学位論文要旨



No 123828
著者(漢字) 春日,寛司
著者(英字)
著者(カナ) カスガ,ヒロシ
標題(和) カイコ感染モデルを用いた、感染症治療薬候補物質の探索
標題(洋)
報告番号 123828
報告番号 甲23828
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1255号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 准教授 富田,泰輔
 東京大学 准教授 折原,裕
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

感染症の流行は、時として人間社会に甚大な被害を及ぼす。感染症に対する重要な対抗手段として感染症治療薬の投与が挙げられるが、既存の抗ウイルス薬や抗菌薬には重篤な副作用や薬剤耐性菌の出現などの問題があり、新規薬剤の開発が望まれている。

現在の感染症治療薬の開発工程は、始めに試験管内の系を用いて病原体の増殖に対する阻害効果を指標に候補化合物を精製・同定する。この段階に至るまでに膨大な労力や手間、費用を要する。次に、ほ乳動物の系における検討を行うが、殆どの候補物質は体内動態や毒性のために、治療効果を示さない。感染症に対して治療効果を示す候補物質が殆ど得られないことが、感染症治療薬開発における重要な問題となっている。効率よく治療効果を示す化合物を得るためには、治療効果を指標とした候補化合物のスクリーニング系の使用が有用であると考えられる。しかし、従来のようにほ乳動物のみを用いて治療効果の評価を行った場合、コストや倫理的な問題のために、治療効果を指標としたスクリーニングが困難である。私は、これらのような問題を受けないモデル動物を使用すれば、治療効果を指標としたスクリーニングが可能であると考えた。

当研究室では、安価で大量飼育が容易な実験動物としてカイコ幼虫に着目している。カイコ幼虫を用いて、臨床で使用されている抗菌薬や抗ウイルス薬の治療効果評価系が確立されており(図1)、カイコ幼虫感染モデルにおいて、臨床で使用されている抗菌薬・抗ウイルス薬の治療効果の評価が可能であると考えられる。また、抗菌薬の治療効果評価系より得られた治療効果のED50がマウスの感染系より得られたED50値とほぼ同様の値を示した。また、カイコ幼虫はCYP分子種などの代謝酵素や、ほ乳動物の腎臓・肝臓・腸管などに対応する器官を有する。以上より、カイコ幼虫感染モデルは、治療効果を指標としたスクリーユング系として有用であると期待される。

そこで私は、次のような感染症治療薬候補物質の探索工程(図2)を提案する。カイコ幼虫感染モデルを用いた、治療効果を指標とした候補化合物の選抜により、感染症治療薬開発の探索の初期段階で体内動態が良好な化合物の題出が期待される。そのためにはカイコ幼虫感染モデルの有用性が示される必要がある。そのために私は、カイコ幼虫感染モデルを用いて感染症治療薬候補物質の探索を試みた。

【結果と考察】

1-1.抗ウイルス薬候補物質の、治療活性を指標とした探索

私は修士課程の研究において、漢方薬の麻黄湯に含まれる生薬であるケイヒが、カイコ幼虫・バキュロウイルス感染モデルにおいて治療活性を示すということを見出していた。そこで、ケイヒのクロロホルム抽出物より、カイコ幼虫感染モデルにおける治療活性を指標に精製を行った(図3)。シリカゲルカラム・ゲル濾過カラム・EPbC(ODSカラム)の、数段階の分離精製の工程を経て、最終精製画分2mgを得た。

最終精製画分に含まれる化合物について、1H-NMR、(14)C-NMR、質量分析および旋光度測定による解析を行った。NMRより得られたケミカルシフト値、分子量、旋光度は、既知物質のCinnzeylanineのものとほぼ一致していた。以上より、最終精製画分に含まれる化合物がCimmzeylanine(図4)であると同定した。また、最終精製画分に含まれる化合物はバキュロウイルスに対する抗ウイルス活性を示した。Cinnzeylarnineは既存の抗ウイルス薬とは異なる骨格を有しており、新規の作用機序による抗ウイルス効果が期待される。

1-2.最終精製画分の抗ヘルペスウイルス作用

Cinnzeylanineの抗ウイルス活性についての報告は知られていなかった。そこで、最終精製画分に含まれる化合物がカイコ幼虫に感染するバキュロウイルスに対して特異的に抗ウイルス効果を示すのか、それともほ乳動物に感染するウイルスに対して有効性を示すのかを検討した。結果、最終精製画分の濃度が高くなるに従って、サル腎臓由来の細胞系におけるヘルペスウイルスのプラークの形成率が減少した(図5)。従って、Cinnzeylanineはほ乳動物に感染するヘルペスウイルスに対し、増殖抑制効果を示すと考えられる。

2-1.抗菌薬候補物質の、治療効果を指標とした探索

カイコ幼虫・黄色ブドウ球菌感染モデルを用いて、土壌細菌の培養液中に含まれる抗生物質に着目し、これより抗菌薬候補物質の探索を試みた。当研究室にて独自に分離された2979株の土壌細菌の培養液サンプルより、MRSAに対する抗菌活性とカイコ幼虫感染モデルにおける治療活性を示す土壌細菌培養液3検体を得た。私はこれらのサンプルより、カイコ幼虫・黄色ブドウ球菌感染モデルにおける治療活性を指標に、抗菌物質の精製を試みた。数段階の溶媒抽出とHPLCを含むカラムクロマトグラフィーによって得られた最終精製画分について精密質量分析を行った。カイコ幼虫の黄色ブドウ球菌感染症に対して治療効果を示す、各最終精製画分に含まれる化合物はFusaricidin類(図6)とKatanosinB(図7)であると推定された。

2-2.カイコ感染モデルより見出された抗菌物質

Fusaricidin類については抗菌効果のみしか知られていない。Fusaricidin類と推定された最終精製画分は、6つのMRSAとMSSA1(メチシリン感受性黄色ブドウ球菌)のそれぞれに対し、ほぼ同等の抗菌活性(MIC値)を示した(図8)。このことから、Fusaricidin類はMRSA感染症に対して有効性を示すと推定される。また、KatanoshlBは既知の抗菌物質であり、マウス感染モデルにおける治療効果が確認されている。

以上より、カイコ幼虫感染モデルを用いて、ほ乳動物のMRSA感染症に対して有効な抗菌物質を見出すことができると考えられる。今回、Fusaricidine類のMRSA感染症に対する有効性が示唆された。

【まとめと結論】

カイコ幼虫・バキュロウイルス感染モデルを用いて、これまでに抗ウイルス効果が知られていなかったCinnzeylanineを見出した。また、最終精製画分に含まれる化合物はほ乳動物に感染するDNAウイルスに対する増殖抑制効果も示した。Cinnzeylanineは従来の抗ウイルス薬とは異なる骨格を有するため、新規の作用機序による抗ウイルス効果が期待される。その作用機序は現段階では不明だが、異なる2種類のDNAウイルスの増殖に対する有効性が見られたことから、DNAウイルスの基本的な増殖機構を阻害するものではないかと私は考える。

また、カイコ幼虫・黄色ブドウ球菌感染モデルを用いて、細菌感染症に対して治療効果を示す抗菌薬候補物質を探索した。結果、抗菌効果のみしか知られていなかったFusaricidin類と推定される最終精製画分について、MRSAに対する有効性と黄色ブドウ球菌感染症に対する治療効果を今回初めて見出した。Fusaricidine類はMRSA感染症に対して有効な治療薬候補物質として期待される。

抗菌薬候補物質としてはKatanosineBも見出された。この物質はほ乳動物の黄色ブドウ球菌感染症に対する有効性が確認されている抗菌物質である。このことから、カイコ幼虫感染モデルを用いて、ほ乳動物の感染症に対して有効な物質の探索が可能であると考えられる。

以上より、カイコ幼虫感染モデルは治療効果を示す感染症治療薬候補物質の探索系として有用であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、ウイルス感染症・菌感染症に対する有効な治療薬候補物質を得るための、新たな探索方法を提示したものである。

感染症治療薬の開発の従来の方法では、病原体に対する抑制効果の有無を検討する検体の数が多いため、試験管内の系を用いて検討を行ってきた。次にほ乳動物の系において治療効果の判定を行い、治療効果を示した検体が有効な候補物質として次の開発段階に進む。しかし、試験管内の系で陽性判定であった検体の大部分が、ほ乳動物の系では治療効果を示さない。このような薬剤開発の問題点に対する、新たな突破口が期待されている。

申請者はこれに対し、治療効果を指標とした探索の、初期段階への挿入を提案した。ほ乳動物を用いてこのような探索を行うことは、コスト・倫理的な問題のために困難であるため、申請者はこれらの問題を被らないモデル動物に着目した。申請者が所属する研究室では、感染モデル動物としてカイコ幼虫が用いられている。申請者はカイコ幼虫感染モデルの、治療効果を指標とした探索系としての有用性を示すために、カイコ幼虫感染モデルを用いて、抗ウイルス性物質や抗菌物質の探索を試みた。

申請者はカイコ幼虫-ウイルス感染モデルを確立し、さらに漢方薬の麻黄湯の構成生薬であるケイヒのカイコ幼虫-ウイルス感染モデルにおける治療効果を見出していた。ケイヒ抽出物中より、この治療効果を指標に化合物の精製を行い、1H-NMR・(13)C-NMR・質量分析法・屈折率の結果より、治療効果を示す化合物をChmzeylanineと同定した。

次に申請者は、Cimzeylanineの細胞系におけるウイルス増殖抑制効果について検討を行った。cinnzeylanineはカイコ由来の細胞系における、カイコ幼虫に感染するバキュロウイルスに対する増殖抑制効果を示し、さらにサル腎臓由来の細胞系におけるヘルペスウイルスの増殖に対する抑制効果も示した。これらの結果より申請者は、Cinnzeylanineがほ乳動物に感染するDNAウイルスに対する増殖抑制効果を示すと判断した。Cinnzeylanineは構造は既知であったが、抗ウイルス効果についての報告はなかった。Cinnzeylanineは従来の抗ウイルス薬と異なる骨格を有しており、ほ乳動物に感染するDNAウイルスに対して増殖抑制効果を示したことから、申請者はこの物質が新規抗ウイルス薬開発の足がかりになるものであり、同時にカイコ幼虫-ウイルス感染モデルが探索系として有用であると結論した。

また、申請者はカイコ幼虫-黄色ブドウ球菌感染モデルを用いて、土壌細菌の培養液抽出物中より、治療効果を示す抗菌物質の探索を行った。申請者は探索対象として、申請者が所属する研究室で独自に分離した土壌細菌に着目した。

申請者は、カイコ幼虫・黄色ブドウ球菌感染モデルにおける治療効果とMRSAに対する有効性の双方が認められた、土壌細菌培養サンプル由来の検体3つについて、カイコ幼虫-黄色ブドウ球菌感染モデルにおける治療効果を示す化合物の探索を行った。精密質量分析の結果、最終精製画分に含まれる化合物としてFusaricidin類2つとKatanosin Bを見出した。

Fusaricidin類については抗菌効果の報告しか知られておらず、申請者はこれらのMRSAに対する有効性と、黄色ブドウ球菌感染症に対する治療効果を初めて見出した。また、KatanosinBはほ乳動物における治療効果とMRSAに対する有効性が報告されており、近年着目されている抗菌物質である。これらの結果より申請者は、Fusaricidin類が抗菌薬候補物質として着目できるものであり、同時にカイコ幼虫一黄色ブドウ球菌感染モデルを用いて、ほ乳動物の感染症に対して有効な化合物を得ることができると結論した。

以上、本研究は、感染症に対する治療効果を指標とした、感染症治療薬候補物質の探索例を示した初めての例である。本研究により、薬剤開発の大きな問題点を乗り越える足がかりが得られたと考えられる。申請者の提案は薬学に大きく貢献するものであり、博士(薬学)に値すると判断した。

UTokyo Repositoryリンク