学位論文要旨



No 123829
著者(漢字) 金森,崇浩
著者(英字)
著者(カナ) カナモリ,タカヒロ
標題(和) 細胞内型ホスホリパーゼA1による線虫上皮幹細胞の極性軸形成メカニズム
標題(洋)
報告番号 123829
報告番号 甲23829
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1256号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 東,伸昭
 東京大学 講師 倉永,英里奈
内容要旨 要旨を表示する

非対称分裂は、幹細胞が異なる二つの娘細胞を効率的に生み出す手段の一つである.非対称に分裂する細胞は分裂前に極性軸を形成し、その極性に従って娘細胞に受け継がれる物質に非対称性を与え、分裂軸方向を決定する.最近、線虫C.elegansの発生過程において起こる多くの非対称分裂において、Wntシグナリング分子の偏在性が母細胞の細胞極性を規定することが提唱されている.しかしながら、母細胞内でWntシグナリング分子を非対称に分布させるメカニズムについては全く明らかにされていない.

本研究において、私は進化的に広く保存された機能未知の脂質代謝酵素である細胞内型ホスホリパーゼA1 ipla-1が、線虫上皮幹細胞(以下、Seam細胞)の非対称分裂における極性を制御していることを明らかにした.さらに、順遺伝学的スクリーニングを行い、本酵素が特定の膜輸送経路を制御している可能性を見出した.本研究では、Wntシグナリング分子の偏在性を生み出す過程における、脂質代謝と膜輸送の作用メカニズムを提唱する.

【結果】

1.ipla-1変異体における上皮組織の形態異常はSeam細胞における異常に依る

私は、修士課程においてipla-1の欠損変異が、成虫期において上皮組織(陰門)の形態異常を引き起こすことを明らかにしていた.この形態異常が「どの細胞における、どのような異常に依るものか?」を明らかにするために、各種細胞特異的プロモーターを用いたレスキュー実験を行った,その結果、Seam細胞特異的にipla-1遺伝子を発現させた場合においてのみ、ipla-1変異体の示す上皮組織の形態異常が回復することを見出した.この結果を受け、Seam細胞における何らかの異常が上皮組織の形態異常を引き起こすことを予想した.

2.ipla-1はSeam細胞の非対称分裂において細胞運命決定と分裂軸を制御する

次に、Seam細胞の核に蛍光蛋白質gfpを発現する分化マーカー(scm::gfp)をipla-1変異体において観察し、成虫期において正常にSeam細胞が分化しているかを検討した.通常、成虫期には16個のscm::gfp陽性の核がほぼ等間隔に並ぶが、ipla-1変異体においてはscm::gfpの数および配置に異常が生じていた(Figure 1).Seam細胞は幼虫期に非対称分裂を繰り返すが、片方の娘細胞のみがSeam細胞としての運命を維持し、scm::gfpを発現し続ける.幼虫期におけるscm::gfpかの発現パターンを観察したところ、幼虫期に起こる最後の非対称分裂(S4分裂)の直前までは正常であったことから、ipla-1変異体はS4分裂に異常を示すことが予想された.そこで、Seam細胞がS4分裂を行う過程を観察した.S4分裂は通常、前後軸方向に起こるが、ipla-1変異体においては分裂軸の方向がランダムになっていた(Figure2,A-B).さらに、分裂後も観察を続け、ipla-1変異体において分裂後の運命決定の非対称性が崩壊していることを突き止めた(Figure2,C-D).これらの表現型は、ipla-1のSeam細胞への再導入において回復し、そのレスキュー効果は活性中心のセリン残基に依存した.以上の結果より、ipla-1がSeam細胞の最後の非対称分裂を、細胞自律的且つ酵素活性依存的に制御していることが明らかになった.

3.1ipla-1はS4分裂前の母細胞における細胞極性を制御する

線虫の非対称分裂の多くはWntシグナリングにより制御されている.Wntリガンドは母細胞におけるWnt受容体や下流のシグナリング分子の細胞内局在に非対称性を与え、その結果生ゼた非対称なWntシグナリングが細胞分裂の過程においても維持されることで、二つの異なる娘細胞が生み出されると考えられている.そこで、S4分裂を行う前の母細胞におけるWntシグナリング分子の非対称性にipla-1変異が影響を与えているか否かを検討した.その結果、分裂前の母細胞におけるWRM-1/β-cateninの非対称局在が、ipla-1変異体において崩壊していることが明らかになった(Figure3).また、WRM-1/β-cateninの非対称局在により制御される転写因子POP-1/TCFの娘細胞間での非対称性も崩壊していた.従って、ipla-1はS4分裂において母細胞の極性を形成あるいは維持することにより、その後の非対称な細胞運命決定を制御していることが明らかになった.

4.エンドソームとゴルジ体間の逆行輸送の抑制はipla-1の表現型を回復させる

以上の解析から、機能未知であった脂質代謝酵素ipla-1が、非対称分裂における母細胞の極性を制御していることが明らかとなった.その分子メカニズムに迫ることを目的に、ipla-1変異体において観察されるscm::gfpの数および配置の異常を回復させるサプレッサー変異体をスクリーニングし、2系統のipla-1サプレッサー変異体を得た.これら2系統について遺伝子マッピングを行いその原因遺伝子を同定したところ、それぞれmon-2/ArfGEF-likeとtbc-3/RabGAPをコードするものであった.興味深いことに、これら二つの遺伝子は酵母においてエンドソームとゴルジ体間の逆行輸送に関わることが報告されていたので、逆行輸送経路との関連が報告されている一連の遺伝子群をRNAi法により発現抑制し、ipla-1変異体の表現型を回復するか否かを検討した.その結果、エンドソームにおいてカーゴの選別を行うレトロマー複合体構成遺伝子を含む逆行輸送制御遺伝子を発現抑制した場合に、ipla-1変異体の表現型が回復することが明らかになった.これらの遺伝子に関しても細胞自律的に機能することを確認している.

【まとめと考察】

線虫の非対称分裂においては、Wntシグナリング分子の母細胞における非対称性が重要な役割を担う.本研究において私は、Seam細胞の最後の非対称分裂(S4分裂)において細胞内型ホスホリパーゼA1ipla-1がWRM-1/β-cateninの非対称局在を制御することを明らかにした,さらに、ipla-1変異体の示す非対称分裂の異常が、エンドソームとゴルジ体間の逆行輸送という特定の膜輸送経路に依存することを見出した.以上の結果は、ipla-1により制御される膜輸送を介して、WRM-1/β-cateninの非対称性が形成もしくは維持されていることを示唆している.また、ipla-1変異体はS4分裂以外の非対称分裂に関しては正常に行うことができることから、ipla-1はS4分裂に特異的な極性制御機構に関わると考えられる.このことは、個体発生の過程においては、個々の細胞が異なるメカニズムを利用して、細胞極性を獲得していることを想像させる.今後、S4分裂における極性制御機構を更に解明していくことにより、脂質代謝の作用機序のみならず、特定の非対称分裂における細胞極性がどのように制御されているのかについても、重要な知見が得られることが期待される.

審査要旨 要旨を表示する

非対称分裂は、幹細胞が異なる二つの娘細胞を効率的に生み出す手段の一つである.非対称に分裂する細胞は分裂前に極性軸を形成し、その極性に従って娘細胞に受け継がれる物質に非対称性を与え、分裂軸方向を決定する.最近、線虫C.elegansの発生過程において起こる多くの非対称分裂において、Wntシグナリング分子の偏在性が母細胞の細胞極性を規定することが提唱されている.しかしながら、母細胞内でWntシグナリング分子を非対称に分布させるメカニズムにっいては全く明らかにされていない.

本研究において、金森は進化的に広く保存された機能未知の脂質代謝酵素である細胞内型ホスホリパーゼA1ipla-1が、線虫上皮幹細胞(以下、Seam細胞)の非対称分裂における極性を制御していることを明らかにした.さらに、順遺伝学的スクリーニングを行い、本酵素が特定の膜輸送経路を制御している可能性を見出した.本研究では、Wntシグナリング分子の偏在性を生み出す過程における、脂質代謝と膜輸送の作用メカニズムを提唱する.

1.ipla-1変異体における上皮組織の形態異常はSeam細胞における異常に依る

金森は、修士課程においてipla-1の欠損変異が、成虫期において上皮組織(陰門)の形態異常を引き起こすことを明らかにしていた.この形態異常が「どの細胞における、どのような異常に依るものか?」を明らかにするために、各種細胞特異的プロモーターを用いたレスキュー実験を行った.その結果、Seam細胞特異的にipla-1遺伝子を発現させた場合においてのみ、ipla-1変異体の示す上皮組織の形態異常が回復することを見出した.この結果を受け、Seam細胞における何らかの異常が上皮組織の形態異常を引き起こすことを予想した.

2.ipla-1はSeam細胞の非対称分裂において細胞運命決定と分裂軸を制御する

次に、Seam細胞の核に蛍光蛋白質gfpを発現する分化マーカー(scm::gfp)をipla-1変異体において観察し、成虫期において正常にSeam細胞が分化しているかを検討した.通常、成虫期には16個のscm::gfp陽性の核がほぼ等間隔に並ぶが、ipla-1変異体においてはscm::gfpの数および配置に異常が生じていた.Seam細胞は幼虫期に非対称分裂を繰り返すが、片方の娘細胞のみがSeam細胞としての運命を維持し、scm::gfpかを発現し続ける.幼虫期におけるscm::gfpの発現パターンを観察したところ、幼虫期に起こる最後の非対称分裂(S4分裂)の直前までは正常であったことから、ipla-1変異体はS4分裂に異常を示すことが予想された.そこで、Seam細胞がS4分裂を行う過程を観察した.S4分裂は通常、前後軸方向に起こるが、ipla-1変異体においては分裂軸の方向がランダムになっていた.さらに、分裂後も観察を続け、ipla-1変異体において分裂後の運命決定の非対称性が崩壊していることを突き止めた.これらの表現型は、ipla-1のSeam細胞への再導入において回復し、そのレスキュー効果は活性中心のセリン残基に依存した.以上の結果より、ipla-1がSeam細胞の最後の非対称分裂を、細胞自律的且つ酵素活性依存的に制御していることが明らかになった.

3.ipla-1はS4分裂前の母細胞における細胞極性を制御する

線虫の非対称分裂の多くはWntシグナリングにより制御されている.Wntリガンドは母細胞におけるWnt受容体や下流のシグナリング分子の細胞内局在に非対称性を与え、その結果生じた非対称なWnt、シグナリングが細胞分裂の過程においても維持されることで、二つの異なる娘細胞が生み出されると考えられている.そこで、S4分裂を行う前の母細胞におけるWntシグナリング分子の非対称性にipla-1変異が影響を与えているか否かを検討した,その結果、分裂前の母細胞におけるWRM-1/β-cateninの非対称局在が、ipla-1変異体において崩壊していることが明らかになった.また、WRM-1/β-cateninの非対称局在により制御される転写因子POP-1/TCFの娘細胞間での非対称性も崩壊していた.従って、ipla-1はS4分裂において母細胞の極性を形成あるいは維持することにより、その後の非対称な細胞運命決定を制御していることが明らかになった.

4.エンドソームとゴルジ体間の逆行輸送の抑制はipla-1の表現型を回復させる

以上の解析から、機能未知であった脂質代謝酵素ipla-1が、非対称分裂における母細胞の極性を制御していることが明らかとなった.その分子メカニズムに迫ることを目的に、ipla-1変異体において観察されるscm::gfpの数および配置の異常を回復させるサプレッサー変異体をスクリーニングし、2系統のipla-1サプレッサー変異体を得た.これら2系統について遺伝子マッピングを行いその原因遺伝子を同定したところ、それぞれmon-2/ArfGEF-likeとわo-3/RabGAPをコードするものであった.興味深いことに、これら二つの遺伝子は酵母においてエンドソームとゴルジ体間の逆行輸送に関わることが報告されていたので、逆行輸送経路との関連が報告されている一連の遺伝子群をRNAi法により発現掬制し、ipla-1変異体の表現型を回復するか否かを検討した.その結果、エンドソームにおいてカーゴの選別を行うレトロマー複合体構成遺伝子を含む逆行輸送制御遺伝子を発現抑制した場合に、ipla-1変異体の表現型が回復することが明らかになった,これらの遺伝子に関しても細胞自律的に機能することを確認している.

線虫の非対称分裂においては、Wntシグナリング分子の母細胞における非対称性が重要な役割を担う.本研究において金森は、Seam細胞の最後の非対称分裂(S4分裂)において細胞内型ボスホリパーゼA1ipla-1がWRM-1/β-cateninの非対称局在を制御することを明らかにした。さらに、ipla-1変異体の示す非対称分裂の異常が、エンドソームとゴルジ体間の逆行輸送という特定の膜輸送経路に依存することを見出した.以上の結果は、ipla-1により制御される膜輸送を介して、WRM-1/β-cateninの非対称性が形成もしくは維持されていることを示唆している.また、ipla-1変異体はS4分裂以外の非対称分裂に関しては正常に行うことができることから、ipla-1はS4分裂に特異的な極性制御機構に関わると考えられる。このことは、個体発生の過程においては、個々の細胞が異なるメカニズムを利用して、細胞極性を獲得していることを想像させる.今後、S4分裂における極性制御機構を更に解明していくことにより、脂質代謝の作用機序のみならず、特定の非対称分裂における細胞極性がどのように制御されているのかについても、重要な知見が得られることが期待される.これらの結果は、博士(薬学)の値するものと評価できる。

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