学位論文要旨



No 123847
著者(漢字) 大澤,志津江
著者(英字)
著者(カナ) オオサワ,シヅエ
標題(和) ほ乳類神経系発生過程におけるカスパーゼシグナルの生理機能解析
標題(洋)
報告番号 123847
報告番号 甲23847
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1274号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

システインプロテアーゼであるカスパーゼは細胞の生死を決定する上で中心的な役割を果たすのみならず、細胞移動や分化、樹状突起の刈り込みといった種々の発生現象に関わることが明らかとなった。しかしながらこれまでのところ、細胞ごとにカスパーゼ活性の強さやパターンを調節し、下流イベントを決定する機構は明らかではない。特にマウスでは、カスパーゼ3やカスパーゼ9、あるいはその活性化因子Apaf-1を欠損すると、系統によっては脳が肥大化することから、カスパーゼ活性は神経系の形態形成に必須であると考えられてはいるが、実際に「いつ」「どこで」カスパーゼが活性化し、細胞死を誘導するのか、また細胞死以外の現象にも関与しているか、その詳細な生理機能は不明である。

マウス神経系発生過程におけるカスパーゼの生理機能を解析する難しさの一つに、組織レベルで細胞の生死を識別する手法が確立されていない点が挙げられる。現在、死細胞を同定する手法として汎用されているTUNEL法は、DNAの断片化という細胞死の中でも後期に起こる変化を識別する。組織中の死細胞が隣接細胞により急速に貧食される事を考慮すると、TUNEL法により検出される死細胞は、死にゆく細胞のうちのごく一部であると考えられる。そこで本研究では、(1)より効率的な新たな細胞死マーカーを確立し、(2)カスパーゼ活性を有する細胞の生死やその特徴を組織レベルで明らかにした上で、(3)遺伝子改変マウスを用いてカスパーゼ活性の生理学的意義を解明することを目標とした。

(1)細胞死マーカーの確立

細胞死シグナルが伝わり、細胞死へと運命付けられた細胞では、不可逆的な核変化が起こる。DNAの断片化よりも早い時期に、かつカスパーゼ依存的な細胞死の過程で特異的に起こる変化を識別するために、一連の核変化の中でも早期に起こると考えられた「クロマチンの変化」に着目した。クロマチンタンパク質に対する種々の抗体を免疫染色に試した結果、ピストンH1に対するモノクローナル抗体(抗H1抗体AE-4)の反応性がカスパーゼ依存的な細胞死に伴い顕著に減少する可能性を見いだした。ピストンH1はクロマチンのリンカー部分に存在し、クロマチン構造の安定化に寄与する構成的なタンパク質であるが、細胞死を誘導した培養細胞に加え、死細胞が観察される組織においてもカスパーゼの活性化した細胞が抗H1抗体陰性を示した。そこで、こうした「抗H1抗体陰性」を示す性質が、カスパーゼ活性依存的に発現するのかどうかを生体レベルで検討するために、カスパーゼの活性化に関わるApaf一ヱを欠損したマウスを導入した。Apaf一1ヘテロ欠損マウスにDNA合成を阻害するAra-Cを投与し、胎生期脳の増殖細胞に対して細胞死を誘導すると、増殖細胞の存在する内側基底核原基においてH1抗体陰性細胞が散在する。一方Aρσf一ヱホモ欠損マウスでは、増殖細胞においてカスパーゼの活性化は起こらず、またそうした細胞死シグナルの遮断された細胞の全てが抗H1抗体でラベルされることから、この抗体は、カスパーゼ依存的な細胞死の過程で特異的に引き起こされる変化を識別することが示唆された(図1)。

細胞がカスパーゼの活性化に依存して抗H1抗体で識別されなくなる理由として、抗原であるH1タンパク質レベルの低下、あるいは構造変化の二つが考えられる。H1タンパク質の量をクマシー染色により定量すると、死細胞では生細胞に比べて若干H1量が減少しているものの、完全に消失するわけではないので、カスパーゼ依存的な細胞死シグナルはH1タンパク質に対して量的な変化を与えるとともに、何らかの構造変化を引き起こしているものと想定された。そこで、H1タンパク質の変化を詳細に調べるために、細胞死に伴うH1タンパク質のダイナミクスを可視化する系を構築した。細胞内でのカスパーゼ活性をリアルタイムにて追跡するプローブとして当研究室で開発されたSCAT3は、(FPとvenusの間にカスパーゼ切断配列を挿入したものであり、CYP-YFPの蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)を利用し、カスパーゼの活性を検出する。今回、FRETのみならず、venusタンパク質の局在変化をもう一つの指標として使用できるようにするために、核外移行シグナルNESをSCAT3のN末端(CFP)側に、核移行シグナルNLSをC末端(venus)側に挿入した新たなプローブCNL-SCAT3を作成した(図2)。CNL-SCAT3を神経芽細胞Neuro2σ細胞に導入し、venusタンパク質の挙動を調べると、生細胞においては細胞質に局在しているのに対し、細胞死を誘導すると、FRETの解消と同時に核へと移行する様子が観察された。この結果は、venusの局在変化を追跡することにより、FRETイメージングと同程度の感度でカスパーゼ活性を検出し得ることを示唆するものである。そこで、CNL-SCAT3と赤色蛍光タンパク質JRedをH1タンパク質に融合したH1-JRedとを共発現したNeuro2a細胞に対して細胞死を誘導し、リアルタイムイメージングを行ったところ、venusが核へと移行した後、H1タンパク質が核の周辺に移行することが明らかとなった。次に、こうしたH1タンパク質の局在変化が抗H1抗体の免疫反応性を左右する要因になり得るかどうかを調べるために、H1-venusをNeuro2a細胞に導入し、細胞死を誘導した後、抗H1抗体および抗GFp抗体により免疫染色を行った。その結果、H1-venusが核の周辺へと移行した細胞の多くは抗H1抗体陰性を示すことが明らかとなった。H1の局在変化に呼応して、細胞は抗H1抗体により認識されなくなると考えられた(図3)。

(2)抗H1抗体および抗活性化カスパーゼ3抗体による、神経系発生過程の検討

上記の研究から、細胞死の過程ではH1タンパク質が局在変化を起こすこと、またその変化は抗H1抗体を用いた免疫染色により識別し得ることが示唆された。また興味深いことに、H1タンパク質の局在変化が起こる前の段階にいるプレ死細胞を、「カスパーゼの活性化したH1陽性細胞」として同定されることが明らかとなった。近年ショウジョウバエを用いた遺伝学的解析により、細胞死シグナルの活性化したプレ死細胞では、増殖因子の発現が誘導されることが報告されており、「カスパーゼの活性化したH1陽性細胞」が生体において何らかの機能を果たしている可能性が充分に考えられた。そこで、神経系発生過程におけるカスパーゼ活性の生理機能を解析するにあたり、種々の神経系領域に対して、抗活性化力スパーゼ3抗体および抗H1抗体を用いて免疫染色を行った。その結果、胎生後期の嗅上皮では、数多くの嗅神経細胞でカスパーゼ3が活性化していること、またそのうちH1陽性を示すプレ死細胞の割合が、他領域に比べて高いことが明らかとなった。この結果は、嗅覚系発生過程では細胞死の過程がゆっくりと進行していることを示唆するものである。カスパーゼ活性を有する細胞が比較的長く組織に残る分、嗅覚系発生過程では、カスパーゼ活性の機能がより強く反映されると考えられた。さらに興味深いことに、カスパーゼの活性化した嗅細胞の細胞体は、嗅上皮全体に一様に分布しているにも関わらず、嗅球へと到達した嗅細胞軸索に着目すると、前内側に投射した軸索で特に強くカスパーゼが活性化している様子が観察されており、カスパーゼが嗅細胞の軸索部で機能している可能性も想定された。そこで、Apaf-1欠損マウスを用いて嗅覚系発生過程におけるカスパーゼの生理機能を解析した。

(3)嗅覚系発生過程におけるカスパーゼ活性の生理機能の解析

まずApaf-1欠損マウスの嗅覚系に対して嗅細胞軸索マーカーであるNCAMで染色し、嗅神経軸索について調べると、野生型とApaf-1欠損マウスでは、嗅球へと投射した嗅神経細胞の軸索分布に相違が認められた。次に嗅細胞の投射パタ一ンを詳細に解析するために、特定の嗅覚受容体(OR)遺伝子部位にOR-IRES-tau-lacZ変異を導入したマウスとApaf-1欠損マウスを交配した。X-gal染色により、特定のORを発現する嗅神経細胞を可視化した結果、Apaf-1欠損マウスでは、LacZ陽性細胞数に関しては野生型と差異がないにも関わらず、その軸索が通常とは異なる経路を通って嗅球に至ること、またその標的部位である嗅球へと到達した軸索が少ないことが明らかとなった(図4)。さらにLacZ陽性細胞に関して分化状態を調べると、Apaf-1を欠損したマウスでは野生型と比較して、成熟した細胞の割合が小さいという結果が得られたことから、カスパーゼは嗅細胞の分化過程を制御する因子であると考えられた。

【まとめ】

本研究により、H1タンパク質は細胞死の初期段階でカスパーゼシグナルを受け、抗H1抗体に認識されない形へと変化することが明らかとなった。これまで、全ての細胞で共通して起こる現象として、カスパーゼの下流で起こるクロマチンタンパク質のダイナミクスが多数同定されてきているが、いずれも細胞死を元進させた特殊な条件下においてのみ観察される。それに対し、抗H1抗体により識別されるH1の変化は、正常発生で起こる現象であり、抗H1抗体はカスパーゼ活性を有する細胞を評価する上で極めて有用であると言える。さらに本研究では、抗H1抗体を用いた免疫染色により、他領域に比べて多数のプレ死細胞が同定された嗅覚系発生過程を対象とし、カスパーゼの生理機能を解析した。その結果、カスパーゼ活性が細胞死のみならず、嗅細胞の軸索投射過程に寄与する可能性を見いだした。この現象が細胞自律的なカスパーゼ活性によるものなのか、それとも死にゆく細胞より発せられるシグナルによるものなのかを検討していく予定である。

審査要旨 要旨を表示する

システインプロテアーゼであるカスパーゼは細胞の生死を決定する上で中心的な役割を果だすのみならず、細胞移動や分化、樹状突起の刈り込みといった種々の発生現象に関わることが明らかとなった。しかしながらこれまでのところ、細胞ごとにカスパーゼ活性の強さやパターンを調節し、下流イベントを決定する機構は明らかではない。特にマウスでは、カスパーゼ3やカスパーゼ9、あるいはその活性化因子Apaf-1を欠損すると、系統によっては脳が肥大化することから、カスパーゼ活性は神経系の形態形成に必須であると考えられてはいるが、実際に「いつ」「どこで」カスパーゼが活性化し、細胞死を誘導するのか、また細胞死以外の現象にも関与しているか、その詳細な生理機能は不明である。

マウス神経系発生過程におけるカスパーゼの生理機能を解析する難しさの一つに、組織レベルで細胞の生死を識別する手法が確立されていない点が挙げられる。現在、死細胞を同定する手法として汎用されているTUNEL法は、DNAの断片化という細胞死の中でも後期に起こる変化を識別する。組織中の死細胞が隣接細胞により急速に貧食される事を考慮すると、TUNFL法により検出される死細胞は、死にゆく細胞のうちのごく一部であると考えられる。そこで本研究では、(1)より効率的な新たな細胞死マーカーを確立し、(2)カスパーゼ活性を有する細胞の生死やその特徴を組織レベルで明らかにした上で、(3)遺伝子改変マウスを用いてカスパーゼ活性の生理学的意義を解明することを目標とした。

(1)細胞死マーカーの確立

細胞死シグナルが伝わり、細胞死へと運命付けられた細胞では、不可逆的な核変化が起こる。DNAの断片化よりも早い時期に、かつカスパーゼ依存的な細胞死の過程で特異的に起こる変化を識別するために、一連の核変化の中でも早期に起こると考えられた「クロマチンの変化」に着目した。クロマチンタンパク質に対する種々の抗体を免疫染色に試した結果、ピストンH1に対するモノクローナル抗体(抗H1抗体AE-4)の反応性がカスパーゼ依存的な細胞死に伴い顕著に減少する可能性を見いだした。ピストンH1はクロマチンのリンカー部分に存在し、クロマチン構造の安定化に寄与する構成的なタンパク質であるが、細胞死を誘導した培養細胞に加え、死細胞が観察される組織においてもカスパーゼの活性化した細胞が抗H1抗体陰性を示した。そこで、こうした「抗H1抗体陰性」を示す性質が、カスパーゼ活性依存的に発現するのかどうかを生体レベルで検討するために、カスパーゼの活性化に関わるApaf-1を欠損したマウスを導入した。Apaf-1ヘテロ欠損マウスにDNA合成を阻害するAra-cを投与し、胎生期脳の増殖細胞に対して細胞死を誘導すると、増殖細胞の存在する内側基底核原基においてH1抗体陰性細胞が散在する。一方Apaf-1ホモ欠損マウスでは、増殖細胞においてカスパーゼの活性化は起こらず、またそうした細胞死シグナルの遮断された細胞の全てが抗H1抗体でラベルされることから、この抗体は、カスパーゼ依存的な細胞死の過程で特異的に引き起こされる変化を識別することが示唆された。

細胞がカスパーゼの活性化に依存して抗H1抗体で識別されなくなる理由として、抗原であるH1タンパク質レベルの低下、あるいは構造変化の二つが考えられた。H1タンパク質の量をクマシー染色により定量すると、死細胞では生細胞に比べて若干H1量が減少しているものの、完全に消失するわけではないので、カスパーゼ依存的な細胞死シグナルはH1タンパク質に対して量的な変化を与えるとともに、何らかの構造変化を引き起こしているものと想定された。そこで、H1タンパク質の変化を詳細に調べるために、細胞死に伴うH1タンパク質のダイナミクスを可視化する系を構築した。細胞内でのカスパーゼ活性をリアルタイムにて追跡するプローブとして当研究室で開発されたS(AT3は、CFPとvenusの間にカスパーゼ切断配列を挿入したものであり、CYP-YFPの蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)を利用し、カスパーゼの活性を検出する。今回、FRETのみならず、venusタンパク質の局在変化をもう一つの指標として使用できるようにするために、核外移行シグナルNESをSCAT3のN末端(CFP)側に、核移行シグナルNLSをC末端(venus)側に挿入した新たなプローブCNL-SCAT3を作成した。CNL-SCAT3を神経芽細胞Neuro2a細胞に導入し、venusタンパク質の挙動を調べると、生細胞においては細胞質に局在しているのに対し、細胞死を誘導すると、FRETの解消と同時に核へと移行する様子が観察された。この結果は、venusの局在変化を追跡することにより、FRETイメージングと同程度の感度でカスパーゼ活性を検出し得ることを示唆するものである。そこで、CNL-SCAT3と赤色蛍光タンパク質JRedをHlタンパク質に融合したH1-JRedとを共発現したNeuro2a細胞に対して細胞死を誘導し、リアルタイムイメージングを行ったところ、venusが核へと移行した後、H1タンパク質が核の周辺に移行することが明らかとなった。次に、こうしたH1タンパク質の局在変化が抗H1抗体の免疫反応性を左右する要因になり得るかどうかを調べるために、H1-venusをNeuro2a細胞に導入し、細胞死を誘導した後、抗H1抗体および抗GFP抗体により免疫染色を行った。その結果、H1-venusが核の周辺へと移行した細胞の多くは抗H1抗体陰性を示すことが明らかとなった。H1の局在変化に呼応して、細胞は抗H1抗体により認識されなくなると考えられた。

(2)抗H1抗体および抗活性化カスパーゼ3抗体による、神経系発生過程の検討

上記の研究から、細胞死の過程ではH1タンパク質が局在変化を起こすこと、またその変化は抗H1抗体を用いた免疫染色により識別し得ることが示唆された。また興味深いことに、H1タンパク質の局在変化が起こる前の段階にいるプレ死細胞を、「カスパーゼの活性化したH1陽性細胞」として同定されることが明らかとなった。近年ショウジョウバエを用いた遺伝学的解析により、細胞死シグナルの活性化したプレ死細胞では、増殖因子の発現が誘導されることが報告されており、「カスパーゼの活性化したH1陽性細胞」が生体において何らかの機能を果たしている可能性が充分に考えられた。そこで、神経系発生過程におけるカスパーゼ活性の生理機能を解析するにあたり、種々の神経系領域に対して、抗活性化カスパーゼ3抗体および抗H1抗体を用いて免疫染色を行った。その結果、胎生後期の嗅上皮では、数多くの嗅神経細胞でカスパーゼ3が活性化していること、またそのうちH1陽性を示すプレ死細胞の割合が、他領域に比べて高いことが明らかとなった。この結果は、嗅覚系発生過程では細胞死の過程がゆっくりと進行していることを示唆するものである。カスパーゼ活性を有する細胞が比較的長く組織に残る分、嗅覚系発生過程では、カスパーゼ活性の機能がより強く反映されると考えられた。さらに興味深いことに、カスパーゼの活性化した嗅細胞の細胞体は、嗅上皮全体に一様に分布しているにも関わらず、嗅球へと到達した嗅細胞軸索に着目すると、前内側に投射した軸索で特に強くカスパーゼが活性化している様子が観察されており、カスパーゼが嗅細胞の軸索部で機能している可能性も想定された。そこで、Apaf-1欠損マウスを用いて嗅覚系発生過程におけるカスパーゼの生理機能を解析した。

(3)嗅覚系発生過程におけるカスパーゼ活性の生理機能の解析

まずApaf-1欠損マウスの嗅覚系に対して嗅細胞軸索マーカーであるNCAMで染色し、嗅神経軸索について調べると、野生型とApaf-1欠損マウスでは、嗅球へと投射した嗅神経細胞の軸索分布に相違が認められた。次に嗅細胞の投射パターンを詳細に解析するために、特定の嗅覚受容体(OR)遺伝子部位にOR-IRES一亡au-ZacZ変異を導入したマウスとApaf-1欠損マウスを交配したbX-ga1染色により、特定のORを発現する嗅神経細胞を可視化した結果、Apaf-1欠損マウスでは、LacZ陽性細胞数に関しては野生型と差異がないにも関わらず、その軸索が通常とは異なる経路を通って嗅球に至ること、またその標的部位である嗅球へと到達した軸索が少ないことが明らかとなった。さらにLacZ陽性細胞に関して分化状態を調べると、Apaf-1を欠損したマウスでは野生型と比較して、成熟した細胞の割合が小さいという結果が得られたことから、カスパーゼは嗅細胞の分化過程を制御する因子であると考えられた。

本研究により、H1タンパク質は細胞死の初期段階でカスパーゼシグナルを受け、抗H1抗体に認識されない形へと変化することが明らかとなった。これまで、全ての細胞で共通して起こる現象として、カスパーゼの下流で起こるクロマチンタンパク質のダイナミクスが多数同定されてきているが、いずれも細胞死を元進させた特殊な条件下においてのみ観察される。それに対し、抗H1抗体により識別されるH1の変化は、正常発生で起こる現象であり、抗H1抗体はカスパーゼ活性を有する細胞を評価する上で極めて有用であると言える。さらに本研究では、抗H1抗体を用いた免疫染色により、他領域に比べて多数のプレ死細胞が同定された嗅覚系発生過程を対象とし、カスパーゼの生理機能を解析した。その結果、カスパーゼ活性が細胞死のみならず、嗅細胞の軸索投射過程に寄与する可能性を見いだした。詳細な機構等を含め、不明な点が多いが、ショウジョウバエと同様に、ほ乳類神経系においてもカスパーゼが細胞死以外の機能を果たしている事例を示したという意味では新規性を持つと考えられる。本研究から得られた知見はアポトーシスシグナルの生体制御機構の理解をとうして、医療薬学への貢献が顕著であり、博士(薬学)の学位に値すると判定した。

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