学位論文要旨



No 123844
著者(漢字) 柴山,創太郎
著者(英字)
著者(カナ) シバヤマ,ソウタロウ
標題(和) 創薬研究者の知識多様化が研究成果に及ぼす影響の分析
標題(洋)
報告番号 123844
報告番号 甲23844
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1271号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 客員教授 木村,廣道
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 客員教授 津谷,喜一郎
 東京大学 教授 Robert,Kneller
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

製薬産業は様々な疾患に対する治療法を提供し、我々の保健医療の水準向上に貢献すると共に、最先端の科学技術が集積する研究開発型産業として重大な経済効果を有する産業である。日本においても新医薬品産業ビジョンなどにおいて国家戦略的な育成産業として位置付けられている。創薬研究は、製薬企業の研究開発プロセスの最上流に位置づけられ、莫大な付加価値を生み出し得るプロセスである。創薬研究活動は、幅広い学際性と深い専門性が混在する特徴を備え、その運営には高度で複雑なマネジメントカが必要とされている。一般的に研究開発型企業のマネジメントにおいては、「知識」の戦略的管理が研究開発成果に重大な影響を及ぼすことが指摘されているが、新薬の開発プロセスにおいても、昨今の科学技術的な課題の複雑化、科学技術分野の細分化・多様化に伴って、「知識」のマネジメントは重要課題の1つとなっている。中でも、創薬研究は高度に専門分化したプロセスであり、創薬研究者個人がイノベーションの源泉を担うことから、個人に焦点を当てたミクロ組織レベルでの現象解明の必要性が指摘されていた。しかしながら、創薬研究における「知識」のマネジメントに関しては、研究開発型企業に特有の情報機密性や高度な科学技術専門性が障害となり、研究の発展は不十分な状況にある。具体的には、研究者個人レベルへのアクセスの限界などから、研究者個人レベルでの現象解明が極度に不足しているという問題が指摘されていた。加えて、複合的な構成概念である「知識」を多面的に議論した研究が不足しており、実際に「知識」のどのような側面が創薬研究に資するのか、具体的な示唆に乏しかった。このような理論的な限界と相侯って、創薬研究の現場においても「知識」のマネジメントに関して、一定の方法論が形成されているとは言えず、非効率な投資を余儀無くされていた。そこで本研究では、創薬研究において「知識」が「研究成果」に及ぼす影響を研究者個人レベルで詳細に検討することを目的とした。

本研究では、2005年に山之内製薬と藤沢薬品の合併により誕生したアステラス製薬を主たる分析対象として利用した。この日本初の大手製薬企業による対等合併の事例は、「両社固有の環境において独自に発展を遂げた異質な科学的知識を有する研究者集団の融合」という、世界でも稀有な現象をもたらしたが、この特殊環境を利用することによって以下の2課題に取り組んだ。第一に、研究者個人レベルにおいて「研究成果」に対して「知識」が及ぼす効果のメカニズムを詳細に分析した。第二に、製薬産業における重要戦略の一例としてM&A(合併買収)を取り上げ、M&Aが「知識」のマネジメントにおいて果たす役割について議論した。

[方法と結果]

フィールド・スタディの手順

第一に、研究設計段階では、先行研究をレビューし、更に、アステラス製薬の創薬研究者(6名)及び経営者層(10名)を対象としたインタビュー調査を実施し、背景情報を収集した。第二に、質問票の妥当性検証段階では、まず、先行研究レビューとインタビュー調査の結果に基づいて、質問調査票を設計した。次に、ピア・レビュー(6名)、研究者(5名)に対する面接調査を行い、研究者(19名)を対象とした小規模サーベイを実施した。以上の過程を経て、質問文を改訂し、最終的な質問調査票を完成した。第三に、本番調査段階では、アステラス製薬の創薬研究を中心的に進めるリーダ研究者239名を対象として、質問票調査(全数調査)を実施した。合わせて、リーダ研究者の研究成果を測定するために、各研究者の上司(81名)を対象とした質問票調査を実施した。質問票はそれぞれ92%、98%という高い回収率で回収され、無効票等を除いて最終的に199名のクロスセクション・データを構築した。

「知識多様化」が「研究成果」に及ぼす影響の分析

ここでは、先行研究に倣い、「知識」という構成概念を「専門知識」と「研究アプローチ」に分解し、「研究成果」については「革新的(Radical)」、「漸進的(lncremental)」の二次元に分解して、「知識」と「研究成果」の間の関係を分析した(図1)。「専門知識」とは、具体的には実験データや科学的事実など所謂科学的知識を含む。「研究アプローチ」は認知レベルの暗黙知であり、理論的思考方法、分析視点、パラダイムなどを含む。「専門知識」は研究活動の「基礎的な素材」としての役割を果たすと考えられる一方で、「研究アプローチ」は研究者の活動におけるフレームワークを形成しており、研究者の行動や思考を本質的に変化させ、「研究成果」に革新的な影響を及ぼすと想定された。

質問票調査を通じて、個々の研究者の「研究成果」、「研究アプローチの多様性」、諸コントロール変数を測定した。加えて、研究者が過去に出願した特許データを用いて、個々の研究者が有する「専門知識の多様性」を測定した。これらのデータを利用してOrdinal Logitによる回帰分析を行ったところ、「研究アプローチが革新的研究成果を促進する」(図1(a),表1(A-1,2,3))、「研究者個人レベルでの専門知識の多様化が(集中特化に比べて)漸進的研究成果を促進する」(図1(b),表1(B-1,2,3))、そして、「研究アプローチと専門知識の相互作用が革新的研究成果を促進する」(図1(c),表1(A-3))との仮説が支持された。

M&Aにおける知識多様化の効果の分析

ここでは、合併相手会社から「専門知識」と「研究アプローチ」などの「知識資産」を獲得することにより、合併後の「研究成果」がどのように変化するのか、また、合併後の研究組織における諸環境が、「知識資産」の獲得や「研究成果」にどのように影響するのかを検討した。質問票調査を通じて諸変数を測定し、構造方程式モデリングの手法により「知識資産の獲得」、「研究環境」、「研究成果」の諸変数間の関係を分析した(図2)。その結果、合併後の「革新的研究成果」が、主に「研究アプローチの獲得」によって促進されることが示唆された。一方で「漸進的研究成果」は研究時間や資金の増減(GeneralRes。urcelncrease)によって影響を受けることが示唆されたが、「研究アプローチ」の獲得などによって影響を受けることは確認されなかった。

また、「研究環境」の諸変数は「研究成果」に対して直接的に影響することは確認できず、「知識資産の獲得」を通じて間接的に「研究成果」に寄与することが示唆された。具体的には、「両社研究者が均等に融合した研究室に所属すること(Equal-Merged)」、「両社間のコミュニケーション(1nter-firm Communication)」、「合併後の異動(Job Place Change)」などが「知識資産の獲得」を促進していた。

[考察]

本研究では、測定上の問題により著しく実証研究が不足していた「研究アプローチ」を、合併事例の個人データを利用することによって実証的に測定した。これを通じて、「専門知識」と「研究アプローチ」という異なる次元の「知識」が、「革新的研究成果」、「漸進的研究成果」のそれぞれに対して異質な効果を及ぼすことを示した。

「暗黙知」を一般的に扱った先行研究においては、「暗黙知」が「形式知」に比べて重要な役割を担うとの結論が一般的であったが、本研究では、「暗黙知」である「研究アプローチ」が「漸進的研究成果」ではなく「革新的研究成果」を促進すること、そして、「暗黙知(研究アプローチ)」と「形式知(専門知識)」の相互作用が「革新的研究成果」を促すことを新たに見出した。これらの結果は、「革新的研究成果」が「暗黙知」と「形式知」を同時に必要とすることを示しており、先行研究の知見を一部修正するものである。また、研究者個人レベルにおける「専門知識の多様性」の効果については、「多様化」と「集中特化」のどちらが研究成果に貢献するのか、との疑問が残されていた。本研究の「専門知識の多様化は漸進的な研究成果を向上させる」、即ち、「少数の専門分野への特化は漸進的研究成果を低下させる」との結果は、この点に対する解を示唆するものである。さらに、製薬産業の発展に不可欠とされているM&Aが、研究者の「研究アプローチ」を多様化させるための場として機能し、結果としてM&A後に「革新的な研究成果」が促進される可能性を指摘した。先行研究の多くはM&Aが研究開発活動に対して負の影響を及ぼすことを示唆していたが、本研究の結果は、M&Aが個々の研究者の本質的能力の強化を通じて、長期的な「研究成果」に資するという、新たな可能性を指摘するものである。この結果は、M&Aにおける短期的合理性と長期的合理性をバランス良く実現するために、M&A後の統合プロセスのマネジメント手法を再考する余地があることを示唆している。

これまでの製薬企業の「知識」マネジメント施策においては、主に「専門知識」の強化に重点が置かれてきた一方で、「研究アプロ」チ」を多様化するための施策が意識的・体系的に取り組まれることは少なかった。本研究の結果は、創薬研究の生産性向上には「専門知識」の拡充だけでは不十分であり、上位概念の「研究アプローチ」の拡充が必要となることを示唆しており、これまでの「知識」マネジメント施策に再考を迫るものである。

図1.奪門知識と研究アプローチの効累に関する概念図

図2,M&A後の研究成果に及ぼす知識資産の獲得と研究環境の影響に関するモデル。統計有意な因果関係のみを矢印で衰した(案線p<0.05,破線:p<0.1)。有意でない因果関係と変数は省略した。

表1.回帰分析結果(Ordinal Logit)。N=199,*p〈0.05,**p〈0.Ol,***p〈0.OO1。各モデルに示す数値は非標準化係数(標準誤差)。コントロール変数は省略した。

審査要旨 要旨を表示する

創薬研究は製薬企業の研究開発プロセスの最上流に位置づけられ、莫大な付加価値を生み出し得るプロセスであるものの、幅広い学際性と深い専門性が混在する特徴を備え、その運営には高度で複雑なマネジメントカが必要とされている。中でも、昨今の科学技術的な課題の複雑化、科学技術分野の細分化・多様化に伴って、「知識資産」のマネジメントは最重要課題の一つとなっている。しかしながら、研究開発型企業に特有の情報機密性や高度な科学技術専門性が障害となり、研究の発展は不十分な状況にあった。即ち、研究者個人レベルへのアクセスの限界から、研究者個人レベルでの現象解明が極度に不足しているという問題が指摘されていた。加えて、複合的な構成概念である「知識」を多面的に議論した研究が不足しており、実際に「知識」のどのような側面が創薬研究に資するのか、具体的な示唆に乏しかった。このような理論的な限界と相侯って、創薬研究の実務現場においても「知識」のマネジメントに関して、一定の方法論が形成されているとは言えず、非効率な投資を余儀無くされていた。これらの課題を踏まえ、本研究においては、製薬企業の創薬研究者を対象としたフィールド・スタディを通じて、「知識」が「研究成果」に及ぼす影響を研究者個人レベルで詳細に検討することを目的とした。

まず、「知識多様化」が「研究成果」に及ぼす影響の分析を行った。所謂「知識」と呼ばれる構成概念は、形式知である「専門知識」と暗黙知である「研究アプローチ」とに分解されることが知られている。具体的には、「専門知識」とは、実験データや科学的事実など所謂科学的知識を含み、一方の「研究アプローチ」は認知レベルの暗黙知と定義され、理論的思考方法、分析視点、パラダイムなどを含む。これら2種類の「知識」は、「研究成果」に対して異質な影響を及ぼす可能性が想定されるものの、その詳細は未解明であった。加えて、これらの「知識」は異なるプロセスを通じて獲得されることが指摘されており、「知識」マネジメント施策を検討する上で、両「知識」の「研究成果」への影響を具体的に解明することが重要と考えられた。そこで、先行研究に倣い、「研究成果」を「革新的(Radical)」及び「漸進的(incremental)」の二次元に分解し、各々に対する「専門知識」と「研究アプローチ」の影響を検討した。分析に用いるデータは、アステラス製薬を対象としたサーベイ調査とビブリオメトリック分析により収集し、これを用いた回帰分析によって以下の結果が示唆された。第一に、「研究アプローチ」は研究者の活動におけるフレームワークを形成しており、研究者の行動や思考を本質的に変化させ、「研究成果」を革新的に進歩させる。第二に、多様な「専門知識」を有する研究者は(特定分野に集中特化した研究者に比べて)、より多くの「漸進的研究成果」を生産する。第三に、「研究アプローチ」と「専門知識」は相乗的に「革新的研究成果」を促進する。以上の結果は、「専門知識」と「研究アプローチ」という異なる次元の「知識」が、「研究成果」に対して異質な効果を及ぼすとの仮説を支持するものである。

さらに上述の結果を踏まえ、実務的側面から「知識」マネジメント施策について検討した。ここでは、昨今の製薬産業の発展に不可欠とされているM&A(合併・買収)に焦点を当て、M&へが「知識資産」の獲得の場として、どのような機能を担うか検討した。ここでも、2005年に山之内製薬と藤沢薬品の合併により誕生したアステラス製薬を分析対象とした。サーベイ調査により測定したデータを用いて構造方程式モデリングによって分析を行い、以下の結果を得た。第一に、両社研究者が均等に融合した研究室に所属した研究者や、合併後に組織異動を経験した研究者では、「研究アプローチ」が有意に多様化していた。第二に、合併相手会社の研究者から異質な「研究アプローチ」を習得した研究者は、より多くの「革新的研究成果」を生産した。先行研究の多くはM&Aが研究開発活動に対して負の影響を及ぼすことを示唆していたが、本研究の結果は、M&Aが個々の研究者の本質的能力の強化を通じて、長期的な「研究成果」に資するという、新たな可能性を指摘するものである。

これまでの製薬企業の「知識」マネジメント施策においては、主に「専門知識」の強化に重点が置かれ、その一方で「研究アプローチ」を多様化するための施策が体系的に取り組まれることは少なかった。本研究の結果は、創薬研究の生産性向上には「専門知識」の拡充だけでは不十分であり、上位概念の「研究アプローチ」の拡充が必要となることを示唆しており、これまでの「知識」マネジメント施策に再考を迫るものである。

本研究は製薬企業における実務経験に基づく課題意識に立脚し、経営学及び薬科学の両面からアプローチすることによって、先行研究の限界を克服することに成功している。本研究により得られた結果は、創薬研究現場に新たな実務的示唆を提供すると同時に、研究開発マネジメント研究に新たな理論的方向性を示すものであり、創薬研究のマネジメントに大きく貢献すると考えられることから博士(薬学)の学位に値すると判断した。

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