学位論文要旨



No 123837
著者(漢字) 船戸,洋佑
著者(英字)
著者(カナ) フナト,ヨウスケ
標題(和) nucleoredoxin(NRX)のWntシグナル経路における役割の研究
標題(洋)
報告番号 123837
報告番号 甲23837
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1264号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 高崎,誠一
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 東,伸昭
 東京大学 准教授 紺谷,圏二
内容要旨 要旨を表示する

Wnt/β-catenin経路は生命の初期発生や幹細胞の多分化能維持に重要な役割を果たしている。また、Wntシグナルの異常な活性化は種々のがんの要因となることが知られている。これまでの解析により、Wnt/β-catenin経路の大まかな流れが判明している(図1)。シグナルが「off状態」のとき、APC,Axin,そしてセリン/スレオニンキナーゼGSK3βからなる三量体複合体が活性化状態にあり、β-cateninを効率よくリン酸化する。リン酸化β-cateninはユビキチン/プロテアソーム系によって速やかに分解され、それにより細胞質内のβ-cateninの濃度が低く抑えられている。リガンドWntがその受容体Frizzledに結合すると、アダプタータンパク質Dishevelled(Dvl)を介して上記APC/Axin/GSK3β三量体複合体の働きが抑えられ、β-cateninがリン酸化を受けにくくなる。非リン酸化型β-cateninは分解を免れ細胞質内に蓄積し、一部は核内に移行して転写因子TCF/LEFと結合し標的遺伝子の転写を活性化させることが知られている。

このような大まかな流れが明らかとなっているWnt/β-catenin経路であるが、その詳細な分子メカニズムについては不明な点を多く残している。特にアダプタータンパク質DvlはWnt/β-catenin経路のシグナル伝達に非常に重要であるにもかかわらず、どのようにして上流(Wnt及びその受容体Fzd)からシグナルを受け取り、下流(APC/Axin/GSK3β三量体複合体)に伝えているのか、依然未解明のままである。

1.Dvl新規結合蛋白質NRXの同定

そこで私はDvlによるWntシグナル伝達の作用機序を明らかにすべく、Dvlの結合タンパク質を網羅的に探索することにした。この目的のために、私はFLAGタグをつけたDvl1の恒常的安定発現株を樹立し、その細胞溶解液から抗FLAG抗体を用いて免疫沈降することでDvlの複合体を精製するという方法を用いた。質量分析法により、Dvlの主要な結合タンパク質としてnucleoredoxin(NRX)が同定された(図2)。NRXはチオール基(主にジスルフィド結合)還元酵素チオレドキシン(thioredoxin,TRX)に代表されるTRXファミリーに属しており、実際NRXもジスルフィド結合還元活性を保持していることを私は突き止めた。

2.NRXによるWnt/β-catenin経路の抑制

培養細胞を用いた強制発現系により、私はNRXがDvlの強制発現やWntリガンド刺激によるWnt/β-catenin経路の活性化を抑制することを見出した。またRNA干渉法によるNRX発現抑制によってWnt/β-catenin経路の活性化が観察され、内在性NRXもWnt/β-catenin経路の阻害因子として機能していることが確認された。NRXの発現抑制細胞においては細胞増殖能、並びにフォーカス形成能の亢進が見受けられ、細胞のがん化と関連している可能性が想起された。

3.DvlとNRXのレドックス依存的な結合

私はNRXがTRXファミリータンパク質の一員であり酸化/還元(レドックス)応答性因子であることから、Dvl/NRX複合体に対する酸化/還元の影響を調べてみた。DvlとNRXの精製タンパク質を混ぜ合わせ、酸化/還元状態下での両タンパク質の結合を解析したところ、還元状態では両者はより強固に結合し、酸化状態下では両タンパク質が解離することを見出した。また、細胞に対する過酸化水素処理によって抗NRX抗体によるDvlの共沈量が減少し、内在性のDvl/NRX複合体もまたレドックス依存的であることが判明した。この実験結果と似た結合様式として、TRX1とASK1との結合が報告されている。

4.NRXによるWnt/β-catenin経路の酸化ストレス存的活性化の制御

DvlとNRXがレドックス依存的に結合し、またNRXがWnt/β-catenin経路の抑制因子であることから、私はWnt/β-catenin経路がレドックス依存的に活性化されるのではないかと考えた。その仮説を検証するため細胞に過酸化水素処理を施したところ、β-cateninの蓄積、ならびにWnt経路の転写因子TCF/LEFの活性化が観察され、確かにWnt/β-catenin経路がレドックス依存的に活性化されることが明らかとなった。この現象はNRXのRNAi細胞では顕著に抑制されており、レドックス依存性のWnt/β-catenin経路の活性化がNRXを介して制御されていることが強く示唆された。

5.アフリカツメガエルの初期発生におけるNRXの役割

私はさらに生体内でのNRXの機能を探るため、モデル動物としてアフリカツメガエルXenopus laevisを用いて実験を行った。NRXはDvlのmRNA注入による二次軸形成を抑制し、ツメガエルにおいてもWnt/β-catenin経路を阻害することが確かめられた。また、NRXに対するアンチセンスモルフォリーノオリゴ(RNA類似化合物モルフォリーノでできたアンチセンスオリゴ。生体内で安定に存在し、内在性タンパク質の合成を比較的長時間阻害できる)を注入し内在性のNRXタンパク質の合成を阻害したところ、頭部形成に異常をきたしたツメガエル胚が観察され(図3)NRXがツメガエルの初期発生において重要な役割を果たしていることが明らかとなった。

また、NRXmRNAをツメガエル胚の背側に注入すると、体軸が曲がった幼生が観察された。これはもう一つのWnt経路であるWnt/PCP経路に特徴的な表現形である。実際、NRX mRNAの共注入はDvl mRNAによる軸形成不全を抑制し、またNRXのmRNAやアンチセンスモルフォリーノオリゴの注入によってアフリカツメガエル胚における細胞運動に異常をきたしていることが確認された。

本研究によって、私はDvlの新規結合蛋白質としてNRXを同定した。解析の結果NRXはWnt/β-catenin経路を負に制御する因子であり、Wnt/β-catenin経路のレドックス依存的制御(図4)という今まで知られていなかったシグナル伝達経路を担っていることが明らかとなった。またアフリカツメガエルを用いた研究によってNRXがアフリカツメガエルの正常発生に必要であること、またWnt/β-catenin経路のみならずWnt/PCP経路をも制御していることが突き止められた。今後の課題としてさらなる個体レベルでのNRXの生理的意義を明らかにすること、またWnt/β-catenin経路の異常が大腸がんを始めとする多くの疾病の原因となっていることから、NRXの病理的意義、特にがん化およびその悪性化への関与の可能性を追求していくことが挙げられる。

図1 Wntシグナル経路の概略

(a)リガンドWntが存在しないとき、シグナルは"off"に制御されている。この状態ではAPC、Axin,GSK3βからなる三量体複合体が活性化状態にあり、GSK3βによってβ-cateninが効率的にリン酸化を受けている。リン酸化β-cateninはユビキチン/プロテアソーム系によって容易に分解され、細胞質内のβ-catenin濃度は低く抑えられている。

(b)WntがレセプターFzd(Frizzled)に結合すると、アダプタータンパク質Dishevelled(Dvl)を介して三量体複合体の機能が阻害され、β-cateninのリン酸化が入りにくくなる。非リン酸化型β-cateninは分解されにくく細胞質内に蓄積する。その一部は核内に移行し、転写因子TCF/LEFと結合することによって種々の遺伝子の発現レベルを制御している。

図2 Dvl新規結合蛋白質NRXの同定

FLAGタグ付きDvl1を恒常的に発現する細胞株を樹立し、その細胞溶解液から抗FLAG抗体を用いて免疫沈降した。沈降物をSDS-PAGEで展開後、銀染色によりコントロール(GFP恒常的発現株を使用)にはないパンドを見出した。パンドを切り取って質量分析にかけた結果、最も主要なバンドに相当するタンパク質がnucleoredoxin(NRX)であると同定された。

図3 XenopおにおけるNRXの機能

アフリカツメガエルXeopus Laevisの8細胞期受精卵の動物極領域にNRXのアンチセンスモルフォリーノオリゴを注入すると頭部形成に異常をきたす(右、目がないのがわかる)。コントロールモルフォリーノではこのような影響は観察されない(左)

図4 NRXを介した酸化ストレス依存的なWntシグナル経路の制御モデル定常状態(選元状態)ではNRXはDvlと強固に結合しており、下流ヘシグナルが伝わるのを阻止している。酸化ストレスによって細胞内が酸化状態になると、NRXのコンフォメーション変化によってDvl/NRX間の結合が外れ、下流へとWntシグナルが伝わり、β-caleninが蓄積しTCFの活性化がおこる。これによって種々の遺伝子の発現が誘導され細胞応答を引き起こしている。

審査要旨 要旨を表示する

Wnt/β-catenin経路は初期発生や幹細胞の多分化能維持に重要な役割を果たしている。また、Wntシグナルの異常な活性化は種々のがんの要因となることが知られている。Wnt/β-catenin経路においては、シグナルが「off状態」の時、APC,Axin,そしてセリン/スレオニンキナーゼGSK3βから成る三量体複合体が活性化状態にあり、β-cateninを効率よくリン酸化する。リン酸化β-cateninはユビキチン/プロテアソーム系によって速やかに分解され、それにより細胞質内のβ-cateninの濃度が低く抑えられている。一方、リガンドWntがその受容体Frizzledに結合すると、アダプタータンパク質Dishevelled(Dvl)を介して上記APC/Axin/GSK3β三量体複合体の働きが抑えられ、β-cateninのリン酸化が抑制される。非リン酸化型β-cateninは分解を免れ細胞質内に蓄積し、一部は核内に移行して転写因子TCF/LEFと結合し標的遺伝子の転写を活性化することが知られている。しかし、その詳細な分子メカニズムには不明な点が多く、本砥究ではアダプタータンパク質Dvlがどのようにして上流(wnt及びその受容体Fzd)からシグナルを受け取り、下流(APc/Axin/GSK3β三量体複合体)に伝えているのかという点に着目し、研究を進めた。

1.Dvl新規結合蛋白質NRXの同定

DvlによるWntシグナル伝達の作用機序を明らかにするため、Dvlの結合タンパク質を探索した。この目的のために、FLAGタグをつけたDvl1の恒常的安定発現株を樹立し、その細胞溶解液から抗FLAG抗体を用いて免疫沈降することでDvlの複合体を精製するという方法を用いた。質量分析法により、Dvlの主要な結合タンパク質としてnucleoredoxin(NRX)が同定された。NRXはチオール基還元酵素チオレドキシン(thioredoxin,TRX)に代表されるTRXファミリーに属しており、実際NRXもジスルフィド結合還元活性を保持していることを明らかにした。

2.NRXによるWnt/β-catenin経路の抑制

培養細胞を用いた強制発現系により、NRXがDvlの発現やWntリガンド刺激によるWnt/β-catenin経路の活性化を抑制することを見出した。またRNA干渉法によるNRX発現抑制によってWnt/β-catenin経路の活性化を観察し、内在性NRXもWnt/β-catenin経路の阻害因子として機能していることを確認した。NRXの発現抑制細胞においては細胞増殖能、並びにフォーカス形成能の亢進が見受けられ、細胞のがん化と関連している可能性が示唆された。

3.DvlとNRXのレドックス依存的な結合

NRXが酸化/還元(レドックス)応答性因子であることから、Dvl/NRX複合体に対する酸化/還元の影響を調べた。DvlとNRXの精製タンパク質を混ぜ合わせ、酸化/還元状態下での両タンパク質の結合を解析したところ、還元状態では両者はより強固に結合し、酸化状態下では両タンパク質が解離することを見出した。また、細胞に対する過酸化水素処理によって抗NRX抗体によるDvlの共沈量が減少し、内在性のDvl/NRX複合体もまたレドックス依存的であることが判明した。

4.NRXによるWnt/β-catenin経路の酸化ストレス依存的活性化の制御

DvlとNRXがレドックス依存的に結合し、またNRXがWnt/β-catenin経路の抑制因子であることから、Wnt/β-catenin経路がレドックス依存的に活性化されるのではないかという可能性が考えられた。その仮説を検証するため細胞に過酸化水素処理を施したところ、β-cateninの蓄積、ならびにWnt経路の転写因子TCF/LEFの活性化が観察され、確かにWnt/β-catenin経路がレドックス依存的に活性化されることが明らかとなった。この現象はNRXのRNAi細胞では顕著に抑制されており、レドックス依存性のWnt/β-catenin経路の活性化がNRXを介して制御されていることが強く示唆された。

5.アフリカツメガエルの初期発生におけるNRXの役割

更に生体内でのNRXの機能を探るため、モデル動物としてアフリカツメガエルXenopus laevisを用いて実験を行った。その結果、NRXは受精卵へのDvlのmRNA注入による二次軸形成を抑制し、ツメガエルにおいてもWnt/β-catenin経路を阻害することが示された。また、NRXに対するアンチセンスモルフォリーノオリゴを受精卵の動物極に注入し内在性のNRXタンパク質の合成を阻害すると、頭部形成に異常をきたした幼生が観察され、NRXがツメガエルの初期発生において重要な役割を果たしていることが明らかになった。更に、NRXmRNAをツメガエル胚の背側に注入すると、体軸が曲がった幼生が観察された。これはもう一つのWnt経路であるWnt/PCP経路に特徴的な表現形である。実際、NRXmRNAの共注入はDvlmRNAによる軸形成不全を抑制し、またNRXのmRNAやアンチセンスモルフオリーノオリゴの注入によってアフリカツメガエル胚における細胞運動が異常をきたしていることを確認した。

以上、本研究はDvlの新規結合蛋白質としてNRXを同定し、機能解析の結果NRXはWnV/β-catenin経路を負に制御する因子であり、Wnt/β-catenin経路のレドックス依存的制御という今まで知られていなかったシグナル伝達経路を担っていることを明らかにした。またアフリカツメガエルを用いた研究によってNRXがアフリカツメガエルの正常発生に必要であること、Wnt/β-catenin経路のみならずWnt/PCP経路をも制御していること等を見出した。以上のことから、本研究は博士(薬学)の学位授与に充分に値するものと判定した。

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