM22.1の周辺に存在する多型を用いた解析により、TM22.1を含む連鎖不平衡ブロック内に存在するGene X及びGene Yの二つの遺伝子が見出された。さらに、連鎖不平衡ブロック内に存在するSNPを用いたハプロタイプ解析により、TM22.1又はTM22.1と強い連鎖不平衡にある多型は一義的な感受性変異であることが明らかにされた。

5.マーカーTM22.1又はTM22.1と強い連鎖不平衡にある多型が、Gene X及びGene Yの発現量に影響を与えるか検討された。両遺伝子のmRNAの発現量をリアルタイムRT-PCRを用いて定量し、TM22.1の遺伝子型(TT及びTC)間で比較した。その結果、TC群でmRNAの発現量の有意な低下が確認された。

以上、本論文はナルコレプシーとの強い関連をマーカーTM22.1に見出した。TM22.1を含む連鎖不平衡ブロック内に、Gene X及びGene Yの遺伝子が存在し、TM22.1のCアリルを保有することで、両遺伝子のmRNAの発現量が低下することが明らかにされた。本論文で見出されたナルコレプシーの疾患感受性遺伝子(Gene X及びGene Y)は、ナルコレプシー治療薬の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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