学位論文要旨



No 123838
著者(漢字) 細川,浩之
著者(英字)
著者(カナ) ホソカワ,ヒロユキ
標題(和) ATP合成酵素(FoF1)のサブユニット複合体の回転 : 金粒子をプローブとした回転機構の解析
標題(洋)
報告番号 123838
報告番号 甲23838
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1265号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 船津,高志
 東京大学 准教授 富田,泰輔
 東京大学 准教授 浦野,泰照
内容要旨 要旨を表示する

[はじめに]

ATP合成酵素(FoF1)は、H+の電気化学的ポテンシャル差と共役してADPと無機リン酸からATPを合成する。細菌から真核生物まで広く保存されており、エネルギー産生において中心的な役割を担っている。F0F1の反応は可逆的であり、生物によってはATPの加水分解に伴いH+を輸送するポンプとして機能している。F0F1の作動機構を解明することは、生物が如何にしてエネルギー産生しているかを理解するために重要である。H+輸送とATP合成・分解の共役には、α3β3δab2サブユニットに対してγεc(10)サブユニット複合体が回転することが必須である。そこで、本研究ではF0F1のATP分解に伴うサブユニット複合体の回転機構を明らかにすることを目的とした。直径40nmから200nmの金粒子をプローブとすることによって、大腸菌F0F1の本来の回転速度に近い高速回転を実証し、回転機構に関して新しい成果を得た。

[結果]

F1-ATPaseγサブユニットに結合した金粒子の回転

F0F1の膜から突き出ている部分(α3β3γεδ)はF1と呼ばれる(図1)。ATP加水分解の触媒部位が、3つあるβサブユニットそれぞれに存在しており、F1は単独でATPase活性を持っている。この3箇所の活性中心では、協同的に反応が進行しており、ATP加水分解に伴いα3β3δサブユニットに対しγεサブユニットが回転する。したがって、γサブユニットに適切なプローブを結合させることにより回転を観察できる。

大きなプローブ(アクチンフィラメント、長さ0.7μmから2μm)を用いた実験が数多く報告されているが、回転速度はプローブの大きさに依存していた。これは、プローブによる負荷が大きすぎるためと考えられる。このような実験系では、本来の回転様式が研究できないため、粘性抵抗の小さい金粒子をプローブとして回転を観察した(図2)。

直径40nmから200nmの金粒子を用い、0.2秒程度、観察したところ、金粒子の直径が小さくなるに従い、F1γサブユニットの回転速度は増したが、直径60nm、40nmの金粒子では、それぞれ、430rps(revolutions per second)、460rpsとほぼ同じ速度となった(図3)。この結果は、直径60nm,40nmの金粒子では、負荷が十分に小さく、本来のF1の回転速度に近い回転が観察できたことを示している。

F1に3箇所の触媒部位が存在することから、3分子のATP加水分解により1回転すると仮定し、定常状態のATPase活性より回転速度を推定すると~30rpsとなる。直径60nmの金粒子をプローブとして計測した回転速度(430rps)は、ATPase活性から見積もられた速度(30rps)よりも14倍程度速かった。この結果は、ミリ秒単位の時間分解能で見た場合には、10%程度の分子だけが回転していることを示唆している。

そこで、2秒間回転を観察したところ、100ミリ秒をこえるような長い停止を示した後、再び、回転する粒子が存在した。すなわち、F1分子は回転と長い停止を繰り返しており、ミリ秒単位の分解能で見た場合には、一部の分子だけが回転していることを明らかにした。変異酵素等を用いた報告より考察し、100ミリ秒を越えるような長い停止は加水分解産物であるMg・ADPによる阻害であると結論した。

さらに、金粒子の回転を検討すると、回転速度は刻々と変化していた。ATP加水分解の触媒部位は、3つあるβサブユニットそれぞれに存在し、協同的に働いていることから、1/3回転、すなわち120°回転する時に1分子のATPが分解されると考えられる。そこで、120°回転に要した時間を調べると、図4のような分布が見られた。図4には10個のF1分子の結果をまとめて示しているが、1分子ごとに調べても同様の分布が見られ、回転速度が確率的にゆらいでいることが示唆された。

FoF1の回転

サブユニット複合体の回転はATP合成・分解の化学反応とH+輸送との共役に必要である。F0F1は、ATP合成・分解の化学反応とH+輸送の共役した反応を行うための全てのサブユニットを備えており、回転機構を明らかにすることは重要である。また、H+輸送路であるF0部分(ab2c(10))の存在がγサブユニットの回転に影響を与える可能性がある。上で示した実験系を用い、cサブユニットに金粒子を結合させATP分解に伴う回転を観察した。

直径60nmから100nmの金粒子の回転速度は200rpsとほぼ同じであり、本来のFoF1の回転速度に近い回転が観察できた。FoF1 cサブユニットに結合した直径60nmの金粒子の回転速度は、F1 γサブユニットに結合した金粒子より遅く、F1の実験時には存在しないδ、εサブユニット、Foが回転速度に影響を与えることが示唆された。FoF1においても回転速度は刻々と変化しており、120°回転に要した時間は、F1と同様な分布を持ち、FoF1の回転速度が確率的にゆらいでいることが示唆された。

H+輸送残基のとFoF1サブユニット複合体の回転

FoのaサブユニットaArg210残基およびcサブユニットcAsp61残基がH+輸送に必須なアミノ酸残基である。cAsp61残基のカルボキシル基へのH+の結合と解離を介してH+が輸送されると考えられている。aサブユニットの膜貫通ヘリックスは、膜の両側から中央付近まで水分子の侵入可能なチャンネルを形成しており、このチャンネルを通りH+がcAsp61残基へ到達する。aArg210はcAsp61からのH+の解離を助ける。H+輸送残基がサブユニット複合体の回転へ影響を及ぼすか検証するため、H+輸送できないaArg210Lys、aArg210Ala、aArg210Gln、cAsp61Asn、cAsp61Gly変異酵素の回転を調べた。アクチンフィラメントを用いたところ、全ての変異酵素が回転した。この結果は、H+の電気化学的ポテンシャル差が存在しない時のATP分解に伴うサブユニット複合体の回転は、H+輸送と分離できることを示している。さらに、直径60nmの金粒子をプローブとしてcAsp61Asn変異酵素の回転を調べた(図 5)。120°回転に要した時間から推定した回転速度は180rpsであり、同様に推定した野生型酵素290rpsよりも遅かった。したがって、H+の結合するcAsp61残基の電荷が回転に影響を与えると考える。

[まとめ]

直径60nmの金粒子をプローブとし、ATP合成酵素(FoF1)の本来の回転速度に近い高速回転を観察する系を確立した。この系を用いてF1およびFoF1が、それぞれ430rps、200rpsと高速で回転することを明らかにした。いずれの回転も確率的にゆらぐことを明らかにした。また、F1およびFoF1は回転と停止を繰り返しており、ミリ秒の分解能で見た場合に一部の分子のみが回転していることを明らかにした。

さらに、FoF1の回転速度がF1より遅く、δ、εサブユニット、Foが回転に影響を与えると推定した。H+輸送できない変異酵素においても、サブユニット複合体が回転した。cAsp61Asn変異酵素では回転速度が低下していた。H+結合残基であるcAsp61残基の電荷が回転に影響を与えることを推定した。

1分子ごとに観察することによりFoF1の確率的な振る舞いが明らかになった。ATP分解時にはH+輸送とサブユニット複合体の回転が分離できるような機構でFoF1が作動していると考える。

図1 F0F1の模式図

F1におけるATP合成・分解の化学反応とFoにおけるH+輸送とは、サブユニット複合体の回転を介して共役している。

図2 実験系の模式図

F1αサブユニットに導入したHisタグを利用しガラス表面に固定、γサブユニットに金粒子を結合した。

図3 プローブへの粘性抵抗とF1回転速度

FIrサブユニットに結合した直径40nmから200nmの金粒子の回転速度を計測した。直径40nm、60nmでは。速度は、それぞれ、430rps、460rpsとほぼ同じだった。

図4 F1の120°回転に要する時間の分布

F1 γサブユニットに結合した60nmの金粒子の回転10粒子分を調べ、合計した。120°回転に要する時間は確率的にゆらいでいた。

図 5 H+輸送できないcAsp61Asn変異FoF1の回転

cサブユニットに結合した直径60nmの金粒子を用い回転を検出した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、エネルギー産生において中心的な役割を担っているATP合成酵素(F0F1)の回転触媒機構に関した研究成果を述べたものである。ATP合成酵素(F0F1)は、H+の電気化学的ポテンシャル差と共役してADPと無機リン酸からATPを合成する。F0F1におけるH+輸送とATP合成・分解の共役には、α3β3δab2サブユニットに対してγεc(10)サブユニット複合体が回転することが必要である。

これまで、FoF1の回転触媒機構に関し、アクチンフィラメント(長さ0.7μmから2μm)をプローブとして多くの解析炉行われてきた。アクチンフィラメントを用いた場合には、回転速度はATP分解速度からの予想速度(~30rps)よりも遅く、プローブの大きさに依存したものであった。これは、プローブによる負荷が大きすぎるためと考えられる。申請者は、アクチンフィラメントを用いた実験系では、FoF1の本来の回転様式が研究できないと考え、負荷の小さい金粒子をプローブとして回転機構を解析した。

本論文は次に述べる5つの章から構成されている。第1章では、ATP合成酵素(FoF1)に関する既知の知見がまとめられている。第2章、第3章、第4章では、それぞれ、F1γサブユニットに結合した金粒子の回転、FoF1 cサブユニットに結合した金粒子の回転、H+輸送できない変異F0F1の回転について、申請者による研究成果が述べられている。第5章は、本論文の総括となっている。本研究には、大腸菌FoF1が用いられている。

第2章では、F1γサブユニットに結合した金粒子の回転を検討し、得られた知見について述べている。申請者は、直径40nmから200nmの金粒子をF1γサブユニットに結合させ、回転を解析した。直径40nm、60nmの金粒子を用いることにより、回転速度は、それぞれ、460rps (revolutions per second)、430rpsとほぼ同じとなり、本来のF1の回転速度に近い回転が観察できたことを示している。また、直径60nmの金粒子をプローブとして計測した回転速度(430rps)が、ATPase活性から見積もられた速度(~30rps)よりも14倍程度速いこと、および、観察時間を延長すると100ミリ秒をこえるような長い停止を示した後、再び、回転する粒子が存在することを示している。すなわち、ミリ秒単位の分解能で見た場合には、一部の分子だけが回転していることを明らかにしている。さらに、回転速度が刻々と変化し、確率的に揺らいでいることを示唆している。

第3章では、FoF1 cサブユニットに結合した金粒子の回転について述べている。ATP合成・分解の化学反応とH+輸送の共役した反応を行うための全てのサブユニットを備えたF0F1の回転機構を明らかにすることは重要である。cサブユニットに金粒子を結合させATP分解に伴う回転を観察し、200rpsで回転することを明らかにしている。FoF1 cサブユニットの回転速度は、FlYサブユニットの回転速度より遅く、F1の実験時には存在しないδ、εサブユニット、および、F0が回転速度に影響を与えることを示唆している。さらに、FoF1においても回転速度は刻々と変化しており、確率的に揺らいでいることを示唆している。

試験管内でATPase活性を測定した場合には各分子の平均値しか分からなかった。また、アクチンフィラメントをプローブとし回転を解析した場合にはF0F1が高速で回転していることは分からなかった。また、F1γサブユニットやFoF1 cサブユニットの回転の上述のような性質は、金粒子をプローブとし回転を直接観察することによって初めて明らかとなった。申請者は、粘性抵抗の小さい金粒子をプローブとしてFoF1の本来の回転速度に近い高速回転を実証した。

第4章では、H+輸送に必須なFoのaサブユニットaArg210残基およびcサブユニットcAsp61残基の変異によるサブユニット複合体の回転へ影響について述べている。申請者は、H+輸送できない変異酵素が回転できることを明らかにした。この結果は、H+の電気化学的ポテンシャル差が存在しない時のATP分解に伴うサブユニット複合体の回転は、H+輸送と分離できることを初めて示したものである。さらに、直径60nmの金粒子をプローブとしてcAsp61Asn変異酵素の回転を調べ、回転速度が野生型酵素よりも遅く、H+の結合するcAsp61残基の電荷が回転に影響を与えることを示唆している。申請者は、これらの結果から、H+輸送とサブユニット複合体の回転の共役についての考察を行っている。サブユニット複合体の回転とH+輸送とが分離できるような機構は、これまで、ほとんど議論されておらず、FoF1の作動機構を明らかにする上で重要な知見である。

以上、本論文は、FoF1が高速で回転すること、回転速度が確率的に揺らぐこと、さらに、ATP分解時にはH+輸送とサブユニット複合体の回転が分離できるような機構で作動する可能性を示している。1分子観察により膜タンパク質の作動機構を明らかにする方法を開拓すると共に、本論文で示されたATP合成酵素(FoF1)の性質は、他の多くの酵素の理解や生命の理解の手がかりとなり、生物学、生体エネルギー学、および、生物薬学に貢献すると考えられる。従って、申請者に対して博士(薬学)の学位を授与することが適当であると判断した。

UTokyo Repositoryリンク