学位論文要旨



No 123832
著者(漢字) 田中,将之
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,マサユキ
標題(和) リゾボスファチジン酸産生酵素オートタキシンの血管系における機能解析
標題(洋)
報告番号 123832
報告番号 甲23832
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1253号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 一條,秀憲
内容要旨 要旨を表示する

リゾホスファチジン酸(lysophosphatidic acid,LPA)は、in vitroにおいて癌細胞の増殖と運動性の促進、アポトーシス抑制、細胞内カルシウム動員といった多彩な細胞応答を引き起こす生理活性脂質である。LPAの作用を仲介するG蛋白質共役型受容体が現在までに5つ同定されており(LPA1-5)、LPA受容体ノックアウトマウスの表現型から、LPAのin vivoにおける機能が次々と判明している。しかし、LPAの産生機構とその意義については不明な点が多く残されていた。

このような状況の中、当教室でLPAの産生酵素としてオートタキシン(Autotaxin,ATX)が同定された。ATXは細胞外分泌型の酵素であり、リゾボスファチジルコリンに作用してLPAを産生する。また、様々な癌組織で高発現していることから、LPAを産生することにより癌の悪性度に寄与していると考えられている。一方、正常組織においても広範に発現が認められ、血液や脳脊髄液、精液と言った様々な体液に豊富に存在することから、生理的にも重要な機能を有している可能性が示唆されていた。

本研究において、私はATXによるLPA産生の生理的意義を明らかにするためにATXノックアウトマウスを解析した。その結果、ATX-LPAシグナリングが胎生期の血管形成に必須であることを明らかにした。また、LPAが血管内皮細胞間の接着を負に制御することで血管新生に寄与している可能性を見出した。

1.ATXノックアウトマウスの表現型解析

ATXヘテロ欠損マウスは、外見上は正常に発育するが、血漿中におけるATX発現量、酵素活性、LPA濃度がいずれも野生型の半分であった。この結果から、ATXが実際に生体内でLPAを産生していることが示された。次に、ヘテロ欠損マウス同士を掛け合わせてホモ欠損マウスの作出を試みたが、生まれてきたマウスにホモ欠損型は存在しなかったことから、ATXノックアウトマウスは胎生致死であることがわかった。各発生段階におけるホモ欠損型の胎仔の外観を観察すると、交尾後8.5日目(E8.5)では、野生型と比べて遜色なく発生している個体が見られる一方で、頭部に水腫状の空胞が見られる個体が観察された。E9.5では、明確な形態の異常が全ての個体で見られ、心臓の膨張や反転の異常、神経管の未閉鎖などが生じていた。E10.5以降はホモ欠損型が得られないことから、ATXノックアウトマウスはE10.5で致死となることがわかった。

2.ATXノックアウトマウスは血管新生に異常を来す

ATXノックアウトマウスでは、胎仔を包んでいる膜の一つである卵黄嚢上の血管が全く観察されなかった。また血管内皮細胞のマーカーであるCD31に対する抗体を用いたホールマウント免疫染色の結果から、胎仔の血管系にも異常が生じていることがわかった。更に、E9.5におけるATXノックアウトマウスの胎盤をヘマトキシリンーエオジン染色したところ、ラビリンス層の形成異常、尿膜の空洞化が観察された。以上の結果から、ATXノックアウトマウスでは胎生期のあらゆる血管系に異常が生じることがわかった。

血管形成には、脈管形成(vascuiogenesis)と血管新生(angiogenesis)という二つの過程がある。中胚葉細胞から分化してできた血管内皮細胞が互いに結合して、管腔のde novo合成を行う過程を脈管形成と呼び、E7.5~E8.5で起こる。一方、脈管形成により出来た既存の血管から新たな血管が伸長する過程を血管新生と呼び、E&5以降に起こる。そこで、次に血管形成過程のどの段階で異常が生じるかを調べることにした。血管内皮細胞特異的にlacZを発現し、微小血管の可視化が可能なflk1+/-マウスとATXノックアウトマウスを交配し、x-galにより胎仔の血管を可視化した。その結果、交尾後8.5日目では野生型と同様な網目状の血管が観察されたが、交尾後9.5日目では野生型で見られる微細な血管構造がほぼ完全に消失していた。この結果から、ATXノックアウトマウスでは血管のde novo合成(脈管形成)は正常に起こるものの、その後に起こる血管リモデリング(血管新生)に異常が生じることが明らかとなった。

3.ATXの胎生期における発現部位の解析

次に、E8.5~E10.5の胎仔に対しホールマウントin situ hybridyzationを行った。E8.5では、ATXは前脳と中脳の境界付近に発現が認められた。E9.5以降はこの発現は消失し、代わりに大顎、耳胞、鼻突起(以上E9.5)、後脳、鰓弓、神経管の底板(以上E10.5)に発現が検出された。

次に、E8.5のyolk sacにおけるATXの発現部位をパラフィン切片・凍結切片のin situ hybridizationにより調べた。その結果、ATXはyolk sacのendodermal layerに発現していた。従って、yolksacで発現しているATXがyolksacの血管形成に寄与している可能性がある。また、母側の胎盤組織や、ホールマウントin situ hybridyzationでも検出されたembryoの頭部にも発現が認められた。

4.LPAはVE-cadherinを介した内皮細胞間接着を負に制御する

LPAが血管新生に関わる分子メカニズムを明らかにするため、血管内皮由来培養細胞であるHUVECを用いて解析を行った。単層培養したHUVECをLPAで刺激した後の形態変化をタイムラプス観察したところ、血清中に存在すると考えられる数百nMのレベルで血管内皮細胞同士が速やかに解離することがわかり、LPAは内皮細胞間の接着を弱める作用を有するものと考えられた。血管内皮細胞間の接着にはvascularendothelial(VE)-cadherinが重要であるが、興味深いことに、VE-cadherinノックアウトマウスはATXノックアウトマウスとほぼ同じ表現型を示して致死となる。そこでHUVECをLPA刺激し、VE-cadherinの局在を調べたところ、通常は内皮細胞間接着部位に局在するVE-cadherinが、細胞間接着部位以外の場所へ移行することがわかった。また、VE-cadherinの細胞外ドメインをコートしたプレートへのHUVECの接着が、LPA存在下で有意に抑制された。以上の結果から、LPAは血管内皮細胞のVE-cadherinを介した細胞間接着を負に制御することが明らかとなった。

次に、このLPAの効果がどのようなシグナル経路を介して発揮されるのかに関して、各種阻害剤を用いた検討を行った。その結果、LPAのVE-cadherin接着抑制効果はGi阻害剤の百日咳毒素では阻害されず、ROCK阻害剤のY27632によって阻害された。従って、この効果はROCK経路を介して発揮されることがわかった。

ROCKはG12/13経路で活性化されるキナーゼであり、myosin light chain phosphataseをリン酸化してそのボスファターゼ活性を抑制し、ミオシンのリン酸化体を増加させることにより、アクチンストレスファイバー形成を促進させると言われている。そこで、LPA刺激したHUVECにおけるアクチン構造をファロイジンにより染色した。その結果、LPA刺激により、細胞の端から端へ伸びるアクチンストレスファイバーの形成が促進されることがわかった。また、この作用はROCK阻害剤Y27632の前処理により抑制されることが確認された。

カドヘリンは、細胞内でβ-cateninやα-cateninといった足場タンパク質を介して、アクチンフィラメントと結合している。アクチンフィラメントは、界面活性剤としてTritonのみを含むlysisバッファー中では不溶性画分へと回収されるため、あるタンパク質のアクチンフィラメントとの結合が強まった場合、Triton不溶性画分へ回収されるタンパク量が増加すると考えられている。そこで、LPA刺激によりTriton不溶性画分へ回収されるVE-cadherin量が変化するかどうかを検討した。その結果、LPA刺激により濃度依存的・時間依存的にTriton不溶性画分へ回収されるVE-cadherinが増加することがわかった。従って、LPA刺激により、アクチンフィラメントと相互作用するVE-cadherin量が増加したと考えられた。

5.まとめと考察

ATXノックアウトマウスの表現型解析から、ATX-LPAシグナリングが胎生期の血管新生に必須であることが明らかとなった。更にHUVECを用いた解析から、LPAはVE-cadherinを介した内皮細胞間の接着を負に制御すること、またこの作用は百日咳毒素に非感受性でありROCKを介することが明らかとなった。LPA受容体のうち、これまでLPA1~LPA3のノックアウトマウスが報告されているが、いずれも胎生致死とはならず、またLPA4やLPA5は血管内皮細胞における発現が認められなかった。従って、血管内皮細胞上に発現し内皮細胞同士の接着を抑制する未知のLPA受容体の存在が想定される。そして、ROCKはG12/13によって活性化されることから、この受容体はG12/13と共役していると考えられる。

通常、血管内皮細胞同士は密に接着しており、増殖や遊走が抑制された状態にあるが(contact inhibition)、血管新生時には局所的に細胞間接着が解離し、血管新生が誘導されると考えられている。本研究により、ATXとLPAは血管内皮細胞間の接着を解離することで血管新生に寄与している可能性が提起された。ATXは様々な癌組織で高発現していることから、LPA産生を介して癌細胞の増殖や運動性を促進することにより癌の浸潤・転移に寄与していると考えられてきた。血管新生は癌の生存戦略の一つであるが、今回の結果から、ATXは更に血管新生を促進することによっても癌の進行に関与するという新たな概念が想定された。ATX阻害薬は「癌細胞の増殖・転移」と「血管新生」の両方を阻害する有望な抗癌剤となることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

リゾボスファチジン酸(lysophosphatidicacid,LPA)は、癌細胞の増殖と運動性の促進、アポトーシス抑制、細胞内カルシウム動員といった多彩な細胞応答を引き起こす生理活性脂質である。LPAの作用を仲介するG蛋白質共役型受容体が現在までに5つ同定されており、LPA受容体ノックアウトマウスの表現型から、LPAのin vivoにおける機能が次々と判明している。しかし、LPAの産生機構とその意義については不明な点が多く残されていた。LpAの産生酵素としてオートタキシン(Autotaxin,ATX)が同定されていた。ATXは細胞外分泌型の酵素であり、リゾホスファチジルコリンに作用してLPAを産生する。また、様々な癌組織で高発現していることから、LPAを産生することにより癌の悪性度に寄与していると考えられていた。一方、正常組織においても広範に発現が認められ、血液や脳脊髄液、精液と言った様々な体液に豊富に存在することから、生理的にも重要な機能を有している可能性が示唆されていた1本研究において、田中はATXによるLPA産生の生理的意義を明らかにするためにATXノックアウトマウスを解析した。その結果、ATX-LPAシグナリングが胎生期の血管形成に必須であることを明らかにした。また、LPAが血管内皮細胞間の接着を負に制御することで血管新生に寄与している可能性を見出した。

1.ATXノックアウトマウスの表現型解析

ATXヘテロ欠損マウスは、外見上は正常に発育するが、血漿中におけるATX発現量、酵素活性、LPA濃度がいずれも野生型の半分であった。この結果から、ATXが実際に生体でLPAを産生していることが示された。次に、ヘテロ欠損マウス同士を掛け合わせてホモ欠損マウスの作出を試みたが、生まれてきたマウスにホモ欠損型は存在しなかったことから、ATXノックアウトマウスは胎生致死であることがわかった。各発生段階におけるホモ欠損型の胎仔の外観を観察すると、交尾後8.5日目(E8.5)では、野生型と比べて遜色なく発生している個体が見られる一方で、頭部に水腫状の空胞が見られる個体が観察された。E9.5では、明確な形態の異常が全ての個体で見られ、心臓の膨張や反転の異常、神経管の未閉鎖などが生じていた。E10.5以降はホモ欠損型が得られないことから、ATXノックアウトマウスはE10.5で致死となることを明らかにした。

2.ATXノックアウトマウスの血管新生異常

ATXノックアウトマウスでは、胎仔を包んでいる膜の一つである卵黄嚢上の血管が全く観察されなかった。更に、E9.5におけるATXノックアウトマウスの胎盤をヘマトキシリンーエオジン染色したところ、ラビリンス層の形成異常、尿膜の空洞化が観察された。以上の結果から、ATXノックアウトマウスでは胎生期のあらゆる血管系に異常が生じることがわかった。血管形成には、脈管形成(vasculogenesis)と血管新生(angiogenesis)という二つの過程がある。中胚葉細胞から分化してできた血管内皮細胞が互いに結合して、管腔のde novo合成を行う過程を脈管形成と呼び、E7.5~E8.5で起こる。一方、脈管形成により出来た既存の血管から新たな血管が伸長する過程を血管新生と呼び、E8.5以降に起こる。そこで、田中は血管形成過程のどの段階で異常が生じるかを調べることにした。血管内皮細胞特異的に1acZを発現し、微小血管の可視化が可能なflk1+/一マウスとATXノックアウトマウスを交配し、x-galにより胎仔の血管を可視化した。その結果、交尾後8.5日目では野生型と同様な網目状の血管が観察されたが、交尾後9.5日目では野生型で見られる微細な血管構造がほぼ完全に消失していることを見出した。この結果から、ATXノックアウトマウスでは血管のde novo合成(脈管形成)は正常に起こるものの、その後に起こる血管リモデリング(血管新生)に異常が生じることを明らかにした。

3.ATXの胎生期における発現部位の解析

次に、ATXの胎生期における発現部位を明らかにするため、E8.5~E10.5の胎仔に対しホールマウントin situ hybridyzationを行った。E8.5では、ATXは前脳と中脳の境界付近に発現が認められた。E9.5以降はこの発現は消失し、代わりに大顎、耳胞、鼻突起(以上E9.5)、後脳、鯉弓、神経管の底板に発現が検出された。次に、E8.5のyolksacにおけるATXの発現部位をパラフィン切片・凍結切片のin situ hybridizationにより調べた。その結果、ATXはyolk sacのendodermal layerに発現していることを明らかにした。

4.LPAによるVE-cadherinを介した内皮細胞間接着の負の制御

LPAが血管新生に関わる分子メカニズムを明らかにするため、田中は血管内皮由来培養細胞であるHUVECを用いて解析を行った。単層培養したHUVECをLPAで刺激した後の形態変化をタイムラプス観察したところ、血清中に存在すると考えられる数百nMのレベルで血管内皮細胞同士が速やかに解離することがわかった。血管内皮細胞間の接着にはvascularendothelial(VE)-cadherinが重要であるが、興味深いことに、VE-cadherinノックアウトマウスはATXノックアウトマウスとほぼ同じ表現型を示して致死となる。そこでHUVECをLPA刺激し、VE-cadherinの局在を調べたところ、通常は内皮細胞間接着部位に局在するVE-cadherinが、細胞間接着部位以外の場所へ移行することがわかった。また、VE-cadherinの細胞外ドメインをコートしたプレートへのHUVECの接着が、LPA存在下で有意に抑制された。以上の結果から、LPAは血管内皮細胞のVE-cadherinを介した細胞間接着を負に制御することが明らかとなった。

以上、本研究において、ATXノックアウトマウスの表現型解析から、ATX-LPAシグナリングが胎生期の血管新生に必須であることを明らかにした。更にHUVECを用いた解析から、LPAはVE-cadherinを介した内皮細胞間の接着を負に制御すること、またこの作用は百日咳毒素に非感受性でありROCKを介することを明らかにした。

通常、血管内皮細胞同士は密に接着しており、増殖や遊走が抑制された状態にあるが(contact inhibition)、血管新生時には局所的に細胞間接着が解離し、血管新生が誘導されると考えられている。本研究により、ATXとLPAは血管内皮細胞間の接着を解離することで血管新生に寄与している可能性が提起された。ATXは様々な癌組織で高発現していることから、LPA産生を介して癌細胞の増殖や運動性を促進することにより癌の浸潤・転移に寄与していると考えられてきた。ATX阻害薬は「癌細胞の増殖・転移」と「血管新生」の両方を阻害する有望な抗癌剤となることが期待される。これらの成果は、博士(薬学)の値するものと評価できる。

UTokyo Repositoryリンク