学位論文要旨



No 123831
著者(漢字) 齊藤,亮太
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,リョウタ
標題(和) ホメオボックス遺伝子CrxOSのES細胞の自己複製・多分化能に果たす役割の解明
標題(洋)
報告番号 123831
報告番号 甲23831
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1258号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 武田,弘資
 東京大学 准教授 紺谷,圏二
内容要旨 要旨を表示する

【はじめに】

マウス胚性幹(ES)細胞は、受精後3.5目のマウス胚に存在する内部細胞塊から樹立される幹細胞で、自らと同じ細胞を作る自己複製能と、すべての体細胞や生殖細胞へ分化する多分化能を持つ。この能力はES細胞に特異的なものであり、多くの転写因子の関与が知られている。本研究で私は、ES細胞の自己複製能と多分化能に関与する遺伝子をさらに見出すために、ES細胞に特異的に発現し、転写因子のドメインの一つであるホメオボックスを持つ遺伝子を探索した。その結果、CrxOS(cone-rod homebox oppposite strand)ホメオボックス遺伝子を見出した。本研究では、ES細胞の自己複製能と多分化能におけるCrxOSの役割を解析したので報告する。

【結果】

1.CrxOBのES細胞特的ESTデーターベース上の発現はきわめて高い

私は、まず、EST(Expression Sequence Tag)データベースを遺伝子探索に利用した。ESTデータベースには、240種類のマウスホメオボックス遺伝子が登録されていた。このうち、ES細胞に特異的に発現するものは、その遺伝子のESTの総数(Nall)に占める、3.5目胚由来またはES細胞由来のESTの数(Nes)の割合(Nes/Nall)を算出すれば、その値が比較的高いことが期待される。そこで、私は、240種類のマウスホメオボックス遺伝子に関してこの値を算出し、得られた値め高い順に遺伝子を並べた。その結果、CrxOSホメオボックス遺伝子が、最も高い値を示した(表1)。このようにして、CrxOSがES細胞特異的転写因子の候補として同定された。

2.ES胞ではCrxOS shortが発現している

CrxOSは、longとshortの2種類のスプライシングアイソフォームが存在し、マウス網膜上でそのmRNAが発現していることが報告されていたが、ES細胞や3.5日胚での発現や機能は不明であった。そこで、まず、CrxOS shortとCrxOS longの共通の部分ペプチドを抗原として抗体を作製した(図1-a)。次に、CrxOS shortとCrxOS longの泳動距離を調べた。(図1-b)。そして、上記の抗体を用いて、ES細胞のライセートに対してウェスタンブロットを行ったところ、CrxOSshortの泳動距離に特異的なバンドが検出され、CrxOS longの泳動距離には特異的なバンドは検出されなかった。(図1-c)。このことから、ES細胞ではおもにCrxOSshortが発現していることが見出された。

3.CrxOSはES細胞に特異的に発現する

次に私は、ESTデータベース解析の結果から予測されるように、CrxOSがES細胞に特異的に発現するかを調べるため、RT-PCR法により、ES細胞、ES細胞を分化誘導させた細胞、マウス受精後3.5日胚、9.5-12.5日胚、成体マウスの各臓器で、CrxOSの発現の程度を検討した。その結果、未分化な細胞が多く含まれる精巣を除けば、ES細胞や、ES細胞の由来である3.5日胚でのみCrxOSの発現が見出された(図2)。このことから、CrxOSがES細胞に特異的に発現することが示された。

4.CrxOS shortはLIF去時のES細胞の分化に制的に働く

ES細胞の分化にともないCrxOSの発現が消失することから、私は、CrxOSshortがES細胞の分化を抑制している可能性を考えた。そこで、ES細胞から未分化維持因子のLIF(leukelniainhibitory factor)を除去した状態でも、CrxOS shortを過剰発現させると分化が抑制されるかを検討した。その結果、CrxOS shortの発現により、未分化な細胞の指標である、丸い盛り上がったコロニーが多く残存すること(図3-a)、さらに、ES細胞の特徴である高い増殖能が保たれたままになること(図3-b)が見出された。これらのことから、CrxOS shortがES細胞の分化を抑制する可能性が示唆された。

5.CrxOS shortはES細胞の正常な自己複製および、foxd3の発現に必要である

CrxOSが多分化能をもったES細胞の自己複製に必要かどうかを検討するために、RNAi法によりES細胞でCrxOSを発現抑制したところ、生存細胞数が減少することを見出した。また、この生存細胞数の減少はRNAi非感受性のCrxOS shortの過剰発現により救助されることを見出した(図4)。このことから、CrxOS shortがES細胞の生存細胞数維持に必要であり、ES細胞の正常な自己複製に必要であることが示された。

次に、CrxOSノックダウン時の生存細胞数の減少がどのような過程で生じているかを調べるために、ES細胞の自己複製に必要であることが知られているいくつかの転写因子の発現の変化を調べた。その結果、CrxOSノックダウン時に、oct3/4やnanog遺伝子の発現に変化は認められなかったが、foxD3の発現の低下が認められた(図5)。また、CrxOSノックダウン時には、LIF除去時に見られるような扁平な細胞のような目立った形態変化は観察されなかった。このことから、まずCrxOSがfoxD3の発現に必要であることが示唆された。foxD3はES細胞の自己複製に必要であることが知られているので、CrxOSノックダウン時に自己複製に異常が生じる一因として、foxD3の発現低下が考えられる。また、CrxOSノックダウン時に未分化な細胞のマーカーであるoct3/4やnanogの発現に変化が見られないことと、目立った形態変化が見られないことから、CrxOSノックダウン時にはES細胞の未分化状態は変化していない可能性が示唆された。

【まとめと考察】

本研究で私は、ESTデータベース解析により、ES細胞に特異的に発現する転写因子の候補として、CrxOS着目し、1)ES細胞ではCrxOS longではなく、おもにCrxOS shortが発現していること、2)CrxOSの発現分布がES細胞に特異的であること、3>CrxOS shortがLIF除去時のES細胞の分化に抑制的に働くこと、4)CrxOS shortがES細胞の正常な自己複製に必要であること、さらに、5)foxD3の発現に必要であることを示唆した。

以上の結果をまとめると、図6のようなモデルが想定される。LIF存在下の未分化なES細胞で、CrxOSshortは高い増殖能の維持と分化の抑制に関与するが、CrxOS shortを必要としない何らかの分化抑制因子が存在するため、CrxOSshortをノックダウンしても分化は抑制されたままである。HF除去時には、そのような別の分化抑制因子が発現しなくなるが、CrxOS shortの単独発現は、分化の抑制、および、高い増殖能の維持に十分であると考えられる。foxD3はES細胞の自己複製に必要であるが、foxD(-/-)のマウス内部細胞塊では、未分化なES細胞のマーカーであるOct3/4の発現が正常であることが報告されており、FoxD3はES細胞の分化欄には必須ではない。それ故、CrxOS shortがES細胞の自己複製に必要である要因の1つは、foxD3の発現維持を通してであると考えられる。

図1 CrxOS longとCrxOS shortの一次構造とES細胞での発現

図2 CrxOSの発現分布

図3 LlF除去時のES細胞分化におけるCrxOS short過剰発現の影響の検討

図4 ES細胞の自己複製におけるCrxOSshortの必要性の検討

図5 CrxOSノックダウン時のES細胞の自己複製に必要な転写因子の発現の変化

図6 ES細胞の自己複製能と多分化能におけるCrxOS shortの役割

表1 ES細胞由来のESTの割合が高いホメオボックス遺伝子

審査要旨 要旨を表示する

マウス胚性幹(ES)細胞は、受精後3.5日のマウス胚に存在する内部細胞塊から樹立される幹細胞で、自らと同じ細胞を生み出す自己複製と全ての体細胞や生殖細胞へと分化できる能力をもつ。そのため、ES細胞の自己複製能と多分化能の理解は、初期胚発生の機構や、幹細胞を用いた再生医療の発展に役立っと考えられる。これらの能力は、ES細胞を含む限られた細胞に特異的なものであり、多くの転写因子の介在が報告されているが、その詳細は不明である。「ホメオボックス遺伝子CrxOSのES細胞の自己複製・多分化能に果たす役割の解明」と題した本論文においては、ES細胞に特異的に発現する転写因子としてCrxOSを新たに同定し、CrxOSがES細胞の自己複製能と多分化能に重要な役割を果たすことを見出している。

1.ES細胞に特異的に発現するCrxOS遺伝子の同定

EST(ExpressionSequenceTag)データベースを用いて、転写因子のドメインの1つであるホメオボックスをもつ遺伝子の中から、ES細胞に特異的に発現する遺伝子を探索した。データベース上の240種類のマウスホメオボックス遺伝子のうち、ES細胞に特異的に発現するものは、その遺伝子のESTの総数に占める、3.5日胚由来またはES細胞由来のESTの数の割合が比較的高いことが予想される。そこで、これらの値を算出し、最も高い値を示すホメオボックス遺伝子としてCrxOSを見出した。CrxOSは、マウス網膜での発現が知られていたが、ES細胞での発現や機能は不明であった。そこで、RT-PCR法により、ES細胞、それを分化誘導させた細胞、3.5日胚、9.5-12.5日胚、さらに成体マウスの各臓器におけるCrxOSの発現量を検討した。その結果、未分化な細胞を多く含む精巣を除くと、ES細胞やES細胞の由来である3.5日胚でのみCrxOSの発現が確認された。これらの結果から、CrxOSがES細胞に特異的に発現することが示された。

2.ES細胞に発現するCrxOS shortフォーム

CrxOSには、DNA結合ドメインであるホメオドメインをN末端側とC末端側に2つをもつlongフォームと、N末端側のホメオドメインのみをもつshortフォームが知られていた。マウスホメオドメインの系統樹解析から、CrxOSのこの2つのホメオドメインは、共に既知のホメオドメインのサブファミリーには属さないことが示された。したがって、CrxOSのDNA結合特異性は他のホメオボックス遺伝子とは大きく異なり、ES細胞において独自の標的遺伝子をもっことが予想された。さらに、ES細胞で、CrxOS longとCrxOS shortのどちらが発現しているかを調べるため、longとshortで共通の部分ペプチドを抗原としてポリクローナル抗体を作製し、ES細胞の抽出物に対してウェスタンブロットを行った。その結果、ES細胞では、CrxOSのshortフォームが発現していることが明らかにされた。

3.ES細胞の分化を抑制するCrxOS shortフォーム

CrxOS shortフォームがES細胞の分化を抑制している可能性を考え、CrxOS shortを過剰発現させたES細胞から未分化維持因子のLIF(leukemia inhibitory factor)を除去した時の影響を検討した。その結果、CrxOS shortフォームの過剰発現により、未分化な細胞の指標となる丸い盛り上がったコロニーが多く残存すること、さらにES細胞の特徴である高い増殖能が維持されることが見出された。これらの結果から、CrxOS shortフォームがES細胞の分化抑制に十分であることが示された。

4.ES細胞の自己複製能およびfoxD3の発現に必要なCrxOS shortフォーム

CrxOSがES細胞の自己複製に必要かを検討するために、ES細胞でRNAi法によりCrxOSを発現抑制したところ、生存細胞数が減少することが見出された。また、この生存細胞数の減少はRNAi非感受性のCrxOS shortの過剰発現により救助されることが見出され左。このことから、CrxOS shortがES細胞の生存細胞数維持に必要であり、ES細胞の正常な自己複製に必要であることが示された。次に、CrxOS発現抑制時の生存細胞数の減少がどのような過程で生じているかを調べるために、ES細胞の自己複製に必要であることが知られているいくつかの転写因子の遺伝子発現の変化をRT-PCR法により検討した。その結果、OrxO3発現抑制時に、foxD3の発現の低下が見出された。この結果から、CrxOSがfoxD3の発現に必要であることが示唆された。したがって、CrxOS発現抑制により自己複製能に異常が生じる一因として、foxD3の発現低下が考えられた。また、OrxOS発現抑制時にE6細胞のマーカーであるoct3/4やnanogの発現に変化が見られないこと、さらに、ES細胞の分化時に見られるような際立った形態変化が観察されないことから、CrxOS発現抑制時にES細胞の未分化状態は維持されることが示された。

本論文から、ES細胞に特異的に発現し、ユニークなDNA結合ドメインをもつ転写因子CrxOSのshortフォームが、ES細胞の分化の抑制に十分であり、ES細胞の正常な自己複製能に必須の役割を果たすことが示された。さらに、CrxOS shortフォームは、既知の転写因子とは異なる独自の転写経路を介して、ES細胞の分化を抑制し、FoxD3の発現維持等により早い増殖を維持するという、2つの重要な作用機構のモデルが提示された。以上を要するに、本論文は、ES細胞の自己複製能と多分化能の維持に介在する転写経路を理解する上で、新たに重要な知見を提示しており、博士(薬学)の学位として十分な価値があるものと認められる。

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