学位論文要旨



No 123823
著者(漢字) 信藤,大輔
著者(英字)
著者(カナ) ノブトウ,ダイスケ
標題(和) 亜鉛アート錯体を用いる芳香環の水素引き抜き反応の機構解析、および新規反応系の開発
標題(洋)
報告番号 123823
報告番号 甲23823
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1250号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 准教授 浦野,泰照
内容要旨 要旨を表示する

現代有機合成化学において、高い位置選択性、官能基選択性を持つ効率的な反応の開発は重要な研究課題の一つである。当研究室のグループは3配位、および4配位型の亜鉛アート錯体を開発し、水素引き抜き試薬や重合開始剤として従来用いられてきたアルキルリチウムなどよりも、それらが高い官能基選択性を有することを示してきた。しかしながら、それらの錯体の詳細な作用機序については不明な点が多かった。そこで筆者は、亜鉛アート錯体を用いる反応の機構解析を行うとともに、そこで得られた知見を活かして新規反応系の開発を行った。

(1)亜鉛アート錯体を用いる芳香環の水素引き抜き反応の機構解析

ベンゼン環やピリジン環など、種々の芳香環上に様々な置換基を導入する反応は、有機合成化学において有用である。根東、内山らはこれまでに、ジアルキルアミド亜鉛アート錯体弔tBu2Zn(TMP)Li(1)を開発し、芳香環上に種々の置換基を位置選択的に導入できる官能基共存性の高いメタル化反応を報告している1)。しかし、錯体の詳細な構造や塩基として働くのはアルキル部分かアミド部分かなど反応経路・機構にっいては不明な点が多かった。一方、Mulveyらは近年、我々の錯体をモチーフとしたtBu2Zn(TMP)Na・TMEDA(2)を開発し、tBu基が塩基として作用する可能性を示唆していた(Scheme2)(2))。そこで筆者は、各種NMR、X線結晶構造解析および計算化学を用いて、錯体1を用いる芳香環上での水素引き抜き反応の機構解析を行った。種々検討した結果、tBu2Znおよび対応するアミンのリチウムアミド体から錯形成を行い、結晶化溶媒としてTHF/ペンタンを用いたところアート錯体1のTHF溶媒っきの単結晶を得ることに成功し、X線結晶構造解析を行うことができた(Figure1)。また、THF溶媒中でのNMR測定により、錯体1は溶液中においても結晶構造と矛盾のない非対称構造を有することがわかった。そこで、アニソールをモデル基質とし、NMRと計算化学とを駆使して反応機構解析を行った。その結果、錯体1において塩基として働くのはtBu基ではなく、アミド部分であること、本反応は平衡反応であることなどを明らかにできた(Scheme1)(3))。

(2)亜鉛アート錯体がポリ塩基として作用する芳香環の水素引き抜き反応の開発

亜鉛アート錯体R2Zn(TMP)Liは2つのアルキル基と1つのアミド基を有するため、最大でそれら3つの配位子が全て塩基として働く可能性、即ちトリ塩基として作用することが考えられる。原子効率の面からも、そのようなポリ塩基として作用する反応系の開発が望まれる。そこで、Scheme3のような段階的な反応機構を取りえるように亜鉛アート錯体や基質、および反応条件を適切に設定すれば、そのような反応系を実現できるのではないかと考えた。DFT計算によりモデル錯体Me2Zn(NMe2)Li(RT1)とN,N-ジメチルベンズアミド(RT2)とを用いて反応の活性化エネルギーを計算したところ(Scheme3)、本反応は少なくとも速度論的にはアミド基による2回目のプロトン引き抜きが起きえることが示唆された(4))。

そこで、Et2Zn(TMP)LiとN,NdiisopropylbenzamideとをTHF中にて1:1のモル比で実際に反応させ、溶媒溜去後、ヘキサンから再結晶したところ、3つの配位子全てが芳香環に置き換わった構造(Ar3ZnLi)にTHFが1分子配位した結晶を収率36%で得ることに成功した(Figure2)。これはこの種の亜鉛アート錯体がトリ塩基として作用したことを示す初めての例である。また、1-N,N-diisopropylnaphthamideを基質として用いて反応させたときには、溶媒溜去後にトルエンから再結晶したところ、1つのアルキル基と1つのアミド基が芳香環に置換した構造(Ar2Zn(Et)Li)にTHFが2分子配位した結晶を収率47%で得ることができた(Figure3)。この場合、基質の嵩高さ故に1つのアルキル基が未反応のまま残ったものと考えられる。

一方、Mulveyらの報告している錯体2について、そのモデル錯体Me2Zn(NMe2)Na・TMEDA(3)を用いてDFT計算にてベンゼンとの反応の機構解析を行ったところ、彼等の主張する一段階的な機構ではなく、最初にアミド部分がベンゼンのプロトンを引き抜き、次いで生じたアミンの酸1生プロトンをアルキル基が引き抜くという段階的な機構の方がエネルギー的に合理的だと示唆された(Scheme4)(5))。また、アミド配位子の方がアルキル配位子よりも反応性が高いのは、各々の反応性の軌道の配向性の違いに基づくものであるということや、TMEDAはアミド配位子の反応性の向上に寄与している可能性が高いことなどを明らかにすることができた。

(3)亜鉛アート錯体を用いる新規アニオン重合反応系の開発

高分子を与える重合反応の開発は、様々な機能性高分子の創製にもつながることから合成化学における重要な研究分野の一つである。これまで当研究室では、活性プロトンを持つアクリル酸誘導体の重合に対し、四配位型の亜鉛アート錯体がプロトン性極性溶媒中において有効に機能することを既に報告している6)。しかし、得られるポリマーの分子量分布が広い、非プロトン性溶媒下で反応の進行が遅い、などの解決すべき課題も残っていた。

筆者は、反応機構解析のためラジカル阻害剤であるHQMEを添加してNイソプロピルアクリルアミド(NIPAm)の重合反応の検討を行ったところ、望みの重合が進行することを見出した(Table1:Run2)7)。これは本重合反応がラジカル重合ではなく、アニオン重合であることを強く示唆している。また興味深いことに、HQMEのようなフェノール性の弱いブレンステッド酸を添加することで分子量分布の幅が狭く(弧!仏の値が小さく)なることもわかった(Runlvs2)。また、鉄のカルボン酸塩を用いることによって収率、分子量分布ともに大幅な改善が認められることが明らかとなった(Run3vs4)。

そこで、更なる収率の向上と狭分子量分布性を目指して種々の添加物を加える検討を行ったところ、Yb(OTf)3が最も良い結果を与えることを見出した(Table2:Run6)。本反応系はルイス酸存在下、NIPAmのアニオン重合を行うことのできた初めての例である。

[References](1) (a) J. Am. Chem. Soc. 1999, 121, 3539; (b) J. Am. Chem. Soc. 2002, 124, 8514.(2) Mulvey, R. E. et al. J. Am. Chem. Soc. 2005, 127, 6184.(3) J. Am. Chem. Soc. 2006, 128, 8748.(4) J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 12734.(5) J. Org. Chem. 2008, 73, ASAP. (DOI: 10.1021/jo701895z)(6) Macromolecules 2004, 37, 4339.(7) Polym. Prepr. 2006, 55, 510.
審査要旨 要旨を表示する

信藤大輔は「亜鉛アート錯体を用いる芳香環の水素引き抜き反応の機構解析、および新規反応系の開発」と題し、以下の研究を行った。

近年、反応性の官能基を保護することなく目的の変換反応を行える、官能基共存性の高い効率的な反応の開発が望まれている。また、計算化学は現象の理論的な解明に役立つことから、新たに有用な反応を開発していく上で有効な指針を与えてくれるものと期待されている。これまで、当研究室のグループは3配位型の亜鉛アート錯体を用いる芳香環の水素引き抜き反応、および4配位型の亜鉛アート錯体を用いる重合反応を報告しており、これらが従来にはない高い官能基共存性を有する反応であることを示していた。しかしながら、用いる錯体の詳細な作用機序については不明な点が多く残っていた。そこで信藤大輔は計算化学も活用しながら、これらの反応の機構解析を行うとともに、そこで得られた知見を活かして新規反応系の開発を行った。

まず芳香環の水素引き抜き反応の機構解析と新規反応系の開発を行った。これまでその構造がわかっていなかった水素引き抜き試薬'Bu2Zn(TMP)Li(1)が、非対称形の構造を有していることをX線とNMRにより明らかにした。また、アニソールをモデル基質とするこの試薬による芳香環め水素引き抜き反応の機構解析を実験と計算化学とめ両面から行い、この試薬はTHF中においてアルキル塩基としてではなくアミド塩基として働くことを明らかにした。さらに、このモデル反応が可逆な平衡反応であることを示すとともに、アミド基がアルキル基よりも反応性が高い理由の要因として、各々の反応性の軌道の配向性の違いが重要であると示唆する結果を得ることができた。

また、錯体(1)のようなジアルキルアミド亜鉛アート錯体は最大でトリ塩基として作用できる可能性があることに着目し、DFr計算を活用しながら原子効率のより高い反応系の探索を行った。そして、ベンズアミド誘導体に対して亜鉛アート錯体Et2Zn(TMP)Liを水素引き抜き試薬として用いたときに、この種の錯体がトリ塩基として作用することをX線結晶構造解析により初めて明らかにすることができた。

さらにの反応についても、DFT計算により機構解析を行った。そして、彼らの主張する1段階的な機構ではなく、最初にアミド部分がベンゼンのプロトンを引き抜き、次いで生じたアミンのN-Hプロトンをアルキル基が引き抜くという段階的な機構の方がエネルギー的に合理的だと示すことができた。また、TMEDA配位子は錯体のアミド基の反応性を向上させる役割を担っている可能性の高いことが示唆されることがわかった。ここで得られた知見を活かすことで、医薬品化合物にも多く含まれる芳香族化合物群の水素引き抜き反応に対して、さらに優れた選択性、反応性を持つ試薬の設計、開発が期待される。

また、重合反応の機構解析と新規反応系の開発も行った。4配位型の亜鉛アート錯体tBu4ZnLi2を用いるN-isopropylacrylamide(NIPAm)の重合反応の反応様式を明らかにするべく、ラジカル阻害剤を加える検討を行った。そして、この錯体を用いるNIPAmの重合反応はラジカル重合の機構ではなく、アニオン重合の機構で進行していることを示唆する結果を得た。また、この錯体と適切な添加剤とを組み合わせる新しい反応系を用いることにより、これまで重合反応を進行させることが困難だった非プロトン性の溶媒系においても、大幅な反応加速を起こせることを示した。さらに、添加剤により分子量分布の幅の制御も可能であることを明らかにした。ここで見出された反応系は、ドラッグ・デリバリー・システムの開発など様々な分野での応用研究がなされている機能性材料であるPoly(NIPAm)、およびその類縁体を合成するための新たな方法論の一つとなることが期待される。

以上の業績は、薬学分野における有機金属化学の進歩に有意に貢献するものであり、博士(薬学)の授与に値するものと考えられる。

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